上 下
2 / 60
1.その女、悪魔憑きにつき

2

しおりを挟む

 とりあえず、蛍光灯を点けて確認する。
 尖った耳に、大きな角。突然部屋に現れた男の背には一畳ほどの黒い翼が、尻からは紐状の細長い尻尾が、それぞれ生えていた。しかし景の目に最も奇異に映ったのは、男の肌だ。男はペンキで塗られたように、青かったのだ。

「うう……」

 ――怖い。
 景は精一杯異形の男から距離を取り、オドオドと遠巻きに眺め回した。
 腕は丸太のように太く、胸は厚く盛り上がっている。割れた腹筋の下の、逞しくも長い足を折り畳み、男は部屋の中央にあった座卓の前に正座した。

「お前もここに座りなさい」

 座卓の向こう側をとんとんと叩き、男は景に自分の正面に座るよう促した。

「えぇ……」

 警戒している景は、当然難色を示す。男は低い声で繰り返した。

「座れ。話ができないではないか」
「うう、はい……」

 怖くて、逆らえない。景は渋々、男の前に腰を下ろした。
 髪は黒く、短い。太い眉に切れ長の瞳。大きな口に、スッと通った鼻筋と、男はなかなかの二枚目だった。彼が人間だったならば、もしかしたら景だってのぼせ上がっていたかもしれない。
 それはさておき。――自称、ティンカー・ベル。
 男の外見は、彼が名乗ったその名のイメージとは、大きくかけ離れている。

「ところで、な、なんで、裸なんですか……!」

 顔を赤くして、景が問えば、男は座ったまま、申し訳程度に下半身を覆っている短い腰巻きの裾をめくった。

「一応、腰巻きはつけているが」
「そ、そんなちっちゃいの……! なんか黒々したのが、チラチラ見えてるし……!」
「むう。やはりこのちっぽけな布切れでは、我がロンギヌスの槍は隠しきれぬか」

 さらりと言ってのけてから、男改め「ティンカー・ベル」は、パチンと指を鳴らした。

「わ……!?」

 空気がふわっと揺れる。それに気を取られた景が、再びティンカー・ベルに視線を戻すと、彼はいつの間にか服を身につけていた。

「……!」

 驚きのあまり、景はぱちぱちと瞬きする。
 よそ見したのは一瞬だったはずだ。それなのにティンカー・ベルは、細かいストライプの入ったグレーのスーツをきっちり着込んでいた。スーツと同系色のネクタイに、ピンクのシャツという組み合わせもセンスが良く、よく似合っている。
 ――ではなくて。

「今のは……魔法? ということは、あなたはやはり、私が召喚した妖精なのですか?」
「低能な羽虫と一緒にするな。我は、悪魔だ」
「あくま?」

 きっぱり言ったかと思うと、ティンカー・ベルは座卓の上に手を伸ばし、そこにあったクッキーを断りもなく食べ始めた。

「あっ、それ! 妖精さんのために用意したのに!」
「だから、お前が呼んだのは、我だろう。誇り高き、悪魔の」

 ――悪魔。
 一度目は流したが、二度も聞いてしまえば、捨て置けない。
 確かにティンカー・ベルの見た目は、妖精よりも悪魔を名乗るほうがしっくりくる。しかし、景としては認めたくない。
 ――自分が呼んだのが、悪魔だったなんて。
 あっという間に妖精への貢ぎ物を食べ尽くすと、それだけでは足りないのか、ティンカー・ベルは脇に置いてあった残りのクッキーの包みを破って、バリバリと貪り始めた。

「ああっ、ちょ、ちょっと!」
「やっぱりクッキーはマリーだな。長く支持されるものには、やはり理由がある」

 断りもなく遠慮もなく人様のおやつを頬張っている悪魔に、景は恐怖を忘れてスマホを突き出す。液晶画面に表示されているのはもちろん、妖精の召喚方法が書かれていたあのクソださいサイトである。

「ほら、ここ! これ、『ケール』語で妖精さんを呼び出す呪文なんでしょ!? そう書いてありますよ!?」

 ティンカー・ベルはスマホの画面を眺めながら、クッキーの最後の一枚をごくんと飲み込んだ。

「お前、これは古代ヘブライ語だぞ。訳せば、『邪悪かつ偉大なる種族の皆様、私のちっぽけでくだらない願いを叶えるために、力をお貸しくださいませ』となる」
「……!」

 ネットの情報を鵜呑みにすると、こうなるのか。
 なんたる、情報弱者。自己嫌悪のあまり、景の目の前は暗くなる。
 落ち込む彼女をよそに、ティンカー・ベルはマイペースだ。もう一つの妖精への貢ぎもの、蜂蜜が入っているミルクピッチャーの中に指先をつけ、舐めている。

「これだけで食べるのはちょっとな……。さっきのクッキーに垂らせば良かったか」

 ブツブツと独り言を漏らしてから、ティンカー・ベルは冴えない顔つきの景に声をかけた。

「妖精でも妖怪でも悪魔でも、構わんだろう。何者だろうと、お前の『ちっぽけでくだらない願い』を叶えてやるんだから」
「協力してくれるのが悪魔じゃ、なんか違います!」

 景の反論を聞いて、ティンカー・ベルは不思議そうな顔をした。

「悪魔だとなにがダメなんだ?」
「乙女の願いごとに相応しくない!」
「……………………」

 自分で乙女とか言っちゃう系。ティンカー・ベルは金色の目で、しらじらと景を見据えた。だがすぐに、納得の表情になる。

「ん、そうか。お前は、処女か。確かにオトメだな」
「そっちの意味じゃない! てか、なんで分かるんですか!?」

 そのとおり、景は男性とおつき合いしたことがなく、二十歳(はたち)となった今も純潔を守っている。しかしなぜこの男に、それが分かるのか。
 体を抱き締めるようにして、景は悪魔の視線から自らを庇った。だがティンカー・ベルは、景に膜があるかないかについてなど既に興味をなくしたようで、彼女のスマホを食い入るように見詰めている。

「うーん。やっぱり液晶画面を通して見ると、なかなか酷いデザインだな。手直しさせるか」
「あの、そんなことより……。ティンカー・ベル……さんていう、お名前ですか? あなたの世界のことはよく分かりませんが、あなたのお名前、悪魔にしては珍しいような気がしますが……」

 というか、ズバリ似合っていない。そう言ってやりたいが、相手は悪魔だというし、怒らせたら厄介だ。景は言葉を選んで尋ねた。

「うむ。我の生まれた頃、故郷でそういうブームがあってな。キラキラネーム? 子に分不相応な名付けをする、アレだ」
「キラキラ……」
「悪魔なのだから、素直にルシファーだとかサタンとでもつけておけばいいものを、妙にこそばゆい、恥ずかしい名前を考えたものだ。おかげで我も迷惑している」
「……………………」

 どこの世界においても、奇妙な流行はあるものだ。景が同情しかけたところで、ティンカー・ベルは話を進めた。

「まあ、ともかく、呼び出されたならば、なにもせず帰るわけにはいかぬ。望みはなんだ? 世界征服か? 大量虐殺か?」
「いやいやいや!」

 名前だけは可愛い、しかし恐ろしい風貌をしたこの悪魔ならば、世界を容易に滅ぼしてしまいそうだ。景は慌てて首を振った。
 自分の望みは、征服だの虐殺だのそんな血なまぐさいものではなく、平凡でささやかなものだ。むしろ言ったら言ったで、「バカにしているのか」と、頭から丸呑みにされてしまいそうであるが……。

「えーと、その……」

 躊躇し、なかなか口を割ろうとしない景を見て、ティンカー・ベルは眉根を寄せた。

「言う気がないなら仕方がない。意味もなく悪魔を召喚したペナルティとして、この国の平均株価を一万円ほど暴落させて帰るか」
「ちょ、待って待って、やめて! 景気が悪くなったら、バイト代が下がっちゃう!」

 慌てて悪魔を引き止めてから、景はおずおずと口を開いた。

「その……あの、ですね……」

 もじもじと指を絡ませながら、景は話し……出さない。
 中学時代の初恋の相手が、最近バイト先のカフェに来るようになった。
 向こうはこちらに気づいていないようだが、なんとかお話しがしたい。あわよくば、それ以上の関係になりたい。
 以上。
 まとめれば三行で済むこの件を語るのに、景は結局三十分以上かかった。その間ティンカー・ベルは口を挟むでもなく、おとなしく聞いていた。図体はバカでかく、顔もいかめしいが、案外我慢強く、紳士的な悪魔なのかもしれない。

「話は分かった。それでは明日、お前の職場に調査に行こう」
「引き受けてくれるんですか?」

 あまりにくだらない願いごとだから、断られるかと思っていたのに、ティンカー・ベルは特に馬鹿にしたような様子もなく頷いた。

「その初恋の相手とやらが、神やら魔王やらだったら、叶えるのは難しいが」
「いやいや、普通の男の子です……」
「ならば、恐らく大丈夫だろう。だが念のため、契約するかどうかは、明日の結果次第とさせてもらう」

 ティンカー・ベルは、顔に似合わず、慎重な性格のようだ。だが安請け合いされるよりは、信用できるかもしれない。

「それから、召喚者と悪魔は対等である、というのが我の考えだ。だから我に敬語を使う必要はない」
「で、でも……」

 一般的に悪魔と人間だったらどちらが立場が上なのかは知らないが、とりあえずこの男にタメ口をきくのはかなりの勇気がいる。
 なんとか許してもらえないか。景は上目遣いにティンカー・ベルの表情を伺った。しかし悪魔は憮然と腕を組んだ。

「お前が言葉遣いを改めないのなら……。平等に、我もあなた様にかしこまった態度で接しますが、それでもよろしいですか?」
「いや、それはちょっと……!」

 恐ろしい見てくれの人物に、礼儀正しくされると、余計怖い。そもそも景は普段ぞんざいに扱われてばかりで、敬意を持って接してもらうことに慣れていないのだ。

「分かりま――分かったよ、普通に話す」

 観念した景は、いつもどおり振る舞うことにした。

「うむ。――ところで」

 ティンカー・ベルは貢ぎ物のひとつだったミルクピッチャーを摘み上げた。太い指に挟まれて、ただでさえ小さなピッチャーがますます小さく見える。

「召喚の贄として捧げられたものを、悪魔は必ず平らげねばならぬ。だがこれをこれだけで食べるのは、少しつらい。なんとかならんか」

 ピッチャーの中に入っているのは、蜂蜜である。確かにそれをそれだけで食べる、いや飲むのは、一苦労だろう。

「あ、じゃあ、ホットケーキでも焼こうか? そんで、その蜂蜜をかけて食べれば?」
「ホットケーキ!」

 景の提案に、悪魔の目がぎらりと輝く。

「お前、作れるのか?」
「出来合いの粉を使えば簡単だよ。好き? ホットケーキ」
「~~~~大好きだ!!!!」

 軽い気持ちで尋ねたのだが、ティンカー・ベルは思ったより強力に食いついてきた。

「じゃ、じゃあ、作るよ」
「よろしく頼む!」

 やや引き気味に、だが景は悪魔の願いを叶えるべく、ホットケーキを作り始めた。
 そういえば景も、夕食がまだだった。
 景は結局六枚ほどホットケーキを焼き、悪魔と二人で食べた。ちなみに作ったホットケーキのうち五枚は、ティンカー・ベルの腹に収まったことを付け加えておく。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【R-18】童貞将軍と三番目の妻

サバ無欲
恋愛
神殿で男たちの慰みものとして生きていたサラディーヤは、敵国に略奪され、将軍ウバドの三人目の妻に召し上げられた。ウバドは強く恐ろしく、もといたはずの二人の妻は行方不明。 サラディーヤは、戦々恐々としつつも初夜を迎えるが…… すぐ吠える童貞将軍      ✕ すぐ泣く気弱な女奴隷 これはちぐはぐな二人の、初夜までのおはなし。 .*・゚ .゚・*. ・はこスミレ様主催の【#企画童貞祭り】参加作品です。 ・シリアスの皮をかぶったコメディです。  どうぞお気軽にご覧下さい。

潔癖淫魔と煩悩僧侶

犬噛 クロ
恋愛
若く優秀だが、マイペースな僧侶メグラーダ・フィランスは、吸血鬼伝説の謎を解くべく旅に出る。が、あっという間に囚われの身となった彼は、美しき女淫魔ディオローナと出会う。 謎の魔物「ズメウ」とは? ディオローナの秘密とは? そしてメグラーダの旅の本当の目的とは? という、ファンタジーのツラをかぶったエロコメディです。 ゆっくり更新。気楽に読んでいただけたら嬉しいです。 ※他の小説投稿サイト様にも、同タイトル・同PN(いぬがみクロ)で投稿しております。 ~主人公たち~ ・メグラーダ・フィランス: 22歳の若き僧侶。童顔で可愛らしい印象の青年。 優秀で人懐こく、マイペースな性格。少々スケベ。 周囲からは、優しく親しみやすいお坊さん、と思われていたが――。 実際は自分の望みを叶えるためならなんでもする、冷徹でブレない男性。 女淫魔ディオローナを心から愛しており、 その愛を貫くための彼の行動は、周囲の目に狂気を帯びて映る。 一言で語れば、色々とひどい男。 ・ディオローナ: 女淫魔「ズメウ」の美しき首長。 もう百年以上、老いることなく生きている。 天然でツンデレ気味。 心身の健康のため男性の精液を摂取しなければならず、 割り切って男性と契ろうとするが、心がついていかないようだ。 「淫らな運命にありながら、潔癖な精神を保とうとしている姿がたまらない。 そこを無理矢理堕とすのが最高なんです!」とは 変態で鬼畜のメグラーダ談。

学園一のイケメンにつきまとわれています。

永久保セツナ
恋愛
【最終話まで毎日20時更新】 主人公・文月栞(ふみづき しおり)は静かに暮らしたい――。 銀縁の(伊達)メガネとみつあみにした黒髪で、地味で冴えない文学少女を演じ、クラスの空気となりたい栞。しかし彼女には壮絶な過去があった。 何故かその過去を知る『学園一のイケメン』の異名を持つ曽根崎逢瀬(そねざき おうせ)に妙に気に入られてしまい、彼女の目立ちたくない学園生活は終わりを告げる!? さらに『学園で二番目のイケメン』や『学園の王様』など、学園の有名人に次々に囲まれて、逆ハーレム状態に!? 栞の平穏無事になるはずだった学園生活は、いったいどうなってしまうのか――? みたいな、女性向け逆ハーレム系恋愛小説。

ゴリマッチョオネエな魔法使いの素敵なお仕事

犬噛 クロ
恋愛
女兵士スチューは王の命令を受けて、とある高名な魔法使いを探している。森の奥でようやく出会ったその魔法使いは、ゴリマッチョ+オネエという癖が強い男性だった……。 スチューは無事、彼を王様のもとへ連れ帰ることができるのか? というあらすじの、ただのアホなラブコメスケベ話です。 ※お読みいただいた方、ありがとうございました!多分また続きを書くと思うので、よろしければ「お気に入り」してやってくださると嬉しいです!

【R-15】私だけの秘密のノート

黒子猫
恋愛
〈こちらの作品は、シチュエーションCDシナリオの形式で書いています。 佐藤くんのセリフがメインとなっていますので、自分に話しかけているように想像すると、ドキドキが増しそうです……💕〉 [あらすじ] 私の前に突然現れた、女性を癒す謎の生物〈佐藤くん〉。 最初は驚いたけれど、徐々に奇妙な共同生活を楽しむようになっていた。 ある日、家に帰宅すると、〈佐藤くん〉が秘密のノートを読んでいたようで……。 [キャラ紹介] 〈佐藤くん〉突如主人公の前に現れた女性を癒す謎の生物。主人公に合わせ、人間の姿形になっている。彼の名前「佐藤くん」は、人間(日本)の中ではメジャーな名前なので、そう名乗っている。 〈貴女〉 OL。突如現れた佐藤くんに最初は困惑していたが、徐々に受け入れ、今では風変わりな同居生活を楽しみつつある。

私とエッチしませんか?

徒花
恋愛
主人公の男子高校生、荻野真一はひょんなことから出会った女子高校生、牧本瑠璃葉と性的な関係を持つこととなる。 どこか初心だけど、性的好奇心旺盛な、若い二人の日常の物語。 ノクターンノベルズにも投稿した作品です

若社長な旦那様は欲望に正直~新妻が可愛すぎて仕事が手につかない~

雪宮凛
恋愛
「来週からしばらく、在宅ワークをすることになった」 夕食時、突如告げられた夫の言葉に驚く静香。だけど、大好きな旦那様のために、少しでも良い仕事環境を整えようと奮闘する。 そんな健気な妻の姿を目の当たりにした夫の至は、仕事中にも関わらずムラムラしてしまい――。 全3話 ※タグにご注意ください/ムーンライトノベルズより転載

年に一度の旦那様

五十嵐
恋愛
愛人が二人もいるノアへ嫁いだレイチェルは、領地の外れにある小さな邸に追いやられるも幸せな毎日を過ごしていた。ところが、それがそろそろ夫であるノアの思惑で潰えようとして… しかし、ぞんざいな扱いをしてきたノアと夫婦になることを避けたいレイチェルは執事であるロイの力を借りてそれを回避しようと…

処理中です...