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第一部 一章 始まりの物語~噴壊包輝世界編~
不穏な報せ
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「お久しぶりです、ミス・クロード。こうして直接お会いするのは、前回の【霊魔大祭】以来ですかな?」
「お久しぶりですフレドラックさん。そうですね。あれからもう四年は経ちましたか。本日はどういった用件でこちらへ?」
【夜香の城】の店内へと、扉を開けて入ってきた三人の黒マントの集団。その先頭にいた人物がリセに向かって静かに歩み寄りながら、頭まで被っていたフードを外した。
男の年齢は見たところ四十代から五十代前半。頭髪には多数の白髪が混じっており、耳から頬にかけて見るも無惨な大きな傷がついているのが印象的だ。
細まった瞼の奥から覗き見える鋭い眼光は、その瞳の動きだけで周囲の様子を油断なく見回している。
男の背後に控えていた残りの二人も、それぞれの佇まいと雰囲気から只者ではないことを想像させた。
フレドラックと呼ばれたその男はリセルシアに対して軽く会釈をすると、時間が惜しいとばかりに自身の用件を切り出した。
「急な訪問になってしまい申し訳ありません。実はミス・クロードに私の方から直接、伝えておきたい情報がありまして。こうして伺わせて頂いた次第です」
「それは・・・・・・【執行部】の部隊長が、わざわざこんな辺境にまで足を運ばれるなんて。あまり良い予感がしませんね」
魔法使いの世界には個々に別れる独立した国が無い――――というよりは彼等の住まう広大な世界の全てが、一つの国であるようなものなのだが。
魔法使いの世界のルールを取り決め、あらゆる最高決定権を持つのは【偉大なる魔法使い】の称号を持つ者たちを筆頭に構成された【議会】と呼ばれる組織である。
その下に管理局――――簡単に言えば役所のような役割を担っている組織があり、そこにある複数の部署の一つが魔法犯罪取り締まり執行部――――通称【執行部】と呼ばれる実戦型の戦闘集団だ。
ありとあらゆる魔法犯罪に対応すべく創設された組織であり、所属している魔法使いたちは、その誰もが相当な実力者ばかり。
今リセルシアの目の前にいる男――――フレドラックは、その【執行部】に所属している部隊の内の一つを率いている部隊長である。
フレドラックは自身の懐から、一枚の紙を取り出してリセルシアに渡す。そこに記されていた内容を読んだリセルシアの表情が、徐々に険しいものにへと変わった。
「これは・・・・・・“地球にある【境界】の裂け目は人為的なものである可能性あり"ですか。そして現在も拡大中であると」
「私の部下の者が言うには、その可能性は半々。確実とは申せませんが、この短期間でこれほどの大きさの裂け目が【境界】表層に発生するのは明らかにおかしい。一応担当者である貴方の耳には、入れておいた方が良いかと思いましてね」
そこまで話してからフレドラックは一度、わざとらしく咳払いをすると、今まさに思い出したかのようにリセルシアに向かって尋ねた。
「そういえばマスター・クロベールはどちらに?彼女宛に一通、手紙を預かってきているのですが」
「手紙・・・・・・誰からのものですか?」
「【真紅の薔薇】。マスター・ウィステリアからです」
その名を聞いた途端、リセルシアは「ああ成程・・・・・・」と呟きながら、何かを察した様子でフレドラックから手紙の入った封筒を受け取る。
薄いピンク色をした封筒の封の部分には、一枚の赤々しい薔薇の花弁が貼り付けられていた。
「わざわざご苦労様です。後で本人に渡しておきますね」
「そうして頂けると助かります。どうも私はマスター・クロベールに嫌われているようですから」
フレドラックはクロエが今いるであろう店の二階へと向かって、まるで呼び掛けるかのようにそう言うと、目の前のリセルシアに対して「では失礼」と、短く一言、別れの挨拶を告げる。
そしてここでの用は済んだとばかりに背後に控えていた他の黒マントたちを引き連れて、店の外へと出て行った。
*****
「・・・・・・行ったか」
フレドラックが店を去り、暫くしてから――――クロエが辺りの様子を伺いながら一階に下りてくる。
リセルシアはカウンターの椅子に座りながら、たった今フレドラックから受け取ったばかりの封筒をクロエに向けて差し出した。
「別にわざわざ隠れなくても良かったんじゃありませんか?」
「直接会えば何を言われるか分かったもんじゃない。それに私はな――――あいつを含めた役所の連中が大嫌いなんだよ」
ぶつぶつと文句を垂れながら、渡された封筒の表面に記された差出人の名前を確認するなり、露骨に顔をしかめたクロエは心底嫌そうに薔薇の花弁を乱暴に剥がして封を開ける。
そして中に入っていた手紙を取り出し、そこに書かれている内容に目を通し始めた。
「なんて書いてあったんですか?」
「・・・・・・あの女、次の【議会】開催時に私を迎えに来るんだと。はっ、冗談にしては笑えないな」
「良かったじゃないですか。確か来年の冬にある【霊魔大祭】に合わせて【議会】を開催すると、管理局の本部から通達が来ていましたよ」
「余計なお世話だ!・・・・・・知らん、私は知らんぞ。向こうが勝手に来ると言っているんだ。こんな面倒なものに付き合ってられるか!」
子供のようにそう駄々をこねるクロエを、困った表情で見つめるリセルシア。
するとクロエは先程の手紙の件を誤魔化すかのように話を変える。
「・・・・・・それで?奴が言っていた通り【境界】の裂け目が人為的なものであると仮定して。お前は今から早速、そこに向かうのだろう?」
「盗み聞きしてたんですか・・・・・・ええ、そうですね。これ以上【境界】の裂け目が広がってしまえば、私たちのいるこちら側の世界へと悪影響なものが流れて来る可能性がありますから。それにこの世界の管理者としても、今回のような事態は見過ごすことはできません」
「なんでもいいが油断はするなよ。お前に限って万が一という事は無いだろうが・・・・・・」
クロエの忠告を聞いたリセルシアは「分かっていますよ」と、返事をしながら出立の準備を整える為に、店の奥にある階段から二階の自室へと向かった。
【境界】とは世界と世界の間を隔てる境目である。
普通の人間にはその存在を認識することはできない。しかしごくたまにではあるが――――その【境界】の一部に小さな隙間が発生し、二つの世界を繋ぐ通り道が出来るのだ。
現代でも解明できていない、未確認動物や神隠しといった現象の多くは、そういった【境界】の隙間――――裂け目と呼ばれる部分を通ることで発生する事が多い。
リセルシアやクロエのような魔法使いは、自らの仕事の一環としてこの裂け目を修復し、そこを通ってやって来た別の世界からの迷い人や生物の保護を行っているのだ。
もしフレドラックが持ち込んだ情報通りに、【境界】の裂け目が人為的なものであるのならば、地球を含むこの世界の管理を担当するリセルシアとしては、到底看過できない事態である。
(大方、自分の担当している管理区域が見きれなくなった、未熟な魔法使いの暴走・・・・・・もしくはこちらの世界との同一化を狙っている?)
しかしクロエは後者の可能性は無いだろうと、即座に自身の考えを否定する。
世界の同一化――――それは言うなれば明確な侵略行為だ。
そんなことをすれば、同一化先の管理者である魔法使いとは必然、戦争状態となる。ましてやクロエやリセルシアほどの実力のある魔法使いに対して喧嘩を売るなどあまり現実的ではない。
後先考えず行動した未熟者の仕業――――そう勝手に結論付けたクロエが気配のした階段の方を振り向くと、短時間で出立の準備を終えたリセルシアが、その場に静かに立っていた。
先程フレドラックが身に纏っていた物と同じような、黒のマントで全身を足先まですっぽりと覆い隠している。
髪は全て束ねて帽子の中に隠しており、マントの内には機動性を重視した造りの旅装束を着用していた。
「今回はいつもとは違って、戻るのに少々時間が掛かりそうです。ですから悠人さんの方には、クロエの口から直接伝えておいてください。」
「ああ分かった。任せておけ」
“さっさと行け”と、払うような仕草で手を動かすクロエの真横には、いつの間にか右肩下がり男爵が立っており、リセルシアに向かって深々とお辞儀をしていた。
「いってらっしゃいませリセ様」
「ええ、私が留守の間は店をお願いしますね男爵」
リセルシアは右肩下がり男爵にそう声を掛けると、入口の扉を開けて外の闇の中へと姿を消した。
そして――――。
リセルシアの気配が【夜香の城】の外から完全に遠ざかったのを確認したクロエは、自身の顎に手を当てて何やら一人考えるような仕草をする。
「おい男爵、一つ良い考えを思いついた。先延ばしにしてもしょうがない。この機会に小僧に新たな人生の旅路を示してやろうじゃないか」
「・・・・・・はい?」
何のことを言っているのか分からず首を傾げる右肩下がり男爵に、クロエは急遽思いついた計画を実行に移すべく、矢継ぎ早に細かく指示を出し始める。
そしてクロエ自身も、その準備に急いで取り掛かるのであった。
**********
随分と時間が経ってしまった。
俺はクロエから頼まれた買い物をなんとか終えると、そのまま直接【夜香の城】へと大急ぎで向かう。
そして店の入口の扉を開けて俺が中へ入ると――――珍しいことにクロエが普段身に付けている部屋着以外の格好をして、奥にあるカウンターの机の傍に一人で立っているのが見えた。
長袖の上着に丈の短いズボン。露出した肌の部分を除けば全身が黒一色で統一されている。足に履いている靴底が厚い為か、クロエの身長が普段よりも高く見えたのは気のせいではないだろう。腰のベルトからはみ出ている無造作に差し込まれた短剣は、戦闘用というよりはアンティークの類いであるようだ。
短剣の柄の部分には青い宝石――――魔鉱石が埋め込まれており、それが天井からのランタンの灯りを受けてキラキラとした光を放っている。刃に直に刻まれた複雑な文字は読み取ることができず、俺にとっても初めて目にするものだった。おそらくは魔道具なのだろう。確か前に一度、男爵がその短剣を持っているところを見たことがあったはずだ。
カウンターの机の上には、クロエの物と思われる外出用の紺色のマントが、綺麗に折り畳まれて置かれていた。
それ以外にも用途の分からない大小様々な物が机の上には並べられており、まるで繁華街に店を構えている露店のように見えなくもない。
「クロエ、頼まれていた物は買ってきたけど・・・・・・これは一体どうしたんだ?」
「やっと帰ってきたか・・・・・・まあいい。早速だが、まずはそこに座れ」
俺はクロエに言われた通り、近くにあった椅子へと座る。
クロエは“どう説明したら良いものか”と、いった様子で俺に対して話す言葉を選んでいるかのようだった。
「まず初めに言っておく。リセは今日から暫くの間、仕事でここへは帰って来ない。それがどのくらいの期間になるかは正直わからん。数日程度か数週間か・・・・・・それ以上かかる可能性もあるな」
えっ、何だって?
いきなりそんな事を告げられた俺は、クロエの言葉の意味をすぐには理解できずに固まってしまう。
そして時間が経つと共に、少しずつ頭の回転が追いついた俺は、
「いやいや待ってくれ。何も聞いてないんだけど!てゆうか、もうリセは出発しちゃったの?」
「ああ、つい先程ここを出たばかりだ」
慌ててそう尋ねた俺に対して、クロエはやけにのんびりとした落ち着いた様子で答える。
クロエの話ではリセの魔法使いの仕事に関して、何らかのトラブルが発生したらしい。なので急遽、その事態に対応するべく出かけたとのことだった。
「落ち着け。突然の事で混乱していると思うが、私からお前に一つ提案がある。小僧、私やリセと同じ世界の管理者・・・・・・魔法使いにならないか?」
「魔法使いに・・・・・・俺が?話の流れが全く見えないんだけど」
「まあいいから聞け。取り敢えず今の件は一旦、別にしてだ。単純な話・・・・・・小僧、お前はリセの為にどこまで出来る?」
「・・・・・・俺に出来ることなら何でも」
「言ったな?よし、幸いお前には魔法使いとしての適性がある。それに――――まずは一旦、これを先に見せておいたほうが良いだろう」
クロエは自身の上着の袖を捲りながら右の掌を、俺の額にぴったりと直接押し当てる。
「最初から全てを言葉で説明するよりは、こっちの方が早い。これからお前にリセの昔の記憶の一部を見せてやる。今の私の問いの答えは――――その後で改めて聞くとしよう」
「目を閉じろ」――――有無も言わさぬ口調でクロエにそう言われた俺は、瞼を閉じて額に当てられた掌の感触に意識を集中させた。
どこまでも暗くて何も見えない闇の中に、やがてぼんやりとした薄い光が蛍のように浮かび上がる。
それに合わせて俺の全身の感覚が徐々に薄らいでいき、金縛りにあったかのような錯覚を思い起こさせた。
まるで肉体から切り離された意識のみが、高所から突き落とされたかのような――――俺はそう認識すると共に、僅かに残っていた思考力の全てを、強い脱力感と共に一気に手放した。
*****
「お久しぶりですフレドラックさん。そうですね。あれからもう四年は経ちましたか。本日はどういった用件でこちらへ?」
【夜香の城】の店内へと、扉を開けて入ってきた三人の黒マントの集団。その先頭にいた人物がリセに向かって静かに歩み寄りながら、頭まで被っていたフードを外した。
男の年齢は見たところ四十代から五十代前半。頭髪には多数の白髪が混じっており、耳から頬にかけて見るも無惨な大きな傷がついているのが印象的だ。
細まった瞼の奥から覗き見える鋭い眼光は、その瞳の動きだけで周囲の様子を油断なく見回している。
男の背後に控えていた残りの二人も、それぞれの佇まいと雰囲気から只者ではないことを想像させた。
フレドラックと呼ばれたその男はリセルシアに対して軽く会釈をすると、時間が惜しいとばかりに自身の用件を切り出した。
「急な訪問になってしまい申し訳ありません。実はミス・クロードに私の方から直接、伝えておきたい情報がありまして。こうして伺わせて頂いた次第です」
「それは・・・・・・【執行部】の部隊長が、わざわざこんな辺境にまで足を運ばれるなんて。あまり良い予感がしませんね」
魔法使いの世界には個々に別れる独立した国が無い――――というよりは彼等の住まう広大な世界の全てが、一つの国であるようなものなのだが。
魔法使いの世界のルールを取り決め、あらゆる最高決定権を持つのは【偉大なる魔法使い】の称号を持つ者たちを筆頭に構成された【議会】と呼ばれる組織である。
その下に管理局――――簡単に言えば役所のような役割を担っている組織があり、そこにある複数の部署の一つが魔法犯罪取り締まり執行部――――通称【執行部】と呼ばれる実戦型の戦闘集団だ。
ありとあらゆる魔法犯罪に対応すべく創設された組織であり、所属している魔法使いたちは、その誰もが相当な実力者ばかり。
今リセルシアの目の前にいる男――――フレドラックは、その【執行部】に所属している部隊の内の一つを率いている部隊長である。
フレドラックは自身の懐から、一枚の紙を取り出してリセルシアに渡す。そこに記されていた内容を読んだリセルシアの表情が、徐々に険しいものにへと変わった。
「これは・・・・・・“地球にある【境界】の裂け目は人為的なものである可能性あり"ですか。そして現在も拡大中であると」
「私の部下の者が言うには、その可能性は半々。確実とは申せませんが、この短期間でこれほどの大きさの裂け目が【境界】表層に発生するのは明らかにおかしい。一応担当者である貴方の耳には、入れておいた方が良いかと思いましてね」
そこまで話してからフレドラックは一度、わざとらしく咳払いをすると、今まさに思い出したかのようにリセルシアに向かって尋ねた。
「そういえばマスター・クロベールはどちらに?彼女宛に一通、手紙を預かってきているのですが」
「手紙・・・・・・誰からのものですか?」
「【真紅の薔薇】。マスター・ウィステリアからです」
その名を聞いた途端、リセルシアは「ああ成程・・・・・・」と呟きながら、何かを察した様子でフレドラックから手紙の入った封筒を受け取る。
薄いピンク色をした封筒の封の部分には、一枚の赤々しい薔薇の花弁が貼り付けられていた。
「わざわざご苦労様です。後で本人に渡しておきますね」
「そうして頂けると助かります。どうも私はマスター・クロベールに嫌われているようですから」
フレドラックはクロエが今いるであろう店の二階へと向かって、まるで呼び掛けるかのようにそう言うと、目の前のリセルシアに対して「では失礼」と、短く一言、別れの挨拶を告げる。
そしてここでの用は済んだとばかりに背後に控えていた他の黒マントたちを引き連れて、店の外へと出て行った。
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「・・・・・・行ったか」
フレドラックが店を去り、暫くしてから――――クロエが辺りの様子を伺いながら一階に下りてくる。
リセルシアはカウンターの椅子に座りながら、たった今フレドラックから受け取ったばかりの封筒をクロエに向けて差し出した。
「別にわざわざ隠れなくても良かったんじゃありませんか?」
「直接会えば何を言われるか分かったもんじゃない。それに私はな――――あいつを含めた役所の連中が大嫌いなんだよ」
ぶつぶつと文句を垂れながら、渡された封筒の表面に記された差出人の名前を確認するなり、露骨に顔をしかめたクロエは心底嫌そうに薔薇の花弁を乱暴に剥がして封を開ける。
そして中に入っていた手紙を取り出し、そこに書かれている内容に目を通し始めた。
「なんて書いてあったんですか?」
「・・・・・・あの女、次の【議会】開催時に私を迎えに来るんだと。はっ、冗談にしては笑えないな」
「良かったじゃないですか。確か来年の冬にある【霊魔大祭】に合わせて【議会】を開催すると、管理局の本部から通達が来ていましたよ」
「余計なお世話だ!・・・・・・知らん、私は知らんぞ。向こうが勝手に来ると言っているんだ。こんな面倒なものに付き合ってられるか!」
子供のようにそう駄々をこねるクロエを、困った表情で見つめるリセルシア。
するとクロエは先程の手紙の件を誤魔化すかのように話を変える。
「・・・・・・それで?奴が言っていた通り【境界】の裂け目が人為的なものであると仮定して。お前は今から早速、そこに向かうのだろう?」
「盗み聞きしてたんですか・・・・・・ええ、そうですね。これ以上【境界】の裂け目が広がってしまえば、私たちのいるこちら側の世界へと悪影響なものが流れて来る可能性がありますから。それにこの世界の管理者としても、今回のような事態は見過ごすことはできません」
「なんでもいいが油断はするなよ。お前に限って万が一という事は無いだろうが・・・・・・」
クロエの忠告を聞いたリセルシアは「分かっていますよ」と、返事をしながら出立の準備を整える為に、店の奥にある階段から二階の自室へと向かった。
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リセルシアやクロエのような魔法使いは、自らの仕事の一環としてこの裂け目を修復し、そこを通ってやって来た別の世界からの迷い人や生物の保護を行っているのだ。
もしフレドラックが持ち込んだ情報通りに、【境界】の裂け目が人為的なものであるのならば、地球を含むこの世界の管理を担当するリセルシアとしては、到底看過できない事態である。
(大方、自分の担当している管理区域が見きれなくなった、未熟な魔法使いの暴走・・・・・・もしくはこちらの世界との同一化を狙っている?)
しかしクロエは後者の可能性は無いだろうと、即座に自身の考えを否定する。
世界の同一化――――それは言うなれば明確な侵略行為だ。
そんなことをすれば、同一化先の管理者である魔法使いとは必然、戦争状態となる。ましてやクロエやリセルシアほどの実力のある魔法使いに対して喧嘩を売るなどあまり現実的ではない。
後先考えず行動した未熟者の仕業――――そう勝手に結論付けたクロエが気配のした階段の方を振り向くと、短時間で出立の準備を終えたリセルシアが、その場に静かに立っていた。
先程フレドラックが身に纏っていた物と同じような、黒のマントで全身を足先まですっぽりと覆い隠している。
髪は全て束ねて帽子の中に隠しており、マントの内には機動性を重視した造りの旅装束を着用していた。
「今回はいつもとは違って、戻るのに少々時間が掛かりそうです。ですから悠人さんの方には、クロエの口から直接伝えておいてください。」
「ああ分かった。任せておけ」
“さっさと行け”と、払うような仕草で手を動かすクロエの真横には、いつの間にか右肩下がり男爵が立っており、リセルシアに向かって深々とお辞儀をしていた。
「いってらっしゃいませリセ様」
「ええ、私が留守の間は店をお願いしますね男爵」
リセルシアは右肩下がり男爵にそう声を掛けると、入口の扉を開けて外の闇の中へと姿を消した。
そして――――。
リセルシアの気配が【夜香の城】の外から完全に遠ざかったのを確認したクロエは、自身の顎に手を当てて何やら一人考えるような仕草をする。
「おい男爵、一つ良い考えを思いついた。先延ばしにしてもしょうがない。この機会に小僧に新たな人生の旅路を示してやろうじゃないか」
「・・・・・・はい?」
何のことを言っているのか分からず首を傾げる右肩下がり男爵に、クロエは急遽思いついた計画を実行に移すべく、矢継ぎ早に細かく指示を出し始める。
そしてクロエ自身も、その準備に急いで取り掛かるのであった。
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随分と時間が経ってしまった。
俺はクロエから頼まれた買い物をなんとか終えると、そのまま直接【夜香の城】へと大急ぎで向かう。
そして店の入口の扉を開けて俺が中へ入ると――――珍しいことにクロエが普段身に付けている部屋着以外の格好をして、奥にあるカウンターの机の傍に一人で立っているのが見えた。
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短剣の柄の部分には青い宝石――――魔鉱石が埋め込まれており、それが天井からのランタンの灯りを受けてキラキラとした光を放っている。刃に直に刻まれた複雑な文字は読み取ることができず、俺にとっても初めて目にするものだった。おそらくは魔道具なのだろう。確か前に一度、男爵がその短剣を持っているところを見たことがあったはずだ。
カウンターの机の上には、クロエの物と思われる外出用の紺色のマントが、綺麗に折り畳まれて置かれていた。
それ以外にも用途の分からない大小様々な物が机の上には並べられており、まるで繁華街に店を構えている露店のように見えなくもない。
「クロエ、頼まれていた物は買ってきたけど・・・・・・これは一体どうしたんだ?」
「やっと帰ってきたか・・・・・・まあいい。早速だが、まずはそこに座れ」
俺はクロエに言われた通り、近くにあった椅子へと座る。
クロエは“どう説明したら良いものか”と、いった様子で俺に対して話す言葉を選んでいるかのようだった。
「まず初めに言っておく。リセは今日から暫くの間、仕事でここへは帰って来ない。それがどのくらいの期間になるかは正直わからん。数日程度か数週間か・・・・・・それ以上かかる可能性もあるな」
えっ、何だって?
いきなりそんな事を告げられた俺は、クロエの言葉の意味をすぐには理解できずに固まってしまう。
そして時間が経つと共に、少しずつ頭の回転が追いついた俺は、
「いやいや待ってくれ。何も聞いてないんだけど!てゆうか、もうリセは出発しちゃったの?」
「ああ、つい先程ここを出たばかりだ」
慌ててそう尋ねた俺に対して、クロエはやけにのんびりとした落ち着いた様子で答える。
クロエの話ではリセの魔法使いの仕事に関して、何らかのトラブルが発生したらしい。なので急遽、その事態に対応するべく出かけたとのことだった。
「落ち着け。突然の事で混乱していると思うが、私からお前に一つ提案がある。小僧、私やリセと同じ世界の管理者・・・・・・魔法使いにならないか?」
「魔法使いに・・・・・・俺が?話の流れが全く見えないんだけど」
「まあいいから聞け。取り敢えず今の件は一旦、別にしてだ。単純な話・・・・・・小僧、お前はリセの為にどこまで出来る?」
「・・・・・・俺に出来ることなら何でも」
「言ったな?よし、幸いお前には魔法使いとしての適性がある。それに――――まずは一旦、これを先に見せておいたほうが良いだろう」
クロエは自身の上着の袖を捲りながら右の掌を、俺の額にぴったりと直接押し当てる。
「最初から全てを言葉で説明するよりは、こっちの方が早い。これからお前にリセの昔の記憶の一部を見せてやる。今の私の問いの答えは――――その後で改めて聞くとしよう」
「目を閉じろ」――――有無も言わさぬ口調でクロエにそう言われた俺は、瞼を閉じて額に当てられた掌の感触に意識を集中させた。
どこまでも暗くて何も見えない闇の中に、やがてぼんやりとした薄い光が蛍のように浮かび上がる。
それに合わせて俺の全身の感覚が徐々に薄らいでいき、金縛りにあったかのような錯覚を思い起こさせた。
まるで肉体から切り離された意識のみが、高所から突き落とされたかのような――――俺はそう認識すると共に、僅かに残っていた思考力の全てを、強い脱力感と共に一気に手放した。
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