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第四話:邂逅

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『きっと近くで生まれて見せるから』
 
 彼はたしかにそう言った。
 それはともすれば、同じ高校生として生きているのではないだろうか。
 
 校門を前にしてそんな希望的観測がふと浮かんだ。
 左の薬指から垂れた糸が校舎へ向かっているのだからそういう推測を立ててしまっても仕方ないだろう。 

 しかしあんな生徒いたかな。髪を染めていい学校だから金髪くらいはけっこういる。芸能人だかユーチューバーみたいな頭髪の人もいるくらいだ。とはいえグリアンくんは気立ても要領もよくイケメンだから学校のアイドル的存在になっていそうなものだけれど。
 もし私が気づかなかっただけで実は会っていたなら、自分を忘れた私を彼はどんな風に感じたのだろう。推し量るまでもない、

 いや、たとえまだ逢っていなくてもそれは同じだ。15年もの間私に気づかれず、それを明かせず過ごしていたんだ。
 
 やはり早く会いたい。

 自分の気持ちのためじゃなく、彼のために。ずっと一人で待っていた彼に対するせめてもの贖罪めいた意味合いだ。

 では一体誰だろうか。この学校で、一番近い存在といえば……。

「おはよー。ヒメちゃん」
 
 下駄箱の上履きに手をかけたとき、奇しくもちょうど頭に浮かんだ人に声を掛けられる。

「おはよう」
「んー」

 兎在さんはローファーを持った手をゆったり伸ばし返事をしたあと、少しして怪訝な表情を浮かべた。

「どうかした?」
「いや」

 視線を彼女から糸の方へと移す。当然、私の後に着いた彼女には伸びていない。
 というかそっか。彼女とは高校からの付き合いだし少なくとも物理的距離は近くはない。電車の進行方向は真逆だ。

「ふーん」

 彼女の方から訊いてきたのに興味なさげな生返事が返ってきた。

「そういえば昨日あのあとどうだったー?」
「特には」

 結局、彼女に宣言した通りになったんだからこれと語ることはしない。あんまり明らかにすることは鎌瀬くんにも失礼だろう。

「ふーん」

 やはり淡白に答える彼女を軽く睨む。彼女はその視線に気づかない様子で教室へと足を向けた。


『近くで生まれる』

 その言葉の解釈にも依るが近い存在という言葉が指すのは二通りだろう。

・気の許せる人間、つまり精神的なものか。
・住居が近いか、つまり物理的なものか。

 どちらにも該当する存在といえば家族となるが、学校に親や兄はいないだろうし。
 
 ということでいずれかに該当する人間となるが、あんまり友達作りが得意とはいえない私にとって、気の許せる学校の人間はこの兎在さんしかいない。
 
 となれば住居が近い人間となるのか。
 奇しくも、幼稚園からの同級生が三人いた。
 
「あ」

 そのうちの一人、原京弥《はらきょうや》くんが、廊下でいつものように女子に囲まれているではないか。
  なんでもハーフらしく、長身と色素の薄い青の髪が女子を惹きつける。成績も良く軽音部に所属しているからなおさらだ。

 しかし幼稚園から同じでありながら実はあまり話したことがない。
  
 彼と目が合う。私は軽く手を振る。
 すると原くんは目を手で覆い何度もこすった。取り巻きの女子が半分心配し半分引くくらいに。
 花粉症にはまだ少し早い季節である。
 
 小学生の頃だっただろうか。私はなんでそんなリアクションをするのかと訊ねたことがある。
 
『もしかして、私のこと嫌い?』

 彼はぶんぶんと首を横に振るった。

『まさかまさかまさかまさか――』

 冷や汗を飛散させながら永遠と連呼する彼にあまりの白々しさに目の前が真っ白になった私は『おっけーおっけー』と告げて教室を後にした。それ以来彼とはなるべく関わらないようになった。 たぶんその振る舞いは幼心を気づつけるものだったのだろう。

 今となってはどうでもいいことだし、それに彼という存在には感謝すべきところがあった。
 小学生の頃、もっと前の幼稚園の頃ははまだみんな髪を染めるなんて知らないから私のそれはよく目立つ。
 それなのに私が浮かずに生活できたのは彼がいつもクラスや学年の中心として振舞っていたからだろう。
 
 だから彼が実はグリアンくんだとしたら悪い気持ちにはならないだろう。
 
 まあ、どうやら違うみたいだけれど。
 
 床に垂れ下がった糸は原くんとその取り巻きを興味なさげに横切りまっすぐ伸びていた。
 
 そもそもグリアンくんとはやはり容姿が違うし。残り二人も彼とはまったく別人だ。そのうち一人においては女子だし。じゃあ別の学年の生徒なのだろうか。

 なんて考えていると教室に着いていた。糸は教室の中へと続いている。予想が外れた?

――と。

「ヒメちゃんヒメちゃん」
 
 嬉々とした声色で兎在さんが私を小突く。

「なに?」
「ほらほら」
 
 彼女がしゃくった顎の先を見て、私の体がピクリと跳ねる。
 
「おはよ」

 きわめて自然ににこやかに、鎌瀬くんが手を振っていたのだ。

「は、はよー」

 思わず目を泳がしてしまう。  
 横でクスクスと笑う兎在さんに肘を入れる余裕すらない。
 そうこうしている間に彼は歩み寄ってくる。

「じゃあお邪魔ものは掃けるねー」

 おほほほほと不気味な笑い声を上げながら、兎在さんが自分の席へと向かった。友達甲斐がない。
 
「め、めじゅ、」

 噛んでしまった。

「珍しいね、鎌瀬くんがギリギリに登校しないなんて」
「今日は朝練があったから」
 
 ほーん、と。何かの鳴き声にも似た声で返事をしてしまう。

「昨日はごめんね」

 彼の言葉に今度はビクリと跳ねる。

「い、いいってことよー」

 私は十年来の親友のような振る舞いで鎌瀬くんの背を何度も叩いた。
 
 動揺している。

 そんなことはわかっている。問題はこの混乱をどう解消するかだ。

 屋上から出るときはたぶん普通に挨拶できたと思う。
 なのに、一日空けて現実感ができたのだろうか、今は顔を見ることも恥ずかしい。
 告白してきた彼はというと、なにやら楽し気に笑っている。

「な、なにがおかしいのかな?」
「そりゃあ、ね」

 あっけらかんとしている鎌瀬くんがおかしいんじゃないのか。それともやはり私がおかしいのか。
 
 ちんちくりんな体型と、あまり男子と関わろうとしないからか私はイロコイというものからずっと遠い場所にいた。
 
 いざ告白されるまでは、以前からあった兆しも屋上に呼ばれた理由も実は私の気のせいということにできた。
 だが彼の気持ちを知ってしまった今、その気持ちはちゃんと受け止めてこれから過ごさないといけない。

 つまり、意識してしまうと。

 何事も初めてというものは危険なものである。小学校の入学式で同じくらいのこどもが世界にこれだけいると知った時も水泳がいやになってズル休みをしてしまった日も中学生になって初めて口にしたハンバーガーの味も、友人に彼氏ができたというその報告も。すべて私の思考をぐちゃぐちゃにして挙動不審にさせるものだった。

「姫添も焦ったりするんだなあって」
 
 だからいつも通りの笑みを湛える彼を見て、ため息が出た。

「するよ」

 呼び鈴が学校に鳴り響く。私は彼の横を通り席へと向かう。
 彼のいつも通りが私にも伝播して、私を日常に戻した。戻してくれた。
 あんなお互いの気持ちが赤裸々になるようなことがあってもまた普段通りに戻ることができるのか。
 それが不思議で、鞄から机に移さんとする教科書で顔を隠して、私は少し笑った。

 赤い糸は鎌瀬くんへと続いていなかった。



 1時間目は二階にある化学室での授業のためみんなぞろぞろと教室を後にする。

「私たちもいこーヒメちゃん」
「……うん」

 赤い糸は教室の外へと伸びていた。

 別学年のグリアンくんが教室で待っていて――みたいな展開を期待したがそういうわけではなく。

 さっき教室の中に続いていた糸が外に伸びているということは、元々教室にいてもう移動したということか。早く会いたいとか思いながら全然行動に移せていない自分の頭を打つと、私は兎在さんと教室を出た。

 しかし、グリアンくんのような容姿の同級生なんていないのはさっきいった通りだ。
 見た目が変わったということなのか。
 
 考える私だったが、ふと階段の前で立ち止まった。並んで歩く兎在さんがきょとんと首を傾げる。

「あー、忘れ物したから先に行ってて」
「ヒメちゃん惚けすぎー」

 私がムッとするよりも先に兎在さんはパタパタと足音を立てて化学室へと向かった。

 さて。

 私は左手の赤い糸を見やる。
 糸はだらっと垂れて廊下を伝い兎在さんと同じように2階へと――続かずにに屋上の方へ伸びていた。
 
 私は視線を上げる。屋上へと通ずる階段は、折り返しに備わった窓のせいで目が痛くなるくらいまぶしい。だがそれでも私はその先を強く見据えた。

 グリアンくんがそこで待っている。

 なんて挨拶すればいいのだろうか。階段の一段一段を上るごとに、前世の記憶を探っていく。
 
 たかだが三十段の間では整理は追いつかなかったが、万来の言葉から一番伝えたいことを一つだけ拾った。
 あとは抱きしめて、抱きしめられればきっと思いは伝わるだろう。

 古い感覚が蘇る。
 昨日までこの体で刻まれたことのない心音が心地いいほど馴染み深い。
 
『世界がどれだけ変わっても、私はあなたを好きでいます』

 だから、なによりも先にもう一度好きって言おう。
 待たせてごめんとか思い出すのが遅くてごめんとか謝罪の言葉はいくらでも湧くけれど、それでも、非礼と知りながら最初に伝えたい言葉。

 好き。
 
 沸き立つ感情の奔流が足を加速させる。
 重い扉を開く。生ぬるい風が吹き抜ける。
 屋上は朗らかな太陽と、それを容赦なく無機質に照り返す白いアスファルトで光と熱気に包まれていた。
 
 その奥の人影を、私の双眸はすぐに捉えた。
 
「でへへ」
 
 雪だるまのようにまるっこい体型の生徒だった。
 彼はテカテカと脂っぽい顔は熱さで溶けたかのようなゆるくしまりのない笑いを浮かべており、体中からぬめぬめしてそうな汗を噴き出している。
 
 その名は日肝緒太留ひきもおたる
 私とは幼稚園来の幼馴染で、赤い糸の終着点である。
 
 そうきたかあ。
 
 私は顔を覆って苦笑いを浮かべることしかできなかった。
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