潔癖淫魔と煩悩僧侶

犬噛 クロ

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第一話 始点にして終点

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 目覚めれば――。
 足に違和感があった。うまく動かないので見てみれば、両足首を縄でくくられていた。そのうえ手も、後ろでひとつに縛られている。なんとか解こうと試みるが、どちらも全く緩まなかった。

「いててて……」

 板張りの床の上に転がされている。いったいどれくらいこうしていたのか、体中が痛い。

「よいしょっと……」

 メグラーダ・フィランスは腹回りの筋肉を使い、拘束された体をなんとか起こした。座れはしたものの、立ち上がるのはさすがに無理だ。姿勢を整えてから、メグはすぐそばに女が二人、立っているのに気づいた。

「あ、起きた」
「ぐーすかぴーと、よく寝てたなあ」

 栗色の髪に、黒い瞳の女たちである。もちろん、知らない顔だ。

 ――ここは、どこだろう。

 メグは覚醒したばかりでぼんやりした脳みそを引き締め、なにがあったか思い出そうとした。
 確か、ひとまずの目的地である、クィンキー山脈の麓町に到着したはずだ。難路ばかりという山々のうち、地元民から比較的楽だと教えてもらった道を、試しに三時間ほど登った。そして鬱蒼と生い茂る木立の奥で、「それ」を発見したのだ。

 ――そう、僕は喜び勇むあまり、危険を顧みず、「それ」に触れてしまったのだ……!

 後悔がメグを襲う。「それ」を手に取ったが最後、彼の視界は闇に包まれ、意識を失ったのだ。
 きっと魔法の罠が仕掛けてあったのだろう。対象に触れれば、眠りの術が発動される――。
 優秀な僧であるメグならば、本来ならその程度のトラップは回避できたであろうが、長時間山道を進んだ疲労のせいか、すっかり油断してしまったらしい。そもそもあんな山奥に、魔法の罠が仕掛けられているなんて、思いも寄らなかった。

「ここは、どこですか? あなた方は……?」

 メグはきょろきょろと辺りを見回した。
 尋常ではない方法で連れて来られたが、メグが今いるのはごく普通の小屋である。壁も床も木を組んで作られたそこに、不審なところはない。メグを見張っていた女たち二人だって、山賊というわけでもなさそうで、きちんとした身なりをしている。

「いやー、たまには見回りするもんだね~。十数年、誰も引っかからなかった罠だけど、ようやく活きのいいウサギちゃんが! うふっ!」

 女の一人は髪を横でまとめ、ポニーテールにしている。屈託なくケラケラ笑っているが、年齢は十代後半ほどだろうか。柔和な顔だちで、メイクは今風だった。

 ――めちゃ可愛い。

 メグはポッと頬を赤らめた。

 もう一人の女は男性並みに背が高く、がっちりした体型だった。ボリュームのあるくせ毛をヘアバンドで押さえているからか、すっきりした顔の輪郭や、整った目鼻だちが強調されている。

 ――めちゃキレイ。

 メグの頬は増々赤くなった。

「この本、十年前のやつなんだよな。『タレイア』に保存の魔法をかけてもらっているから、見る分には問題ねーけど……」
「あっ、それ……!」

 ヘアバンドをした女が持っている本を見て、メグは悲鳴のような奇声を上げた。
 彼女の手にあるそれは、メグが先ほど発見したお宝であり、魔法の罠のエサだったものだ。

「男どもの好みって、今も昔も大して変わらねーんだな」

 ヘアバンドの女は、メグに見せつけるように、本のページを大開きにした。そこには、地味な服を着崩した女が描かれていたのだが。
 胸と局部をどーんと晒すポーズを取り、絵の女は舌なめずりをしている。――要は、猥雑本だ。
 もう一人のサイドアップポニーの女が、本の表紙を覗き込み、つぶやく。

「どれどれ。えーと、『イケナイ女上司☆ハメハメ残業日誌』。……なるほどねー」

 そう、その魅惑的でキャッチーなタイトルと中身に、メグラーダ・フィランスは心奪われ、まんまと罠にかかってしまったのだ。

「僕はただ、そういう、いっ、いかがわしい本は処分せねばと! そう、この世から抹消せねばと思って……!」
「……………………」

 サイドアップポニーの女は物分かりの良さそうな笑顔を浮かべて、ヘアバンドの女はゴミを見るような目で、メグを見下ろしている。

「ぐ、うううう……」

 メグは観念したのか、声を張り上げた。

「だって! ずーっと禁欲生活してたんだもん! エロ本転がってたら読むでしょ普通! だって男の子だもん!」

 縄を打たれたままの体を精一杯じたばた動かして、メグは見苦しく吠えた。

「うわー、逆ギレ」
「まあ、女に興味があるほうがいいんだけどよ……」

 女たちがひそひそ囁き合っていると、扉がノックされた。

「私だ」
「あっ、はい」

 サイドアップポニーの女が小走りに駆け、扉を開けた。
 現れたのは――。

「……!」

 メグは息をすることすら忘れて、その人に見入った。
 またもや女だ。――しかし。
 先の二人も魅力的だったが、新たに現れた女は、更にその上をいく。
 雪のような真っ白な肌に、腰まである長い黒髪が映える。大きな瞳と、神が手ずから彫ったかのような、形の良い鼻と唇。時代遅れで少々大仰なデザインの真っ黒なワンピースが、しかしその上品さが、彼女にとてもよく似合っていた。
 ジグ・ニャギ教の唯一神ニャーギ様は、この世界の美を全て集めて作られた女神とされている。が、メグはきっとこの御婦人は、ニャーギ様よりも美しいに違いないと、かの神を信奉する僧侶にあるまじき不信心なことを思った。

「罠にかかっていたとかいう、新たな客人(まれびと)は、こいつか?」

 黒髪の女が、ちらりとメグの顔を覗く。女の紫色の瞳は宝石のように澄んでいて、見詰められるだけで、メグの体は熱くなった。

「ほう……。『エウフロシュネ』の好みなのではないか?」

 黒髪の女はメグを見るなり、面白そうに唇の端を上げた。

「やっぱ分かっちゃいますう?」

 サイドアップポニーの女が、えへへと笑いながら首を傾ける。どうやらこの女の名は、「エウフロシュネ」というようだ。

「妹はヒョロガリのガキんちょが好きですからねー。オレはちょっとこういうのは……」
「『グライア』は、たくましい男が好きだからな」

 ヘアバンドの女は、「グライア」というらしい。
 グライアは、黒髪の女に頷いて見せた。

「ええ。手足も首も胸周りも胴も、そんでチンポも。がっちり太くないと」
「お姉のアレって、エッチっていうか、格闘技の取り組みみたいなんだよねー」
「ま、まあ……。人の好みは色々だから……」

 サイドアップポニーの女がエウフロシュネ。ヘアバンドの女がグライア。そして二人は姉妹らしい。
 あけすけな姉妹の物言いに、黒髪の女は顔を赤くしている。

「さて。お前、名は?」

 目線をメグに戻して、黒髪の女は尋ねた。

「め、めめめ、メグラーダ・フィランス、です……」
「ふむ。メグラーダ・フィランス。お前に家族はいるか? お前がいなくなったら、困る者はいるか?」

 妙な質問だ。しかし女の色香に惑い、正常な判断ができなくなっているメグは、警戒を怠り、正直に答えてしまった。

「家族は……故郷に親と兄弟がいますが、修行のため、もう十五年ほど会っていません。いなくなったら困る者、は……。僕はいわば夢追い人になりましたので、いなくても誰も困らないと思います……」
「夢追い人ォ? えー?」
「ガチでやべー奴じゃないか、こいつ」

 黒髪の女の後ろで、姉妹がドン引きしている。しかしメグは他人のそんな反応など、どうでも良かった。大事なのは、目の前の黒髪の女だけだ。
 この麗しい姫君と、もっと話をしたい。もっと仲良くなりたい。もっと彼女を知りたい。
 ――それだけを考えていた。
 しかし無情にも黒髪の女は、あっさりメグに背を向ける。

「うん、決まりだな。客人として認めよう。この男は若く、健康そうだし、我らに大いに貢献してくれそうではないか」
「やったー! じゃあ、さっそくいただこうかな!」

 エウフロシュネが今にも飛びかからん勢いで、舌なめずりをしている。
 ――先ほどメグが引っかかった罠、そのエサに使われたエロ本のシチュエーションそのものだ。
 なんの努力もしていないのに、若くて可愛い女に見初められ、都合良くも淫らな関係になる。一種のファンタジーだ。

「い、いやあ! やめてえ! 来ないでえ!」

 口では嫌がりつつ、体はやぶさかではない。――たいていの男ならば。
 だが今メグは、本気でお断りしたかった。いや、しなければ。

 ――ほかの女性としているところなど、あの人に見られたくない……!



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