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5.(完)

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 護送用の馬車に揺られながら、リイリアはこれまでのことを整理してみた。
 まずカイネから貰ったペンダントは、とても価値のあるものだったようだ。
 なんでも王家の宝物だとか。
 そしてそれを、自分が盗んだことになっている。だから捕まって、どこかへ連れて行かれるらしい。

 ――値打ちものの首飾りには、見えなかったけどなあ。

 カイネから贈られたのは、トップが陶器でできているシンプルなペンダントだった。だいたい宝石がじゃらじゃらついているだとか、黄金でできているだとか、あからさまに高価そうなものならば、決して受け取らなかったはずなのだ。

 ――私って本当、見る目がないのね……。

 やはり生まれたときから貧乏暮らしだったせいで、審美眼が磨かれなかったのだろうか。リイリアは落ち込んでしまう。
 彼女が今、詰め込まれている馬車は、めったに見ない鉄製のものだ。頑丈でありながらも、ところどころ優美さを感じさせるデザインで、しかも屋根も囲いもついているから、内部はさながら動く部屋のようだった。シートの座り心地も最高である。
 そのうえ見張りもついておらず、拘束もされていない。
 これでは罪人どころか、賓客ではないか。こんな素晴らしい乗り物に乗せられて、自分はどこへ行くのだろう?
「王家の持ち物を盗んだ」との容疑がかけられているということは、王様の居城がある首都へ連行されて、裁かれるのだろうか。

 ――いきなり死刑になったりしないよね?

 リイリアの不安をよそに、馬車はどんどん故郷から遠ざかっていく。車内の小窓から見える景色も、素朴な田園風景から、徐々に洗練された都会の町並みへと変化していった。
 リイリアが捕縛されてから三日目、一行はようやくデカルト王国の首都へ到着した。
 やはり目的地はこの地だったようだ。
 リイリアを乗せた馬車は、都の中心部にそびえ立つ王城へと進んだ。
 いよいよ牢へ入れられるのだろうか。リイリアは覚悟したが、彼女が案内されたのは、城の中にある客室だった。

「……………………」

 実家の私室が三つか四つ入ってしまいそうな広いそこで、豪華絢爛な調度品に囲まれながら、リイリアは口をあんぐり開け、困惑した。
 そりゃあ王様は寛大であるべきだろうが、盗人に対し、こんなおもてなしの精神を発揮しても良いのだろうか……。これではあまりにお人好しが過ぎないだろうか。
 ――首都到着後、リイリアは結局この客室にて、一週間ほど寝泊まりしたのだが。
 食事は三食、これまで食べたことのないような贅沢なご馳走が出てきた。
 ベッドもふかふか。
 しかも毎日、湯浴みまでさせてもらえる。
 そのほか、微に入り細に入り、メイドが世話をやいてくれた。
 まるで貴族のような――いや元々貴族なのだが、ともかく生まれて初めてリイリアは、身分相応の扱いを受けたのだった。
 ――このような状況に際すれば、薄々察しがつくというものだ。
 青天の霹靂だった此度の事件の元凶。自分を騒動に巻き込んだあのカイネは、いったい何者なのか。
 リイリアはある予感を抱くに至った。――にわかに信じられないことではあるが。
 だから入城後、短くはない時が経ち、ようやく連れて行かれた謁見の間の玉座に、見慣れた顔の少年が座っていても、さほど驚きはしなかった。

「リイリア・ジェンにございます」

 用意された真紅のドレスを身に纏い、リイリアは頭を垂れ、膝を折る。
 下級とはいえ貴族の身にふさわしい、優雅で折り目正しい振る舞いを見て、玉座に就いた少年は相好を崩した。

「ジーカイネ・トール・ガテルト・ファ・デカルトである。リイリア・ジェンよ、遠路はるばるご苦労であった」

 見まごうことなく、あのカイネである。
 故郷で見かけたときよりも堅苦しい衣装を着ており、だがなにより目を引くのは、頭上に輝く冠だろう。カイネが戴いているのは、代々のデカルト王に継承される王冠であった。
 ジーカイネ・トール・ガテルト・ファ・デカルト。昨年の前王の死去に伴い、王位を継いだのは、前王直系の子供たちの中で唯一の男子であった、彼であった。
 ジーカイネ王子――現王は、前王夫婦にとってかなり遅くにできた嫡子である。母である王妃は高齢出産が祟り、生んだばかりの王子を残して、間もなく亡くなってしまったそうだ。
 王家に関するそれくらいの情報は、リイリアが暮らしていた田舎町にも聞こえてきている。
 玉座の後ろにはお目つけ役のガーラが控えており、リイリアに敵意のこもった眼差しを寄越してきた。
 今思えば、あの日リイリアを捕まえるために部屋に踏み込んできた彼女も、カイネの共犯だったのだろう。――リイリアを玉座まで引っ張って来ることについてはどうやら納得しておらず、不満タラタラのようであるが。

「ジーカイネ陛下。お目にかかれて、恐悦至極にございます」

 挨拶の口上を述べつつ、リイリアの頭の中では疑問が渦巻いていた。
 なぜ一国の王ともあろう者が、ただの下級貴族の娘などに、盗みの濡れ衣を着せたのか。

「カイネで良い。母を亡くし、父もいない今、余をそう呼んでくれるのは、そなただけだ。――ガーラ、席を外せ。衛兵たちも、ここはもういい。下がっていろ」

 お目つけ役と護衛の兵士たちをぞんざいに追い払ってから、カイネはリイリアを手招きした。
 王の命令に従い、リイリアはドレスの裾を踏まないよう慎重に、そっと歩き出した。
 二歩進み、三歩進むが、もっともっとと催促されて、とうとう王の目の前まで辿り着いてしまう。

「すまぬ。もっと早くそなたとの時間を作るつもりだったのだが、立て込んでしまってな」

 カイネはリイリアの手を取り、指先にそっと口づけた。

「我が花嫁。不便はしていないか? 欲しいものがあれば、遠慮なく言うがよい」
「いえ、とっても良くしていただいていますが……。ええと……花嫁?」

 自分には分不相応な呼び名で呼ばれ、リイリアは思わず自らの手を引っ込めようとした。しかしカイネはその手を離さなかった。

「あの熱く甘やかな夜を、忘れたとは言わせぬぞ。我らはこのうえもないほど深く交わり、互いに生涯の愛を誓い合ったではないか」
「それはまあ……そうですが……」

 歯切れ悪く答えながら、リイリアは奪われていないほうの手で目頭を押さえた。
 ――目眩がする。
 なるほど、やはりヤケになっていたからとはいえ、テキトーなことを言うべきではなかったのだ。のちのち、こうやってややこしいことになるのだから。

「愛しい花嫁よ、どうした。可愛らしい顔が翳っておるぞ?」
「あの、愛しいとか、花嫁とかは……ちょっと置いておいてですね……。そんな風に思ってくださっているのなら、なぜ私を泥棒になど仕立て上げたのですか?」
「ああ……」

 カイネは一旦笑みを引っ込め、真顔で種明かしを始めた。
 リイリアの結婚相手であったアリアッシュ伯爵は、執政における重鎮にして、王家とも関わりの深い人物であった。父の代から仕えてくれている伯爵とカイネは、まるで叔父と甥のように親しくつき合っているのだという。
 そんなある日、カイネはアリアッシュ伯爵が後妻をもらうという噂を聞いた。しかもその相手は、リイリアだというではないか。
 年に二回、こっそりとお忍びで向かう避暑地で親交を深めた、健気で美しい女。初恋にして最愛のリイリア。
 カイネは早速伯爵に、事の次第を確かめた。どうやらくだんの再婚話は、妻を亡くして以来、気落ちしたままの伯爵を慰めるために、周囲の者たちが勝手に仕組んだお節介だったようだ。

「伯爵自身はたいして嬉しくもなく、ただそなたの生家であるジェン家のほうが大層乗り気だったようでな。だから伯爵は、『まあ、くれるなら、貰っておくか』程度に構えていたそうだ」
「そうですか……」

 夫となる人物が、そのようななげやりな心持ちだったとは。
「支えて差し上げよう」などと熱意に燃えていた自分が、リイリアは少し恥ずかしくなった。

「それでだ。余は思い切って、伯爵に打ち明けてみたのだ。伯爵が再婚しようとしている女は、余の想い人である、と。すると伯爵は面白がっての。ある面倒事を引き受けてくれたのだ」
「面倒事?」
「――うむ」

 カイネはリイリアの手を離すと、玉座から立ち上がり、咳払いをした。そして芝居がかった口調で、高らかに言い放った。

「リイリア・ジェンは、王家の宝物を盗んだ罪により、処刑された!」
「えっ、ええ!? いや、元気にしてますけど!?」

 そういえば――。カイネから賜った、例の「王家の宝物」とかいうペンダントは、取り上げられてはいない。未だリイリアの首にぶら下がっている。

「かっ、返します、これ! 死ぬのは嫌ですから!」

 もはや持っていると災いが振りかかる呪いの首飾りと化したそれを、リイリアは慌てて外し、カイネに突き返した。
 しかしカイネはそれを、頑として受け取ろうとしない。

「いやいや、そのペンダントは、我が国の誇る高級老舗陶器メーカーが、百年前に初めて窯で焼いた品なのだ。見た目は地味だが、歴史的価値はべらぼうに高い。大事にしなさい」
「だって、これ持ってたら、処刑されるんでしょう!?」

 カイネはゆっくり首を横に振った。

「リイリア・ジェンは既に死んだのだ。――そういうことになっている。そなたのために、アリアッシュ伯爵家に新しく籍を用意した。本日よりそなたは、ルードヴィッヒ・ケイン・アリアッシュの養女、リイリア・グレイス・アリアッシュを名乗るが良い」
「え……?」

 事態が飲み込めず、瞬きを繰り返すだけのリイリアに、カイネは目を伏せ、申し訳なさそうに説明した。

「結婚とは、家同士に縁ができるもの。酷な言い方かもしれぬが、そなたの生家であるジェン家は、王家の一員となるに相応しくない」

 つまり平たく言えば、リイリアの実家とはおつき合いしたくないということか。
 リイリアも、それはそのとおりだろうと思った。
 王家と下級貴族では、格が違い過ぎるのも理由の一端であろう。だが最も大きな問題は、リイリアの父と継母が卑しい金の亡者であることだ。
 あの品性下劣な無能者たちは、早晩何事か問題を起こすに決まっている。
 民の模範となるべき王家が、そのようなみっともない者たちと親戚になるなど、なんとしても避けるべきだろう。

「だからそなたには、アリアッシュ伯爵家の養女となってもらい、余に嫁いでもらう。これならば、家柄についても申し分ない。誰も文句は言わぬ」
「そのために、私を罪人にしたのですか? ジェン家と縁を切らせるために……」
「そうだ。そしてジェン家のほうからも、絶縁を申し出させるためにな。――そなたを処刑した旨、そなたの実家に伝えたが、当主曰く『リイリアなんて娘は知らない。いつの間にか我が家の離れに住み着いた浮浪児だ』とのことだそうだ」
「そうですか……」

 実家のあまりの言い草に、リイリアは唇を噛んだ。だがすぐにその悲しみを凌駕するほどの、解放感が湧いてくる。
 あの両親と完全に決別し、リイリアはようやく自由になれるのだ。そしてきっと、とてつもない幸せが待っている。
 なにしろ王様に、プロポーズされたのだから。
 しかしリイリアの表情は曇った。

「……汚名を着せられたまま亡き者にされたことが、許せぬか?」

 気遣わしげにカイネは尋ねた。いいえ、とリイリアは答える。

「ジェン家の娘であった過去には、なんの未練もございません。しかも陛下は私の新しい名前に、亡き母の名である『グレイス』を蘇らせてくださいました。嬉しいです。ただ……」

 リイリアは黙して王を見詰めた。
 堂々とした振る舞いの、凛々しい――だが、自分が知らなかったもう一人のカイネ。
 故郷での苦しい生活の中で、自分を癒し、励ましてくれたあの優しい少年には、もう逢えないのだろうか。
 いや、そもそも自分が見ていたカイネは幻だったのだ。
 ――それが切なく、寂しい。
 憂いに沈むリイリアに、溌剌とした声が語りかける。

「お姉ちゃん! 僕はいつでも、お姉ちゃんと一緒にいるよ!」
「カイネ……!」

 無邪気にはしゃいで見せたカイネは、しかしまたすぐふてぶてしい顔つきに戻った。

「『大は小を兼ねる』と言うだろう。王たる余は同時に、そなたの年下の友人でもある。――だからお姉ちゃんが望むときに、僕はお姉ちゃんのカイネに戻るよ!」

 声色を使い分けながら、カイネは邪悪に微笑んだ。

「そのほうが夜の生活のバリエーションも、増えるであろうからな。清楚な年上女性を手籠めにするオスのクソガキ。またはその逆も。なかなか美味しいシチュエーションではないか」
「そ、そういうのはいいです! どういう性癖!?」

 リイリアの肩から力が抜けた。
 ともかく、自分の愛したカイネは、いなくなったわけではないらしい。これからもずっと近くにいてくれるようだ。
 そしてきっといつか、二人のカイネは重なり――。
 ならば、迷うことはないのかもしれない。

 ――カイネのおねだりには、昔から逆らえないものね。

「これからお世話になります、陛下。どうぞ御心のままに。私は生涯、あなたにお仕えいたします……」

 長いドレスの裾を摘んで、リイリアは再び頭を下げた。




~ 終 ~
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