金貨一枚貸したら辺境伯様に捕まりました!?

屋月 トム伽

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1巻

1-1

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 孤児院にいた私が、教会に聖女として引き取られて数年。
 コンスタンの街の孤児院の前に捨てられていた赤ん坊。両親が生きているのかどうかもわからない。誰が名前を付けたのか、ミュスカと呼ばれていた。それが私。
 幼い頃から自然といやしの術が使えていて、よく孤児院のみんなのり傷を治していた。
 他にも、庭の小さな畑に植えられていた芋の苗に「大きくなりますように」と祈れば普通よりも育ちが良くなったりと、私には不思議な力があったようで……
 それをいつも見ていた院長が「ミュスカは聖女かもしれない」と言い出した。
 聖女の認定をすることができるのはただ一人、大聖女様だけ。
 各地に幾人もいる聖女たち。その上には大聖女候補である筆頭聖女が何人もいて、そのすべての頂点である大聖女様だけが聖女の認定をするのだ。
 孤児院長の推薦すいせんを受けた私も大聖女様に認定されて聖女の一人となった。
 聖女になれば、教会で務めを果たさなければならない。
 魔物が人里に害を為さないように街の外には結界を張り、人々にはいやしを与える。聖女は国や人々のために祈りを捧げるのだ。


 そんな聖女となった私は、すでに十九歳になっていた。
 この国では、聖女は貴族と結婚することが多い。聖女の力は遺伝するのか、現在いる聖女のほとんどが貴族だった。
 たまに血筋とは関係なく平民の聖女もいて、私もその一人。しかも私は孤児だった。平民孤児の私には姓もなく、ただのミュスカだ。
 貴族の聖女たちは通いでやって来るが、私は身寄りがないために教会の物置小屋を借りて住んでいた。
 それでも家賃は納めなければならず、毎月の聖女の務めでもらえる少ないお給料から天引きされる。食費も必要だから、手元にお金はほとんど残らないが、それでもコツコツとお金を貯めるようにしている。
 身寄りのない私では結婚できるとも思えないし、もし聖女の力が急になくなったりしたら? 病気で務めが果たせなくなったら? 
 何があっても生きていけるように、自分で将来の心配をしないといけないと思ってのことだった。


 ♢


 今日はどしゃ降りの雨だった。
 雨は憂鬱ゆううつになるという人も多いが、今日の私は違う。
 毎日コツコツ貯めた小銭がやっと金貨一枚分になり、初めて金貨に交換してきたのだ。
 そのうえ、少し残ったお金で初めて自分で傘を買うこともできたので、ちょっとした浮かれ気分で教会への帰り道を歩く。
 大事に握りしめた一枚の金貨に「フフフ」と変な声が低く漏れると同時に、思わずにやけてしまう。
 水色の、手入れされていない伸びた髪が少しだけはねていたけど、そんなことなど気にならない。
 軽い足取りで教会の前までたどり着くと、雨のせいか今日は人も少ないのに一人の男性がたたずんでいるのを発見した。
 男性は、雨に負けず劣らずどんよりとした雰囲気。眉間にシワが寄った険しい表情で、ちょっと近付きにくい。私の今の気分とは雲泥うんでいの差だった。
 でも、困っているならやはり声をかけるべきか。もしかしたら、聖女に仕事を頼みに来たのかもしれないし。
 私は聖女なんだから……と自分に言い聞かせて暗くよどんでいる男性にそっと声をかけた。

「あの、何かお困りですか? 教会にご用でしたらご案内致しましょうか?」
「いや、用事は済んだが……。雨に降られてどうしようかと……」
「教会で雨宿りしますか?」
「……それはいい」

 雨宿りしていくかたずねると、さらに表情を暗くして顔を引きつらせる。
 教会の中に入るのを凄く嫌がっているように見えるが、家に帰れないのも困るだろう。
 そう思うと、初めての傘を握りしめていた手に力が入る。よしっと決意して彼に傘を差し出した。

「良ければ私の傘をどうぞ」

 買ったばかりの傘だけどしょうがない。きっと来る時は雨が降っていなかったから、傘がないんだ。
 私も、金貨を交換してから急に雨に降られ、浮かれた気分のまま初めて傘を買ったから。
 彼は、初対面の私に傘を差し出されて驚いている。

「……君が帰るのに困るだろう?」
「私は、教会に住んでいますからもう大丈夫です。お家は近くですか?」

 近いなら後日返して貰えばいい。

「いや、近くはない。馬車乗り場に行こうと思ったのだが……教会で金をすべて使ってしまって……」
「えぇ!? 帰りはどうするのですか!?」

 教会でお金をすべて使ったという発言に驚き、つい男性の話をさえぎってしまった。
 そのタイミングで、グゥ、と男性の腹が鳴る。

「……す、すまん……! 急いで来たものだから、まだ昼も食べていなくて……」

 男性は恥ずかしさでいっぱいになったように頬を赤らめ、顔を隠すように片手で押さえて横を向いてしまった。
 なんだか、心配になってきた。この人、行き倒れにでもなったらどうしましょう……
 そう思い、今度は手の中の金貨をぎゅっと握りしめた。

「……良ければこれもどうぞ。馬車代も足りると思いますし、お昼ご飯も買えますよ」

 傘を買ってしまったから、今渡せるお金はこの金貨一枚しかない。
 自分の小屋まで行けば小銭ならあるが、もし足りなかったら申し訳ない。
 教会で雨が止むまで待ってもらうのが一番いいのだが、教会に入りたがらないのだから無理だろうなぁ、と思ってしまう。金貨を差し出した私に、男性は慌てた。

「そこまでしてもらうのは申し訳ない! ダメだ!」
「帰れないとお家の方が心配しますよ?」
「しかし……!」
「……雨も降っていますし、帰りが安全になるように特別に『聖女の加護』もつけてあげますね」

 なかなか受け取らない男性の手を取り、半ば無理矢理金貨をその手のひらに載せた。
 受け取った金貨を呆然と見ている男性の前で両手を握り、祈る。
 彼の旅が安全なものになるようにと、『聖女の加護』を男性に付与する。
『聖女の加護』とは、聖女の能力の一つだ。悪いものから守ってくれると寝物語で伝えられてきた。この付与術をかけられた人は、その聖なる力のおかげで魔物を避けられるのだ。
 昔は一人一人に付与していたが、それでは対応しきれなかったのだろう。アミュレットに付与することが広まり、今では教会で普通に売られている。
 お守りとして旅人に人気で、人里離れた場所に行く時に買ってくれる人も多い。
 私が聖女として活動し始めた時にはもうアミュレットが主流になっていたから、直接人に加護を付与することはめったにないが、今日は気分がいいから特別だ。
『聖女の加護』を付与された男性を包むように、一瞬キラキラと周りが光る。雪のように降っては消えていく白い光を、男性は言葉なく見つめていた。

「……君は聖女か?」
「はい。これで安全に帰れますよ。特別ですから、秘密にして下さいね」

 ほんの少し笑みをこぼす私に、男性は呆然と、しかし真っすぐに視線を向けている。
 本当なら『聖女の加護』の付与にはお金がかかるから、気にしたのかもしれない。
 最初に見かけた眉間のシワはないが、よくわからない方だ。

「では、私は聖女の務めがありますから失礼しますね。お気をつけてお帰り下さい」

 そうにこやかに言ってきびすを返すと、小さく拳を握りしめて「いつか金貨を返しに来て下さいね!」と密かに力いっぱいに願う。
 男性の視線を背中に感じながら、私は雨に濡れないよう小走りで教会へと戻った。


 ♢


 金貨一枚を男性に渡してからもう三日。
 家が近くじゃないと言っていたから、返しに来られないのだろうか。
 それとも、返す気がなかったのだろうか。
 しかめっ面に気を取られていたけど、よくよく思い返すと彼は上等な格好をしていた。金貨一枚程度、すぐに返してくれそうだと思っていたのに。
 借りたお金を返さないような方には見えなかったけど、人は見かけによらないと言うし……
 金貨を渡した男性に想いをせながら、目の前のなんの変哲もない木の机に向き合う。その上には、『聖女の加護』を付けるための小さな特殊な石のついたアミュレットが山のように積んである。
 これも、聖女の務めの一つだ。この小さな石に『聖女の加護』を付与し、加護付きのアミュレットとして売るのだ。人々のお守りとして流通していて、教会の資金源の一つにもなっている。
 たくさん積んであるのは、他の聖女の分も押し付けられているからだ。
 おかげで朝からアミュレット作りで手いっぱいだった。
 まぁ、押し付けられるのはいつものことで、それでもなんとか毎日のノルマはこなしている。なんだかんだ私がやり切ってしまうから、他の聖女たちは罪悪感すら抱いていないだろう。
 教会の神父様たちも、貴族の聖女たちの家からの寄付金が大事だから見て見ぬふりをしている。
 寄付金どころか、扱いに文句を言う実家すらない平民孤児の私の立場は低いのだ。
 机の上のアミュレットに手をかざすと、清らかな光がほんの数秒だけアミュレットをきらめかせる。一つ一つにそんなに時間はかからないが、これだけの量をこなすにはてきぱきと進めなければならない。
 しかも今日は、他の聖女たちがいつもよりめかし込んで朝から大騒ぎだ。
 三日前の雨の日に大事なお客様が来たようで、その日からみんな「次いらっしゃったら対応は私が!」と騒いでいたのだが、その方が今日また来訪されるみたいだった。
 普段ならいやしを求めてやって来る人たちの対応も全部私に押し付けるのに、今回は彼女たちで取り合いをしているみたいだ。
 だから、私は朝からずっとこの小さな部屋で、アミュレットに『聖女の加護』をひたすら付与し続けている。
 いつもはこんな朝から来ないシャーロット様まで早めに教会にやって来て、「今日も気合いをいれて縦ロールを決めて来ましたわ!」とソワソワしていた。
 代々聖女の家系である伯爵令嬢のシャーロット・バクスター様は、この教会所属の聖女の中で一番身分が高い。ご両親も、娘を大事にしているようだった。
 そんな彼女は、質素な私と違ってお洒落しゃれな方で、見事な金髪の縦ロールがトレードマーク。そのシャーロット様が気合いをいれた縦ロールとは。いつもよりも巻きが激しいのだろうか?
 こんなにも騒ぎになっていると、一体誰が来るのか、さすがに少しは気になってくるが、私に知らされることはない。
 少し残念だが、みんな興奮して声が大きくなっているから、なんとなくは聞こえてくる。
 待ちきれない聖女たちは、客人が来ればすぐにわかるように廊下で待機していた。にぎやかな会話はこの部屋に筒抜けのため、私は耳をそばだてる。

「みんな! 家紋入りの馬車が到着したわ! あの家紋は間違いないわ!!」

 廊下を走る音とともに誰かがそう叫ぶと、聖女たちの黄色い声が響いた。

「きゃあ! レスター様よ!」
「お顔だけでも!」

 どうやらお客様はレスター様という方で、お顔が素敵らしい。
 そう言えば、金貨一枚を渡した方もなかなかに綺麗きれいな顔立ちだった。
 無事に帰れたかしら……。お風邪は引かなかったかしら……
 そんな心配をよそに、さらにアミュレットに『聖女の加護』を付けて、押し付けられた分も含めて一日のノルマをこなしていく。
 廊下は、黄色い声があふれそうなほどさらに騒がしくなっていた。憧れの方に会えることに舞い上がっているのが、扉一枚へだてていてもわかる。

「お茶は絶対に私が持って行くわ!」
「いえ、私がぜひ!」

 お茶をれたことのないシャーロット様までもがお茶を持って行こうとしている。お茶みさえ聖女たちの争奪戦になるなんて、初めてのような気がする。
 結局、お茶み争奪戦はシャーロット様の圧勝だった。身分が一番上のシャーロット様には誰もかなわなかったようだ。
 いつも雑用は私に丸投げで、優雅にお茶をしていた貴族の聖女たちが進んでお茶みをしようとしたことに少し驚いてしまう。神父様たちも、寄付金の多い貴族の聖女たちには優しく、無理に仕事をさせることもなかったのだ。
 その神父様が、廊下で騒いでいた聖女たちを呼びに来た。

「ヴォルフガング辺境伯様が聖女を連れて帰りたいとおっしゃっている。みな、集まりなさい」

 この部屋には入ってこないということは、私はお呼びではないのだろう。いつものことだと気にすることなく、私は静かになった部屋でアミュレットのノルマをさらに淡々とこなしていった。


 しばらくすると、神父様が慌ただしく私を呼びに来た。勢いよく開いた扉にびくりと驚き手が止まる。

「ミュスカ! すぐに来なさい!」

 必死の形相の神父様だけど、私は理由がわからずに首をかしげる。それでも、素直に返事をしてついて行く。
 アミュレットへの付与が終われば掃除があるし、昼からは街の外に結界も張りに行かないといけないのに……
 一日の仕事を頭に想い浮かべながら、落ち着きのない神父様の後を追うと、教会の広い部屋に連れて行かれる。「入りなさい」と言われて逆らう理由もなく、「はい」と頷いて入った。
 部屋に入ると聖女たちが壁一列に並び、不快感もあらわに私を見ている。
 どういう状況なのだろう? 訳がわからず困惑する。
 部屋の中央の豪華な椅子には男性が一人。長い足を強調するように組んで座っており、後ろには従者らしき人が控えている。
 その部屋の中央に座っている男性に私は見覚えがあった。
 ――金貨を渡した方だ。
 男性は、雨の日の険しい顔からは意外なほどの素敵な笑顔で立ち上がる。
 あの日もそうだったが、つやのある黒髪に切れ長の男らしい眼。スラリとした高身長にその端整たんせいな顔が乗っている。礼服という訳ではないのに、この方が身にまとっているだけで絵になるぐらいロングコートが似合う。
 その方が、金貨一枚をわざわざ返しに来てくれたのかと思うと、ちょっと嬉しくなった。それと同時に、この部屋の雰囲気が理解できなくて首をかしげる。
 明らかにこの部屋の中でこの男性が一番偉く見えるのだが……?

「あぁ……この娘だ。この水色の髪の可愛い娘だ」

 待ちかねた想いを漏らすように言葉を吐いた彼は、迷いなく私の前まで近付いてきた。
 しかも可愛いとは!? いきなり幻聴が聞こえた。
 私はこの状況に困惑し、言葉に詰まったままで肩をすくめて立ち尽くすしかない。

「あ、あの……」
「名前はミュスカと聞いた。間違いないか?」
「は、はい。ミュスカです! ……姓はありません」

 平民孤児の私に姓などない。いかにも高位の貴族らしいこの方にそう告げるのは気が引けて少々口ごもるが、そんなことはおかまいなしとばかりに彼は私から目を離さない。

「俺はレスターと言う。早速で悪いが、君を連れて帰りたい」
「は?」

 思わず頓狂とんきょうな声が出てしまった。
 口が少し開いたままの私に、レスターと名乗った目の前の男性はひたすら柔らかい笑顔を向けてきてまぶしかった。顔が良すぎる。
 聖女たちが騒いでいたのは、この端整たんせいな顔のせいだと納得してしまう。
 そして今、何と言いました!?
 目を丸くして呆然としていると、神父様が私の困惑顔に呆れて説明をしてくれた。

「ミュスカ、レスター様は聖女を必要とされている。聖女に仕事を頼みに来たのだ」

 あぁ、だからみんな自分が行きたがったのか……
「本当に私が行っていいのですか?」と言いたくなるほどに、壁に一列に並ぶ聖女たちからは「断れ!」という無言の圧力を感じる。

「すぐに来てくれるね? 荷造りを手伝おう。部屋はどこだ? 教会に住んでいると言っていただろう?」
「えっ……? でも……」
「君の荷物を運ぶために今日は馬車を三台準備してきた。足りなければすぐに追加で手配しよう」
「は……!?」

 急な展開に訳がわからず戸惑う私をよそに、レスター様は迷わずに私の腰に手を回すと、そのまま部屋の外に連れ出した。
 金貨一枚を受け取るのを遠慮していた時とは違い、意外と強引だ。

「部屋はどこだ?」
「えっ? あの……裏庭に……」
「では、案内をしてくれるか?」
「は、はい……」

 なぜか凄く嬉しそうに満面の笑みで見つめてくるこの方は何なのでしょうか。疑問しかない。怪しいとさえ思える。
 そして、言われたままに案内している私って大丈夫?
 いつも仕事を当然のように押し付けられているせいか、断るという行為ができず、素直に案内してしまう自分がわからない。

「ミュスカ。君をミュスカと呼び捨てにしていいか?」
「は、はい。あの、あなたのお名前は?」
「レスターだと言っただろう?」

 いや、お貴族様ですよね? いきなり名前を呼べと?
 姓は!?
 私みたいに姓がないとは思えない!

「あの……姓は?」
「ただのレスターではダメか?」
「…………!?」

 ただのレスターって何ですか!?
 黙り込んでしまった私に、レスター様は困らせたくはないというようにやっとフルネームで名乗ってくれた。

「……ヴォルフガングだ。レスター・ヴォルフガング。だが、レスターと呼んで欲しい」
「……ヴォルフガング様?」
「レスターだ」

 ヴォルフガング様とお呼びしたら、私の腰に回している手に力が入った。
 一度立ち止まり、不服そうに私の顔を見つめてくる。
 どうやら、どうしても名前で――レスター様と呼んで欲しいらしい。


「……レスター様?」
「呼び捨てでもいいんだが……」
「それは……ちょっと無理です……」
「そうか……では今は我慢しよう」

 我慢って何ですか? 今はって何ですか?
 一生呼び捨てになんかできないですよ!?
 そんな疑問をよそに、レスター様はまた歩き出した。
 しかし、腰に回している手は離れない。
 チラリとレスター様を見上げると、また笑顔をこちらに向けていて、しかもばっちり目が合ってしまった。
 またしても思う。顔が良すぎる!
 恥ずかしさから勢いよく目をらすように下を向くと、レスター様はクスッと笑う。

「どうした? ミュスカ」
「す、少し離れて下さるとっ……」

 レスター様は私が恥ずかしがっていることが絶対にわかっている気がする。
 男性のこんな甘い対応に慣れない私は、悪戯いたずらっぽく聞いてくるレスター様にそう言うのが精一杯だった。

初々ういういしいな……」

 何が!?
 この方は一体何をしに来たのですか!?
 あの雨の中、どんよりと眉間にシワを寄せてたたずんでいたレスター様はどこに!?
 そして、私の初の金貨一枚は!?
 いたたまれなくなり思わず早足で歩くが、レスター様も私の歩幅に合わせて離れてくれない!
 足の長さの違いか!?
 私の借りている部屋という名の物置小屋につく頃には、私はハァハァと息づかいも荒く、レスター様は涼しい顔のままだった。
 その素敵なお顔をぐるりと回して部屋を眺めると、だんだんと笑顔だった表情がくもっていく。

「……ここに住んでいるのか?」
「そうです」

 ボロくてすみません。
 元々は物置小屋です。今も物置小屋にしか見えませんが。
 ベッドだって、脚が折れて使えなくなったのを貰ったやつだ。新品のベッドなんか買えませんからね。
 折れた脚の代わりに要らなくなった本で支えているような壊れかけの家具しかないこの部屋に、レスター様はびっくりしている。
 持ち物すべてを持って行こうかとレスター様に言われたが、荷物はほとんどない。必要なものは聖女の服二枚に、お出掛け用の服一枚だけだ。それらを、慌ててまとめて手近な袋に入れた。
 大体、仕事に出向くだけなら部屋の荷物を全部なんて要らないと思う。というかそもそも本当に荷物自体がないし。
 それに、このベッドを持ち運ぶ勇気はない。廃品回収に出される自信がある。
 レスター様も、さすがに家具を運び出すつもりはないようでちょっと安心した。

「家具類はこちらで準備しよう。荷物を貸しなさい」
「……あの……仕事をしに行くだけですよね?」
「仕事も頼むが……君を連れて帰りたい」
「はぁ……」

 聖女の仕事のために一時的に連れて帰りたいってことですよね?
 そうですよね?
 訳もわからずにじっとレスター様を見上げると、レスター様は目を細めてまた少し笑みを見せた。
 ほんの少し、彼の目の下が紅潮こうちょうしている。

「昼食も予約してある。さぁ行こうか?」
「は、はい」

 昼食の予約って何でしょうか?
 レスター様の台詞せりふすべてが私にはしっくりこない。どことなく食い違っているような違和感を覚えるが、NOと言えない平民孤児の私は流されるしかない。
 彼は、私の服の入った荷物を抱え、また私の腰に手を回して歩き出した。
 ちらりと横に視線をずらすと、彼の細くて筋張った男らしい長い指にドキリとする。
 状況を理解しきれないままレスター様に連れて行かれる。裏庭から教会の正門に戻ると神父様や聖女たちが立ったまま待っていた。
 顔につられたであろう聖女たちだけでなく神父様まで見送りなんて、やはりレスター様はかなり身分が高い方なのではと勘ぐってしまう。

「教会の外までの見送りはいい」

 淡々とそう告げるレスター様に、あの雨の日も見送りを断ったのだろうと察した。
 だから教会の前で一人、無一文でたたずんでいたんだと。あの時のレスター様は、本当に暗い雰囲気だった。空気すらもよどんで見えたのだから。しみじみとそう思い出す。

「ではミュスカは貰い受けるぞ。何か問題があればヴォルフガングに来い」
「はい!」

 神父様……良いお返事ですね。
 そんな元気な返事は初めて聞きましたよ。
 そして、貰い受けるとはなんでしょうか?

「レスター様。私は仕事で行くんですよね?」

 説明も何も聞いていない私は、再度確認するようにレスター様にたずねた。

「君のためにレストランを予約している。さぁ行こうか」

 仕事は? 微妙に返事がかみ合っていない。
 教会から早く出たいのか、レストランに早く行こうというレスター様。その彼に連れられる私を、教会の聖女たちはにらんでいる。
 でも私……何もしてないのですけど。その視線はちょっと怖いけど、今は恐怖よりも困惑が勝っている。
 私の疑問をよそに、レスター様は準備していた馬車に私を乗せる。そのままガラガラと馬車は出発してしまった。


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