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2話
1.
しおりを挟む娼館「カーク・カッツェ」は、「怪人」お気に入りの店である。
下町にはそんな噂が、瞬く間に駆け巡った。
身の丈二メートルの軍人アロイス・バーレは、初回訪問時に約束したとおり、キャシディーの元へ通い続けてくれた。
頻度は一週間に一度、たまに二日来ることもある。これはなかなかの回数だ。
そして噂になった「怪人」とは、まさしく彼のことである。
アロイスは頭から首にかけて火傷の痕があり、それを隠すために漆黒のマスクをかぶっている。その奇異な扮装と、山のように大きな体躯が合わさって、彼を見かけた人々に、「恐ろしいもの」という印象が刻み込まれたのだろう。結果、アロイスはオカルティックな異名を賜ることになったのだった。
ただしこの「怪人」は、大変礼儀正しく、模範的な紳士なのであるが。
問題を起こすでもなく、穏やかでおとなしい。
しかもこれだけのいかつい大男がいると、それだけで威嚇されているような気になるのか、他の客まで折り目正しい態度を取るようになった。
おかげで「カーク・カッツェ」の店内トラブルは、大幅に減ったのだった。
なにより、アロイスは足繁く店に通ってくれている。娼婦にとっては、これが何よりもありがたい。
最初はアロイスの不気味な外見を恐れて、遠巻きに不審の目を向けていた同僚の娼婦たちも、今ではキャシディーを羨むほどになっていた。
「あのマスク怪人、アタシのお客さんになってくれれば良かったのに! オヤジさんも気が利かないわね!」
周りを憚ることなく、声高に文句を垂れているのは、「アンナ」という若い娼婦である。
アロイスの対応をオヤジさんが最初に頼んだのは、この娘であったのだが。
当時、彼女はアロイスの見た目に怯えて、けんもほろろに断ったくせに、そのことをすっかり忘れてしまっているらしい。
これにはキャシディーもオヤジさんも、苦笑するしかなかった。
――最近はあまり前戯をさせてくれない。
「キャシディー。もう、いいから……」
ドクドクと脈動する音が聞こえてきそうなほど硬く張り詰めたペニスを、キャシディーの口から引き剥がしたアロイスには、焦りが見て取れた。
「がっついている」。まるでセックスを覚えたての少年のようだ。
荒れた大きな手がキャシディーの腕を掴み、彼女をうつ伏せに組み敷く。
「あっ、ちゃんと着けてくださいね……」
「はい」
――この辺りも物分かりがいい。
キャシディーの背後で、アロイスがもぞもぞと動く気配がした。
これが別の客だったら、きちんと避妊具を装着したか、確かめるところだ。
だが、アロイスが相手ならばその必要はない。
娼婦が見ていないのをいいことに、「生」でやろうなんて、彼はそんな卑怯な男ではないのだから。
アロイスがこの店に通うようになってからまだ三ヶ月ほどしか経っておらず、寝た回数だって数えるほどだ。
だがその短い期間で、キャシディーは彼のことを全面的に信じるようになっていた。
娼館の、受け持ちの部屋。十畳ほどのこの狭い空間で、やることなんて限られている。
セックスをして、時間が余ればお茶を飲む。
それだけを繰り返す中で、誰かを信頼するなんて、浅はかなのだろうか。
例えばここを出たアロイスは、実は「怪人」の二つ名にふさわしい、粗暴な人物だったりするのかもしれない。
それでも、ここにいるときの彼は――キャシディーに接するときの彼は、誠実な男である。
――だから、この人はいい人。優しい人……。
まるで神様を信じるように純粋に、キャシディーはアロイスを慕った。
後ろ向きの尻を持ち上げられて、陰唇を指で割られる。アロイスはキャシディーのそこを慎重に確かめているようだ。
「よく濡れている……。あなたも大丈夫そうですね」
「もう……! 恥ずかしいことを言わないで」
潤滑油を使う必要はなくなっていた。
アロイスと触れ合うと、キャシディーの秘部は、彼を受け入れるためにすっかり整ってしまうからだ。
――早く。
そう願った瞬間に、剛直の肉の棒が突き立てられる。
「ああっ!」
後ろから侵入されると、余計にアロイスの性器の、その大きさを感じてしまう。
口が閉じられない。貫かれるたびに、キャシディーの口からは嬌声が漏れる。耳に届くのは、彼女自身も聞いたことがない、獣じみた声だった。
「あっ、ああんっ、大きいっ! アロイスさん……っ! いいの、すごく、いい! もっと、もっとしてぇ……っ!」
「くっ……。はぁっ……!」
激しく腰を打ちつけられると、体の深い部分が破壊されていくような錯覚に陥る。
勢いがあり過ぎて快感よりも痛みが勝る頃、アロイスは事態に気づき、動きを止めた。
「すみません……。落ち着き、ます……」
貪欲に求めながら、アロイスは完全に自分を失うことはない。だからキャシディーも、安心して身を任せることができる。
実際、娼婦と客の関係など危ういものだ。
「金を払い、買っている」という強みと意識があるから、無茶をする男も少なくない。
だから娼婦は行為中、快楽に溺れることはない。感じているふりをしながら、常に相手の一挙手一投足を見張り、警戒している。
よく「娼婦は演技しているからつまらない」とのたまう男がいるが、それは全て彼ら自身の傲慢な態度が原因なのだ。
アロイスは再び動き出したが、あまり深くを責めず、ゆるやかに腰を前後させるに留まった。
キャシディーを気遣ってのことだろうが、これはこれでつらい。女からすれば、天国へ向かう道を牛歩させられているようなものだ。
アロイスの腕が伸びてきて、揺れる乳房を後ろから優しく掴んだ。
「アロイスさん……!」
切なくなって体を起こしたキャシディーは、胴をねじり、口づけをねだった。アロイスは上体を伸ばし、その要求に応える。
「きもちい……っ! 奥、欲しい……っ!」
「痛く……ありませんか……っ?」
「ゆ、っくりなら、へいき、だからぁ……っ! ちょうだいっ! 奥う、ぐりぐりしてぇっ!」
「……っ!」
自分の体重を逃がすためシーツに手をついた彼の、盛り上がった胸の筋肉が背中に当たる。その感触にすら、キャシディーの性感は煽られた。
鍛え上げられた逞しい体を持つ、極上の雄と交わっている……。雌としての優越感、そして悦びに浸る。
「あっ、あーーーーっ!」
「キャシディー……っ!」
ボールのようにパンパンに膨らんだ亀頭が、膣道の弱い部分を数度擦り上げただけで、キャシディーは絶頂を迎える。
ほぼ同時に、アロイスも射精した。
くたっと二人でベッドに沈み込み、乱れた呼吸を繰り返す。
「はぁっ、はぁっ……。あたしの体、良かったですか……?」
「はい、とても……。あの、あなたは、気持ち良かったですか……?」
「えぇ……? あなたはお客さんなんだから、そんな気を使わないで……」
「いえ、とても大事なことです」
本気なのか気持ちを計り兼ねて、キャシディーが後ろを振り返れば、真顔で自分の背中を抱き締めているアロイスと目が合う。
思わず、吹き出してしまった。
キャシディーを満足させてこそ。どうやらそれが、アロイスの流儀らしい。
紳士だからなのか、プライドなのか、それとも性癖なのか。
何にしろ、おかしい。
「はい、ええ……。すごくすごく、気持ち良かったですよ」
「良かった……」
安堵したようにほっと息を吐き、自分に体重を預けてくるアロイスがあまりに可愛くて、キャシディーはくすくす笑った。
お茶の道具が並ぶテーブルに、すっかり身支度を整えたアロイスが、数冊の本を置いた。
「この間お話しした本を、何冊か持ってきたのですが」
「わあ!」
キャシディーは持っていた盆を放り投げるような勢いで置くと、壁際の棚に駆け寄り、その中から何冊か本を取り出して戻ってきた。
「では、あたしからはこれを!」
お互い持ち寄ったもの交換し、二人はニコニコ微笑み合った。
その間に、机に置いてあった砂時計の砂が、全て落ちた。――頃合いだ。
ティーポットには、時間どおり蒸らした茶葉が詰まっている。キャシディーはその中身をカップに注ぎ、更に蜂蜜を垂らした。
この蜂蜜については、以前「お好みの量をどうぞ」と瓶ごと勧めたこともあったが、アロイスは「あなたが淹れてくれるものが一番口に合うから」と辞したのだ。それ以来、アロイスのお茶を最後まで支度するのは、キャシディーの楽しい仕事となっている。
『アロイスさんは、本とか読まれるんですか?』
『ええ。特に今はやることがないので』
そんな会話を交わしたのは、ついこの間の、やはりお茶の時間でのことだ。話が弾んで、今度お気に入りを貸し合おうということになった。
本当に持ってきてくれるのか半信半疑だったが、アロイスはこうして約束を守ってくれたわけだ。
彼から渡されたのは、古典ミステリの中でも、傑作と名高いものが数冊。
キャシディーが渡したのは、ジャンルごちゃ混ぜで、流行りのものをいくつか。
ここ最近で面白いと思ったものを厳選したつもりだったが、軽薄だと思われないか心配だった。だからアロイスが興味深げに、渡した本のページをめくっているのを見て、キャシディーは胸を撫で下ろした。
「へえ……。面白そうなあらすじですね。あまり最近の作家を知らないので、とても楽しみです。私のは古いものばかりで、申し訳ありません」
「ううん。タイトルは知っていて、いつか読みたいと思っていたものばかりだから、嬉しいわ。ありがとう」
「なら、良かった」
自分が貸した本を大事そうに抱えるキャシディーを見て、アロイスのマスクから覗く唇の端は、にこやかに上がった。
終了の時間までは、まだ間がある。
もしかしたら。
アロイスが娼婦の奉仕を長々とは受けず、比較的性急にコトを済ますのは、このような時間を長く取るためなのだろうか。
――自惚れなのかもしれないけれど。
だがゆったりとくつろぎ、美味しそうにお茶を飲んでいる目の前の男を見て、キャシディーの中に閃くものがあった。
――だとしたら。
「アロイスさん。あの……」
キャシディーはつっかえつっかえ、なんとか言葉を紡いだ。
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