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1巻

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 そうして、森のなかの少しひらけた場所にある石造りの祭壇さいだんにたどり着いた。ルイン王国と同様に、ガイラルディア王国も祭壇さいだんを中心に結界を張るようだ。
 周りは樹々にかこまれ、空気は清涼感があり、とても気持ち良い。
 あの部屋にいるより開放的で、げんな侍女たちの顔を見なくて済むと思うと、レックス様の宮に帰りたくない気持ちが、少なからず出てしまう。
 夫となる方の宮よりも、この森のほうがいいなんて、失礼すぎて人には言えないが、そう思うくらい、あの宮にいるのが悲しい。
 それに、レックス様は一度も会いに来てくださらない。
 ……きっと、ジゼル様との時間で忙しいのだろう。確かにジゼル様は美人ですからね。

「フィリス様、こちらです」
「は、はい!」

 私が杖を握りしめて考え込んでいると、一人の騎士に呼ばれていた。あわてて言われるまま祭壇さいだんの前に立つ。樹々の葉をこする風の、サワサワとした音だけが聞こえる。
 そのとき、ふと森に違和感を持った。

「……何かおかしくありませんか?」
「……そういえば、鳥の鳴き声が全くしませんね」

 静かすぎると思ったのもつか、急に叫ぶようなけものの声がした。騎士たちはハッとして、それぞれ振り向く。

「……⁉ この鳴き声は、魔獣です! なぜこんなところまで⁉」
「結界が切れているのですよ! 早く張らないと!」
「このままだと間に合わないかもしれません! フィリス様、一度退避を!」

 緊張感が走り、騎士たちは驚きを隠せない。
 結界の持続期間は、それを張った聖女によって違う。力のある大型の魔獣が出現すれば、破られてしまうこともある。
 魔獣が出るということはもう結界が切れているんだわ!
 私も内心であせる。
 今日は、ただ結界を張り直しに来ただけで、魔獣退治の準備なんかしていない。そのことを考えると一度退避するべきかもしれない。
 でも、魔獣が森の外まで追いかけてくれば、森の近くの街まで危険なのは明らかで、魔獣を背に逃げるわけにはいかない!
 怖いけれど、逃げるという選択肢は、もうすでになかった。

「フィリス様! 急いでください!」
「いけません! 逃げきれなかったら、私たちは全滅してしまいます! そうなったら、街の人たちが危ないのです! 結界さえ張れれば、魔獣は弱体化します! ここでなんとかして、抑えるべきです!」
「しかし! フィリス様に何かあれば……!」

 騎士たちは、私を連れて逃げようとするが、私はみんなをえてそれを止める。
 でも、私たちがそんな会話を続ける時間すらないまま、あっという間に魔獣が木をなぎ倒す音が大きくなる。
 近づくのが速すぎる!
 そして、ものすごい勢いで私たちの目の前に飛び込んでくるように現れた。
 魔獣は狼型だ。狼型は、足がとても速い。
 鋭いきばと爪には血がついているから、すでに動物を食べたのかもしれない。

「みんな、フィリス様を守れ‼」

 四人の騎士たちは剣を抜き、私を守ろうと前に立つ。
 私たちの魔獣退治が始まってしまったのだ。
 魔獣は飛び込んできた勢いのまま、いきなり鋭い爪で騎士を振り払う。飛沫しぶきとともに二人が吹き飛んだ。

「すぐに回復に回ります! 魔獣を抑えてください‼」

 魔獣にはせいせいこうじゅつが有効だが、ルイン王国と違ってガイラルディア王国にはせいがほとんどいない。一緒に来た彼らも例外ではなく、遠距離攻撃ができるせいこうじゅつを使える者がここにはいないのだ。
 それにもかかわらず、この危機的状況で、私を護衛しようとしてくれる彼らには感謝しかない。
 私は宮で嫌われているのに、彼らは違っていた。
 怪我をしている二人のそばに駆け寄り、急いで癒しのせいこうじゅつをかける。

「大丈夫ですか? 結界さえ張れれば、魔獣は弱体化しますので、それまで頑張れますか?」
「もちろんです。動ければ問題ありません!」

 怪我をしても泣き言一つ言わないとは、さすが騎士様だと感心する。
 彼らが魔獣とたいするなか、私は急いで祭壇さいだんの前でひざまずく。いつも通り両手を握りしめ、結界を張るために祈りを捧げる。
 そのとき、護衛の一人が魔獣にはたかれて、また吹っ飛んでしまった。

「今、回復を!」

 怪我をした騎士のもとに駆け寄る暇もなく、急いでその場で杖をかかげ、癒しのせいこうじゅつを放つ。
 やはり魔獣が近くにいると、結界が張れない。魔獣が大人しくしているわけないし、騎士たちの回復を優先にしないと、彼らの命が危ぶまれる状況になってしまう。それに、一緒に来た護衛が弱いとは思わないけど、止めを刺すには力が足りない。
 一体どうしたら……!
 杖をかかげたまま、この状況を乗り越えなくてはと考えて、ハッとした。振り返ると、騎士たちをなぎ倒した魔獣がすぐ近くで爪を振りかざしていた。
 私にびんけるすべはない。結界の応用である防御壁を一瞬でもいいからと張ろうとする。
 ――でも、もう間に合わない!
 思わず目を閉じ、杖を強く握りしめた。

「――フィリス‼」

 大きな声で急に名前を呼ばれたと思うと、大きな身体が私をかばっていた。
 目を開くと、その左腕からは鮮やかな血が噴き出していた。そのまま血は腕に流れ、したたり落ちている。
 私は、大きな身体の持ち主を確認するために見上げた。
 ……レックス様だ。
 私を魔獣から守ってくれたのは、レックス様だった。
 どうしてここにいるのかわからないが、間違いなくレックス様だ。

「レックス様……?」
「大丈夫か⁉」

 レックス様は心配そうに私のほほに手を添え、見つめてくる。息がかなり荒く、ここまで急いで来たことがわかる。
 前触れもなく現れたレックス様にぼうぜんとしてしまった私は、彼にれられた手で我に返る。
 そして、あわてて返事をする。

「は、はい! ……レックス様、左腕から血が出てしまっています。すぐに手当てを!」
「……大丈夫だ」

 レックス様は低い声で静かに言うとすぐに立ち上がり、腰にさげていた大きな剣を片手で抜く。
 出血中ですが、痛くないのでしょうか? と突っ込みたいが、そんな場合ではない。
 そして、レックス様はいきなりこの場を支配したように、騎士たちに叫んだ。

「魔獣の足だけを狙え! どうりょくぐぞ!」
「「「「は、はい‼」」」」

 レックス様の号令に合わせて、騎士たちは魔獣の足に狙いを定め、攻撃している。
 彼が来たせいか、士気も上がっていた。
 レックス様が戦い慣れしているのは明らかだった。彼の指示通りに足を狙い出してから、魔獣のスピードは徐々に落ちていっている。彼の戦いぶりは、明らかにかなりの実力者だと誰が見てもわかる。
 魔獣は、走り回れないほど四肢を負傷し、追い詰められていく。そして、魔獣がよろめく瞬間をレックス様は見逃さない。
 彼はそんな魔獣の心臓めがけて大剣を突き刺した。
 断末魔の叫びとともに魔獣が倒れると、軽く地面が揺れる。
 そして思う。レックス様、ちょっと強すぎませんか⁉
 私は心のなかでそう叫ぶ。
 王太子であるにもかかわらず、レックス様が前線に出陣する理由がなんとなくわかった気がする。
 普通、王位継承者が危険な前線に出ることはないが、これほど強ければ、陛下だって反対できないだろう。
 レックス様は大剣についた血を振り飛ばし、さやに収めた。そして、私のもとに戻って来ると、心配そうに声をかけてくれる。

「フィリス、怪我はないか?」
「は、はい。私は、大丈夫です。レックス様こそ……すぐに癒しをかけますね」
「……俺はいい。騎士たちを先にしてくれるか?」
「でも……」
「かすり傷だ」

 レックス様はそう冷たく言うけれど、全くかすり傷には見えない。だが、そのまま私から離れて座ってしまった。
 心配して駆けつけてくれたと思ったのは、私の勘違いだったのだろうか。
 そんなことを考えながら、私は騎士たちを癒していく。
 チラリとレックス様を見ると、また、顔が怖い! そしてなぜかぎょうされている。
 後ろからレックス様の刺すような視線を感じながら、騎士たちの治癒を終わらせた。
 それから、私はふたたびレックス様のもとへ駆け寄る。

「レックス様。どうか応急手当だけでもさせてください。せめて止血だけでも……」
「……俺はいいから、先に結界を頼めるか?」

 やっぱり気になってレックス様を癒そうとするが、横を向かれてしまう。
 結界を張らないと、レックス様は何もさせてくれない気がしてきた。
 強がりなのか、つうかくが鈍いのか、私にはレックス様のことがわからない。
 レックス様は、黙って私を見つめている。そんな状況では、昔から何度もしてきたはずの結界を張ることさえ、とても緊張する。護衛騎士たちは私の後ろに並び、私は深呼吸して石造りの祭壇さいだんひざまずく。
 そして、祈りを捧げる。
 ――森に白い光が広がっていく。

「すごい。あれだけ癒しの力を使ったのに、すぐに結界まで張れるなんて……」

 騎士たちから驚きの声があがる。
 森全体を白い光でおおい込めば、結界の完成だ。
 私たちの魔獣退治が終わったと思うと、自然と肩の力が少しだけ抜けた。

「フィリス様、ありがとうございます!」
「これで、安心ですね」

 感謝を告げられ、私は笑顔で返した。
 結界を張ったから、しばらくは魔獣も出ないだろうし、レックス様や騎士たちも休めるはず。
 それに、やっと落ち着いたので、レックス様の手当てを始められる。
 彼の左腕を見ると、傷は深く、かなり痛そうだった。

「レックス様、すぐに癒します」

 そう言い、彼のそばに座り込む。
 するとレックス様は、騎士たちに向かってこう告げた。

「お前たちは先に帰れ」
「では失礼いたします」

 彼らはレックス様にちゅうじつで、はくじょうなくらいあっさりと私を置いて帰ってしまった。

「あの……私も騎士の方たちと一緒に、馬車で来たのですが」
「フィリスは俺と一緒に帰ればいい」
「は、はい……では、すぐに癒しを!」

 レックス様は私とは一緒にいたくないと思っていたのに、予想外に優しい言葉を受けてまどってしまった。
 レックス様は怖い人だと思っていたけれど、もしかしたら違うのかもしれない。
 そう考えつつ、少し緊張しながらレックス様の左腕に手をかざし、癒しのせいこうじゅつをかける。
 そのとき、一瞬かんのようなものを覚えた。
 ……あれ?
 レックス様の傷を癒すのは、これが初めてのはずなのに、と不思議に思う。
 動きを止めた私にレックス様はすぐに気づいた。

「どうした?」
「いえ、前もこんなことがあったような気がして……すみません、おかしなことを言って」

 私の言葉を聞いて、レックス様は少しの間黙り込み、左腕を下げてしまった。

「……血が止まれば、もういい。帰るぞ」
「まだダメです。もう少し癒さないと」
「もういらない」

 そう言って、また私から目を離すレックス様。
 私が変なことを言ったから、レックス様に不快な思いをさせてしまったのだろうか。
 それとも、聖女の癒しが嫌なのだろうか?
 思わずうつむいた私にレックス様は手を差し出す。私が手をその手に添えると立ち上がらせてくれた。
 その優しさに少しだけドキッとするが、今はやはり左腕の傷のほうが気になってしまう。

「レックス様、ナイフか何かお持ちですか?」
「持っているが、何に使う?」

 レックス様は腰から小さなナイフを取り出し、不思議そうに差し出す。

「お借りします」

 レックス様から受け取ったナイフで自分のスカートのすそき、彼の傷口に巻きつけた。

「すみません、魔獣退治をするとは思っていなかったので、救急箱も包帯も、何もないのです。宮に帰ったらすぐに綺麗な包帯に替えますので、今はこれで……」

 私がスカートをいたことに驚いた様子のレックス様は、じっとして応急手当を受けてくれる。
 ちょっと安心した。

「はい、これでもう大丈夫です。できましたよ」

 ささっと布を結び終え、笑顔でレックス様を見上げる。
 すると、レックス様は急に私を力いっぱい抱きしめてきた。
 こんなふうに男性の方にほうようされたことなんてない。突然のことに驚きを隠せない。
 腕のなかであわてふためく私と、何を考えているのかわからないレックス様。
 そんな私を腕のなかに閉じ込めたまま、レックス様は小さな声を漏らした。

「どうして、お前は……」
「レッ、レックス様? どうされたのですか?」

 わけがわからず尋ねてみても、答えは返ってこない。心臓が跳ねているのに、レックス様を振り払うことができなかった。
 私は王族として、幼い頃から人前でも取り乱さないように教育されている。
 だから、今レックス様を振り払えないのはそのせいだ。と理由をつけて、そのまま彼の腕に包まれていた。
 しばらくすると、レックス様は優しく私を離す。

「フィリス、帰ろうか?」
「は、はい」

 かと思うとまた、怖い顔になる。情緒不安定でしょうか? レックス様がよくわからずに、疑問しかない。

「フィリス、俺の馬に乗れ。ゲイル、帰るぞ」

 レックス様は私を連れて馬のそばに行くと、引き締まった顔つきの馬を優しくでる。どうやら、レックス様の愛馬はゲイルというらしい。
 ゲイルさんの毛並みは整っており、両足の筋肉は張っていて、見るからに速そうだ。
 でも、ゲイルさんがここにいるということは、レックス様は彼に乗って樹々をくぐり抜けてきたのだろう。
 しかも来たとき、いかにもあせって来たように見えたから、すごい勢いで来たはず。
 ……なんだか、こっちの馬も怖い。
 それに、ゲイルさん。私をにらまないでほしい。鋭い目は主人に似るのだろうか。
 乗馬ができない私は、踏み台がなければ、乗ることすらできない。
 下を向いたまま足をすくませていると、急に体がふわりと浮いた。
 レックス様が私を軽々と持ち上げて馬に乗せてくれたのだ。

「軽すぎる。ちゃんと食べているのか?」

 ……ちゃんと食べているわけがない。味付けは濃く、からいものばかり。お茶はいつも冷めていてしくなくて、甘いものは、ここに来てから一度も食べたことがない。でも、宮の料理にケチをつけるなんて失礼なことはできない。
 不満はつのっているけれど、私のことをどう思っているかわからないレックス様が、話を聞いてくれるとは思えなかった。

「……あまり食べていません」

 私はただそれだけ、小さな声で答える。

「ルイン王国とは味が違いすぎるか?」

 レックス様は、怖い顔でまっすぐこちらを見る。
 れいなことは言えない。返事ができず、無言でローブのフードを被る。
 レックス様もそれ以上何も聞かずに、私の後ろに乗ってきた。

「……しっかり掴まっていろ」
「は、はい……!」

 私は両手でゲイルさんのたてがみをしっかりと掴むと、レックス様は私の手を掴み、体をもたれさせた。

「ゲイルはしょうが荒い。たてがみを引っ張られると驚くかもしれないから、ゲイルではなく俺に掴まっていろ」
「は、はい!」

 緊張で思わず声が裏返る。レックス様のあごが頭にれた。
 すごく耳に近いところで、声がする。

「フィリス、聖女の仕事をしてくれたこと、感謝する。助かった」
「……はい」

 レックス様の言葉は、優しかった。少しだけ胸が温かくなった。
 そして、ゲイルさんは走り出した。
 やはりゲイルさんは、速い。走り出したと同時に、レックス様の服を掴み、小さくなってしまう。
 そのままの体勢でいると、レックス様は私が落ちないようにと大きな手で、肩を抱き寄せた。
 体が密着し、恥ずかしさが込み上げてくる。しかし、同時にレックス様の腕のなかはなぜか安心できた。レックス様がたくましいからか、馬から落ちるとも思わなかった。それくらい彼の腕のなかに安心してしまっていたのだ。
 よろいを着てない胸板にもたれると、レックス様の鼓動が小さく聞こえる。
 ……私と同じように少しだけ速かった。
 レックス様の腕のなかで小さくなったまま、宮に着く。
 入り口にはジゼル様と心配そうにしているロイが立っていた。
 レックス様はそんな二人の少し前でゲイルさんを停めると、さっそうと降りる。
 私も降りなければと思うが、馬上は高くて怖い。私にとって、降りることは難度が高い。
 降りられない私を見て状況を察したのか、レックス様は私を馬に乗せたときのように、また私の体をふわりと持ち上げ、降ろしてくれた。

「……ありがとうございます」
「いや……かまわない」

 杖を両手で握り、お礼を言うと、レックス様の表情は変わらないが、私を見ながら優しく言ってくれた。
 たった数秒ほどだけれど、彼と見つめ合ってしまう。

「レックス様、お帰りなさいませ」

 ジゼル様の声が聞こえて、私たちはハッとした。
 ジゼル様の目の前でレックス様と見つめ合ってしまった。
 邪魔をするなと言われていたのに……とあせり、思わずジゼル様のほうを向く。
 ジゼル様は笑顔だけど、目は全く笑っていない。
 たった数秒の出来事でも、私を許さないという感じで怖い。
 恐怖を覚えた私は、あとずさりしたくなる。
 次の瞬間、レックス様が私とジゼル様の間に入って来た。
 まるでかばってくれたようで、ちょっと救われた。

「ジゼル、フィリスは聖女として来たんじゃない。何かあっては困るぞ。俺の許可なく宮から出すな」
「申し訳ありません、レックス様。私も何かお役に立ちたくて……」
「その気持ちは嬉しいが……」

 ジゼル様は、レックス様にしだれかかるように抱きつくと、レックス様はジゼル様の肩に手を回していた。
 その二人の姿は、私には一生得ることのない光景だろうと思うと、この先の人生がむなしいもののように感じる。
 寄り添うように抱き合う二人を見たくなくて、その場をすぐに去りたかった。

「……私はこれで失礼します。レックス様、ご迷惑をおかけしました」

 杖を両手で握りしめたまま、しゃくし、二人から顔をそむけて駆け足で宮に入った。
 宮の廊下まで来て二人が見えなくなると、私は立ち止まり、深呼吸をする。

「フィリス様、お待ちください。お部屋までおともします」

 後ろから、ロイが追いかけて来ていた。

「ありがとうございます。でも、来た道はわかります。……あの、もしよかったら宮の見取り図をいただけませんか?」

 私がそう言うと、ロイは、考え込んでしまった。
 何かおかしなことを言ったのかと不安になる。

「……まさか初日の晩餐ばんさんに遅れたのは、食堂の場所がわからなかったからですか?」
「……はい。でも見取り図があればすぐに覚えますので」
「見取り図が必要でしたら準備しますが、やはりご一緒いたします」

 心配したようにロイはそう言って、私の部屋まで一緒に来てくれた。
 部屋に着くと彼は扉を開け、私に感謝を述べる。

「フィリス様、聖女の務め、感謝いたします。どうぞごゆっくりお休みください」
「はい、ありがとうございます」

 私はそう答えたあと、レックス様の左腕の傷がどうしても気になってしまい、扉を閉めようとするロイを呼び止めた。

「あの、もう一つだけお願いがあって……」
「はい、どうされました?」
「レックス様が左腕をお怪我なさっています。本当なら私が手当てをしたいのですが、ご迷惑かと思いますので、どうぞ医師にてもらってください」

 そう告げると、ロイはなぜかちょっと嬉しそうな表情を見せた。

「でしたら、レックス様をお呼びいたしましょう!」
「えぇっ⁉ そ、それはいいです! お二人の邪魔をする気はありませんから!」

 ジゼル様との仲を邪魔する気はないし、呼び出したらレックス様は怒るかもしれない。
 だって、途中で癒しをやめたぐらいの方だ。
 私があわてて首を横に振ると、ロイは不服そうな表情を浮かべる。だがすぐに、ニヤリとした。

「では、レックス様が仕事に行くときにお呼びしますね。そのときは、ジゼル様はいませんから」
「そ、そうですか……」

 ロイの押しに負けるように、返事をした。
 それから、ロイは本当にレックス様を連れて来た。しかもなぜか、ロイは笑顔で、レックス様はいつもの無表情。

「では、フィリス様。よろしくお願いいたします」
「は、はい!」
「俺は、忙しいのだが……」
「殿下ともあろう方が怪我をしたままでは困ります!」

 ロイはそう押し切るように言うが、レックス様は怪我なんかどうでもよさそうだ。
 部屋のソファーに隣同士で座る。
 ロイが見守るなか、私はレックス様の左腕の布をほどき、癒しのせいこうじゅつをかけた。
 チラリとレックス様を見上げると、素直に受けてくれているせいか怖くない。
 それどころか、この空気は嫌じゃなかった。
 レックス様は聖女の癒しが嫌なのかと思ったが、なんだか違う気がする。
 彼はなぜか左腕をいつくしむように見ている。
 森で途中までは治していたからそう時間はかからず、レックス様の左腕は綺麗に完治した。

「……助かった」

 レックス様はそう一言述べて、仕事に行ってしまった。
 淡々とした物言いだけど、不思議と今は怖くなかった。
 ……レックス様は、なぜ森では途中で癒しを拒んだのかしら?
 そう考えながら、彼が出て行ったドアを見つめていた。


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