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1.その女、悪魔憑きにつき

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 とりあえず、蛍光灯を点けて確認する。
 尖った耳に、大きな角。突然部屋に現れた男の背には一畳ほどの黒い翼が、尻からは紐状の細長い尻尾が、それぞれ生えていた。しかし景の目に最も奇異に映ったのは、男の肌だ。男はペンキで塗られたように、青かったのだ。

「うう……」

 ――怖い。
 景は精一杯異形の男から距離を取り、オドオドと遠巻きに眺め回した。
 腕は丸太のように太く、胸は厚く盛り上がっている。割れた腹筋の下の、逞しくも長い足を折り畳み、男は部屋の中央にあった座卓の前に正座した。

「お前もここに座りなさい」

 座卓の向こう側をとんとんと叩き、男は景に自分の正面に座るよう促した。

「えぇ……」

 警戒している景は、当然難色を示す。男は低い声で繰り返した。

「座れ。話ができないではないか」
「うう、はい……」

 怖くて、逆らえない。景は渋々、男の前に腰を下ろした。
 髪は黒く、短い。太い眉に切れ長の瞳。大きな口に、スッと通った鼻筋と、男はなかなかの二枚目だった。彼が人間だったならば、もしかしたら景だってのぼせ上がっていたかもしれない。
 それはさておき。――自称、ティンカー・ベル。
 男の外見は、彼が名乗ったその名のイメージとは、大きくかけ離れている。

「ところで、な、なんで、裸なんですか……!」

 顔を赤くして、景が問えば、男は座ったまま、申し訳程度に下半身を覆っている短い腰巻きの裾をめくった。

「一応、腰巻きはつけているが」
「そ、そんなちっちゃいの……! なんか黒々したのが、チラチラ見えてるし……!」
「むう。やはりこのちっぽけな布切れでは、我がロンギヌスの槍は隠しきれぬか」

 さらりと言ってのけてから、男改め「ティンカー・ベル」は、パチンと指を鳴らした。

「わ……!?」

 空気がふわっと揺れる。それに気を取られた景が、再びティンカー・ベルに視線を戻すと、彼はいつの間にか服を身につけていた。

「……!」

 驚きのあまり、景はぱちぱちと瞬きする。
 よそ見したのは一瞬だったはずだ。それなのにティンカー・ベルは、細かいストライプの入ったグレーのスーツをきっちり着込んでいた。スーツと同系色のネクタイに、ピンクのシャツという組み合わせもセンスが良く、よく似合っている。
 ――ではなくて。

「今のは……魔法? ということは、あなたはやはり、私が召喚した妖精なのですか?」
「低能な羽虫と一緒にするな。我は、悪魔だ」
「あくま?」

 きっぱり言ったかと思うと、ティンカー・ベルは座卓の上に手を伸ばし、そこにあったクッキーを断りもなく食べ始めた。

「あっ、それ! 妖精さんのために用意したのに!」
「だから、お前が呼んだのは、我だろう。誇り高き、悪魔の」

 ――悪魔。
 一度目は流したが、二度も聞いてしまえば、捨て置けない。
 確かにティンカー・ベルの見た目は、妖精よりも悪魔を名乗るほうがしっくりくる。しかし、景としては認めたくない。
 ――自分が呼んだのが、悪魔だったなんて。
 あっという間に妖精への貢ぎ物を食べ尽くすと、それだけでは足りないのか、ティンカー・ベルは脇に置いてあった残りのクッキーの包みを破って、バリバリと貪り始めた。

「ああっ、ちょ、ちょっと!」
「やっぱりクッキーはマリーだな。長く支持されるものには、やはり理由がある」

 断りもなく遠慮もなく人様のおやつを頬張っている悪魔に、景は恐怖を忘れてスマホを突き出す。液晶画面に表示されているのはもちろん、妖精の召喚方法が書かれていたあのクソださいサイトである。

「ほら、ここ! これ、『ケール』語で妖精さんを呼び出す呪文なんでしょ!? そう書いてありますよ!?」

 ティンカー・ベルはスマホの画面を眺めながら、クッキーの最後の一枚をごくんと飲み込んだ。

「お前、これは古代ヘブライ語だぞ。訳せば、『邪悪かつ偉大なる種族の皆様、私のちっぽけでくだらない願いを叶えるために、力をお貸しくださいませ』となる」
「……!」

 ネットの情報を鵜呑みにすると、こうなるのか。
 なんたる、情報弱者。自己嫌悪のあまり、景の目の前は暗くなる。
 落ち込む彼女をよそに、ティンカー・ベルはマイペースだ。もう一つの妖精への貢ぎもの、蜂蜜が入っているミルクピッチャーの中に指先をつけ、舐めている。

「これだけで食べるのはちょっとな……。さっきのクッキーに垂らせば良かったか」

 ブツブツと独り言を漏らしてから、ティンカー・ベルは冴えない顔つきの景に声をかけた。

「妖精でも妖怪でも悪魔でも、構わんだろう。何者だろうと、お前の『ちっぽけでくだらない願い』を叶えてやるんだから」
「協力してくれるのが悪魔じゃ、なんか違います!」

 景の反論を聞いて、ティンカー・ベルは不思議そうな顔をした。

「悪魔だとなにがダメなんだ?」
「乙女の願いごとに相応しくない!」
「……………………」

 自分で乙女とか言っちゃう系。ティンカー・ベルは金色の目で、しらじらと景を見据えた。だがすぐに、納得の表情になる。

「ん、そうか。お前は、処女か。確かにオトメだな」
「そっちの意味じゃない! てか、なんで分かるんですか!?」

 そのとおり、景は男性とおつき合いしたことがなく、二十歳(はたち)となった今も純潔を守っている。しかしなぜこの男に、それが分かるのか。
 体を抱き締めるようにして、景は悪魔の視線から自らを庇った。だがティンカー・ベルは、景に膜があるかないかについてなど既に興味をなくしたようで、彼女のスマホを食い入るように見詰めている。

「うーん。やっぱり液晶画面を通して見ると、なかなか酷いデザインだな。手直しさせるか」
「あの、そんなことより……。ティンカー・ベル……さんていう、お名前ですか? あなたの世界のことはよく分かりませんが、あなたのお名前、悪魔にしては珍しいような気がしますが……」

 というか、ズバリ似合っていない。そう言ってやりたいが、相手は悪魔だというし、怒らせたら厄介だ。景は言葉を選んで尋ねた。

「うむ。我の生まれた頃、故郷でそういうブームがあってな。キラキラネーム? 子に分不相応な名付けをする、アレだ」
「キラキラ……」
「悪魔なのだから、素直にルシファーだとかサタンとでもつけておけばいいものを、妙にこそばゆい、恥ずかしい名前を考えたものだ。おかげで我も迷惑している」
「……………………」

 どこの世界においても、奇妙な流行はあるものだ。景が同情しかけたところで、ティンカー・ベルは話を進めた。

「まあ、ともかく、呼び出されたならば、なにもせず帰るわけにはいかぬ。望みはなんだ? 世界征服か? 大量虐殺か?」
「いやいやいや!」

 名前だけは可愛い、しかし恐ろしい風貌をしたこの悪魔ならば、世界を容易に滅ぼしてしまいそうだ。景は慌てて首を振った。
 自分の望みは、征服だの虐殺だのそんな血なまぐさいものではなく、平凡でささやかなものだ。むしろ言ったら言ったで、「バカにしているのか」と、頭から丸呑みにされてしまいそうであるが……。

「えーと、その……」

 躊躇し、なかなか口を割ろうとしない景を見て、ティンカー・ベルは眉根を寄せた。

「言う気がないなら仕方がない。意味もなく悪魔を召喚したペナルティとして、この国の平均株価を一万円ほど暴落させて帰るか」
「ちょ、待って待って、やめて! 景気が悪くなったら、バイト代が下がっちゃう!」

 慌てて悪魔を引き止めてから、景はおずおずと口を開いた。

「その……あの、ですね……」

 もじもじと指を絡ませながら、景は話し……出さない。
 中学時代の初恋の相手が、最近バイト先のカフェに来るようになった。
 向こうはこちらに気づいていないようだが、なんとかお話しがしたい。あわよくば、それ以上の関係になりたい。
 以上。
 まとめれば三行で済むこの件を語るのに、景は結局三十分以上かかった。その間ティンカー・ベルは口を挟むでもなく、おとなしく聞いていた。図体はバカでかく、顔もいかめしいが、案外我慢強く、紳士的な悪魔なのかもしれない。

「話は分かった。それでは明日、お前の職場に調査に行こう」
「引き受けてくれるんですか?」

 あまりにくだらない願いごとだから、断られるかと思っていたのに、ティンカー・ベルは特に馬鹿にしたような様子もなく頷いた。

「その初恋の相手とやらが、神やら魔王やらだったら、叶えるのは難しいが」
「いやいや、普通の男の子です……」
「ならば、恐らく大丈夫だろう。だが念のため、契約するかどうかは、明日の結果次第とさせてもらう」

 ティンカー・ベルは、顔に似合わず、慎重な性格のようだ。だが安請け合いされるよりは、信用できるかもしれない。

「それから、召喚者と悪魔は対等である、というのが我の考えだ。だから我に敬語を使う必要はない」
「で、でも……」

 一般的に悪魔と人間だったらどちらが立場が上なのかは知らないが、とりあえずこの男にタメ口をきくのはかなりの勇気がいる。
 なんとか許してもらえないか。景は上目遣いにティンカー・ベルの表情を伺った。しかし悪魔は憮然と腕を組んだ。

「お前が言葉遣いを改めないのなら……。平等に、我もあなた様にかしこまった態度で接しますが、それでもよろしいですか?」
「いや、それはちょっと……!」

 恐ろしい見てくれの人物に、礼儀正しくされると、余計怖い。そもそも景は普段ぞんざいに扱われてばかりで、敬意を持って接してもらうことに慣れていないのだ。

「分かりま――分かったよ、普通に話す」

 観念した景は、いつもどおり振る舞うことにした。

「うむ。――ところで」

 ティンカー・ベルは貢ぎ物のひとつだったミルクピッチャーを摘み上げた。太い指に挟まれて、ただでさえ小さなピッチャーがますます小さく見える。

「召喚の贄として捧げられたものを、悪魔は必ず平らげねばならぬ。だがこれをこれだけで食べるのは、少しつらい。なんとかならんか」

 ピッチャーの中に入っているのは、蜂蜜である。確かにそれをそれだけで食べる、いや飲むのは、一苦労だろう。

「あ、じゃあ、ホットケーキでも焼こうか? そんで、その蜂蜜をかけて食べれば?」
「ホットケーキ!」

 景の提案に、悪魔の目がぎらりと輝く。

「お前、作れるのか?」
「出来合いの粉を使えば簡単だよ。好き? ホットケーキ」
「~~~~大好きだ!!!!」

 軽い気持ちで尋ねたのだが、ティンカー・ベルは思ったより強力に食いついてきた。

「じゃ、じゃあ、作るよ」
「よろしく頼む!」

 やや引き気味に、だが景は悪魔の願いを叶えるべく、ホットケーキを作り始めた。
 そういえば景も、夕食がまだだった。
 景は結局六枚ほどホットケーキを焼き、悪魔と二人で食べた。ちなみに作ったホットケーキのうち五枚は、ティンカー・ベルの腹に収まったことを付け加えておく。




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