19 / 24
三人狩手部
残暑
しおりを挟む今年の夏は、迦具土と天照が我慢比べでもしていたのかと思うほど異常な暑さだった。
何人もの人が倒れ帰らぬ人となり、各報道機関もこぞって異常事態だと面白おかしく囃し立てていた。
本来今の時期ともなれば、夏は疾うの昔に過ぎ去っていなければならないはずだが、暦上は晩秋、立冬も近いというのに、どの家も炬燵や火鉢、ストーブの準備どころか、未だ夏の衣服のままの者も見かける有様に、老人達は「ワシの若い頃はこんな事ありえんかった。大体最近の若者は――」と、のたまっている。
まったく、この熱の半分でも昨年に前借できていればと、世の不条理を神に訴えたくなるばかりである。
昨年、そう後一月もせず俺は、この探偵事務所に転がり込み一年となる。
この一年にもならない僅かな期間に俺は無数の難事件、数々の怪事件、想像も絶する猟奇事件、そして僅かな心休まる事件に巻き込まれ、引っ張り込まれて生きた。
彼女によって連れまわされた事件のほとんどは、凄惨で救いの無い人の業を煮詰め、凝縮、凝固させた中でも飛び切りに歪で醜悪なものばかり選んで飾り付けたかのような物ばかりだった。
彼女の係わった事件の記事を切抜いて、一冊のノートに貼り付け収集してみたが、悪魔の手帳の如き酷く醜悪な本が出来上がった。
俺は彼女に一度尋ねてみた事があった。
「普通の探偵という物は、浮気調査や人探し、逃げた飼い猫を探すだとか、前に寺城さんが言ったように興信所の真似事みたいな事をするのでは?」
それに対して彼女は、いつも通り詰まらなそうにパイプを咥え、何も無い虚空を見ながらこう答えた。
「普通の探偵はね?ボクは名探偵なんだから、名探偵の仕事をするんだよ」
もちろん彼女の元には、――俺がいうのもアレだが、何かを勘違いしたのか――極普通の以来もやってくる。
しかし、そんな以来に対して彼女は、誰が依頼主であろうと、いくら金を積もうと、脅迫じみた依頼であろうと、パイプを咥えたままソファーに埋もれるように寝転び、一瞥もせずに言うのだった。
「見ての通り今日のボクは大変忙しい、そんなつまらない事をしている余裕は無いんだ」
と、膠も無く断ってしまう。
その度に俺は「巫山戯るな!!」「馬鹿にしているのか!!」等と――実際彼女は自分以外、いや自分を含めた全てに対し大した価値など認めていないように見える――激怒する依頼人達を宥めすかし、場合によっては今までの事件で知り合った他の探偵の所へ紹介し、時には物理的に追い出す等後処理に苦心してきた。
その度に我等が部下思いの所長殿は夜空のような真っ黒な瞳だけを動かしこう言うのだ。
「面倒な事をしているね。何時から君は探偵の斡旋業を始めたんだい?」
なんとも胸の篤くなる素晴らしい上司だ。一度瀧から突き落としてやりたい。
痛いこの人は、俺が来るまで怒れる依頼人達をどう処理していたのか……恐ろしいので深くは追求しまい。
とまぁ、まともな依頼人に穏便にお帰りいただくというよくある業務を今日も終えた時、寺城さんがゆっくりとソファーから起き上がり、やおら着替えを始めた。
「一体どうしたんです?」
俺は大体答えを予想しつつ問うた。
「そろそろ今日の依頼人のところへ行こうと思ってね。言っただろ『今日のボクは大変忙しい』って」
意図を小馬鹿にするように、彼女は眠たげな眼のまま口の端でニッと笑った。
それと同時に、事務所の前に円タクが停まり、運転手が降り立った。
「いつも言っていますが、直前になって仕事の予定を言わないで下さいよ」
彼女は俺の言葉を歯牙にもかけず、開けっ放しの扉にかかった二重回しを羽織り、鹿討帽を被る。
いつもの杖を右手に持ち、左手でパイプを持ちながら紫煙を吐き出し、悪びれもせずこう言った。
「面倒でね」
俺の切望は、一切気に止められていなかったらしく、それだけ言うと机の上に残雑に詰まれた手紙の山から一つ、やけに質の良い封筒を俺へと放った。
読んでおけという事だろう。
差出人の名は少し前に新聞で読んだ事のある苗字だ。
俺が封筒から顔を上げると、寺城は既に荷を掴み扉の外まで歩み進んでいた。
俺はその後姿を確認すると、最低限の荷物を引っ掴み部屋に鍵をかけ駆け出した。
揺れる円タクの車内、俺は寺城に渡された封筒の中身に目を通した。
依頼人の名は狩手部仁(がりでぶ じん)。
国内有数の製薬会社の現社長だ。
「彼の父とは少々付き合いがあってね。仁氏とはあまり親しくは無いが、何度か顔を合わせたくらいの仲でね」
彼女の依頼人には、彼のようなハイソサエティな御仁も珍しくはない。
むしろそのような家の方が、彼女のような名探偵を必要とする事件に巻き込まれるなり、発生されるなりする事が多い。
手紙の内容は、依頼人の父、すなわち狩手部製薬前社長、狩手部三太(かりでぶ さんた)氏の死亡の報道がなされた僅か後に、彼の末妹にして異母妹、戸村和(とむら なごみ)に脅迫状が届くようになり、それと時を同じくして不審な人影に付きまとわれたり、防寒に襲われかける等の事件が起きたというのである。
問題なのは脅迫状の内容と、それから予想される犯人だった。
状況と被害者である和氏の立場から考えれば当然そのような事態は予想されるとおり、脅迫状の内容はぽっと出の愛人の娘である彼女への事細かな、嫉妬交じりの侮辱と分配されるであろう遺産の相続権の放棄要求であった。
つまり、内容から考えるに犯人は身内なのだ。
そう睨んだ仁氏は、新興であれど政財界に大きな影響力を持つ狩手部家から、いや新興であるがこそ、この様な不祥事、醜聞は公表できない。
その為、事件の未然防止と調査、それから遺言状の開封される日――今日――まで和氏の護衛を依頼してきたのだ。
「……これ一月近く前の消印が押されてますよ」
末尾には、事が大事になる前に一度会って話がしたいと書かれているが、俺の記憶ではこの消印の日は寺城の突然の思いつきで鎌倉の温泉に出向き、そこで騒動に巻き込まれ、その後も幾つかの事件に首を突っ込み、狩手部家に向かった記憶は一切ない。
しかし、寺城さんはさして気にした様子も無く、焦点の合わない漆黒の瞳のまま、ゆっくりとパイプをふかしている。
「遺言状を開封する今日まで、少女一人を護衛しているなんてそんな酔狂な真似僕にはできないよ」
「そんな、死人が出たらどうするんですか」
俺の言葉に彼女は少しため息をついた。
「わざわざ脅迫状を出してくるような相手だよ?本気で殺すつもりなら、脅迫状なんて出しゃしないよ。わざわざ警戒される必要なんて無いんだからね。それなのに脅迫状を出したって事は、殺すつもりはないか、殺すだけの自身が無いか、あくまで最終手段としているかのどれかさ。つまり、今日までは安全なんだよ」
いくつか疑問点はあるが確かにその通りだ。
「それにね。直接顔は合わせてないけど、一応連絡だけはしていてね。彼女には通っている学校とその寮以外は、可能な限り外出しないように言ってあるんだよ」
どうやら、また完全に依頼人と連絡を絶っているわけでは内容で安心した。
「ああ、因みに今日開封される遺言状はここにある」
彼女の白い指先には、ヒラヒラと一封の封筒をチラつかせた。
その封を切って中を見てしまえば、この問題はすぐに解決するのかもしれないが、それを良しとする彼女では無いだろう。
それに、一見封は切られていないが、もう既にその中身を読んでいる可能性もある。
いや、彼女に見ないという選択肢なんて存在しないはずだ。
それでも、こうしてゆっくりと狩手部家に向かっているという事は、何か意味があるわけで……
彼女のような人非人、人の命など二の次三の次にすらあるかどうか怪しい人物の行動が、凡人に過ぎない俺に理解できるわけも無く。
しかし、本来闇に消えるはずだった数々の何事件、非道な極悪人、狂気的な大量殺戮犯、様々な巨悪を陽の下に曝け出し、滅してきた功績は何物にも変えられない事実。
結果として悪が減るのであればそれは善なのであろうか?
これは哲学にも似た小さな体に空いた底なしの宇宙を覗き込むようにな物なのだ。
俺は狩手部家へ向かう道中、彼女への対処を練りつつ、何度も依頼の手紙を読み返し、待ち受けているであろう困難に頭を悩ませた。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
眼異探偵
知人さん
ミステリー
両目で色が違うオッドアイの名探偵が
眼に備わっている特殊な能力を使って
親友を救うために難事件を
解決していく物語。
だが、1番の難事件である助手の謎を
解決しようとするが、助手の運命は...
ARIA(アリア)
残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
授業
高木解緒 (たかぎ ときお)
ミステリー
2020年に投稿した折、すべて投稿して完結したつもりでおりましたが、最終章とその前の章を投稿し忘れていたことに2024年10月になってやっと気が付きました。覗いてくださった皆様、誠に申し訳ありませんでした。
中学校に入学したその日〝私〟は最高の先生に出会った――、はずだった。学校を舞台に綴る小編ミステリ。
※ この物語はAmazonKDPで販売している作品を投稿用に改稿したものです。
※ この作品はセンシティブなテーマを扱っています。これは作品の主題が実社会における問題に即しているためです。作品内の事象は全て実際の人物、組織、国家等になんら関りはなく、また断じて非法行為、反倫理、人権侵害を推奨するものではありません。
こちら、ときわ探偵事務所~人生をやり直したいサラリーマンと、人生を取り返したい女探偵の事件ファイル~
ひろ法師
ミステリー
「あなたを救いたいのです。人生をやり直したい……そう思いませんか?」
会社を辞め、途方に暮れる元サラリーマン、金谷律也。人生をやり直したいと思っていた彼の目の前にNPO団体「ホワイトリップル研究所」と名乗る白装束を纏った二人組が現れる
リツのこれまでの行動を把握しているかのごとく、巧みな話術で謎の薬“人生をやり直せる薬”を売りつけようとした。
リツは自分の不幸を呪っていた。
苛烈なノルマに四六時中の監視。勤めていた会社は碌なもんじゃない。
人生のどん底に突き落とされ、這い上がる気力すら残っていない。
もう今の人生からおさらばして、新しい人生を歩みたい。
そんなリツに、選択肢は残されていなかった。
――買います。一つください
白装束が去った直後、ホームズのような衣装をまとい、探偵となった幼なじみ神原椿と、なぜか小学生の姿になった妹の神原紅葉が部屋に乱入。
―― この薬、絶対飲んじゃ駄目よ。飲んだら最後、あなたは……消されるかもしれない
なぜ薬を飲んではいけないのか。そして、なぜ消されるのか。
白装束の奴らは何者で、その目的とは。
消えた人はどこに行くのか。
陰謀渦巻くサスペンス・ミステリーが始まる……!
※10月より毎週土曜夜6時30分公開予定
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活
XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる