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中編
中編1
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「娘の誕生日だから、おめでとうを言いたくて」と、先触れのメールを寄越してきた継父は、なのに実際ネットで通話をすれば、やたらと俺と話したがるので、不審に思った。
――話を聞いていくうちに、ピンときたが。
海外赴任中の継父は、現地の女性と揉めて、再婚するだのしないだのと、ややこしいことになっているようなのだ。
仕事の都合でアジアの某国へ旅立ち、五年以上。継父も独り身だし、懇ろな間柄の女性がいてもおかしくはない。
が、継父は、相手の女性と籍を入れる気はないそうだ。
仕切っているプロジェクトが完了したら日本へ帰り、それなりのポストが用意されている会社に戻って、安穏と過ごしたい、と。
だがその計画は、相手の女性からすれば、あまりに身勝手だろう。
支えるだけ支えさせて、故郷に戻るときには、キレイさっぱり別れてほしいなんて。
「大変ですねー」
俺は画面の向こうのくたびれた中年男に、棒読みで相槌を打った。
次に、「お父さんの会社は大きいし、大事になったらマズイでしょう。きちんと清算しないとですねー」と突き放し、「でも、いい機会とも言えますし、その女性との再婚について、本気で考えてみたらいかがですか? 一人はお寂しいでしょう」といい加減なアドバイスをし、そして、「僕たちのことは気になさらないで。ちゃんとやれていますから」と付け足した。
最後に――これが重要。
「そう、だから、俺たちのことは心配しなくていいんですよ。お父さんは、お父さんの人生を歩んでください。応援してますから」
つまり、「お前が戻ってくる場所はないから」と、引導を渡す。
事実、今住んでいる家は、俺が亡き母から相続したものだ。当然、名義も俺。継父が住みつく権利など、これっぽっちもないのだ。
「そんなことならとっとと帰ってきて、俺たちと一緒に暮らしましょうよ」とか、多分そんなような反応を期待していたのだろう。だが想像したような都合のいい答えは返ってこず、継父・久宗 和正の顔には失望の色が見えた。
冷たいと思われてもしょうがない。親子になって十五年以上経つが、俺は和正さんのことを、そこいらにいるオジサンに対するのと変わらない目で見ている。
じゃあ、本当の父親はどんな人なのかと問われれば、それも分からないのだけど。
――俺は実の父を知らない。
母が「海外留学」という名目で放逐されていた期間に、現地の男と節度なく遊び、その結果、俺は生まれたらしい。
俺の戸籍の父親の欄が無記名なところを見ると、相手の男はどうせ顔だけはいい、ろくでなしだったのだろう。
――話が逸れた。
ともかく、まあ、俺はいい。久宗 和正さんがどんな男でも。俺と彼は血が繋がっていないし、変に父親面されるよりはずっとマシだ。
が、風羽はどうだったろうか。
母親を亡くした哀れな娘に、画面の向こうのあの人は心から寄り添ってあげたことがあったのだろうか――。
今でもはっきり、俺は、風羽と和正さんがこの家にやってきた日のことを覚えている。
俺は確か、小学五年生だった。
ひょっこり現れた和正さんは、俺の母親と再婚し、みんなで家族になるのだと言った。
俺からすれば、寝耳に水の話だった。
和正さんは当時から、「地味なオジサン」といった風貌の男性だった。「人の評価は、見かけで九割決まる」が口癖の母が、どうしてこの人を夫に選んだのか不思議だったのだが。後から和正さんは大手企業に勤めるエリートで、相当稼ぐということを知り、納得した。
母は、和正さんの経済力に惹かれたのだろう。
「君が匡くん? 粧子さんにそっくりだねえ! いや~、イケメンな坊やだ! 聞いているよ、とても優秀なんだってね!」
顔の汗をふきふき、和正さんはこちらの機嫌を取るようなことを言った。
俺は適当に「はあ」とか「まあ」とか、答えていたような気がする。
――だってこの人にとって俺は、おまけに過ぎないのだと分かっていたから。
俺たち親子と関わろうとする男の眼中にあるのは、いつだって母の粧子サンだけ。
母は息子の俺から見てもかなりの美人だったから、男たちの気持ちも分からなくはない。
母はよく「人形なような」とか、「名画から抜き出てきたかのような」などと称えられていた。そのたびに俺は、母が本当に無機物だったら良かったのにと、思ったものだ。
――感情がないほうが。
よくもこんな女と結婚するものだ。
呆れつつ和正さんを見れば、彼は小さな女の子を連れていた。和正さんに手を引かれていたその子は、状況がよく分かっていないのか、母の粧子と俺を交互に見比べている。
髪の短い、大きなくりっとした目の、それが風羽だった。
「は、はじめまして。よろしくおねがいします……!」
女の子はキラキラした目で母を見上げて、たどたどしく言った。
今度は母が適当に「はあ」とか「まあ」とか答えていた気がする。こういうところ、俺たちは親子だ。
母は子供が嫌いなのだ。粧子サンは風羽を一瞥すると、あとは和正さんに視線を固定し、微笑んだ。
和正さんはだらしなく、ニヤニヤと笑っていた。彼は、俺の母親の態度に、疑問を感じなかったようだ。――小さな風羽への接し方、その冷たさになど、気づきもしない。
だが。そもそも継父がそういうぼんくらな人だったからこそ、俺と風羽は巡り会い、生活を共にし、絆を深めることができたのだけど。
「でもやっぱり、風羽にはまだ父親が必要なんじゃないかな……。今まで仕事ばかりで構ってあげられなかったし、その分を取り戻すためにも一緒に……」
画面の向こうの継父はグチグチと追いすがってくるが、俺の頭には入ってこない。
「どーでしょーねー。風羽もハタチになりますし、自立する頃合いじゃないですかねー」
そんなことより、俺は誕生日の宴のほうが大事で、なにか買い忘れはないか、盛りつけはどうしようか、そればかりを考えていた。
今日は風羽の二十歳の誕生日。妹はようやく大人になる。
――ああ。
今はもういない、あの人に会いたい――。
――話を聞いていくうちに、ピンときたが。
海外赴任中の継父は、現地の女性と揉めて、再婚するだのしないだのと、ややこしいことになっているようなのだ。
仕事の都合でアジアの某国へ旅立ち、五年以上。継父も独り身だし、懇ろな間柄の女性がいてもおかしくはない。
が、継父は、相手の女性と籍を入れる気はないそうだ。
仕切っているプロジェクトが完了したら日本へ帰り、それなりのポストが用意されている会社に戻って、安穏と過ごしたい、と。
だがその計画は、相手の女性からすれば、あまりに身勝手だろう。
支えるだけ支えさせて、故郷に戻るときには、キレイさっぱり別れてほしいなんて。
「大変ですねー」
俺は画面の向こうのくたびれた中年男に、棒読みで相槌を打った。
次に、「お父さんの会社は大きいし、大事になったらマズイでしょう。きちんと清算しないとですねー」と突き放し、「でも、いい機会とも言えますし、その女性との再婚について、本気で考えてみたらいかがですか? 一人はお寂しいでしょう」といい加減なアドバイスをし、そして、「僕たちのことは気になさらないで。ちゃんとやれていますから」と付け足した。
最後に――これが重要。
「そう、だから、俺たちのことは心配しなくていいんですよ。お父さんは、お父さんの人生を歩んでください。応援してますから」
つまり、「お前が戻ってくる場所はないから」と、引導を渡す。
事実、今住んでいる家は、俺が亡き母から相続したものだ。当然、名義も俺。継父が住みつく権利など、これっぽっちもないのだ。
「そんなことならとっとと帰ってきて、俺たちと一緒に暮らしましょうよ」とか、多分そんなような反応を期待していたのだろう。だが想像したような都合のいい答えは返ってこず、継父・久宗 和正の顔には失望の色が見えた。
冷たいと思われてもしょうがない。親子になって十五年以上経つが、俺は和正さんのことを、そこいらにいるオジサンに対するのと変わらない目で見ている。
じゃあ、本当の父親はどんな人なのかと問われれば、それも分からないのだけど。
――俺は実の父を知らない。
母が「海外留学」という名目で放逐されていた期間に、現地の男と節度なく遊び、その結果、俺は生まれたらしい。
俺の戸籍の父親の欄が無記名なところを見ると、相手の男はどうせ顔だけはいい、ろくでなしだったのだろう。
――話が逸れた。
ともかく、まあ、俺はいい。久宗 和正さんがどんな男でも。俺と彼は血が繋がっていないし、変に父親面されるよりはずっとマシだ。
が、風羽はどうだったろうか。
母親を亡くした哀れな娘に、画面の向こうのあの人は心から寄り添ってあげたことがあったのだろうか――。
今でもはっきり、俺は、風羽と和正さんがこの家にやってきた日のことを覚えている。
俺は確か、小学五年生だった。
ひょっこり現れた和正さんは、俺の母親と再婚し、みんなで家族になるのだと言った。
俺からすれば、寝耳に水の話だった。
和正さんは当時から、「地味なオジサン」といった風貌の男性だった。「人の評価は、見かけで九割決まる」が口癖の母が、どうしてこの人を夫に選んだのか不思議だったのだが。後から和正さんは大手企業に勤めるエリートで、相当稼ぐということを知り、納得した。
母は、和正さんの経済力に惹かれたのだろう。
「君が匡くん? 粧子さんにそっくりだねえ! いや~、イケメンな坊やだ! 聞いているよ、とても優秀なんだってね!」
顔の汗をふきふき、和正さんはこちらの機嫌を取るようなことを言った。
俺は適当に「はあ」とか「まあ」とか、答えていたような気がする。
――だってこの人にとって俺は、おまけに過ぎないのだと分かっていたから。
俺たち親子と関わろうとする男の眼中にあるのは、いつだって母の粧子サンだけ。
母は息子の俺から見てもかなりの美人だったから、男たちの気持ちも分からなくはない。
母はよく「人形なような」とか、「名画から抜き出てきたかのような」などと称えられていた。そのたびに俺は、母が本当に無機物だったら良かったのにと、思ったものだ。
――感情がないほうが。
よくもこんな女と結婚するものだ。
呆れつつ和正さんを見れば、彼は小さな女の子を連れていた。和正さんに手を引かれていたその子は、状況がよく分かっていないのか、母の粧子と俺を交互に見比べている。
髪の短い、大きなくりっとした目の、それが風羽だった。
「は、はじめまして。よろしくおねがいします……!」
女の子はキラキラした目で母を見上げて、たどたどしく言った。
今度は母が適当に「はあ」とか「まあ」とか答えていた気がする。こういうところ、俺たちは親子だ。
母は子供が嫌いなのだ。粧子サンは風羽を一瞥すると、あとは和正さんに視線を固定し、微笑んだ。
和正さんはだらしなく、ニヤニヤと笑っていた。彼は、俺の母親の態度に、疑問を感じなかったようだ。――小さな風羽への接し方、その冷たさになど、気づきもしない。
だが。そもそも継父がそういうぼんくらな人だったからこそ、俺と風羽は巡り会い、生活を共にし、絆を深めることができたのだけど。
「でもやっぱり、風羽にはまだ父親が必要なんじゃないかな……。今まで仕事ばかりで構ってあげられなかったし、その分を取り戻すためにも一緒に……」
画面の向こうの継父はグチグチと追いすがってくるが、俺の頭には入ってこない。
「どーでしょーねー。風羽もハタチになりますし、自立する頃合いじゃないですかねー」
そんなことより、俺は誕生日の宴のほうが大事で、なにか買い忘れはないか、盛りつけはどうしようか、そればかりを考えていた。
今日は風羽の二十歳の誕生日。妹はようやく大人になる。
――ああ。
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