その女、悪魔憑きにつき

犬噛 クロ

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6.聖戦前夜

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 天使たちの住まいにして要塞である「エデン城」は、天界に降り注ぐ陽光の中、堂々とそびえ立っている。

「ふう……」

 天界の空気はいつもどおり清浄だった。人間たちの住まう汚れた世界とは、大違いである。肺の中の濁った空気を入れ替えるように、ガブリエルは深呼吸した。
 会合の間に向かえば、皆が揃っていた。約束の時間より、まだ十分も早い。

「じゃ、始めましょうか」

 ガブリエルが着席した途端、先に来ていた年嵩の女性が、開会の号令を発した。
 数メートルにも及ぶ長机に、就いたのは四名。
 ガブリエルの正面に座り、先ほど開会を宣言したのが、「ウリエル」という名の天使だ。
 ガブリエルの隣で、つまらなそうに肘をついているのが、「ラファエル」。
 そしてガブリエルたち三名から少し離れたところで、こくりこくりと船を漕いでいる年配の男性が、「蛇ノ目」である。
 蛇ノ目を除いた三人で、エデン城の運営についてなど、しばらく話し合った。

「新しい聖母はどうです? 天界にうまく馴染めたようですか?」

 三ヶ月前に入城したのは、稲荷 洋子とかいう、下界の極東の島国出身の女性である。
 稲荷を連れてきたのは、ウリエルだ。ウリエルは「瓜生」という偽名を使い、なにやら怪しげなセミナーの講師をしながら、めぼしい人間の女を「聖母」としてスカウトしてくるのである。
 ガブリエルの問いに、ウリエルが答えた。

「まあ、ぼちぼちってとこかしらね」
「あのおばさんじゃ、力の弱い下級天使を三人か四人産むのが、せいぜいじゃない?」

 柔らかくカールされた金色の髪をいじりながら、からかうように言ったのは、ラファエルだ。いつも人を馬鹿にしたような物言いをして、態度も悪い。が、許せてしまうのは、彼が麗しい美少年だからだろうか。

「言いたい放題言ってくれるけどね、最近なかなかいいのがいないのよ。今回だって稲荷一人見つけるのに、苦労したんだから。嘆かわしいことに、下界は乱れまくってるのよ」
「聖母の選定基準が厳しすぎるのでは?」

 不機嫌そうなウリエルに、ガブリエルが疑問を呈す。

「そうかしら? 基準っていったって、第一に『我ら天使の魔力に耐えられるだけ、健康で体力があること』。第二に……」
「――健康なのは、もちろん最優先事項ですが」

 指を折って「聖母の選定基準」とやらを言い連ねようとするウリエルを、ガブリエルはやんわり遮った。

「第二の条件が、厳しすぎるのではないでしょうか。その……『処女であること』というのは別に、必要を感じないというか」
「なに言ってんの!」
「なに言ってるんだ!」

 ガブリエルの意見に、ウリエルだけではなく、ラファエルまでも反論した。

「それが一番重要なんじゃない! 男なんて下等な獣を受け入れた胎内に、我らの魂を入れるなんて……! ぎゃー! おぞましい! キモチワルッ!」

 基本はクールだが、少々潔癖なところがあるウリエルは立ち上がり、自分の体を抱き締めるようにして悶えている。

「僕も生理的に嫌だよ。男の精液で汚された子宮で育まれ、ペニスが入ったところを通って生まれ落ちるなんて……! マジキモイ!」

 ラファエルはオエッとえずくフリをしている。

「はあ、そうですか……」

 仲間の様子に呆れているガブリエルを、ラファエルとウリエルはじろっと睨んだ。

「不要っていうなら、第三の条件のほうじゃないの? 『十八歳以上の成人女性に限る』って」
「それは重要です! 倫理は守らねば!」

 ガブリエルは机を叩き、声高に主張した。

「天使が人間の倫理を守るって……なにそれ」
「成人女性が自ら判断し、彼女ら自身の意志で天界に昇る! その点が大事なのです! そこを省いてしまっては、私たちはただの人さらいです!」
「ああ、うん……」

 ガブリエルがぶち上げたアツイ持論に、ラファエルとウリエルは目を合わせ、困ったように笑っている。

「そういえばガブちゃん、『十三番』を下界に下ろしたんだって?」
「はい。彼女の功績を鑑みれば、廃棄処分にするのは忍びなくて。幸い、引き取り手もいましたし」

 ガブリエルはちらりと隅に座る蛇ノ目の様子を伺ったが、なんの反応もなく、彼は相変わらずうつらうつらしている。

「面倒なことをするんだねえ」

 ラファエルはいちいち人を煽る。ガブリエルはムッと顔をしかめた。

「ラファエル、そういう言い方は、あまりに情がないのではありませんか? 『十三番』は、私たちを新しく世に出してくれたお母様なのですよ?」
「はっ! やめてくれ! 人間ごときが、僕らの母親だなんて! 僕たちの親は、天使を作り給うた『主』だけだろう!?」

 いつも斜に構えているラファエルが、感情をあらわにするのは珍しい。ガブリエルはラファエルを厳しく一瞥すると、ふっと目を逸らした。

「そうですね。そしてその親である『主』は、私たちを捨てた。――親に捨てられた我ら天使と、親に愛された人間と、本当はどちらか高等な生きものなのでしょう?」
「……!」

 頬に火のような視線を感じるが、ガブリエルはあえて振り向かなかった。一触即発の事態を、ウリエルが大げさに手を叩いて収束させる。

「はいはい、そこまで。ま、ともかく当分は、聖母を狩り続けるしかないわね~。天使たちの数は減る一方で、天界の存続も危ういしね」
「……………………」

 ウリエルが口にした「狩る」という言葉に、引っかかりを感じる。が、これ以上文句をつけるのも大人気ない気がして、ガブリエルは口をつぐんだ。
 ラファエルも不承不承、拳を引っ込めたようだ。
 そのあとは事務的な話を続けて、この日の定例会は終わった。




 会合の間を出て、エデン城の長い廊下を、ラファエルとウリエルは二人で歩く。

「なんだよ、ガブリエルのあの態度! 優等生ぶって! 僕たち天使と人間、どっちが優れてるかなんて、議論するまでもないことじゃないか!」
「いい子過ぎるのは、確かだけど~……」

 激しく憤っているラファエルに対して、ウリエルは言葉を濁した。
 ウリエルは別に、ガブリエルのことを嫌いではないのだ。
 ガブリエルは責任感が強く、礼儀正しく、一緒に天界を支えていくうえで良い仲間である。
 むしろウリエルとしては、ある理由から、ラファエルのほうがよっぽど理解できないのだが……そこは黙っておいた。

「それでね、ウリエル。ガブリエルに、僕の有能さを見せつけてやろうと思ってね。僕も聖母狩りに参加することにした」

 聖母狩り。そもそも聖母とは、天界を守る天使たちを産むために、借り腹となってくれる人間の女性のことだ。天使の生殖は、どうやら人類のそれとだいぶ違うらしい。

「はあ、それはそれは……」

 ラファエルの提案に、ウリエルは気のない反応を示した。
 人間たちの暮らす下界と、ウリエルたちが暮らす天界は、別次元に存在する。人間は天界を訪れる術(すべ)を知らないが、天使は割合気軽に、二つの世界を行き来しているのだ。
 ウリエルとガブリエルは聖母を選定するために下界に赴くが、ラファエルはそのような勤めに興味はないらしく、今までただ好奇心と道楽で人間たちの暮らしを覗きに行っていたのだが。

「準備もできてるんだ。ほらこれ」

 ラファエルは一枚の紙片を人差し指と中指で挟み、さっとウリエルの前へ突き出した。寒気がするほどキザな仕草だが、ラファエルの容姿が整っているからギリギリ、本当にギリのギリ許せる。

「パラダイス・ロスト ~君もお姫様になっちゃわNIGHT?~。……なっちゃわないと………………………………」

 これはひどい……。ウリエルは絶句したが、ラファエルは自信満々の様子である。

「イケてるだろ?」

 こういうのが、人間の若者たちの間では流行っているのだろうか。いや魂の年齢でいったら、ウリエルたち三人は同い歳なのであるが。
 ラファエルの独特のセンスが理解できず、ウリエルは首をひねるしかなかった。

「僕のファンは清らかな子ばっかりだからね! 百人でも千人でも、聖母として連れ帰ってくるよ!」
「そう……」

 ラファエルの哄笑が、エデン城に響き渡った。




 仲間たちが去ったあとも、端っこに座った老人は眠ったままだ。ガブリエルは仕方なく、蛇ノ目の肩を叩いた。

「終わりましたよ、蛇ノ目」
「……ああ! これはこれは」

 大きなあくびをしながら、蛇ノ目は瞼を開いた。
 長い髪と髭は真っ白で、この老人の見た目は仙人のようである。
 人畜無害。そんな印象に反して、聖母の中でも特に優れた番号付き「十三番」を連れてきたのは、この蛇ノ目なのだ。
 同胞である悪魔のもとからその最愛の女性を、半ば強引な手段で奪ってきた――。その功績により、蛇ノ目は悪魔でありながら、天使たちの陣営に加わることを許されたのだった。

「ご親切に起こしてくださって、どうも」
「いえ……」

 秀でた聖母を連れてきてくれたことに感謝すべきなのに、どうしてもこの男を信用できない。ガブリエルは今夜エデンに帰還する前に目にした、「十三番」を抱き締める悪魔の姿を思い浮かべた。
 ――悪魔アスモデウス。
 あの男は、ガブリエルが母と慕うあの女性を、心から愛していたのだ。――きっと、今も。




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