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第一部 一章 始まりの物語~噴壊包輝世界編~

噴壊包輝世界アブネクト1

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 人の手が入っていない未開の地――――そう断言できるのは、足元にある地面を覆っていた深い苔のせいだろう。それは絨毯の様に広がっており、その土地に根付いた木々の枝にまで自生している。

 穢れの無い、まっさらな自然の王国。都会の生活に慣れ親しんだ俺にとって、目の前に広がる光景はある種の神がかり的な――――神聖な雰囲気を感じさせるものだった。

 靴底から伝わって来る感触は柔らかい。周囲の様子から、そこには水分を多量に含んでいることが予想できる。それはこの辺りを漂っている空気の中にも同じことが言えるのだろうが――――何故かジメジメとした感覚は無く、心地よい暖かな温もりを肌に感じるだけだった。

 鳥のような動物の鳴き声が、どこか遠くの方から聴こえてくる。その他にはこれといった異常は特に感じられない。真上に視線を向けてみるが、その先は深く生い茂った木々の葉で遮られており、空の色を直接確認することは叶わなかった。

 ここはもう既にアブネクトと呼ばれる異世界だそうだが――――今のところ目の前に広がる光景は地球のものと、そう大差は無いものだ。

 「ここが地球とは別の世界だなんて、ちょっと信じられないな」
 「ふん、今のところはな・・・・・・。安心しろ。少し経てば、嫌でもここがお前のいた地球とは、別の世界であると実感できるはずだ」
 「クロエはこの世界に、前にも来たことがあるのか?」
 「いいや、今回が初めてだ。そもそも例の件さえなければ、この世界に来る機会なんて永久に訪れ無かっただろう。それに・・・・・・」

 クロエが途中で話を止め、正面に向かって俺に示すかのように視線を向ける。
 そこには一匹の小動物が、俺たちの様子を伺うかのようにして、地に伏した状態でこちら側を覗いていた。

 それは兎のような草食動物のように思えるが――――よく見ると口元からは鋭い犬歯が飛び出しており、足の筋肉は遠目から見ても分かるほどに、大腿筋の辺りが異様に発達している。
 不気味なほどに血走った両目からは、余所者への警戒心だけでなく、獲物を狙う敵意の感情まで直に伝わってきた。

 名前も分からない、その異世界の動物は、やがて俺たちに対して興味を失くしたのか、そのまま何もせずに立ち去っていく。

 「どこかへ行ったな。てっきり襲いかかって来るものかと思ったけど」
 「自分の戦力では敵わない、無謀な相手だと判断したのだろう。実に野性的じゃないか。お前は気づいていないだろうが、我々が今いるこの場所と、そう遠く離れていない所から、いくつもの生物の気配が感じ取れる。
 これは想像だが・・・・・・そいつらは皆、見極めているのだろうな。我々が獲物として容易く狩れる相手か、またはそうでないのかを」
 「だったら不味くないか?急いでここから離れないと」
 「大丈夫だ。奴らは様子を見ているだけで、襲ってはこないだろう?その気があれば、もっと早い段階で行動に移るはずだ。つまり奴らにとっての我々は、己よりも強者の存在であると認識しているんだろう。弱肉強食。そのルールは例え、ここが地球だろうと、そうでなかろうと変わることはない」

 クロエはそのように言うが――――その生物たちが警戒している強者というのは俺ではなく、その隣に立っているクロエのことなのだろう。
 両腕を組み、緊張感の欠片もなく飄々とした様子のクロエからは、とてもそこまでの脅威があるとは思えない。人を見た目で判断してはならないと、分かってはいるのだが・・・・・・。

 恐らくクロエが抑止力として周囲に振り撒いている脅威とは、外見の要因とは全く別のもの。より分かりやすく言えば、その存在や気配を僅かにでも感じ取ってしまうと、本能で抗うことのできない、絶対的な存在であると確実に理解させられる。
 
 推し量ることの出来ない、未知の戦力差。
 
 それが不可視の壁となって、俺たち二人の存在を外敵から隔てているのではないか――――あくまでも憶測の域を出ないものだが、もしそれが事実であったとしても。今の俺には、そういった力のようなものを、感じることは出来ないようだ。

 ふと、それまで辺りを見回していたクロエが、急に思い出したかのように告げる。

 「小僧、ここへ来る前に、ナイラから受け取った物があっただろ。あの黒い玉の事だ。今ここに出してみろ」
 「分かった」

 指輪を嵌めた片方の掌を、上に向けた状態でイメージする。一拍置いて俺の掌には、野球ボールほどの大きさの、黒い球体が握られていた。
 
 しかしどうも、魔力というのは曖昧なものである。嵌めた指輪が魔道具として、その効力を発揮している以上は、問題なく魔力が注ぎ込まれているはず。軽い倦怠感の他には、特に体調の変化を感じることは無く、実感がないとでもいうべきだろうか。その辺りの事も含めて、後で色々とクロエから教えて貰うとしよう。

 何はともあれ、魔道具なのだろうか。その黒い玉を俺から受け取ったクロエは、自ら広げた掌の上にそれを載せる。そして上から包み込むようにして、もう片方の空いていた方の掌を重ねて、静かに命じるように言葉を放った。

起動せよプラリダル

 ふわりと――――重量を全く感じさせない軽やかさで、クロエの掌の上から黒い球体が離れ、宙へと浮かぶ。 それは俺たちの目線の位置と同じ位の高さまで上昇すると、その場で静止し、感情の無い機械のような声色で言葉を発し始めた。


『――――“NOナンバー.025509307”登録世界名【アブネクト】。陸地の総面積は、およそ800,183,000k㎡あり、その広大な大地の真下には、巨大な地下トンネルが続いています。元々その場所は、この世界にのみ存在する特殊なエネルギー源――――【ファストラ】と呼称される流体によって満たされていましたが、それをこの地に生息する生物が日常的に消費することによって空洞となり、各地で突発的な崩落が発生している状況です。
 惑星というものが存在しない――――【アブネクト】の世界の大地を照らし出すのは、地下深くから蒸気となって噴出し、気流に乗って舞い上がった【ファストラ】の光。【アブネクト】は、その世界の東西南北全てを境界で覆われていますが、現地人の文明レベルから算出すると、彼等がその外壁へと到達するまでに掛かる年数は――――少なく見積もっても、あと二千年程度は掛かるものと推測されます』

 黒い球体はその表層に青白い光を纏いながら、ラジオのように周囲へと向かって音声を発し続けている。

 「【自動記録装置】ログムスダイヤリー。我々魔法使いの世界の言葉では“書き記す者”という意味だ。まあビデオカメラのような物だと覚えておけば良い。細かい説明は省くとして・・・・・・これにこの世界――――アブネクトに関する精細な情報と地図が記録されている。
 ここに来る前に立ち寄った店にいた女はナイラ・ヘイズワークといって、昔は管理局の情報捜査課に勤めていてな。私が私用で出掛ける際にはいつもナイラに、その目的地の世界の情報が記録された【自動記録装置】ログムスダイヤリーを特別に用意して貰っていたのさ」

 クロエは一旦、そこまで話してから話を切ると、顎で宙に浮かぶ黒い球体――――【自動記録装置】ログムスダイヤリーの方向を指し示し、俺に対して続きを聞こうと促す。

 『――――上記の理由から本格的な監視は不要という結論に上層部は至り、長年の間、この世界には専属の管理者――――魔法使いは配属されませんでした。しかし今から四十七年前に一人の魔法使いが【アブネクト】への管理責任権を希望し、それが受諾されたことによって、現在は元アーカイス研究開発室所属のキリス・オグナーが、正式な担当管理者として、その任に就いています』
 「そいつに関して、何か詳細なデータは残ってないのか?」
 『――――お待ち下さい・・・・・・この【自動記録装置】ログムスダイヤリーに、キリス・オグナーの情報は記録されておりません。もし希望されるのでしたら、管理局情報捜査課の記録保管庫サーバーへと直接アクセスして情報の取得を試みてみますが・・・・・・」

 そこまで聞いたクロエは、もう用はないとばかりに宙に浮かんだ【自動記録装置】ログムスダイヤリーを掴み取る。同時にその表層を覆っていた青白い光が、音もなく周囲に霧散した。

 「と、いうことだ。ひとまず先にリセの奴と合流して、何といったか・・・・・・キリス・オグナーとかいう、この世界の管理者である魔法使いを捕まえたら、地球に発生した境界の裂け目を塞いで帰還する。こんなところだろう」
 「捕まえるって・・・・・・そいつが今回の件に関わっているっていう、確かな証拠があるのか?」
 「そんなもの知るか。そもそもこんな事態が発生している時点で、そいつは重大なルール違反を犯している。であるならば、然るべき所で、公平な裁きを受けてもらうのが、筋というものだろう」

 「管理局に引き渡す前に、私が少しだけ遊んでやるがな」――――そう意地の悪い笑みを顔に浮かべながら、クロエは俺に持っていた【自動記録装置】ログムスダイヤリーを渡してくる。
 それを受け取り、再び魔道具の指輪の中へと収納した俺は、これから取るべき行動について、クロエに判断を仰ごうとしたのだが――――、

 「・・・・・・?。小僧、少し待て」

 クロエが片手を挙げながら小さく呟く。そして後方の――――まるで見るもの全てを呑み込んで、引きずり込むかのような暗い森の中へと視線を向けると、俺に対して告げる。

 「・・・・・・おい、小僧。お前は先程言ってたな。ここが地球とは別の世界だとは信じられないと。タイミングが良いのか悪いのか・・・・・・始まるぞ。この異世界ならではの特別な歓迎式が」
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