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第一部 一章 始まりの物語~噴壊包輝世界編~
境界の裂け目
しおりを挟む 「そうか・・・・・・なら俺も二人と一緒に行かせてもらうとしようかな」
「決まりだ。ならば早速、この辛気臭い場所からさっさと出発するとしよう。・・・・・・ここからおよそ百五十キロ先の地点に、目的地である境界の境目があるはずだ。当初の予定通りにリセが裂け目の修復作業を行いつつ、私が今も何処かに隠れ潜んでいるであろう奴を誘い出して討伐する。リセ、お前もそれで問題ないな?」
「はい、私の扱う魔法は単独での戦闘には不向きですから。クロエのその意見が最も円滑に目的を達せられる手段であると・・・・・・そう考えます」
「まずは一旦、この洞窟の中から外に移動しましょうか」――――リセを先頭にして俺たちは、オグナーの所有する地下の研究所から、入り口の扉を開けて外側に出る。
それから洞窟内の元来た道をそのまま戻っていき、再び灰色の不思議な植物で囲われた巨大な地下空間のある場所にまで辿り着くと、それまで天井を覆っていた灰色の植物が一斉に端へと動き出し、あっという間にそこに円形状の巨大な大穴が出来上がった。
「綺麗・・・・・・!」
リセが目を輝かせながら、そう驚くのも無理はない。それまで密閉された空間内を漂っていた、大量の胞子のような白い光の粒が一斉に、天井に空いた大穴から外側へと向かって舞い上がったのだ。
天井を遮る蓋の役目を果たしていた、灰色の知性を持った植物。密集したそれらが一定の間隔で大穴の縁に並び立つ事で、古の古代遺跡にある祭壇のような雰囲気を醸し出している。
その場所を通過した白い光の粒は、そのまま風に乗って何処かに運ばれていくようで・・・・・・やはり、植物の種なのだろうか?視界を埋め尽くす程に広がったそれらは、地下から天へと舞い上がる雪のように見えなくもない。
現実感のないその光景は、それそのものがある種の魔法のようなものであると言えるだろう。
それらの不可思議な現象に目を奪われていた俺とリセの二人の横で、クロエが指先を擦り合わせてパチンと高らかに音を鳴らす。
たちまち黒い魔力の風が吹き荒れ、開けた空間の一ヶ所に収束したかと思えば・・・・・・次の瞬間、その中心から大きな羽根のような形の物体が現れて、俺たち三人の周囲を包み込んだ。
頭上に向かって視線を向けてみると、地上から三、四メートルほど上空にある離れた地点に魔力によって形成された、動物の頭のような部分が視界に入った。その先端は極端に尖っており、誰がどう見ても鳥類の嘴を思わせるもので――――、
「でかい・・・・・・鳥?」
「カラスだ。――――とはいっても、おそらく小僧の知っているような小さなやつではなく、【大月鴉】と呼ばれている、別の世界に存在する特殊個体をモデルにしているんだがな」
それはまるで生きているかのように首を斜めに傾げながら俺たち三人を見下ろす形を取ると、自身の黒い魔力で作られた羽根を使って、僅かに見えていた上空の隙間の部分すらも完全に閉ざした。
理屈は分からないが全方位を黒い魔力によって囲われているはずなのに、不思議とクロエやリセの姿はしっかりと視認出来ている。微弱な大気の振動を外側から感じ取ったかと思えば、すぐ近くに立っていたクロエがゆっくりとした動作で片手を挙げて、それを真横へと振り払った。
その仕草と共に周囲を囲っていた黒い魔力が晴れると、そこには平らに整地された広大な土の大地が見えた。俺たちのいる地点を囲うようにして、円形状に生えている森の木々の他には何も無い。不自然に切り開かれたその土地は、まるで観客のいないコロシアムのようだ。
「転移魔法だ。範囲は限られているが離れた場所にある空間を強引に捻じ曲げて、自身の今いる地点の座標と繋げることが出来る。双方の距離があいているほど魔法を使用する際に消費される魔力量も増加する為、そんなに気軽にポンポンと連発できる魔法ではない」
クロエが俺に対して話しかけながら、首を回して辺りの様子を確認する。
静寂に包まれたその空間には俺たち三人の他に生物の気配はなく、他に誰もいないように思えたが・・・・・・、
「小僧、そのまま背後の方向を見てみろ」
「後ろ?何かあるのか・・・・・・っ!!」
クロエに言われるがまま、特に何も考えずに後ろを向いた俺は絶句する。俺たちのいる場所からそう遠く離れていない地点の空間を裂くようにして、地上から遥か上空の空にまで続く、巨大な割れ目のようなものがそこにあったのだ。
何もないはずの空中が砕けたガラス窓のようにひび割れており、空いた穴の部分から紫色の鈍い輝きの光が漏れ出ている。その断面は切れ味の悪い鋏で切り分けられたかのようになっており、尖った角の部分が熱したプラスチックの板のように内側へと捲れあがっていた。
「あれが境界の裂け目だ。特定の条件がいくつか重なることで境界自体に負荷がかかり、膨張した部分に亀裂が生じてひび割れる・・・・・・。本来は自然的な現象であるはずなのだが、今回のこれに関しては例外だな。
――――見てみろ。直線ではなく、左右から交互に切り分けられたかのようになっている。他にも無理やり内側に向かって引き剥がしたような跡もあるな。例の【金色の獣】とやらの仕業だろう」
「あれが境界の裂け目か・・・・・・。クロエ、もしも境界に発生した裂け目が人為的なものであるのか、そうでないのかを判断したい時にはどうすれば見分けられるんだ?」
「魔法による干渉――――その痕跡が僅かでも見つけられれば確実だ。とは言ってもこれは・・・・・・いくらなんでも、これはあからさますぎるがな。その他にも細かい判断材料がいくつかあるが・・・・・・まあいい。とりあえずはさっさと、この裂け目の修復作業をおこなうとしよう――――リセ、頼む」
「はい」
クロエから指示を受けたリセは、羽織っていたマントの下から小さな銀色のペンダントのような物を取り出した。その蓋の部分は錆びついており、所々が永い年月をかけて塗装が剥がれ落ちたかのように色落ちしている。
取り出した懐中時計の表面にリセの指先が触れた瞬間――――カシャカシャと機械音が鳴り出し始め、金属製の蓋が渦を描くようにして四方に分かれ、スライドして外枠の内部に収納された。
その下に隠されていた時計盤には一から十二の時間を示す数字ではなく、いくつもの細い輪が切り株の断面のように描かれている。中心には直径二センチ程の琥珀色の魔鉱石が嵌め込まれており、そこからは長さの違う、三本の細い針が伸びていた。
「この付近に滞留している、世界構成情報の分析――――完了しました。現在の境界表層の汚染状況の数値は・・・・・・許容範囲内。その他、深刻な異常箇所は見受けられません。ではこれより、境界に発生した裂け目の修復作業を開始します」
リセの声に合わせて、グルグルと高速で回転し始める三本の時計の針。その上にいくつもの見たこともない文字が、電光掲示板のように浮かび上がっては消え、浮かび上がっては消えを繰り返す。
それを確認しながらリセが時計盤の中心に嵌め込まれている、琥珀色の魔鉱石を奥に向かって押し込むと――――そこから緑色に光輝く大量の魔力が溢れ出し、俺たちの正面に見えていた境界の裂け目の中へと、煙のように吸い込まれていった。
やがて裂け目の表層に透明な膜のようなものが現れ始め、それが時間が経過するにつれ、徐々にピキピキと音を響かせながら固まっていく。
「境界に発生した裂け目の部分――――その場所の自然回復能力を、魔力を用いることで早めているのさ。リセが今使用している、あの時計の形をした魔道具は、自身の体内にある魔力を変換し、対象に向かって放出する魔道具だ。
境界とはいうならば、人の臓器を保護している膜に近い。多少の損傷ならば勝手に直るが、ここまで大きなものとなると・・・・・・その修復には我々魔法使いの手が必要となってくる」
目の前で起きている出来事を黙って見ていた俺に対して、クロエがそのように説明を始める。こうしている今も、その透明な膜のような・・・・・・いや、既に硬質化して濁った水晶のようなものとなったそれは、その覆う範囲を境界の裂け目の部分に沿うようにして、少しずつ広げていっていた。
「境界の内側と外側・・・・・・それぞれの世界を構成している情報は、当たり前の事ではあるが――――全く別の違うものだ。アブネクトの大気を含む、さまざまな情報を計測して算出し、それに合わせた魔力情報を境界の裂け目に注ぎ込むことで、消失してしまった部分の再生をおこなっている」
「なるほどな・・・・・・んっ?ってことは、あそこにある境界自体を構成しているのは・・・・・・」
「限りなく魔力に近い性質を持った何か・・・・・・だ。我々魔法使いの間では【ルクセルド】と呼ばれている。遥か遠い昔に、現代の魔法使いのあり方――――その礎を築いたシル・オレアス・ルクセルドという人物の名がその由来だ。
そいつは自らの子孫を残さなかった為、今ではその家系は途絶えているのだが・・・・・・ともかくルクセルドが残したと言われる古い文献には、境界に関する様々な研究成果が記されていたらしい」
「かくいう私自身も、別の者から伝え聞いただけだがな」――――クロエはそう話しながら、今も数メートルほど離れた地点で、境界に向かって魔力を注ぎ続けているリセの方へと視線を移す。
パッと見たところは、おおよそ裂け目の六割ほどの部分が、リセの造り出した水晶のようなもので覆われているようだ。いつの間にか裂け目の周辺に広がる空間には、極度の温度差による大気の揺らぎのような現象が生じており、その反対側の景色を正確に視認することが出来なくなっていた。
「不思議なものだろう?魔法使いのみが持つと言われる、魔力という力――――それに近い性質をしたものが境界などと呼ばれおり、星の数ほどもある世界間同士の間を区切り分けている。
それが意味するところは・・・・・・まあ、全てがただの憶測でしかないのだが。この話を聞いた者の大半はきっと、同じ結論へと至るだろう」
「魔法使い――――その存在こそが、世界の管理者である・・・・・・とかか?」
「ああ。境界を保護する役割という点では、そのように表しても良いのだが・・・・・・。しかし我々魔法使いたちの中には、そのあり方に疑問を呈する者も少なくなくてな。数えるのも馬鹿らしくなる程に永い年月をかけ、対立した者同士で下らん論争を繰り返しているのが現状だ」
クロエの話によると――――数多の世界を管理するに辺り、魔法使いとして強力な干渉能力を行使するべきであるという意見。そしてそれとは正反対の、緊急時を除いて管理対象の世界には極力干渉しないようにするべき、という二つの意見で、魔法使いたちの間では別れているそうだ。
「魔法使いの世界って、色々と大変そうなんだな」
「イメージと違ったか?お前の住んでいた世界に伝わる、呑気に杖を振り回して魔法を使うおとぎ話の内容とは、似ても似つかないものだ。
自らの持つ力や欲に溺れた者たちが互いに競い、騙し、憎み、争い合う世界。自我や感情という不安定な要素があれば、そこには必然的に平穏というものは訪れない」
「極端に言えば俺のいた普通の人間の世界とは、何ら変わりがない・・・・・・ってことか?」
「その通りだ。――――さて。では我々もそろそろもう一つの目的である【金色の獣】の討伐に向かうとしよう。リセ、ここは頼んだぞ」
「了解です。――――多分この調子であれば、あと十五分程で境界の修復は完全に完了すると思います。ですからクロエは・・・・・・」
「分かっているさ、小僧のことは任せておけ。では行ってくるぞ」
俺に対して顎で指示を送りながら、クロエは再び自身の黒い魔力を周囲に展開して転移の効果を持つ魔法を起動させる。
先ほどクロエから聞かされた【大月鴉】と呼ばれる生物を形取ったそれに包まれた俺たちは、あっという間に境界のあった地点から何キロ離れた、平たい平原がある場所にまで移動してきた。
見開いた場所から確認することができたアブネクトの自然の全貌は、豊富な栄養資源の源である流体エネルギー――――ファストラの効力そのものを体現している。
広大な範囲の地盤を地下から支え上げ、その真上で生を育むものたちの――――間接的ではあるが食糧の役割を果たし、その更に上空に広がる空を覆い尽くして大地の全てを金色の輝きでもって照らし出す。
しかしそこに突如現れたイレギュラー。【金色の獣】という存在が自身の活動力として、過去に類をみない速度で膨大なファストラの光を今も吸収し続けている・・・・・・。
「それで、どうするんだ?さっきの洞窟では、何か考えがあるとか言っていたけど」
「ああ、それについてなんだが・・・・・・何度も言うが魔法使いの扱う魔力とファストラの性質はかなり似ている。それが奴にとっての食糧になる以上は、逆におびき寄せる為の罠に利用すればいいだけの事だ。――――まあ小僧、お前はそこで一旦、大人しく見ていろ」
クロエが両の瞼を完全に閉ざした状態で移動し、俺の正面へと立つ。
ゆらりと煙のようなものが周囲から立ち昇り、顔だけで背後の俺がいる方向に向き直ったクロエの、開いた両目にある瞳の色は淡い淡褐色から・・・・・・濁りきった黄金の輝きに変化していた。
「決まりだ。ならば早速、この辛気臭い場所からさっさと出発するとしよう。・・・・・・ここからおよそ百五十キロ先の地点に、目的地である境界の境目があるはずだ。当初の予定通りにリセが裂け目の修復作業を行いつつ、私が今も何処かに隠れ潜んでいるであろう奴を誘い出して討伐する。リセ、お前もそれで問題ないな?」
「はい、私の扱う魔法は単独での戦闘には不向きですから。クロエのその意見が最も円滑に目的を達せられる手段であると・・・・・・そう考えます」
「まずは一旦、この洞窟の中から外に移動しましょうか」――――リセを先頭にして俺たちは、オグナーの所有する地下の研究所から、入り口の扉を開けて外側に出る。
それから洞窟内の元来た道をそのまま戻っていき、再び灰色の不思議な植物で囲われた巨大な地下空間のある場所にまで辿り着くと、それまで天井を覆っていた灰色の植物が一斉に端へと動き出し、あっという間にそこに円形状の巨大な大穴が出来上がった。
「綺麗・・・・・・!」
リセが目を輝かせながら、そう驚くのも無理はない。それまで密閉された空間内を漂っていた、大量の胞子のような白い光の粒が一斉に、天井に空いた大穴から外側へと向かって舞い上がったのだ。
天井を遮る蓋の役目を果たしていた、灰色の知性を持った植物。密集したそれらが一定の間隔で大穴の縁に並び立つ事で、古の古代遺跡にある祭壇のような雰囲気を醸し出している。
その場所を通過した白い光の粒は、そのまま風に乗って何処かに運ばれていくようで・・・・・・やはり、植物の種なのだろうか?視界を埋め尽くす程に広がったそれらは、地下から天へと舞い上がる雪のように見えなくもない。
現実感のないその光景は、それそのものがある種の魔法のようなものであると言えるだろう。
それらの不可思議な現象に目を奪われていた俺とリセの二人の横で、クロエが指先を擦り合わせてパチンと高らかに音を鳴らす。
たちまち黒い魔力の風が吹き荒れ、開けた空間の一ヶ所に収束したかと思えば・・・・・・次の瞬間、その中心から大きな羽根のような形の物体が現れて、俺たち三人の周囲を包み込んだ。
頭上に向かって視線を向けてみると、地上から三、四メートルほど上空にある離れた地点に魔力によって形成された、動物の頭のような部分が視界に入った。その先端は極端に尖っており、誰がどう見ても鳥類の嘴を思わせるもので――――、
「でかい・・・・・・鳥?」
「カラスだ。――――とはいっても、おそらく小僧の知っているような小さなやつではなく、【大月鴉】と呼ばれている、別の世界に存在する特殊個体をモデルにしているんだがな」
それはまるで生きているかのように首を斜めに傾げながら俺たち三人を見下ろす形を取ると、自身の黒い魔力で作られた羽根を使って、僅かに見えていた上空の隙間の部分すらも完全に閉ざした。
理屈は分からないが全方位を黒い魔力によって囲われているはずなのに、不思議とクロエやリセの姿はしっかりと視認出来ている。微弱な大気の振動を外側から感じ取ったかと思えば、すぐ近くに立っていたクロエがゆっくりとした動作で片手を挙げて、それを真横へと振り払った。
その仕草と共に周囲を囲っていた黒い魔力が晴れると、そこには平らに整地された広大な土の大地が見えた。俺たちのいる地点を囲うようにして、円形状に生えている森の木々の他には何も無い。不自然に切り開かれたその土地は、まるで観客のいないコロシアムのようだ。
「転移魔法だ。範囲は限られているが離れた場所にある空間を強引に捻じ曲げて、自身の今いる地点の座標と繋げることが出来る。双方の距離があいているほど魔法を使用する際に消費される魔力量も増加する為、そんなに気軽にポンポンと連発できる魔法ではない」
クロエが俺に対して話しかけながら、首を回して辺りの様子を確認する。
静寂に包まれたその空間には俺たち三人の他に生物の気配はなく、他に誰もいないように思えたが・・・・・・、
「小僧、そのまま背後の方向を見てみろ」
「後ろ?何かあるのか・・・・・・っ!!」
クロエに言われるがまま、特に何も考えずに後ろを向いた俺は絶句する。俺たちのいる場所からそう遠く離れていない地点の空間を裂くようにして、地上から遥か上空の空にまで続く、巨大な割れ目のようなものがそこにあったのだ。
何もないはずの空中が砕けたガラス窓のようにひび割れており、空いた穴の部分から紫色の鈍い輝きの光が漏れ出ている。その断面は切れ味の悪い鋏で切り分けられたかのようになっており、尖った角の部分が熱したプラスチックの板のように内側へと捲れあがっていた。
「あれが境界の裂け目だ。特定の条件がいくつか重なることで境界自体に負荷がかかり、膨張した部分に亀裂が生じてひび割れる・・・・・・。本来は自然的な現象であるはずなのだが、今回のこれに関しては例外だな。
――――見てみろ。直線ではなく、左右から交互に切り分けられたかのようになっている。他にも無理やり内側に向かって引き剥がしたような跡もあるな。例の【金色の獣】とやらの仕業だろう」
「あれが境界の裂け目か・・・・・・。クロエ、もしも境界に発生した裂け目が人為的なものであるのか、そうでないのかを判断したい時にはどうすれば見分けられるんだ?」
「魔法による干渉――――その痕跡が僅かでも見つけられれば確実だ。とは言ってもこれは・・・・・・いくらなんでも、これはあからさますぎるがな。その他にも細かい判断材料がいくつかあるが・・・・・・まあいい。とりあえずはさっさと、この裂け目の修復作業をおこなうとしよう――――リセ、頼む」
「はい」
クロエから指示を受けたリセは、羽織っていたマントの下から小さな銀色のペンダントのような物を取り出した。その蓋の部分は錆びついており、所々が永い年月をかけて塗装が剥がれ落ちたかのように色落ちしている。
取り出した懐中時計の表面にリセの指先が触れた瞬間――――カシャカシャと機械音が鳴り出し始め、金属製の蓋が渦を描くようにして四方に分かれ、スライドして外枠の内部に収納された。
その下に隠されていた時計盤には一から十二の時間を示す数字ではなく、いくつもの細い輪が切り株の断面のように描かれている。中心には直径二センチ程の琥珀色の魔鉱石が嵌め込まれており、そこからは長さの違う、三本の細い針が伸びていた。
「この付近に滞留している、世界構成情報の分析――――完了しました。現在の境界表層の汚染状況の数値は・・・・・・許容範囲内。その他、深刻な異常箇所は見受けられません。ではこれより、境界に発生した裂け目の修復作業を開始します」
リセの声に合わせて、グルグルと高速で回転し始める三本の時計の針。その上にいくつもの見たこともない文字が、電光掲示板のように浮かび上がっては消え、浮かび上がっては消えを繰り返す。
それを確認しながらリセが時計盤の中心に嵌め込まれている、琥珀色の魔鉱石を奥に向かって押し込むと――――そこから緑色に光輝く大量の魔力が溢れ出し、俺たちの正面に見えていた境界の裂け目の中へと、煙のように吸い込まれていった。
やがて裂け目の表層に透明な膜のようなものが現れ始め、それが時間が経過するにつれ、徐々にピキピキと音を響かせながら固まっていく。
「境界に発生した裂け目の部分――――その場所の自然回復能力を、魔力を用いることで早めているのさ。リセが今使用している、あの時計の形をした魔道具は、自身の体内にある魔力を変換し、対象に向かって放出する魔道具だ。
境界とはいうならば、人の臓器を保護している膜に近い。多少の損傷ならば勝手に直るが、ここまで大きなものとなると・・・・・・その修復には我々魔法使いの手が必要となってくる」
目の前で起きている出来事を黙って見ていた俺に対して、クロエがそのように説明を始める。こうしている今も、その透明な膜のような・・・・・・いや、既に硬質化して濁った水晶のようなものとなったそれは、その覆う範囲を境界の裂け目の部分に沿うようにして、少しずつ広げていっていた。
「境界の内側と外側・・・・・・それぞれの世界を構成している情報は、当たり前の事ではあるが――――全く別の違うものだ。アブネクトの大気を含む、さまざまな情報を計測して算出し、それに合わせた魔力情報を境界の裂け目に注ぎ込むことで、消失してしまった部分の再生をおこなっている」
「なるほどな・・・・・・んっ?ってことは、あそこにある境界自体を構成しているのは・・・・・・」
「限りなく魔力に近い性質を持った何か・・・・・・だ。我々魔法使いの間では【ルクセルド】と呼ばれている。遥か遠い昔に、現代の魔法使いのあり方――――その礎を築いたシル・オレアス・ルクセルドという人物の名がその由来だ。
そいつは自らの子孫を残さなかった為、今ではその家系は途絶えているのだが・・・・・・ともかくルクセルドが残したと言われる古い文献には、境界に関する様々な研究成果が記されていたらしい」
「かくいう私自身も、別の者から伝え聞いただけだがな」――――クロエはそう話しながら、今も数メートルほど離れた地点で、境界に向かって魔力を注ぎ続けているリセの方へと視線を移す。
パッと見たところは、おおよそ裂け目の六割ほどの部分が、リセの造り出した水晶のようなもので覆われているようだ。いつの間にか裂け目の周辺に広がる空間には、極度の温度差による大気の揺らぎのような現象が生じており、その反対側の景色を正確に視認することが出来なくなっていた。
「不思議なものだろう?魔法使いのみが持つと言われる、魔力という力――――それに近い性質をしたものが境界などと呼ばれおり、星の数ほどもある世界間同士の間を区切り分けている。
それが意味するところは・・・・・・まあ、全てがただの憶測でしかないのだが。この話を聞いた者の大半はきっと、同じ結論へと至るだろう」
「魔法使い――――その存在こそが、世界の管理者である・・・・・・とかか?」
「ああ。境界を保護する役割という点では、そのように表しても良いのだが・・・・・・。しかし我々魔法使いたちの中には、そのあり方に疑問を呈する者も少なくなくてな。数えるのも馬鹿らしくなる程に永い年月をかけ、対立した者同士で下らん論争を繰り返しているのが現状だ」
クロエの話によると――――数多の世界を管理するに辺り、魔法使いとして強力な干渉能力を行使するべきであるという意見。そしてそれとは正反対の、緊急時を除いて管理対象の世界には極力干渉しないようにするべき、という二つの意見で、魔法使いたちの間では別れているそうだ。
「魔法使いの世界って、色々と大変そうなんだな」
「イメージと違ったか?お前の住んでいた世界に伝わる、呑気に杖を振り回して魔法を使うおとぎ話の内容とは、似ても似つかないものだ。
自らの持つ力や欲に溺れた者たちが互いに競い、騙し、憎み、争い合う世界。自我や感情という不安定な要素があれば、そこには必然的に平穏というものは訪れない」
「極端に言えば俺のいた普通の人間の世界とは、何ら変わりがない・・・・・・ってことか?」
「その通りだ。――――さて。では我々もそろそろもう一つの目的である【金色の獣】の討伐に向かうとしよう。リセ、ここは頼んだぞ」
「了解です。――――多分この調子であれば、あと十五分程で境界の修復は完全に完了すると思います。ですからクロエは・・・・・・」
「分かっているさ、小僧のことは任せておけ。では行ってくるぞ」
俺に対して顎で指示を送りながら、クロエは再び自身の黒い魔力を周囲に展開して転移の効果を持つ魔法を起動させる。
先ほどクロエから聞かされた【大月鴉】と呼ばれる生物を形取ったそれに包まれた俺たちは、あっという間に境界のあった地点から何キロ離れた、平たい平原がある場所にまで移動してきた。
見開いた場所から確認することができたアブネクトの自然の全貌は、豊富な栄養資源の源である流体エネルギー――――ファストラの効力そのものを体現している。
広大な範囲の地盤を地下から支え上げ、その真上で生を育むものたちの――――間接的ではあるが食糧の役割を果たし、その更に上空に広がる空を覆い尽くして大地の全てを金色の輝きでもって照らし出す。
しかしそこに突如現れたイレギュラー。【金色の獣】という存在が自身の活動力として、過去に類をみない速度で膨大なファストラの光を今も吸収し続けている・・・・・・。
「それで、どうするんだ?さっきの洞窟では、何か考えがあるとか言っていたけど」
「ああ、それについてなんだが・・・・・・何度も言うが魔法使いの扱う魔力とファストラの性質はかなり似ている。それが奴にとっての食糧になる以上は、逆におびき寄せる為の罠に利用すればいいだけの事だ。――――まあ小僧、お前はそこで一旦、大人しく見ていろ」
クロエが両の瞼を完全に閉ざした状態で移動し、俺の正面へと立つ。
ゆらりと煙のようなものが周囲から立ち昇り、顔だけで背後の俺がいる方向に向き直ったクロエの、開いた両目にある瞳の色は淡い淡褐色から・・・・・・濁りきった黄金の輝きに変化していた。
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