1 / 20
1話
1.
しおりを挟む揉み手をしたオヤジさんが、いかつい姿かたちに似合わぬ猫なで声を出し、にじり寄ってくる。
「またか」と、キャシディーはため息を吐いた。
トーシャイト共和国の、とある下町の歓楽街にて。午後六時を回ったところだ。
キャシディーが働き、オヤジさんが店主を勤める娼館は、裏通りでは一番の人気店である。
店の名は、「カーク・カッツェ」といった。トーシャイト共和国の言葉で、「可愛い子猫ちゃん」という意味だ。
「頼むよ、キャシディー。ニナにもアンナにも頼んだんだが、あいつら怖がっちまってな。ほかの女の子にも当ってみたんだが、みんな嫌だって言うんだ」
「……ん?」
想像していた話と内容が違っていたので、キャシディーは首を傾げる。
オヤジさんはつるりと剃り上げた形の良い頭に手をやり、いかにも困っているという風に顔をしかめた。
「恩のあるお客さんでね。『女の子と遊んでみたい』と、せっかく俺を頼ってくれたんだ。願いを叶えてやりたいんだよ」
「んー……。でもさ、今日のあたしの予約はどうなってんの?」
「その辺は俺がうまくやるよ。おまえのお客さんに納得してもらえるように、ちゃんとするからさ」
「うーん」
美しくカールした長い黒髪をいじりながら、キャシディーはしばし思案に暮れた。
オヤジさんがここまで苦心し、受け入れたい客とは、どんな人物なのだろうか。少し興味が湧いてくる。
「確かに、見てくれにはちょっと難があるが……。だが、とても良い御人なんだ。無茶なことや乱暴なことは絶対にしない。俺が保障する」
オヤジさんの熱意がひしひしと伝わってくる。こんなにも頼み込まれれば……。
――我ながら、お人好しだわ。
自分に呆れながら、キャシディーは肩をすくめた。
「……分かった。いいよ、オヤジさん。引き受ける」
「本当かい、キャシディー!」
「ノーマルプレイでいいんでしょ? あと、チップはずんでね? ――ま、あたしはてっきり、またアーレンスのボンボンが、わがまま言ってきたんじゃないかと思って……。そっちだったら、どんだけ金積まれても、お断りだったけどね」
「アーレンス様は上客だから、それはそれで困るんだけどね……」
オヤジさんは太い眉毛を下げて苦笑すると、突き出た丸い腹を揺らしながら、いそいそと部屋を出て行った。
「ふう……」
一人ベッドに座り、深々と息を吐くこの女の名は、キャシディー。姓はなし。黒髪に瞳は茶色、年齢は二十四歳だ。
身長は一六五センチほどで、痩せ過ぎず、太過ぎず。娼婦の売りものの一つであるバストも、やはり大きくもなく小さくもなく。
容姿はせいぜい上の下といったところだが、明るい性格が男たちにウケて、彼女はこの店で一、二を争う人気者だった。
気風のいいこのベテラン娼婦を、店の経営者すら、なにかと頼りにしているようだ。――先ほどのように。
ドアを叩かれたのは、オヤジさんが去ってから、おおよそ五分後のことだった。
「はあい、どうぞお」
軽やかに返事をしながら、キャシディーは立ち上がった。
板の間に、わずかな家具を載せた狭い部屋。ここがどうにも異質に見えるのは、中央に堂々と座している、大きなベッドのせいだろうか。
簡素な室内にそぐわぬ高級な作りで、まるで貴族の持ち物のようなそれ。
だがこれが、キャシディーの大事な商売道具なのだ。
――娼婦。
この場所で男性を性的に慰める、それがキャシディーの仕事だった。
ほどなく扉が開き、何者かがまるでお化け屋敷にでも足を踏み入れるかのように、おっかなびっくり入ってくる。
キャシディーはにこやかな表情を保ちつつ、本日の客の姿を、無礼にならぬ程度に検分した。
「ようこそ。楽しんでいってくださいね」
「…………」
男は黙ったまま、頭をわずかに下げた。愛想のない仕草だったが、恐らく緊張しているのだろう。挙動が、あまりにもギクシャクしている。
背丈は二メートル近くと長身だ。そして何より目立つのは、彼が身に着けている黒いマスクだった。目と鼻、口の部分を切り取った布製のそれを、男は頭からすっぽり被っている。おかげで彼が若いのか、年寄りなのか、キャシディーは判断ができかねた。なにより、奇妙だ。
「旦那さん? よろしければ、マスクはお取りくださいな」
「……いえ。これは、このままで………」
「あら、そう……」
「……………」
大きな体に、怪しいマスク。しかも男は寡黙なタチらしい。まるで小説や漫画に出てくるモンスターのようだ。
店の女の子が怖がるのも、分かる気がした。
だが仕事は仕事。受けたからには、まっとうしなければ。
「さて、と」
「!」
キャシディーが近づくと、男はびくっと後ずさり、だが直後気まずそうにふーっと息を吐きながら、体から力を抜いた。
そうだ。キャシディーのような小娘に対する態度にしては、あまりに滑稽である。
図体ばかりデカいくせに、まるでか弱い小動物のような――。
気づかなかったふりをして、キャシディーは営業用の笑顔を浮かべた。
「コート、お預かりしますね」
キャシディーは男の背後に回り、コートを脱がしてやった。
肩幅は広く、服の上からでも分かるほど、男はがっちりした体格をしていた。
コートの襟がマスクの裾にぶつかり、わずかに捲れる。そこからちらりと見えた肌は、焼けただれていて無残なものだった。
――なるほど、彼がマスクを着けている理由、そして外したがらないのは、これが原因か。
「まずはシャワーを浴びましょう」
男の手を取って、シャワールームに導く。握った手は大きく、荒れていた。労働者特有のそれに接して、キャシディーは少し安心した。
――これは、真面目な人間の手だ。
「…………」
浴室へ続くガラス戸の前に立ち、男はどうしたらいいのか戸惑っている。
キャシディーはさばさばと、着ていた緑色のワンピースを脱いだ。
たとえ初めて会った男の前でも、裸になることには慣れている。
下着も躊躇なく外し、正真正銘生まれたままの姿になってから様子を伺えば、男はキャシディーの体をバチッと凝視したのち、慌てて目を逸らした。
この客ときたら、娼館の「いろは」が全く分かっていないらしい。
女の体をスケベったらしく鑑賞するのも、料金の内なのに。
くすっと笑いながら、キャシディーは男の胸元に手を置いた。
「お脱がししましょうか? 旦那さん」
からかうように言うと、男はそっとキャシディーの手を払いのけた。
怒らせただろうか。
「……自分でします」
彼の返事は、怒っているというよりも、子供が拗ねているかのように聞こえた。
キャシディーは再び笑みを漏らした。
バカにしているわけではない。純粋に、可愛らしい男だと思ったのだ。
男は覚悟を決めたのか、テキパキと服を脱いだ。しかしやはり、マスクは取らなかった。
――キャシディーが想像していたとおり、男は素晴らしい肉体をしていた。
筋肉で盛り上がった胸に、丸太ほどはあるだろう太い腕。腹筋はいくつもに割れ、無駄な脂肪など欠片もついていない。
職業柄、数多くの男を見てきたキャシディーも、これほどまでに鍛え上げられた体を見たのは初めてだった。
「こちらへどうぞ」
シャワールームに並び立ち、石鹸を泡立て、丁寧に体中を弄ってやる。
「……っ」
くすぐったいのだろう、男は何度か身動ぎをした。
だが、声は出さない。我慢しているのだろうか。
そうされると、かえって意地悪をしたくなる。一応は娼婦としての、プライドもあった。
シャワーで泡を流してから、正面から抱き合うようにして寄り添う。男はどうしていいのか分からないのか、「気をつけ」の体勢のままだ。そんな彼の乳首を、キャシディーはねっとりと舐めた。
「……うっ!?」
殺し損ねたうめき声が聞こえてきて、キャシディーは満足そうに愛撫を続けた。
男の股間に手を伸ばし、掴む。別にここも鍛えたわけではないだろが、天を指すペニスは常人のそれよりずっと長く、太かった。
「く……っ」
胸と、そして陰茎を同時に刺激された男は、キャシディーの肩に手をやり、押しのけようとした。
「旦那さん、ここへ何しにいらっしゃったの? どうぞ楽になさって、あたしに任せて……」
キャシディーが淡々と言い含めると、男ははあと熱い吐息を零し、同時に脱力した。
ペニスが成長しきった頃合いに、キャシディーは泡でぬめる床に跪き、男のそれを口に含んだ。先から根本まで滴ったシャワーの湯と、自身の唾液を交換するように舐め回すと、幹に舌を絡め、すぼめた唇を上下させた。
行き場を失って迷う生き物のように、口内では陰茎がびくびく跳ねている。睾丸を弱く柔らかく揉み上げ、赤黒い肉棒に浮いた筋に舌を這わせながら、キャシディーは囁いた。
「時間内でしたら、何度出しても構いませんから……。我慢なさらず」
そう言って、男のものを再び口に迎え入れる。キャシディーの魅惑的な誘いに反応したのか、舌先に感じる苦い雫が量を増した。
亀頭にほんの少しだけ歯を当てながら、口の中に収まりきらない幹を手でしごいてやる。
「あっ……!」
息を呑むような声を漏らして、男は遂に射精した。
吐き出された精液は濃く、キャシディーの味覚と臭覚を独占する。
苦く、青臭い……。
目を瞑って男の吐精を受け止めたが、こうして視界まで塞いでしまうと、キャシディーはまるで自分が彼に支配されたような錯覚に陥った。
男の出したものは、それほど勢いも量も圧倒的だったのだ。
「すまない……」
気まずそうに、男はつぶやく。謝る必要などないのに。
だがこういった気遣いや気兼ねは、女を買うたびに薄れていき、男たちはやがて忘れてしまう。
キャシディーはそんな皮肉なことを思いながら、ペニスから口を離した。
男のそれはまだ張り詰めたままで、まだ足りないと訴えているかのようだ。
「ふふ、欲張りさんですね。頼もしいです」
媚びるようなことを言いながら、キャシディーは口に手を当て、男の精液をそっと吐き出した。
全てに慣れており、全てがいつもどおり。
――そのはず、だったのだ。
1
お気に入りに追加
23
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉
届かぬ温もり
HARUKA
恋愛
夫には忘れられない人がいた。それを知りながら、私は彼のそばにいたかった。愛することで自分を捨て、夫の隣にいることを選んだ私。だけど、その恋に答えはなかった。すべてを失いかけた私が選んだのは、彼から離れ、自分自身の人生を取り戻す道だった·····
◆◇◆◇◆◇◆
すべてフィクションです。読んでくだり感謝いたします。
ゆっくり更新していきます。
誤字脱字も見つけ次第直していきます。
よろしくお願いします。
【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!
楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。
(リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……)
遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──!
(かわいい、好きです、愛してます)
(誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?)
二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない!
ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。
(まさか。もしかして、心の声が聞こえている?)
リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる?
二人の恋の結末はどうなっちゃうの?!
心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。
✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。
✳︎小説家になろうにも投稿しています♪
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる