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1巻
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しおりを挟むプロローグ 異世界コンビニへようこそ
ちゃらっちゃら、ちゃらちゃららん。
愛嬌のあるコンビニの入店音。
「いらっしゃいませ~」
間延びした声は、コンビニ店員歴五年の私から出たものだ。
胸元のプレートには、二十三歳にもかかわらず高校生に見間違われるほど童顔な、ショートボブ女子の写真が貼られている。そして、藤森という名字。だけど、バイト仲間には奏楽という名前で呼ばれる方が多い。
「ここは……?」
入ってきたお客さんは、白い綺麗な鎧を着た金髪碧眼の美青年。
美青年はガチャガチャと鎧の音を鳴らしながら、キョロキョロと店内を見回す。鎧の音が実は結構うるさいなんて、知りたくなかった豆知識だ。
私はマニュアル通り、至って平静を装う。というか、いい加減、慣れてきた。
アパレル店員と違って、コンビニ店員はお客さんが来ても接客なんてことはしない。むしろ、積極的に接客してくるコンビニがあったら、ウザい。私なら絶対行かない。何でコンビニに行ってまで煩わしい人間関係を作らなければならない。ここでぐらい人とかかわらせないでくれ、というのが私のポリシーなのだが、この店舗の特徴か、はたまた一見すると善良市民な私の容姿のせいか、話しかけてくる人は多い。
今もそう――
「お前、ここは一体何を売っているところなのだ?」
先ほどから鎧をガチャガチャさせていた男の人は、店内を一周してからレジに来ると、私に不遜な態度で話しかけてきた。
いやいや、見れば分かるでしょ?
コンビニですよ、お客さん。あなたの生活に足らないものを、最近はスーパーとあまり変わらない値段で提供してくれる、正式名称コンビニエンスストアです――なんて、思ったことを口にできないのは、そんなことを言ったところで、目の前のこのキラッキラで残念なコスプレイヤーには通じないからだ。いや、彼のその服装は決してコスプレといった類のものではない。真実、彼はその鎧を正しく利用する世界の住人だから。
私はニッコリと笑って彼に言葉を返す。
「こちらは、コンビニエンスストア・ファンファレマート〝異世界プルナスシア〟店です」
藤森奏楽、二十三歳。悲しいことに就職浪人中。
現在、異世界のコンビニで店員しています。
1 異世界コンビニって何?
『藤森奏楽様
大変申し訳ありませんが、今回の採用は見送らせていただきます』
白い封筒に紙切れ一枚。昨日自宅に届いていたらしいそれを、朝、母から受け取った。そのままポケットに突っ込んでいたのだが、バイト先のコンビニで着替えている時に思い出し、内容を確認したのだ。
結果は想像した通りのものだったが、こう毎回だと、やはり心は折れる。
「九月一日、夜です。夜なのにおはようございます」
だから、天気予報のお姉さんのような挨拶から始まっても許してほしい。
桜咲く三月に大学を卒業した私は、それからすでに半年を経過したというのに、就職浪人中のコンビニバイト店員。つまりは、フリーター。それが今の私の肩書きである。
「おはよう、ソラちゃん。目が死んでるけど、また採用面接、駄目だったの?」
客足のないレジに滑り込んだ私に話し掛けてきたのは、このコンビニの店長、小林アレイだ。御年二十九歳。一八二センチという高身長が、一六〇センチに届かない私のコンプレックスを著しく刺激する。
店長は日本人と西洋系外国人のハーフで、ややがっしり目の体格なのだが、ガタイのいい男性があまり好きではない私は、全く興味がない。決してマッチョではない。だが、草食系でもない。何で外国系の男性って、こう逞しいのだろうか。
「採用面接――それって何? 美味しいの?」
「ああ、ご愁傷様です」
荒んだ私の口調で全てを察した店長は、いつもの常套句を私に述べた。去年から何度その言葉を聞いたことか。
「ちょっと顔がいいからって、笑えばみんな慰められると思うなよ。偽装イケメンは滅びろ」
「偽装してないし!」
大学入学以来、ずっとバイトしているので、店長とはこんな感じで軽口を叩ける関係になっていた。もう付き合いも五年を迎える。これが私と、このコンビニ〝ファンファレマート〟店長との関係だ。
「ソラちゃん、面接駄目だったなら、もっといいバイトしてみない?」
そんな店長が話し掛けてきた内容は、いつもと少し違っていた。
「うわ、店長サイテー」
間髪容れずにそう言えば、「何でサイテー?」と店長が首を傾げて聞いてくる。
「え? 就職浪人中の美女を唆して、美人局させようとしている極悪人だと思っていますが?」
「えっと……確かに就職浪人中の女の子を雇っているけど、美女って? 美人局させるんだったらソラちゃんじゃなくて現役女子高生のミカちゃんの方が……あ、ごめんなさい、防犯ボール投げようとしないでください」
同じバイト仲間で、現役女子高校生のミカちゃんを引き合いに出してくるとはいい度胸だ。
私は防犯ボールを手に店長に微笑んだ。
「これでも小学生の時、野球少年団に入っていたから、コントロールは抜群ですよ」
「いやいや、この至近距離でそんな構えられても、逃げようもないから。それ、マジで服に塗料ついたら落ちないから。ゴメンナサイ」
「で、何の人身売買の斡旋なんですか? それとも臓器提供か。私の臓器より、店長の腹の中にある三つ目の腎臓をくり抜いた方が売れますよね?」
「俺、人間だから。それにそんな物騒なバイトじゃないよ!」
「じゃあ、何ですか?」
話の続きを促せば、店長はニコニコしながら言う。
「実は、ちょっと別の店舗に行ってほしいんだよね」
「イヤです」
「間髪容れず拒否ですか。容赦ないね、ソラちゃん。合コンで、君の大人しそうな見た目に騙される男どもに同情するよ」
「うるせーですよ、店長。第一、家から徒歩五分という好立地なので、今まで店長のセクハラにも耐えて続けてきたのに、何でわざわざ別の店舗に行かなくちゃならんのですか」
私が絶対零度の視線を向ければ、店長は大げさに胸を押さえて、目を見開いている。オーバーアクションなところが、さらに鬱陶しい。
「今、凄いビックリしたぁ。俺、ソラちゃんにセクハラしたことないよね? セクハラするんだったら、ミカちゃんの方が……あ、すいません、本当にゴメンナサイ。だから、俺の手をそのフライヤーの中に突っ込もうとするのはやめてください。ゴメンナサイ」
「『店長の話って、本当おじさん臭漂いすぎて、ナイよね~?』ってミカちゃんに言われていることを、シッテイルノカ」
「何故に最後片言……! おじさん臭ってミカちゃん、そんなこと言っていたの? 俺、泣きそうだよ……」
女子高生にこだわる変態店長の心を抉ることに成功した私は、項垂れる店長を放置して前を見る。
いくら客が誰もいないと言っても、店員が大口開けて喋っていると、「仕事中なのに」と密告電話が本社にいくことがあるからだ。客でもないのに密告する輩がいることにドン引きだが、世の中、荒んだ人も結構いるってことで、私も店長も、私語はなるべく目立たないようにしている。
なのに、その内容がいくら仕事に関することといえども、何で今? 他店に異動? バイト店員が?
「はっ」
鼻で笑ってジロリと横目で睨むと、店長は無駄にがっしりとした体を気持ち悪くモジモジさせている。ファンファレマートの制服であるエプロン如きでは隠しきれない。決してボディビルダーのようにムキムキマッチョではないが、細マッチョというほど細くもない。店長は、よく見る海外の俳優さんのような、骨太なのだ。そんな体格良しの男が甘えた声で、
「で、ソラちゃん。是非とも別店舗、行ってもらえないかなぁ?」
とか、気持ち悪いことこの上ない。私に媚を売ること自体意味が分からないし、それ以前に、大男の媚は気持ち悪い。大事なことだから二度言うが、気持ち悪い。
「だからイヤですって。店長がその店舗行けばいいじゃないですか。そして次の店長はもっと若くて線の細い、美青年を希望します」
いつもなら、これくらい抉っておけば意気消沈してレジカウンターに突っ伏すのだが、今日の店長は何故か私に立ち向かってくる。
「そこの店舗ね、結構イケメンが買い物に来るんだよ?」
「コンビニの店員と客の恋なんて、何ソレ、美味しいの? ――って勢いで都市伝説ですよね? もし、本当にそんなのあったら、私より先に店長が片付いてますよね? あんた、三十ですよね? 結婚しないんですか?」
「うぉ、妹が結婚して、田舎のかあちゃんからのプレッシャーが最近きつくなってきた俺に容赦ないカウンター! そして俺、まだ誕生日来てないから、二十九歳だから!」
また胸を押さえて、「俺……胸が痛くて明日休むかもぉ」と呻いたので、「是非とも休んでください」と返しておいた。いや、むしろ、もう来なくていい。
「ま、それは冗談として、本当にソラちゃんしか頼めないんだよね」
今日の店長はなんだかしつこい。そもそも他店なら、その近辺でバイト募集をかければいいだけのことで、わざわざ私を異動させる必要なんて全くないだろうに。
「店長、申し訳ないんですが、本当に他のひ――」
ふざけるのは置いといて、真顔で断りを入れようとした瞬間、店長が私の言葉に被せて言う。
「でも、もう断れないんだ。ごめんね?」
はい? 今、何に対して謝った。この馬鹿店長。
店長は手を後ろで組みながら、「だ、か、ら」と言葉を区切る。
科を作るな。上から見下ろすな。普通にしていれば少しはマシに見えるだろうに、どうしてこんなに動作がキモイのか。好みでないのは変わらないが、つくづく残念すぎる。
だけど、残念なのはその言動だけじゃなく、頭の中も――だったらしい。
「試しに異世界コンビニに連れてきちゃったんだけど、体調、大丈夫でしょ?」
ニッコリと微笑んで言われたことがさっぱり理解できず、私は唖然とした。
「は? 異世界コンビニ?」
聞き間違いかと思った。だけど、次の瞬間、あることが気になり始める。
そういえば、夕飯時のこの時間帯に、何で客の一人も来ないんだ? 外を見遣れば、夜の闇にまぎれながらもそこに存在する駐車場が――なかった。
駐車場どころか、見慣れたアスファルトの道路もなくて、ただ、辺り一面が真っ暗な闇で塗りつぶされていた。
何故、この状態に気づかなかったのか……
外は暗くてよく見えないが、いつもの店だと思っていたのに――いや、店内はいつもの店だったのだが、外の風景が変わっているだなんて思いもしなかった。それに、他のバイトさんも来ていない。
「え? だって私、入ったのっていつものコンビニだったのに!」
ちゃらっちゃら、ちゃらちゃららん。
混乱する私をよそに能天気な音を立てて、入店音が響き渡る。
「いらっしゃいませー」
悲しいかな、混乱していようがどうしようが、いつもの条件反射でそう言ってしまう。
そして見てしまったお客さんは、くたびれたサラリーマンでも、今からどこ行くんだって勢いのカップルでもなかった。
ゴテゴテしい胸当てにでっかい剣を携えた、埃まみれの大男がそこにはいた。
右目には、銀色の金属で作られた眼帯。そこに収まり切れない傷跡がワイルドすぎる。普通に怪我で眼帯をする人はいるだろうが、それとは全く趣が異なる。しかも赤い髪が目にも眩しいし、金色の左目なんてカラーコンタクトとは思えないほど自然だ。
何より鍛えられた、服に隠し切れない筋肉が凄い。筋肉に全く興味のない私でも分かる〝強靭な肉体〟で、どこか、ファンタジーめいた格好の大男だ。
「おう、アレイ、そいつが新しい店員か?」
ニヤニヤと笑いながら私を見てきた大男に対し、店長も嬉しそうに笑って返す。
「そ。可愛いだろ? しかも異世界に移動しても気づかないタフな女の子だから」
「……」
藤森奏楽。二十三歳。ただ今、就職浪人中――って何度言っても悲しくなるけれど、大事なことだから、もう一度言います。就職浪人中。
決して、異世界のコンビニ店員になりたいわけじゃない。
※ ※ ※
店長の説明によると、この世界の名前は〝プルナスシア〟と言う。世界というよりは、大陸の名前がそういう名前なんだとか。大陸の大きさはユーラシア大陸二個分というのだから、かなり大きい方だ。その割には国の数は二十にも満たない。大きく分割って感じみたいだ。
文化レベルは地球の近代西洋に近いものの、ところどころ地球より変に進んでいる部分もあるとのことで、何とも言えないらしい。まあ、地球だって、日本とアマゾンの奥地では文化に結構違いがあるのは確かだし、一概には言えないだろう。
「まあ、そんなこと覚えても、牛の糞ほどの役にも立ちませんがね」
「うわぁ……女の子が糞だなんて言わないでよ。俺、泣いちゃうよ?」
「ああ、間違えました。店長ほどの役にも立ちません、ですね」
「ちょ、待って。俺、牛の糞並み? 俺、牛の糞並みなの?」
「うわあ……牛の牛のってそんなに連呼するなんて、ちょっと食べ物扱っている場所で信じられない――」
「ええええええ! 最初に言ったのソラちゃんなのに!」
だから、ピンク色のエプロン着ながらくねくねしないでほしい。なんでこのコンビニの制服は、老若男女問わずピンクのエプロンなのだろう。大手コンビニは半袖シャツの制服が多い中、ファンファレマートはいつまで経ってもエプロンだ。
しかも、大手コンビニとの差異をつけたいのか、うっすらと若草色のドットが入っているところなんて、家の近場のコンビニでなければ間違いなく寄らなかったし、バイトもしなかった。
だけど私の地元では、悲しいかな、ここは某大手コンビニに次ぐ人気店という中途半端な立ち位置なので、無下にすることもできないのだ。
「いいから早く、私を日本の元いた店舗に戻せよ」
「もう三日もこっちの店舗に勤めているのに、ソラちゃんも諦めないねぇ」
「たかが三日です。諦められるかって話ですよ」
「いやいや、普通、一日で辞める人が多いから」
へらへらしながらそう言われても、全然嬉しくない。
窓の外を眺めれば、そこにあるのは森。今日は昼間だからよく見える。鬱蒼としているわけではなくて、ちょっと避暑に来ちゃいました軽井沢♪ って感じで、人の手が入った綺麗な森だ。点在する木々の間から、木漏れ日のように降り注ぐ日差しが気持ちよさそうだ。軽井沢、行ったことないけれど、多分こんな感じなんだろうと思う。うん。
で、この森とは逆側にまっすぐ歩いていくと、この大陸一の大きさと文化を誇る〝ナナナスト〟という、何だか言いにくい国があるらしい。ならばこの森はナナナスト国の中なのかというと、それは違う。ここは大陸の真ん中である〝プルナスシアのへそ〟と呼ばれる場所で、各国で不可侵条約を結んでいるため、どこの国のものでもないらしい。
さっきから「らしい」ばっかりで、さっぱり要領が掴めない感じなのは仕方ない。
何故なら、この店舗に勤めてから一度たりとも、私はこのコンビニから異世界〝プルナスシア〟へ出たことがないからだ。
「外、出てみたい?」
もう店長と会話したくなくて森を眺めていたら、店長がニヤニヤしながら聞いてきた。人の気持ちをことごとく無視する男だ。そんなんだから嫁のなり手どころか彼女もできねえんだよ、と内心思う。
「あのぉ……『内心思う』とか言いながら、ブツブツ口に出しているのは、ワザとなの? ワザと俺に聞こえるように言っているの?」
「嫌ですよ。外出たら二度とこっちに戻ってこられないのに、何で出なくちゃならないんですか」
「うわ、凄いスルースキル。容赦ねぇ」
人がせっかく質問に答えてやったというのに、面倒くさい男だ。
いきなりこの世界に連れてこられた時、店長に真っ先に言われたことが、「このコンビニから異世界に出たら二度と元の世界には戻れない」ということだった。まあ、もう帰れませんと言われるよりはマシだが、それでも物騒なことは変わりない。
それに加えて「俺は異世界人なんだ」とか、いらぬカミングアウトなど聞きたくなかった。知りたくなかった。
「しかも〝魔法〟とか、店長は三十過ぎまで童貞だったんですね」
「いやいやいや。あのね、この世界では魔法を使える人が普通にいるんです。俺、これでもここでは結構な魔法使い。これ本当」
ピンクのエプロンをふりふりさせながら言う店長は至極怪しい。怪しいのだが、このコンビニは店長のその怪しげな魔法で創られたものだというのだから、信じるほかない。
しかも、半分、私の元いた世界と繋がっているので、プルナスシアにありながら地球にも片足突っ込んでいる状態なのだと言う。
私はいつもコンビニに出勤する時、裏口から入るのだが、ドアノブに触れた際に私を認識して、この異世界店舗へ繋がる入り口へと切り替わるらしい。コンビニによっては正面入り口しかなく、店員もそこから入ってコッソリとバックヤードに回る店舗もあるようだが、当店は中古小売店をリフォームしたものなので裏口があるのだ。
ということで、今回はコンビニに入った時点で、すでに異世界店舗だった。私の意思をことごとく無視した異動だ。
あー、むしゃくしゃする。意に沿わぬ異動とか誘拐じゃねえか、畜生。その豚のシッポみたいに縛られたイケてない後ろ髪をちょん切ってやろうか。微妙に長髪とか、本当、キャラ付け甘いんだよ。その茶金の髪は地毛か? それとも中途半端なサーファーあがりなのか、お前は。と、内心思う。
「だからヤメテ! 声に出しているから! 丸聞こえだから! そしてこの茶金の髪は地毛! ナチュラルヘアーだよ、俺!」
「ハゲろ!」
「ソラちゃん、怖いよ!」
怯える店長を放置して、私は自分の状況を再度整理する。
まあ、幸いだったのは、この店の正面入り口から外に出ない限り、私は地球に戻れるということだ。時間軸も変わらないらしく、戻ったら浦島太郎ということもない。午前九時に入店して、午後六時に退店すれば、日本に戻っても同じ時間経過なのだ。しかも休みも今までと変わらず週一、二回はとれる。よって、バイトの勤務時間は変わらない。ここ重要。
ただし、正面入り口から出たら最後、私は二度と元の世界に戻れなくなってしまうらしい。
何でそうなってしまうのかと尋ねたら、「世界の理が……」とか中二病みたいな気持ち悪いことを言い出したので、速攻で「あ、いいです」って話を遮断した。
その時の、自分の見せ場を奪われた感たっぷりな店長の顔は、凄くウザかった。
結論としては、私がコンビニの裏口のドアノブを触って中に入ると、異世界コンビニに必ず直結してしまうので、ここに勤める限り、私は強制的に異世界コンビニの店員になるということだ。
いっそのこと、そんな横暴認められない、と辞めてしまえればどんなにスッキリするかと思うのだが……悲しいかな、就職浪人中の身の上だ。かつ家からも近くて、時給も長年勤めているせいか、ほんのり上乗せされているこのコンビニより旨みのあるバイトが見つからないのだ。現状維持せざるを得ない。
しかも、人の足元見やがって、異世界手当が時給プラス八百円って、下手すると契約社員として企業に勤めるよりも高い。所詮は私も社畜だったということか。いや、会社勤めをしたことないけれど。
「おーい、ソラ。会計してくれぇ」
どこの銭湯のおっちゃんだという調子で、レジにおにぎりを持ってきたのは、傭兵のジグさんだ。正式名称は知らない。初めて会った異世界人第一号の、あの眼帯男だ。
今日も、私の太腿ぐらいありそうな太い二の腕と、腰に佩びた大剣をひけらかしながら、買い物に来ている。
私は「はい、かしこまりました」と返し、淡々とバーコードを読み取っていった。店長がどうやったのか知りたくもないが、間違いなく日本の製品なのに、バーコードリーダーで読み取ると、こちらの世界の通貨での金額になる。当然消費税はかからないので、端数の八円とか三円とか、あの細かいのは消える。昔の日本は消費税がなかったなんて信じられないけど、ないとこんなに会計が楽だとは思わなかった。
「全部で五〇〇ラガーになります」
「ソラ、仕事終わったら俺と出かけねぇ? ナナナストの王都は行ったことねぇんだろ? いい街だぜ」
「いや、仕事中なんで」
「だから、仕事終わったあと。俺、待っててやっから!」
「別に興味ないんで結構です」
何で出たら最後、二度と戻れない世界にわざわざ行かねばならない。
しかも質が悪いことにこの男、店長と顔なじみどころか幼馴染という間柄らしく、私の事情を知った上でそう言ってくるのだ。
だが、本当に外に連れ出したいというわけではない。人をからかって遊んでいるのはその目を見れば分かる。店長にしてこの幼馴染あり。二人ともハゲてしまえばいいのに。
無表情で袋に品物を入れ、ジグさんに突き出す。日本の店舗の時はもっと丁寧に接客していたけれど、こっちに来てから何だか雑になった気がする。就職活動に影響が出ないように気をつけねば。
「本当、鉄壁だな、ソラは! アレイ、もっと愛想の教育しとけよ!」
ジグさんがニヤニヤしながらそう店長に言うと、店長はニコニコしながら主張する。
「ソラちゃんはこのツンデレがいいんだよ!」
「いつ、どのタイミングで私が店長にデレたんですか。ツンデレって言葉の意味分かってます?」
「ほら、こうして俺の一挙一動にかかわろうとしてくるところ、凄く可愛いよね? だからジグにはあげないよ!」
肩を抱いてこようとしたので、反復横跳びの勢いで横に跳べば、店長の手がその場でワキワキして間抜けな感じになる。それを見ながらジグさんがゲラゲラと笑った。
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