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1巻
1-2
しおりを挟む「かかわってないし、かかわりたくもない。気持ち悪いこと言わないでください」
「うわ、本気で虫けら見る目みたいになってるよ、ソラちゃん……」
「え、私そんな目していました? 虫の方が使えますよね?」
「確かに! アレイよりはそこらの虫の方が食えるな」
今、会計したばかりのおにぎりを開けて食べながら、ジグさんが深く頷いているが、ここはレジ前なので食べないでほしい。店長が何も言わないので私も何も言わないが、床に零したら許さない。掃除大変なんだぞ、おい。
ジグさんは買ったおにぎり全てをレジ前で食べるという自由行動を終えると、レジカウンターに付いているゴミ箱にそのゴミを突っ込んだ。
「どれ、行くか」
「あ、ジグさん」
「んあ?」
小さい私だとちょっと届きにくいので、顔を寄せるようチョイチョイと手招きする。頬にご飯粒がついていたのだ。私はそれをそっとつまんでやった。
「ついてましたよ」
「お、おう……」
さっきとは打って変わって、少し照れくさそうなジグさん。
これが私好みの白魚みたいなほっそり草食系男子だったら、私の胸もキュンと高鳴るのだが、残念なことに目前の男は、百戦錬磨っぽい傭兵さん。戦うために鍛え上げられた胸筋を持つ筋肉達磨だ。
私はジグさんにニッコリ微笑みかけると、容赦なくご飯粒を店長の口に突っ込んだ。
「ぐええっ! なんでジグのご飯粒を俺にっ!」
心底嫌そうな顔をする店長。油断していたのだろう。「思わず食べちゃったよぉぉ」と半泣きするところを見ると、本当に嫌だったらしい。まあ、私も自分でされたら心の底から嫌がるし、気持ち悪い。だからやったのだが。
一方ジグさんも、自分のご飯粒の行方に軽く引いていた。
「なんで私が人の頬についていた米粒、食べなくちゃならないんですか?」
「それ、俺に食わす必要ないよね!?」
「お米の一粒一粒に神様がいますから~」
「いや、たとえ神様がいても、俺に食わすことないよねっ!」
「ちゃらっちゃら、ちゃらちゃららん」
入店音のあと、私は入り口に顔を向けて、元気よく挨拶する。
「いらっしゃいませ~」
「いや、誰も来てないし! 今の入店音、口で言ってるだけじゃん! それよりも俺のこの気持ち悪さをどうにかしようよ! オエエエエエエエエ!」
横で店長がまだ喚いていたが、私の知ったことじゃない。
嫌なら、私を早く元の職場に戻してくれ、店長。
2 どんな客が来るの?
異世界コンビニ、四日目。
私は第二村人ならぬ新規顧客と遭遇する。いや、お客さんは何人か来るんだけど、ジグさんと同じくらいキャラ立ちしたお客さんが来店したのだ。
「ここは……」
あー、惜しい。返す返すも惜しい。
「お前、ここは一体何を売っているところなのだ?」
「こちらは、コンビニエンスストア・ファンファレマート〝プルナスシア〟店です」
「は? こんびに?」
私の目の前に、サラサラ金髪に青い瞳の、白い甲冑に身を包んだ男が立っている。これで、ほっそりしていれば、まさに童話の王子様だが、残念なことに目前の王子様然とした男の体型は闘う男のものだった。
惜しい、体型以外は顔だって悪くないのに。何を食ってそうなった。
内心のガッカリ感を表に出さずに、私は適当に答えていく。
「コンビニですよ。好きなもの選んで、あそこのレジまで持って行ったら買えるんです」
「貴様、余にそんな口の利き方をしていいと思っているのか」
「あ、このコンビニで抜刀等の迷惑行為をすると、後ろの触手に喰われますよ」
筋肉王子が腰に携えていた剣に手をかけたのでそう言えば、王子はギョッとして背後を見た。
すると、コンビニの隅に設置されている防犯カメラからウニョウニョと触手が出てくる。間違えないでほしい。〝触手〟だ。異世界で物騒だからという理由で、店長が設置したらしい。
もっと他になかったのかと思わなくもないのだが、この防犯カメラの触手ちゃんは優秀で、私が叫んでもないのに、すぐに危険を察して出てきてくれる。空気を読む子だ。だけど、触手。何故に触手。
いや、我儘は言うまい。事実、目前の王子も触手を見て慄いている。凄いな、触手効果。
「伝説の触手 ギリギンテ……!」
王子が触手を見て中二病みたいな名前を呟いているが、私は聞かなかったふりをする。あの触手が外で何と呼ばれていようが、知ったことじゃない。あれは、防犯カメラ触手ちゃん――ボウちゃんだ。よし、ボウちゃんにしよう。今決めた。
王子はさらにブツブツと何かを呟いていたのだが、それからすぐに気を取り直したようで、辺りを物色し始めた。まあ、抜刀したり私に危害を加えたりしなければ、ボウちゃんは無害ですしね。
「これは、卵なのか……? 金色に光っている!」
王子はお菓子売り場で、金色に塗装された卵形のお菓子を持ちながら、プルプルと震えていた。
「こ……これは……! まさか、伝説の鳳凰の卵?」
「んなわけあるか。ただの菓子だ、ボケ」
そちらはお菓子です。卵の中にチョコレートが入っていて美味しいですよ。
「ソラちゃん、心の声と実際に出している言葉が、多分逆になっている」
「あ、店長」
いつの間に来たのか、店長が事務室から出てきた。
この人、こんなに頻繁にこちらに来てるけど、あちらの店舗大丈夫なんだろうか。まあ、以前から使えない店長だったから、きっとミカちゃんと、ミカちゃんの彼氏の木村君がうまくやっていることだろう――と内心私は思った。
「ええ? ミカちゃん、木村君と付き合っていたの? ていうか、その内心ダダ漏れで俺を抉るの、ワザとだよね? 絶対ワザと俺を抉っているよね?」
ミカちゃんと木村君の仲を知らなかった店長は軽くショックを受けている。そんな店長に王子が声を掛けてきた。
「おい、お前。この〝コンビニ〟というのは、誰の許可を取ってこの地に建てている!」
偉そうな王子に対して、店長は恭しく応対し始める。
「これはこれは、キザク国第五王子、ハクサ殿下。この地に建つものは全て神殿直属だとご存じのはずでは?」
やはり筋肉王子は王子でした。でも第五王子とか、微妙に王位から遠い。体型も残念なら、キャラ立ちも残念だ。典型的な王子キャラを踏襲しているが、それが第五王子という微妙な立ち位置で台無しになっている。せめて第三王子なら、その無駄な筋肉も王太子と第二王子を支えるために騎士団に入団しましたとかいう美味しい設定が使えるのだろうが、第五ともなると、〝王子〟としての仕事はお兄さんたちで消費されて、あまりないのかもしれない。国許にいないで、この〝プルナスシアのへそ〟に来ているのは、そんな微妙な立場も大いに関係しているのだろうと思われる。
そして、店長、新しい設定追加しているけど、何だ、〝神殿〟って。〝プルナスシアのへそ〟以外に何かあるのか。
まあ、このコンビニがどこの直属で建っていようが、私は聞かなかったことにする。だって、私のバイト代が賄えるなら関係ないし。
たとえ、魔王が建てたコンビニだと言われても、残念王子が来店するような店であっても、私はバイト代がきちんともらえれば、働くさ! ただし、安全で、かつ、私好みの白魚のようにほっそりとした美青年がいれば、もっと頑張ります! と内心思う。
「だからソラちゃん、心の声を暴露しないで。呟いていない風を装っても、君、独り言で口に出してるから。ていうか、もう独り言のレベルじゃないよ、ソラちゃん!」
「ざ、残念王子……」
どうやら私の心の声(わざと外に呟いたもの)は、王子の耳にも届いたらしい。「残念」だけを拾うあたり、多分、国許でも似たようなことを言われているのだろう。王子、ガンバ!
「と、とにかく……神殿直属なら、正式な通達が各国にいっているはずだ! 余は今日も中央神殿へ赴いたが、そんなことは聞いてないぞ!」
「教えてもらえない程度の立場なんじゃないんすかー?」
「……」
「ソラちゃん! 初対面の、仮にも王子様なんだから、もっと優しくしてあげてよ! 扱いが俺と同じくらい、酷いよ!」
「肉食系男子は皆、滅べばいい」
ちゃらっちゃら、ちゃらちゃららん。
「おう、どうした雁首揃えて」
ジグさんが飄々と声を張り上げて登場する。もう、このタイミングの良さは、才能だと思う。
すると、王子がジグさんを見て叫んだ。
「お前は、雷鳴のジグ!」
「ブホッ!」
私は耐え切れずに口を押さえて噴き出していた。
駄目だ、この王子、こじらせている……!
雷鳴のジグ――って。なんでこういうキャラって〝雷鳴の〟とか、色んな作品と被りやすそうな二つ名がつくんだろう。いや、名づけられたのはジグさんの方だけど、ジグさん、言われた瞬間、凄く嫌な顔しているし。その二つ名、嫌なんですね。私も嫌だ。
そういう、場の雰囲気とか読まないで相手を二つ名で呼んでしまう残念王子――素晴らしいではないか。
いつも飄々としているジグさんの嫌そうな顔を見られたことは嬉しかったので、王子に好意的な接客を試みる。
「王子、その金の卵は鳳凰ではなく、この雷鳴……ぶふ、雷鳴のジグの産んだ卵なんですよ。お買い得です」
「ソラちゃん、王子に変な嘘言わないで! しかも途中、笑ってるし!」
「俺の産みたてだ、丁重に扱えよ」
「ジグも便乗するなよ! お前、いつから雌鶏になったんだよ!」
「雷鳴のジグが産んだ卵……」
「えっ、ハクサ殿下も何、本気にしているの? そんなにしげしげと卵を見つめないで! それ、お菓子だから! それにムキムキの筋肉男が産んだ卵だよ。そんなのが欲しいの? 本当に欲しいの?」
「雷鳴のジグが産んだのなら、それだけで素晴らしいではないか!」
「……サヨウデゴザイマスカ」
店長のツッコミも霞むほど、王子の心は卵に傾きつつある。やだ、この人チョロイ。
「ハクサ殿下!」
今まで触れなかったけれど、実はジグさんは珍しく背後にお供を連れていた。計二名。だけど、私の目には入らなかった。だって、筋肉だったから。
この店内、今、筋肉率が異様に高い。かろうじて店長がまだ細く見えるとか、日本ではあり得ない。
もう、ね、お前ら鶏のササミでも食ってろ! って暴言吐いてもいいですか? あ、それは鶏のササミに失礼かな。あれって、凄く美味しいよね。棒棒鶏、大好き!
「ソラちゃん、もう飽きたんでしょ」
店長はすかさず、きっちり隠しているはずの私の内面を指摘してくる。さすが、残念店長。変なところだけ気づくところが、絶妙にウザい、と内心思う。
「内心思うって言った時の、このあえて聞かせるドS思考……! 触手が反応したからソラちゃんを心配して来たんだけど、帰っていいかな、俺」
「早く帰れクダサイ」
「敬語にもなってないよ、ソラちゃんっ……!!」
「第一、こんな客も来ない森の中で、強盗なんて来るもんですか。今日のお客さんなんてこの王子で二人目ですよ?」
こんなに閑古鳥が鳴くコンビニなんて、初めてだ。それだけコンビニって場所はお客さんが頻繁に来るところなのだ。たとえ台風でもお客さんが来るところ、それがコンビニだ。
「何事も過信はよくないからね、ソラちゃん! ここは触手が必要なくらいは物騒なんだから」
「店長も自分の若さを過信すると、あっという間に四十ですよ」
「怖いこと言わないでよ! 自分がまだ二十代前半だからって!」
「へへへ、三十代に言われてもねぇ」
「俺はまだ二十九歳だから!」
「お前ら、そろそろ終わらせろ。話が進まん」
そろそろ収拾つかなくなってきたな、と思ったら、ジグさんがまとめに入ってくれた。
ジグさんのポジションが何となく固まってきた気がする。
「俺まで、お前らのコントに巻き込むな」
ジグさんは珍しく嫌そうな顔をして、それから王子にお供二名を突き出した。
「これで俺の臨時任務、終了だな」
「ありがとうございました。おかげさまで、無事ハクサ殿下を見つけられました」
「あの歳で迷子だったんですか……」
お供とジグさんのやり取りで、実は王子が迷子だったことが判明したのだが、私はニヤニヤどころかちょっと引いてしまった。そうだよね、王子って名前の付く人が、一人でこんな森の中にいることの方がおかしい。
王子は私をギロリと睨むと、剣に手をかけたが、その背後ではボウちゃんがスタンばっている。
もう、このコンビニで一番、私のことを思ってくれているのはボウちゃんなのかな……
やだ、触手と禁断の恋って、それは色んな意味でアウトだろう。一部には受けるだろうが、私はできれば白魚の美青年がいいし、触手は見ている方がいい。
そんなことを思っていると、お供の一人が王子の手の中にある金の卵に気づいた。
「あ、それが欲しいんですね」
彼は王子の手から恭しくその卵を受け取り、レジに持っていく。私はいそいそとレジカウンター入り、金の卵のバーコードを読み取った。
「三五〇ラガーです」
「はい、どうぞ」
チャリチャリと銀貨と銅貨をもらって、私はお会計済みの金の卵を手に取る。
「シールの方がいいですよね?」
「はい、お願いします」
ニッコリとお供の人も微笑むあたり、この人も分かっているんだろうな。
袋ではなくシールを貼られた金の卵は、お供の手からまた恭しく王子の手に戻された。
「これが雷鳴のジグの卵……何が孵化するんだ……!」
「それはお前の愛情次第だな。しっかり温めて孵化させてやってくれ」
キリッと告げるジグさんに、王子は目をキラキラさせて「ウム」と深く頷いた。頷いちゃうんだ……
今度は店長も突っ込まなかった。疲れたのだろう。
「さ、ハクサ殿下、戻りましょう」
お供の人に促されて、コンビニから出ていこうとする王子。
しかしピタリと一度、ドアの前で立ち止まると、王子は大事そうに金の卵を握りしめながら私に言う。
「また、来る」
「ありがとうございましたー」
マニュアル言葉とオプション笑顔で私は王子を追い出した。
「ソラちゃん、どうしてシールにしたの……?」
一連のやり取りを見ていた店長が、首を傾げながら私に聞いてきた。お前、店長なのに分かってないな。レジ打ち全然してないもんな、この店長。
「そ、その、蔑んだ目、ヤメテ。心、折れるから……」
私は落ち込む店長に仕方なく説明してあげる。
「子供は袋に入れちゃうと、中身が見えなくて嫌がる子が多いんですよ。自分の手で持ちたいから、シール。これ、レジ打ちの基本ですよ! 子供がいたら、自分からシール貼りますかって聞くのは!」
「は、はい……」
「あの王子、ソラと同い年だったはずだぞ……」
ジグさんが多少同情を禁じ得ないといった感じに呟く。
「その割にはアレって、どうなんですか? あの歳でアレってことは、あの王子もまだ独身じゃないんですか? そんなんだからこのコンビニにいる男性は、誰も嫁のなり手がないんですよ」
毒を吐いたら店長もジグさんも閉口していた。
どうやら二人、共に地雷だったらしい。まだ結婚適齢期には早い私にはさっぱり分からない問題だが、大変だな、と少しだけ同情した。
※ ※ ※
お父さん、お母さん、お元気ですか。異世界コンビニなどというわけの分からない場所に勤務して、とうとう一週間が経ちました――といっても、今朝も父と母とは、挨拶を交わしたばかりだが。
恐ろしいことに、数回勤務しただけでこの異常な場所に慣れてきている自分がいる。それもそのはず、職場が異世界だと言わなければ、私のコンビニ勤務は以前と全く変わらないからだ。バックヤードの壁に掛けられたカレンダーをしみじみ眺めてしまう。
「九月がもう一週間過ぎたとか、そんなの嘘だ! 内定が一つもないとか信じたくないよ!」
店長が見たら「現実を見なよ、ソラちゃん」と言われそうだが、今、このコンビニには私一人しか店員がいない。
そう、異世界コンビニは万年店員不足らしい。知りたくなかった、そんな事実。そのせいで、店員は私のシフト時にはほとんど私一人。たまに店長がやってくるが、日本のコンビニでの勤務もあるせいか、かなり忙しそうだ。
一方、こちらはほぼ閑古鳥。常連客はジグさんのみ。あとは、たまにくる旅人とか。私のシフト中の客なんて片手の指で足りるほどの数だ。よくそんなんで経営が成り立つなと思うが、一店員にできることは、数少ないお客様に丁寧な接客をすることぐらいだ。
ちゃらっちゃら、ちゃらちゃららん。
バックヤードから入荷されたお弁当の入ったコンテナを台車で持ってきたタイミングで、本日一人目のお客さんが来た。
毎回のことなのだが、いつの間にか商品がバックヤードに搬入されているのが不思議で仕方がない。一体、誰が、いつ? と思わなくもないが、その辺は気にしないでおく。今、重要なのはお客さんだ。
「いらっしゃいませ」
いつもの通りそう言ってから、私は棚にお弁当を並べていく。あとはお客さんの買い物が終わるころにレジに行けばいい。
やはり来客が少ないせいか、日本と比べて弁当を少なく入荷しているようだ。
「おい」
お客さんから珍しく声を掛けられた。
「はい」
弁当を持ちながら笑顔でそちらを見る。すると、無駄に筋肉ゴツゴツしい男がこちらを見下ろしていた。アラフォーだろうか。背は店長と比べると随分低かったが、身長一五五センチの私からすれば見上げることになる。一七〇センチはあるだろう。
「どうされましたか?」
腰に帯剣あり。
笑顔を見せつつも、それだけは確認する。こちらの人間は、さすがに異世界だけあって、武器を装備している人間が多い。目の前が森だからだろうか。RPGの冒険者風の装いをした客が多いのだ。
「金目のものを出せ」
「……」
いきなり剣を抜かれた。キラリと光る刃に動揺する。
それは当然だろう。物騒になったといえ日本の片田舎である私の地元であれば、こんなことはまずあり得ない。
せめてもう一人ぐらい店員がいたら、この恐怖も半減しただろうに、今このコンビニには私しか店員がいなかった。
コンビニ強盗も増えてきた昨今のコンビニ事情では考えられない職場環境だが、店長曰く、なかなかいい人が見つからないそうだ。店長の嫁を探すレベルで困難なんだろう。店長、滅びればいいのに。
「おい、お前……」
店長の嫁探しに思いを馳せていたら、強盗犯から話し掛けられた。しかも先ほどより近くに剣を突きつけられる。やだ、怖い。
当然ながらこの剣は模造刀ではない。こちらの世界の治安がどんなものか知りたくもないが、帯剣が許されている時点で、人の命は日本より軽いのだろう。
冷静に判断しているように見えるだろうが、実は全然そんなことない。恐怖でおしっこ漏れそうだ。
たまにお子さんとかが、トイレを我慢できなくて漏らしてしまうことがあるのだが、さすがに店員が漏らした案件などうちでは一回もない。第一号になんてなりたくはない。
(どうするんだっけ)
頭の中で確認するのは、強盗が来た時の対処法。私のいた日本のコンビニでは、人命最優先で、お金を要求されたら素直に渡してもいいことになっていた。
だけど、ここでは少し違う。
声が掠れやしないか、きちんと叫べるか、分からない。でも、そうしなければ私の命が危ない。
私はスウッと息を吸い、吐くと同時にある言葉を発する。
「キャア、タスケテー」
ほぼ棒読みなのは、キーワードが防犯システムに正しく認識されやすくするためだ。それらの言葉を紡ぐと、コンビニの四隅にある防犯カメラが起動する。他にも〝悲鳴〟や〝泣き声〟もキーワードになるらしい。
突如、黒い触手が勢いよく強盗犯めがけて伸びた。
言わずもがな、前回登場、防犯カメラ触手のボウちゃんだ。実は、この男が抜刀した時にはすでにウネウネしていたのだが、様子を見ていてくれたのだろう。本当に触手とは思えないほど空気を読む子だ。
「うわあッ!」
背後から触手にからめとられた強盗犯は、剣を床に落とした。そして宙釣りになり、四肢をボウちゃんの触手で固められて身動きが取れなくなる。一本だけだと思ったボウちゃんの触手は、出そうと思えばいくらでも出せるようだった。
触手に筋肉男……シュールだな、おい。
「な、何だ、これは!」
強盗犯は必死に動こうとするが、それは無理な話だろう。
「その触手、伝説の触手ギリギンテですから」
「っな……!」
絶句する強盗犯。王子の言葉をそのまま言っただけなのだが、どうやら本当にボウちゃんは凄い触手だったらしい。
強盗犯が完全に拘束されて、私はようやく一息ついた。
「魔法もこのコンビニの中じゃ使えませんよ」
そう言いながら、床に落ちた剣を回収しようと柄に手をかける。重い。本物の剣だ。プラスチックや玩具とは全く異なる重さだった。だけど、持てない重さではない。そのはずなのに――
ガシャン。
剣が床に落ちる。自分の手を確認するといつも以上に真っ白で、カタカタと小さく震えていた。
ああ、私、自分が思っている以上に動揺している。不覚にも背中は冷や汗でビッショリだった。だが、必死にそれを表に出さないよう努めて剣を再度持ち上げると、台車の上に置いた。
武器確保。あとで店長に処分してもらおう。
「離せ! くそっ! 殺すぞ!」
強盗犯はギャーギャーと騒いでいるが、何もできない状態で騒がれても怖くありませんから。
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「ぐあっ……!」
と、いきなり変な声を上げて喋らなくなった。
「へ?」
目を上に向けて、私はまた下を向いた。
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「ぐっ……あっ……」
強盗が変な声を上げて苦しんでいる。
とても優秀なボウちゃんは、盗賊の口に触手を突っ込んでいました。
うわあ……
おじさんの触手プレイって誰得だよ。しかもどうひいき目に見てもイケメンじゃなかったし。イケメンだったらありなのかと言われると微妙だが、触手プレイなんて『※ただしイケメンに限る――』の最たるものではないだろうか。あ、店長なら可愛い女の子を期待して触手にしたのかもしれない。あの店長ならやりかねない。だけど、盗人に可愛い女の子なんていないだろうに。
返す返すも、どうして〝触手〟!
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