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7.パラダイス・ロスト
7(完)
しおりを挟む芽衣子の四人目の子、美子は、幼い頃からませていて、勝ち気な娘だった。長じるごとに女としての野心が膨らむようで、そんな彼女の口癖は、「私はこんな田舎で埋もれる人間じゃない」だったという。
見た目が秀でていたのが上昇志向に拍車をかけたのか、美子は昔からの宣言どおり、高校を卒業するとすぐ上京した。そして住み着いた都会で、夜の仕事をしながら、華やかな暮らしを始めたのだった。
好景気に沸いていた時代のことだ。田舎育ちで禄に学も後ろ盾もない小娘でも、大金を稼ぐことができたのだった。
見かけの美しさにあぐらをかき、爛れた生活を続ける娘を、母である芽衣子は心配していた。何度も電話をかけたり、帰ってきて堅実な暮らしをするよう諭したりもしたが、肝心の美子はそんな母を邪険にするだけだった。
そして故郷を飛び出してから数年が経ち、無駄に若さをすり減らして、美貌にも衰えが見え始めた美子は、当然の如く落ちぶれていった。本人にも自覚があったのだろう、ここいらが潮時とばかりに、彼女は店の常連の冴えない、しかし高収入な男と結婚した。そして家庭に入ったのだ。
美子の夫となった男は、とある大企業の幹部候補だった。実家も立派だったため、夫の両親は水商売しかしたことのない美子との婚姻に、難色を示した。が、息子の熱意に負けて、彼らはある条件のもと、結婚を許したのだ。
――それは絶対に子供を作ること。
数年で大蔵田家の跡継ぎができなければ離婚するよう、美子夫婦に約束させたのだった。
子供を産む。それくらい簡単なことだと、当初美子は高をくくっていた。しかし結婚して二、三年経っても、一向に妊娠しない。訝しんだ美子は病院に行き、そこで自分が重篤な病を患っていることを知った。早速手術を受けた彼女は、命を取り留めた代償に、一生子供を望めない体となってしまった。
このことを夫の両親に知られれば、離婚しなければならなくなる。
美子は現在の自分の価値を、十分知っていた。
無為無策のまま、ただ楽で派手な暮らしをしてきた。そんな彼女には、なにもない。なにも。
なんの技術も資格も身につけることなく、歳を取ってしまった。シミとシワと贅肉でコーティングされた醜いおばさんが、すっかり冷え切ってシビアになった社会で、どうやって一人、生きていけるというのか――。
大いに焦った美子は夫を説得し、養子を取ることにした。そうやって大蔵田家にやってきたのが、景だったのだ。
沙羅はもうじき来るだろうか。スマホを気にしつつ、景はぶらぶらと騒がしいパーティー会場を歩いた。横を歩く護は、スイーツのメニューが少ないことに不満そうである。
「食べたり飲んだりする集まりじゃないからねえ」
「じゃ、じゃあ、こ、こ、これはなんの集まりなんだ?」
「言われてみると……。なんだろうね?」
景はうーんと唸った。パーティーとはいうが、なんのパーティーなのだろうか。
「ええと、ラファエルさんを囲む会……?」
「ら、ラファエル……?」
「あ、護さんは知らなかったっけ。そうなの、このパーティーはラファエルっていう人が」
突然、雷のような歓声が沸き起こり、景の説明を阻んだ。にわかに騒がしくなった一角に注目すれば、そこだけ別世界のようだった。
柔らかそうな金の巻き毛の、西洋人形のような美しい人。男性だろうに、びっくりするくらい顔が小さい。あれは何頭身なのだろうか。
あの人こそ、ラファエルだ。
「うわあ……!」
景は思わず感嘆の声を漏らした。
「あ。ら、ら、ラファエル」
度を越した美男子を見ても、護が動じていないのは、同性だからだろうか。それとも護自身が美人だから、驚くに値しないのだろうか。
「やっぱり護さんも、ラファエルさんのこと、知ってるんだね。有名人らしいもんねー!」
「う、う、うん」
頬を紅潮させた景に、護は頷いて見せた。
ラファエルは登場すると同時に、女性陣に取り囲まれてしまった。まさしく黒山の人だかりのその頂点に、ちょこんと麗しいご尊顔を覗かせている。
景は別に、彼に近づきたいとは思わなかった。遠くで眺めているだけで十分だ。
「ありがたや、ありがたや~。寿命が伸びそうだねえ」
仕草がいちいち年寄りじみているのはおばあちゃん子だからか、景は手を合わせ、ラファエルを拝んだ。ふと、ラファエルの顎が上がる。なにかを探すようにきょろきょろと辺りを見回す彼と、景の目が合った。
「この気配。――いい子、見つけた」
ラファエルは自分に群がるファンたちを押しやり、景が立っているほうへ向かった。ゆっくりと優雅に歩く彼と、景の距離が縮んでいく。
「!?」
どうしよう。
景は傍らに控えていたはずの護を仰ぐが、悪魔はこつ然と消えていた。
「えっ、えっ、護さん!? どこ行った!?」
景は慌てて護を探すが、周囲にそれらしき姿はなかった。一体どこへ――とあたふたしているのも束の間、近くで人の気配がする。正面を向いて、景は失神しそうになった。
美しい。あまりに、美しい。
緑色の瞳を細めて、ラファエルが微笑んでいる。
――イケメンを前に、有頂天な景を、責めてはいけない。そりゃ確かに彼女はティンカー・ベルのことを一番に愛しているが、それとこれは別である。目の前に宝石があれば、誰だって心を奪われるだろう。
美に鈍感な者だけが、景に石を投げることを許されるのだ。
「こんばんは。君の名前は?」
「おおお、おおくらた けい、と、もうします……」
「そう、けいちゃんか。いい名前だね。僕たち、どこかで会ったことないかな?」
「えっ」
景の心臓が早鐘を打つ。なんだか物凄くいい匂いがするし、ラファエルが近くに来たせいで、明らかに空気が変わった。生ける空気清浄機とでもいうべきか。
――本当にこの人は、人間なのだろうか?
「ふふ、ごめん。なんだか古典的な口説き文句みたいだね。でも、本当にどこかで会ったような気がするんだ。君の持つ、清純なイメージのせいかな……。君は僕にとって、理想どおりの乙女なんだ……」
ラファエルは景の顎を、くっと指で掬った。背後に控えていた彼のファンたちから、盛大な悲鳴が上がる。
――これは、漫画で、見たこと、あるやつだ……!
自分には過ぎた行為だ。しかし、払い除けることもできない。
火を噴きそうなほど顔を赤くした景は、なすがままになるしかなかった。
――あわわわわ……!
驚き過ぎると、人は声を出せなくなる。景はこのとき、それを知った。
「けいちゃん。良かったら、このあと、僕と一緒に……」
そのときだった。
鼻孔を、嗅いだことのない香りが掠めていく。最初はラファエルのつけている香水だと思った。しかしラファエルも、眉をひそている。
花のような、薬のような。悪臭というわけではないが、なぜか落ち着かなくなる危険な香り。そして、煙い。
異変は、すぐに起こった。
「う……!」
パーティーの参加者たちが次々と膝を折り、その場に崩れ落ちたのだ。
~ 終 ~
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