潔癖淫魔と煩悩僧侶

犬噛 クロ

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第一話 始点にして終点

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 うんめいの人といっしょにいたいです。
 こどもも、たくさん欲しいです。
 にぎやかで明るく、楽しい家庭を築くのです。
 ずっと、ずーっと、仲良くします。
 ――死がふたりをわかつまで。

 それが、あの子の夢だった。




 四方は壁。天井も平らだから、まるで箱のようだ。縦の窓の数からして三階建ての、宗教建築物とは思えないデザインのそこが、ジグ・ニャギ教ミュジ寺院である。デカルト王国ミュジ地方に建てられた、ジグ・ニャギ教内の格式としては中くらいの施設だ。さほど広くない敷地内には、一般信徒の拝礼に使われるこの寺院のほかに、関係者用の寮、僧侶の鍛錬のための道場、庶務を行う事務棟などが、みっちり配置されている。
 現在の時刻は、朝の十時を回ったところだ。箱の形の寺院の中で、若き僧侶メグラーダ・フィランスは、一人黙々と修行に取り組んでいる。
 僧侶の修行。すなわち、掃除である。

「ふいー。腰にクルぅ」

 高所にひととおりハタキをかけてしまうと、メグは一旦手を止め、背中を反らした。
 メグラーダ・フィランス。愛称メグは、身長百七十cmほどの中肉中背の男性だ。歳は二十二だが、丸顔で童顔なせいで、せいぜい十代半ばにしか見えない。くりくりした緑色の大きな目は視力が悪いらしく、常にかけている小さな丸いメガネは、彼のトレードマークでもあった。金色の髪は長く、邪魔にならないようひとつに束ねている。
 寺院内の掃除も、僧侶の修行のひとつである。箒を動かし、床に雑巾をかけ、窓や椅子、机を磨く動作は、筋肉に負荷を与えて、屈強な肉体を作る。また、塵ひとつ見過ごすまいという心構えは、慎重さを養い、観察眼をも鍛えるのだ。
 信徒を百名ほど収容できるこの寺院の清掃は、いつもは多数の修行僧で取り組む。が、今日は隣の地区でイベントがあり、関係者のほとんどが出払っているため、メグ一人に任せられることになったのだ。
 めんどくせーこと押しつけられて、きつくない? ――否。メグラーダ・フィランスにかかれば、この程度、楽勝である。

「女神様がご覧になってるから、ちゃっちゃとやるかあ」

 部屋の先頭に設置された、女神「ニャーギ」様の像へ一礼すると、メグは僧衣の長い袖をめくった。制服の一部であるニットキャップの上に、更に埃よけの三角巾を巻く。ややマヌケな出で立ちで、メグはちゃきちゃきと張り切り出した。

「フハハハハ! お前も女神様のとりこにしてやろうかあ! ら~~ら、らららら~、ら~~ら、らららら~~」

 鼻歌交じりの立ち回りは、しかし凄まじく早い。常人の倍、いや三倍ほどのスピードである。なおかつメグの動きは、無駄がなく効率的だ。
 こうして寺院は隅々まで、あっという間にピカピカに掃き清めていった。

「ん?」

 最後の仕上げとばかりに銅製の女神像を磨いていると、辺りの空気が揺れる。メグが頭上を見回すと、部屋の隅の棚に、一匹のフクロウが降り立つところだった。換気のために開けていた窓から、侵入したらしい。白と茶色の羽毛からして、モリフクロウだろうか。

「ボンボア!」

「ボンボア」はメグのペット――いや、相棒である。
 メグが名を呼ぶと、ボンボアは音を立てず羽ばたき、メグ目掛けて飛んできた。

「キレイにしたばっかなんだから、ウンコすんなよ?」

 メグが注意すると、彼の肩に掴まったボンボアは、心外とばかりに「ギャッ」と鳴いた。

「冗談だよ。お前は礼儀正しいし、ニャーギ様への信仰心も厚いものね」

 メグが撫でてやろうとすると、ボンボアはさっと飛び立ち、ニャーギ像のてっぺんに留まった。

「お前はホント、女好きだねえ」

 メグが毒づくが、ボンボアは聞こえないふりを決め込み、ぷくっと体を膨らませた。そんな一人と一匹のやり取りがあった直後、寺院の扉が開いた。

「あのー。祈祷をお願いしたいのと、あと、お守りはこちらで買えますか?」

 現れたのは、若い男女だった。恐らく夫婦だろう。女性はお腹が丸く、大きかった。

「ええ、どうぞ中へお入りくださいませ。さあさあ、遠慮なさらず。安産祈願をご希望でいらっしゃいますか?」

 高く柔らかな声を作り、揉み手をしながら、メグは二人を招き入れた。

「あ、はい……」

 出迎えたメグをひと目見た夫は、微妙な表情になった。
 それはそうだろう。妻のため、せっかく足を運んだ寺院の僧侶はただの少年にしか見えず、あまりに頼りない。
 しかしお客様のそんな反応には慣れっこなので、メグはどうとも思わなかった。

「ご出産はもうじきですか?」
「予定では、来月に入ってすぐなんです」
「それはそれは。元気なお子さんがお生まれになりますよう、精一杯祈らせていただきますね」

 メグは夫婦を女神像の前に並んで立たせて、自らも像にお辞儀をした。

「すみません。僕たち、こういうのの作法とか、分からなくて……」

 おどおどと自信なさげな夫に向き直り、メグはにっこり笑った。

「どうぞ畏まらず、楽になさってください。我が神ニャーギ様は、ゆるっとカジュアルなのを好みますので」
「は、はあ」

 子供のような導師に、そのうえ大雑把な指示をされ、夫婦はますます戸惑ったようだ。が、堅苦しく考えなくてもいいとのことで、ホッとしたのか、夫婦は緊張を解いた。それを見計らって、メグは首から提げていた長い数珠を外し、手に巻きつけた。
 ジグ・ニャギ教の経典は、かの教えが発祥したここより遠き国の、しかも古代語で記されたものだ。だから市井の人々に、意味は伝わらない。が、独特のリズムと音階を持つそれは、耳に心地良く、まるで寿ぐ歌を傾聴しているような気持ちになるのだ。
 幼い見た目に反して、メグの読経は堂に入っていた。彼の唱える不思議な響きの文言ひとつひとつは、聞く者にリラックス効果をもたらし――そして。
 妻は自分が抱いていた出産への不安が、「ようし、スポンと産んだるでえ!」などと、闘志に変わったのを感じた。

「――以上です」

 メグが儀式の終わりを告げると、夫婦は感動のあまり瞳を潤ませながら、礼を言った。

「ありがとうございました……! なんだかとっても、すっきりしました!」
「こちらこそ、ありがとうございました。お役に立てたなら、良かったです」

 どうやらこの夫婦からは、ヘナチョコなんじゃないの~? というネガティブなメグの第一印象が、すっかり払拭されたらしい。

 ――よしよし。

 メグはほくそ笑んだ。
 ――商機である。

「お守りをお買い求めになりたいとのことでしたが……」

 メグは教壇の引き出しから、素早くトレイを取り出した。四角い木製のその上には、きっちり種類別価格順に並べられた様々なお守りが載っている。

「こちらが安産のお守りで、松竹梅とございます。あ、ご利益は同じですよ、ふふっ。値段の差は、ガワの違いにございます。安心して、お好みのものを選んでいただけたらと。ほら、松は、あの有名キャラクターとのコラボレーションでして。このリボンのついたネコちゃん、ご覧になったことありますでしょ? 可愛いですよね~。大人気なんですよ~。あ、こちらは腹帯ですね。巻いておけば、陣痛が和らぐと評判です。一枚三千円ですが、四枚セットでしたら、一万円でご提供しております。それからこちらは――」

 見た目は子供、頭脳は敏腕商売人――否、一流の僧侶。それが、メグラーダ・フィランスという男である。

「これと、このお守りと、あと腹帯を四枚いただけますか!」
「はい、ありがとうございます」

 メグが繰り出す怒涛の営業トークに乗せられるまま、夫婦はたくさんのお守りを抱え込んだ。そして、会計に移るタイミングで、近くの本棚に退避していた空気の読めるフクロウ――ボンボアが、「キュウ」と愛らしく鳴く。

「あら、可愛い!」

 妻がボンボアを見に、その場を離れたすきに、メグはそっと夫に耳打ちした。

「ご主人、こちらもいかがですか? 秘伝の呪符でございます。そうですね、二人目のお子さんがそろそろ欲しいな~とお思いになりましたら、おうちのどこか高いところに飾ってください」
「え?」

 メグは下卑た笑みを浮かべ、説明した。

「我らが神、ニャーギ様が強く唱えますのは、夫婦円満。それには、夜の営みが順調であることが不可欠ですからね」
「えっと、つまり……?」
「はい。これさえあれば、衰え知らず、老い知らず。フニャチン? なにそれ? てなもんでございます」

 メグの力強い売り文句を聞いて、夫はギラッと瞳を輝かせた。

「買います! おいくらですか!?」
「――毎度ありがとうございます」

 こうして買い物を山ほどしたあと、夫婦は手を繋ぎ、仲睦まじく帰っていった。

「うーん、いい仕事をした。ニャーギ様も喜んでくださるだろう」

 晴れ晴れしい気持ちで夫婦を見送ったメグに、寺院の裏口から入ってきた老人が声をかけた。

「メグラーダ・フィランス。相変わらずのやり手商人(あきんど)っぷり、見事であった」
「キャサロッサ寺院長。恐れ入ります……」

 つるりとした禿頭に、白く長い髭のこの老人は、キャサロッサ寺院長だ。ここ、ジグ・ニャギ教ミュジ寺院の責任者で、メグの師匠に当たる人物である。

「さて、メグ。本部からの通達が届いた。お前が何度も行っていた申請が認められたのだ。――おめでとう、メグラーダ・フィランス『遊伝僧』」
「本当ですか!? ようやく……! やったあ!」

 飛び跳ねる勢いで喜びをあらわにするメグを前に、キャサロッサ寺院長は少し寂しそうだ。




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