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4話
4.
しおりを挟む引き返そうか迷って何度も立ち止まったが、勇気が出なくて、アロイスはキャシディーの部屋から離れた。
――拒絶されてしまった。
いつもはぴんと伸びた大きな背中が、今は心なしか曲がっている。
出口まで辿り着くと、受付をしていたオヤジさんが驚き、カウンターの向こうから駆け寄ってきた。
「お、おいおい、アロイスの旦那! 随分お早いお帰りじゃないか!」
言いながら、アロイスの背後を覗き見る。通常なら出入り口まで見送りに来る娼婦の姿はなく、それでオヤジさんはなんとなく事情を悟ったようだった。
「その……キャシディーが、何かやらかしたかい?」
戸惑ったような、申し訳なさそうな表情で、オヤジさんは頭ひとつ分は大きいアロイスの顔を見上げた。
「いえ、私が彼女を傷つけてしまったようで……」
「うーん? なあ、時間はまだ大丈夫だろう? ちっとこっち来てくれや」
このまま帰してしまってはなんだと思ったのだろう、オヤジさんは別の店員を呼びつけて店番を頼むと、少々強引にアロイスを誘った。
たいていの娼館と同様に、ここ「カーク・カッツェ」も飲み屋を併設している。
簡素なテーブル席にアロイスを通すと、一旦奥へ引っ込んだオヤジさんは、波々と麦酒が注がれたジョッキを手に戻ってきた。
「まあ、やってくれ。これは俺のおごりだ」
「……では、お言葉に甘えて」
勧められるまま、遠慮がちにジョッキを傾けたアロイスの目は、驚きに見開かれた。
「美味しい!」
こう言っては悪いが、こんな所で出される酒など、たかが知れていると思っていた。
だがオヤジさんに出された麦酒はきりりと冷えており、泡の量も丁度良ければ、舌触りが絹のように滑らかだった。この味ならば、専門店にも引けを取るまい。
「へへ、まあほかの酒や料理はゴミみたいなもんだが、ビールだけは凝ってるのよ。俺が好きだからね」
そういえば、オヤジさんとアロイスが知り合ったのも、ここいらでは有名なビアホールだった。まだアロイスが顔に傷を負う前のことで、酒に酔ったゴロツキ数人に絡まれていたオヤジさんを、助けてやったのだ。
二人が再会したのは、ある作戦で大ケガを負ったアロイスが退院してから、しばらくしてのことだった。
温情により、ほぼ無期限の休みを与えられたアロイスは、目的もなくふらふらと夜の町を彷徨っていた。そんな彼を見かねて、オヤジさんは自分の経営する娼館に誘ったのだ。
オヤジさんのように長いこと客商売をやっていると、自分の店に招くのにふさわしい客の匂いを、嗅ぎつけることができる。
例えば、「カーク・カッツェ」には、満たされた人間は来ない。その代わり何かに飢えている、そういった男は上客になってくれるのだ。
「まあ、今日はちょっと行き違いがあったみたいだが……。そういうのも、女遊びにおけるスパイスさ。次来たときは、きっと燃えるぜ?」
「…………」
アロイスは無言で麦酒を口にしている。
「なあ、おい、もう来ないなんて言わないでくれよ? あんたにここを気に入って貰えて、俺は嬉しいんだからよ! ――キャシディーはいい子だから、あんたにおすすめしたんだがなあ」
「はい。素晴らしい女性だと思います」
朴訥と、だが率直に、アロイスはキャシディーを褒める。
オヤジさんはぐっとテーブルに体を乗り出した。
「この商売、特に女は、歳を取ってまで続けるのがなかなか難しくてな。キャシディーにはだいぶ稼がしてもらったし、世話になった。俺はあの子に幸せになって欲しい。――あんたにだったら、安心して任せられるんだがな」
人の良さそうな顔をした店主の、突然の申し出に不意を突かれ、アロイスはぽかんと口を開けた。
「あなたは……」
「ん?」
「いえ、何でもありません」
――全く予想外のことを頼まれた。
アロイスは顔を覆う黒いマスクを撫でた。
オヤジさんがキャシディーを大事にしているのは、よく分かっている。
それなのに自分に譲ろうなんて、オヤジさんは自分のこの化け物のような顔が気にならないのだろうか。
オヤジさんには再会した折に、焼けただれた素顔を見せている。多くの人々と同じく彼は目を背け、だがこの店に誘ってくれた。
――あからさまな同情だと分かっていたが、それでも良かった。
あのときは自暴自棄になっていて、そのくせ人恋しく、何かに縋りつきたかった。
娼婦なら。――金で買った女ならば、こんな醜い男の相手をさせるという罪悪感も、減らせると思ったのだ。
そして、キャシディーと出会った。
「ダメか? キャシディーはいい女房になると思うんだがな」
「……そうでしょうね」
一度招かれて行った、キャシディーの自宅を思い出す。
掃除の行き届いた居心地のいい部屋。真心のこもった美味しい料理。
男ならば、きっと彼女に幸せにしてもらえるだろう。
――こんな自分よりも、もっと相応しい男がいる。
アロイスはジョッキの中身を飲み干すと、テーブルの上に本日の花代と、多めのチップを置いた。
受け取れないと言い張るオヤジさんを無視し、その場を後にする。
――彼が「カーク・カッツェ」を訪れたのは、この日が最後となった。
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