その女、悪魔憑きにつき

犬噛 クロ

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1.その女、悪魔憑きにつき

9 (完)

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 手首のツタは決して解(ほど)けないくせに、締めつけは弱く、痛みはなかった。
 だからなのだろうか。今まさに襲われようとしているのに、景は自分でも不思議なくらい、恐怖を感じずにいた。
 ティンカー・ベル。たった二、三日共に過ごしただけなのに、ついつい気を許してしまった。まるで彼とは、古くからの友人のようだ。
 だが、そうだ。きちんと理解しておくべきだったのだ。
 ティンカー・ベルは悪魔で、それ以前に『男』なのである。

「簡単に言えば、精気というのは、生き物が作り出すエネルギーのことだ。命の源と言えばいいか」

 ティンカー・ベルは、とうとうと講釈を垂れた。

「生きものの体内を巡っている精気は、ある時々において特に大量に放出される。例えば、生まれ落ちたそのとき。心が怒りや悲しみで満ちたとき、または充足を得たとき。それから――」

 景が着ているパーカーのファスナーを下げ、ティンカー・ベルはそのまま手を、彼女の背中に回した。そして、そこにあったホックを外す。

「――性的な快感を得たとき。そのようなときの精気は、大変濃厚で美味なのだ。だからお前には、せいぜい感じてもらうぞ」

 浮いたブラジャーのカップをインナーごと捲り上げられて、景の顔はカッと熱くなった。

「やだっ! み、見ないで……!」

 剥き出しになった裸の胸に、悪魔の視線を感じ、肌が粟立つ。
 ここまでされておきながら、嫌悪感がないのは何故だろう。
 初恋の相手であった飯島 大吾には、手を握られただけでも嫌だったのに。

「ほほう、これはなかなか。Dか?」
「そ、そんなにないよ!」

 サイズを確かめるかのように胸の膨らみを鷲掴みにしたかと思えば、ティンカー・ベルの手つきはすぐに女から性感を引き出そうとするそれに変わった。掬い上げるように揉みしだき、素直に勃った乳首を親指の腹でこねる。

「んっ……。や、やめて……!」

 どうしても息が乱れてしまう。唇を噛んで堪えようとする景に、ティンカー・ベルは歌うように話しかけた。

「どうせ死ぬ気だったのなら、なんでもできるだろう? 快楽に飛び込むことだって」
「なっ……!」

『死ぬ気だった』。――どうして、そんなことを知っているのだろう。

「それともお前は聖職者のように、清い体で生涯を終えたいのか?」
「な、なんで……!?」

 真実を突く軽やかな口調に、頭を殴られたかのようだ。悪魔の突拍子もない質問に、景の表情は強張る。
 硬くなった景の体をほぐすように撫で擦りながら、ティンカー・ベルは続けた。

「お前の携帯電話には、我を呼び出す方法を記したサイトともう一つ、『死神』の召喚について説明したサイトがブックマークしてあった」
「勝手に見るなんてひどい!」
「悪魔に倫理観が欠如しているのは、当たり前のことだろう」

 景の抗議を、ティンカー・ベルは鼻で笑った。

「『死神』は、悪魔よりも明瞭会計だ。願いを叶えれば、即時に契約者の魂を抜く。お前が読んだサイトにも、そう書かれていただろう? しかしそれならば、我が内臓を寄越せと言ったときに、お前が快諾した理由も分かる。普通の人間ならば、長く健康に生きることを、第一に考えるものだ。たかが初恋の成就のために、大切な体の一部を渡そうなどとは、決して思わない」
「だから! 飯島くんのことは、私にとってそれだけ大切なことなんだって、言ったじゃない!」
「事前に相手をきちんと知ろうともせず、そしていざ接触した途端、即座に幻滅しておいてか? ――お前の願いは軽い。そして、その対価も」

 つまりティンカー・ベルとの契約を済ませたそのとき、景の命は軽いと、他ならぬ彼女自身がそう宣言したようなものなのだ。

「だって、だって……! 死神だって、妖精だって、本当に出てくるなんて思わなかったもの! だから……!」
「軽い気持ちだろうが出来心だろうが、死を望まぬ人間は、そもそも闇には近づかないものだ」
「……………………」

 なにをどう言い繕っても、この男には見透かされてしまう。景は黙り込み、今にも泣き出しそうな顔になった。
 両腕を宙に掲げられ、か細い体を罪人のように晒す哀れな景に、だがティンカー・ベルは容赦しない。デニムスカートの裏に手を回して、小ぶりの丸い尻を何度か撫でたあと、景のスカートからタイツ、下着までを一息に下ろしてしまう。

「やっ!? ちょ、やめてよ!」

 さすがに景はじたばたと暴れるが、そのせいで足が浮いて、かえって脱がしやすくなってしまったようだ。悪魔は難なく剥ぎ取った景の下半身の衣服一式を、ぽいっと投げ捨てた。

「スースーする……」

 裸になった下半身を隠そうと、景は内股になって足を擦り合わせた。その間を裂くかのように、ティンカー・ベルは自身の膝を強引に割り込ませると、太ももを景の股間に当てた。

「あっ……!」

 上等なライトグレーの生地が、性器の表面を行き来する。自分が吐き出したいやらしい体液が、悪魔の立派なスーツを汚すのが嫌で、景は身を捩った。

「やだ……っ!」
「たっぷり濡らせばいい……」

 蕩けそうな声でそう言うと、ティンカー・ベルはゆっくり太ももを前後させた。

「あっ……! やだ、やだあ……!」

 胸をいじられ、股間を擦られて、過剰なほど滲み出た愛液は、悪魔の希望どおり、彼のズボンを汚す。
 ティンカー・ベルは、景の頬や額に口づけを落とした。その仕草があまりに優しくて、ひどいことをされているはずなのに、景はまるで彼に恋人として扱われているような、甘い錯覚に陥る。

「うーん、やはりお前の精気は美味そうだ。ぷんぷん匂ってくる……。ほら、早く寄越せ」

 ご馳走を前にした食通のように、ティンカー・ベルはよだれを垂らさん勢いで迫る。
 そうか、彼は精気とやらを待っているのか。でもそんなもの、どうやれば出るのだろう?
 欲しいなら、あげたい。なんでもしてあげたい。自分の与えられるなにかで、ティンカー・ベルが喜んでくれるなら。
 その間、優しくしてくれるなら。一緒にいてくれるなら。

 ――ひとりはいやだったの。

 快感の波に溺れながら、景は遂に告白する。

「し、死のうとしてたわけじゃない……。自殺とか、そういう大げさなものじゃないの。だって死神を呼び出せるなんて、本気で信じてたわけじゃないし」

 はっきりと明確に、「死にたい」と思っていたわけではないのだ。
 ただ、このまま長くダラダラと生きていくくらいなら、その生と引き換えに、愛してくれる人が欲しかった。

「ひとりでなくなれば、それで良かったの。私は家族を頼れない。だから、側にいて欲しいと思いついたのが、中学のときに優しくしてくれた、飯島くんだけで……」

 目を瞑ればいつも、ひとりぼっちの過去の自分、現在の自分――そして、未来の自分の姿が浮かぶ。

「ひとりはいや。寂しいのは、もういや……」

 死にたかったわけじゃない。
 だけど、消えたかった。

「我には分からない。職場では頼りにされ、慎ましいながらも生活は成り立っており、若く、容姿もさほど悪くないし、健康だ。料理も上手い。そんなお前が、なぜ死を望むほどの虚無感に囚われているのか」
「ティンカー・ベルには分からないよ! 大きくて、堂々としていて、不思議な力を持っていて、綺麗だし……! あなたみたいな素敵な悪魔には、私の気持ちは絶対に分かんない!」

 駄々っ子のように首を振る景に、ティンカー・ベルは苦笑を浮かべた。

「その、大きくて堂々としていて不思議な力を持っていて綺麗で素敵な悪魔に当たり散らす元気があるなら、なんでもできそうなものだがな」

 ティンカー・ベルは抱き締めるようにして景の背中に腕を回すと、両手の指を組み、そこに彼女の小さな尻を乗せた。そして、持ち上げる。

「ひゃっ!?」

 足が宙に浮き、更に股間になにかが当たって、景は悲鳴を上げた。
 誰からも触られたことのない、自分でもあまり触ったことのないような場所に、なにかが入り込もうとしている。不自由な体勢のまま、景はきょろきょろと頭を動かし、なにがどうなっているのか確かめた。
 尻尾だ。悪魔の腰から伸びた尻尾が、自分の性器の中へ潜り込もうとしている。

「や、やだ、怖い……!」
「おっと。暴れると、処女膜が破れるぞ」

 大切に取っておいたわけではないが、初めての相手が尻尾というのは微妙である……。しかし処女膜の強度というのは、どれくらいのものなのだろう。そんなことを考えている間も、尻尾は好き勝手に動いた。

「あ……! あ……!」

 尻尾の先端の鉤形の部分が、奥を犯す気はないのか、膣に入るか入らないかのところでくるくると回っている。その動きのせいで滲み出た新しい蜜が、ますます尻尾の動きを滑らかに、巧みにしてしまう。
 まさに、快感の「入口」。初めて味わう感覚に、景は朦朧となった。

「はあ……っ、あ……っ!」
「そんなに気持ちがいいのか。中に欲しがるとは、淫婦としての見込みは十分だな」

 悪魔の嘲りも頭に入ってこない。
 このまま処女でなくなるなら、それでもいい。それくらい、この刺激は魅惑的だ。
 でも、どうせ失うなら――。
 抱き寄せた景の股間に、ティンカー・ベルは自身の陰茎を擦りつけた。膨らんだ陰核に、悪魔の硬く張り詰めたペニスが当たる。

 ――どうせなら、これで貫いてくれればいいのに。

 景は、ティンカー・ベルの顔を見上げた。

「ティンカー・ベルぅ……」
「そんな顔と声で、我を誘うな。悪魔をたらしこもうとは、お前はやはり恐ろしい女だな」

 ティンカー・ベルの息も、わずかに乱れている。悪魔は掴んでいる景の尻を引き寄せ、自らも腰を動かし始めた。
 密着し合った性器同士が擦れ合い、互いに快感を与え合う。――限界だった。

「あっ、あー……っ!」

 目の前が白く眩んだのち、脱力する。わななく唇を塞がれたかと思うと、呼吸ができないくらい強く吸われて、舌を舌に奪われた。

「お前の精気は、今まで我が口にした中で、一番美味い……」

 ――ああ、そういえば、口からじゅるじゅるーっと吸うって、言ってたっけ……。

 辺りの輪郭がおぼろげになった景の視界の中で、金色の瞳だけが輝いている。

「我はお前が気に入ったぞ、大蔵田 景。法令遵守で地味に真面目に生きているくせに、生み出す精気はドロドロと濃く、芳醇にして複雑だ。そして心には、大きな魔物を飼っている。――悪魔は、お前のような人間が大好きだ」

 何度も何度も口づけられて、そのたびに痺れてしまい、景は絶頂から戻って来られない。
 頭がおかしくなりそうだ。いつの間にか手首のツタは外れており、景はティンカー・ベルの首に手を回し、自ら彼に抱きついた。

「抵抗する気がなくなれば、拘束は解ける。そうか、お前も我を受け入れるのだな」

 小さく頷き、景は悪魔に口づけ、舌を絡ませた。これではまるで、どちらがどちらを貪っているのか分からない。

 ――そばにいて。ひとりにしないで。

 永遠に続けていたかった交わりだが、体力が先に底をついた。
 ティンカー・ベルはうとうととまどろみ始めた景の体を横抱きにすると、布団へ運んだ。
 背中にシーツが当たり、彼が遠ざかる気配がする。景は悪魔の大きな手を掴んだ。

「行かないで……」
「心配するな、大蔵田 景。言っただろう? 我はお前が気に入ったと。期待するがいい」

 ティンカー・ベルは景の額に指先を置いた。

「――我が力の全てを使ってでも、お前を幸せにしてやろう」

 悪魔が触れた箇所が、ぴりぴりと痛む。やがてじんわり熱くなったそれは、溶けるように消えてしまった。

「契約は、なされた」

 眠りにつく寸前に、悪魔の声が聞こえた気がする。
 そうか、ティンカー・ベルとの縁は、まだ続くのか。胸が暖かくなると同時に、ふとした疑問が湧く。

 ――悪魔の言うところの「幸せ」って、どういう……?




 こうして大蔵田 景は、この日より、悪魔憑きとなった。




~ 終 ~




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