96 / 97
連載
129 直視した結果、穴に埋まるしかなかった私の話(前編)
しおりを挟む
イースティン聖王国の城に与えられた一室にて、優梨愛は寝室のベッドの上で枕に顔を埋めていた。
そして、悲鳴のような声を上げたかと思うと、次の瞬間には、枕を抱きしめて広いベッドの端から端へとのた打ち回るように転がる。
そんな優梨愛の奇行は、傍から見れば間違いなく「聖女様ご乱心!?」といいたくなるようなものだったが、幸運にも見る者はいない。
ひとりになりたい、と言って寝室に引きこもっているためだ。
伝説の剣が消えたということを知る周りの者達が、気落ちした優梨愛をそっとしておいてくれている。その気遣いは心底有難いと思うが、実際の優梨愛の内心は伝説の剣のことなどまるで関係のないことに支配されていた。
穴を掘りたい、と。
浅い穴ではなく、温泉を掘り当てるぐらい地下深い穴を掘るのだ。そして、そこに人知れずひっそりと入り、埋まってしまいたいと優梨愛は切実に思っていた。
(恥ずかしいっ、ほんっとうに恥ずかしいっ!! 穴に埋まりたいっっ)
ごろごろごろごろと、ひたすら悶える。
人は羞恥心で死ねるかもしれないと、優梨愛は初めて知った。それほどに恥ずかしい。
暫く悶えた後、体力の限界が来た優梨愛は仰向けに寝転がる。そしてぼんやりと天蓋を見つめながら幾度も思い出すのは、あの日のことだった。
□ □ □
あの日、伝説の剣が消え、助けを求めた聖に断られたあげくに春樹に喧嘩を売られた優梨愛。慰めの言葉をかけるクリストファーの声も耳に入らず、ただただ悄然と項垂れる。
どうしよう、と。優梨愛の胸中をしめるのはその言葉のみ。
そのまま短いのか長いのかわからない時間が過ぎると、なにやらギルド長が話があるとかでクリストファーが呼ばれ、傍を離れることを躊躇うのを大丈夫だからと送り出した。
少しだけ一人で考え事をしたかったのだ。
だがそれは出来なかった。
「さて、さっさとやっちゃいましょうか」
「え?」
驚いて顔を上げる。一人になれたはずが、先ほどクリストファーを呼びに来たギルド職員がまだこの場に残っていた。
「やあっとあの騎士様が離れてくれたわぁ! あの人たちって頭硬いのよねぇ」
ぶつぶつと文句を口にするのは、クラウディアと名乗ったギルド職員。彼だか彼女だかは優梨愛にはわからないし特に聞く気もない。クリストファーはあからさまな嫌悪をその瞳に宿していたが、優梨愛は特に気にしなかった。初対面のインパクトは強烈ではあったが、偏見はない。そういう人もいるよね、とすんなり受け入れた優梨愛は、ある意味大物であった。
「あ、あのっ」
「ああ慌ただしくってごめんなさいね! ちょっと時間がないから簡潔に説明するわね」
先ほどとは違う意味で混乱し始めた優梨愛の前で、クラウディアはテキパキと何かを準備していく。
「あなた達のように違う世界から来た人のことは例外なく『落ち人』って呼ばれてて、先人たちの贈り物を届けるのがギルドの仕事なの」
「え? あの、私は召喚されて……」
「『例外なく』よ、聖女様」
そう告げられた優梨愛の前に、白い布が拡げられる。降り積もった雪景色を思わせるようなその色は、酷く眩しく煌めいて見える。
そこにクラウディアが装飾の1つもない、酷くシンプルな金の指輪を載せる。
「――暫定ギルドマスター室内『白の壁』、権限譲渡」
するりと踊るように吸い込まれた金の指輪は、瞬き一つで白い布の枠内ぎりぎりの円として浮き上がった。
「な、なにが……」
「よし、成功ね! 物凄い魔力持ってかれたわぁ。じゃ聖女様、この中に手を置いて」
「え、ちょ」
何が何やら理解できない優梨愛の抵抗などないようなもの。がっしりと掴まれ言われるがままその場に手を置いた。
そして。
「それじゃあ、いってらっしゃーい!」
その声が何処か遠くに聞こえた優梨愛は、目に刺さるような光に一瞬目を閉じる。そして目を開けると、そこにいた。
「……え?」
ソファと大きな額縁のようなものがある部屋。呆然と立ち尽くす優梨愛の前で、緩やかに映像が流れ始める。
それは英雄王と呼ばれるものが語る、この世界のことと忠告。それを終わりまで見続けて、今見たこと聞いたことをなんとか理解しようと試みる優梨愛だったが、そんな時間は与えられず、更なる混乱が襲い掛かる。
『はーい、可愛い女の子もそうじゃない女の子もようこそ! 先人からのおせっかいの上乗せよ! ……ってだからもうちょっと言い方がっ』
ぽんと、優梨愛の眼前に現れたのは、可愛い巫女服を来た同じくらいの女の子。もはや現状についていけない優梨愛は、ぽかんと口を開けてしまう。
『私はミカ。美しい歌と書いて美歌よ。知り合いにすっごく残念なことになっちゃった女の子がいたのよ。だから特別に注意喚起ね。ああ、野郎どもはいいのかって? あのバカ王の忠告で正気に戻れなかったら素直に滅べばいいと思うわ』
にこりと微笑むその表情は、とんでもない内容を告げているようには到底見えず、思わずスルーしてしまいそうになる。
『率直に言うわね。自分は特別で、来るべくしてこの世界に来たんだーなんて思ってるそこのあなた。それ、ただの思い込みで勘違いだから』
「え?」
浮かべている表情は変わらない。にこりとした優しい微笑み。そのままもう一度念を押すかのように言葉は紡がれる。
『ただの思い込みで勘違い』
咄嗟に、そんなことないっ、といいかけた優梨愛だが、すぐに言い返しても意味のないことに気付く。
(……これはさっきと同じく映像だもの、落ち着かなくちゃ……)
息を吐いて、続きを聞くために顔上げる。するとそれを待っていたかのように美歌は話し出す。
『言いたいことはわかるのよ? だってこんなファンタジーな世界に来ちゃったんだもの、勘違いしちゃう気持ちもすごくわかる。私だって剣と魔法の世界よー!! って雄叫び上げたくらいだし』
でも、と美歌は続ける。
『スキルとかの恩恵はあったけど、別に特別じゃなかったのよねー。私は早々に気付けたんだけどそうじゃない人もまあまあいたのよ。で、すっごい勘違いを繰り広げた女の子たちがいたの』
周りの状況がそろっちゃったのも悪かったんだけど……といいながら美歌は溜息をつく。
『なんていうか聖女の職業とか称号とか、あと回復系の魔法と……光系統の魔法? 魔物を操るスキルもかしらね。この辺りがあると特に勘違いしやすいらしいのよね』
「え?」
どくりと、優梨愛の心臓が大きく音を立てた。なぜかこの先をあまり聞きたくないと思ったが、映像は優梨愛の意思では止まらない。
『そうね……やたらとイケメンが揃ってたりとか? あなたをお待ちしていましたー的なことを言ってくる奴がいたりとか? ああ、異世界だし魔王がいて虐げられてる云々ていうパターンが一番多いのかしら?』
優梨愛の背を嫌な汗が流れる。
どれもこれも覚えがある。けれどっ、と優梨愛は何とか己を奮い立たせる。
(私は、違うっ。勘違いじゃない、ちゃんと聖女として必要とされてる。魔族に虐げられてるってっ)
クリストファーやアリス、そしていままで優梨愛に接してくれた人々を思い浮かべる。誰もが魔族の脅威を語っていたし、決して嘘を言っているようには見えなかった。
だからこそ優梨愛は彼らの言葉を疑ったことはない。
だが、続けられた美歌の言葉に優梨愛は息をのんだ。
『ちなみに魔王って普通にいい王様よ?』
「……え」
『魔族の王様。人族じゃない別の種族ってこの世界にたくさんいるの。その中の一つ、主に魔族がいる国の王様。ただそれだけ。わざわざこの世界最大数の種族を相手取って争い吹っかけるなんて面倒くさいって言ってたわ』
遥か昔は争ってたこともあったらしいけど、と続ける美歌だが、すでに優梨愛はいろいろありすぎて受け止めきれていない。
『まあ、それでね。何が言いたいのかというと』
美歌が真っ直ぐにこちらを見る。映像だと分かっているのに、優梨愛はその意志の強い瞳と目があったような気がした。
『乙女ゲーム、ヒロイン』
「……っ」
『もしかして、この言葉にギクッとした? しちゃった? した人は要注意ね、本当に要注意よ。今すぐ正気に戻りなさい!』
びしっと、美歌の指が突きつけられる。
『ただの幻想! 思い込み! 勘違い!』
ぐさぐさぐさと、小さな棘が何処かに突き刺さったような気がして、優梨愛はふらりとよろける。
心なしかその顔色は悪い。
けれど、そんな優梨愛の様子などもちろんわかる筈のない映像の中の美歌の言葉は容赦ない。
『ここは乙女ゲームの世界じゃないし物語でもない、ヒロインもヒーローもいない! ただ剣と魔法があるだけで、私たちの元いた世界と同じ辛くて苦しくて、たまに優しいかもしれない現実の世界!』
ソファの背を支えにしながら、優梨愛は呆然と立ち尽くす。美歌の言葉は理解できるのに呑み込めない。頭では分かってるのに、心が否定する。
『……でも、どんな言葉をかけようとも、自分は特別で間違っていないって思ってしまう人もいるんでしょうね』
「……」
『それはそれでいいのよ? 自業自得だもの、勝手に自滅すればいいわ。私には関係ないし』
さらりと、何でもないように美歌は告げる。
『それに、もしかしたら最後まで幸せかもしれないもの。……まあ、確率は限りなく低いけど』
信じる者は救われる、かもしれない理論だ。
『誰だって見たいものを見て、聞きたいことを聞いて、信じたいものを信じるものだし、不都合なものからは目を逸らしたいじゃない? まあ、私だって人生いろいろあったし、いろいろやったけど……』
何かを思い出すかのように美歌の目が細められる。その様子に、ふと、優梨愛は美歌が見た目通りの年齢ではないかもしれないと思った。
『だからこそ、言うわ。私の言葉に何か引っかかるものがあったら、少しでいいから立ち止まりなさい。よく見て聞いて、考えるの。何が嘘で、何が本当なのか』
美歌が口の端を上げて笑みを浮かべる。それは今までとは違う、少しだけ意地の悪い表情だった。
『大丈夫、正気に返ってもちょっと黒歴史が出来るだけよ。ああ、最初からそういう気のない人は、遭遇したら指さして笑ってあげるといいわ』
「くろ、れき、し」
その言葉は知っている。知っているけど己には関係ないと、否定する心とは裏腹に、顔が勝手に羞恥で赤くなる。
『もちろん私は全力で笑い倒したし、歴史書にも載せてあげたわ。優しいでしょう? ああ本人? 屍のようになりながら廃棄して回ってたわね。それを上回る速度でばらまいたから無駄な努力だけど』
盛大に拡散される黒歴史。あまりの容赦のなさに、優梨愛の目が若干虚ろになる。
この場に来てからどれだけ時間が経過したのかはわからないが、浮き沈みが激しすぎる優梨愛の精神状態は悪化の一途を辿っており、疲労の蓄積が半端なかった。
『別に私だって鬼じゃないのよ? ちゃんと偽名にしてあげたし……わかる人にはわかるけど』
わかる人にわかってしまうのは、十分鬼の所業ではないだろうか。どう考えても優しさは欠片もない。
『それに、彼女のことだって結果的に笑い話で済んだけど、そうじゃない人もいるのよ、たくさん』
だから、と美歌は微笑んだ。見えるはずのない優梨愛の目を、真っ直ぐに見て。
『少しでもいいから、私やバカ王の言葉が、あなたの心に届きますように』
それは祈りの言葉。
嘘偽りのない、ただただ案じ、願うだけの言葉。
『どうかこの世界であなたが、幸せだと、楽しかったと思える人生を歩めますように――』
優梨愛は目を閉じる。
何故だか無性に、泣きたくなった。
□ □ □
「130 直視した結果、穴に埋まるしかなかった私の話(後篇)」は、明日(2/5)に更新します。
そして、悲鳴のような声を上げたかと思うと、次の瞬間には、枕を抱きしめて広いベッドの端から端へとのた打ち回るように転がる。
そんな優梨愛の奇行は、傍から見れば間違いなく「聖女様ご乱心!?」といいたくなるようなものだったが、幸運にも見る者はいない。
ひとりになりたい、と言って寝室に引きこもっているためだ。
伝説の剣が消えたということを知る周りの者達が、気落ちした優梨愛をそっとしておいてくれている。その気遣いは心底有難いと思うが、実際の優梨愛の内心は伝説の剣のことなどまるで関係のないことに支配されていた。
穴を掘りたい、と。
浅い穴ではなく、温泉を掘り当てるぐらい地下深い穴を掘るのだ。そして、そこに人知れずひっそりと入り、埋まってしまいたいと優梨愛は切実に思っていた。
(恥ずかしいっ、ほんっとうに恥ずかしいっ!! 穴に埋まりたいっっ)
ごろごろごろごろと、ひたすら悶える。
人は羞恥心で死ねるかもしれないと、優梨愛は初めて知った。それほどに恥ずかしい。
暫く悶えた後、体力の限界が来た優梨愛は仰向けに寝転がる。そしてぼんやりと天蓋を見つめながら幾度も思い出すのは、あの日のことだった。
□ □ □
あの日、伝説の剣が消え、助けを求めた聖に断られたあげくに春樹に喧嘩を売られた優梨愛。慰めの言葉をかけるクリストファーの声も耳に入らず、ただただ悄然と項垂れる。
どうしよう、と。優梨愛の胸中をしめるのはその言葉のみ。
そのまま短いのか長いのかわからない時間が過ぎると、なにやらギルド長が話があるとかでクリストファーが呼ばれ、傍を離れることを躊躇うのを大丈夫だからと送り出した。
少しだけ一人で考え事をしたかったのだ。
だがそれは出来なかった。
「さて、さっさとやっちゃいましょうか」
「え?」
驚いて顔を上げる。一人になれたはずが、先ほどクリストファーを呼びに来たギルド職員がまだこの場に残っていた。
「やあっとあの騎士様が離れてくれたわぁ! あの人たちって頭硬いのよねぇ」
ぶつぶつと文句を口にするのは、クラウディアと名乗ったギルド職員。彼だか彼女だかは優梨愛にはわからないし特に聞く気もない。クリストファーはあからさまな嫌悪をその瞳に宿していたが、優梨愛は特に気にしなかった。初対面のインパクトは強烈ではあったが、偏見はない。そういう人もいるよね、とすんなり受け入れた優梨愛は、ある意味大物であった。
「あ、あのっ」
「ああ慌ただしくってごめんなさいね! ちょっと時間がないから簡潔に説明するわね」
先ほどとは違う意味で混乱し始めた優梨愛の前で、クラウディアはテキパキと何かを準備していく。
「あなた達のように違う世界から来た人のことは例外なく『落ち人』って呼ばれてて、先人たちの贈り物を届けるのがギルドの仕事なの」
「え? あの、私は召喚されて……」
「『例外なく』よ、聖女様」
そう告げられた優梨愛の前に、白い布が拡げられる。降り積もった雪景色を思わせるようなその色は、酷く眩しく煌めいて見える。
そこにクラウディアが装飾の1つもない、酷くシンプルな金の指輪を載せる。
「――暫定ギルドマスター室内『白の壁』、権限譲渡」
するりと踊るように吸い込まれた金の指輪は、瞬き一つで白い布の枠内ぎりぎりの円として浮き上がった。
「な、なにが……」
「よし、成功ね! 物凄い魔力持ってかれたわぁ。じゃ聖女様、この中に手を置いて」
「え、ちょ」
何が何やら理解できない優梨愛の抵抗などないようなもの。がっしりと掴まれ言われるがままその場に手を置いた。
そして。
「それじゃあ、いってらっしゃーい!」
その声が何処か遠くに聞こえた優梨愛は、目に刺さるような光に一瞬目を閉じる。そして目を開けると、そこにいた。
「……え?」
ソファと大きな額縁のようなものがある部屋。呆然と立ち尽くす優梨愛の前で、緩やかに映像が流れ始める。
それは英雄王と呼ばれるものが語る、この世界のことと忠告。それを終わりまで見続けて、今見たこと聞いたことをなんとか理解しようと試みる優梨愛だったが、そんな時間は与えられず、更なる混乱が襲い掛かる。
『はーい、可愛い女の子もそうじゃない女の子もようこそ! 先人からのおせっかいの上乗せよ! ……ってだからもうちょっと言い方がっ』
ぽんと、優梨愛の眼前に現れたのは、可愛い巫女服を来た同じくらいの女の子。もはや現状についていけない優梨愛は、ぽかんと口を開けてしまう。
『私はミカ。美しい歌と書いて美歌よ。知り合いにすっごく残念なことになっちゃった女の子がいたのよ。だから特別に注意喚起ね。ああ、野郎どもはいいのかって? あのバカ王の忠告で正気に戻れなかったら素直に滅べばいいと思うわ』
にこりと微笑むその表情は、とんでもない内容を告げているようには到底見えず、思わずスルーしてしまいそうになる。
『率直に言うわね。自分は特別で、来るべくしてこの世界に来たんだーなんて思ってるそこのあなた。それ、ただの思い込みで勘違いだから』
「え?」
浮かべている表情は変わらない。にこりとした優しい微笑み。そのままもう一度念を押すかのように言葉は紡がれる。
『ただの思い込みで勘違い』
咄嗟に、そんなことないっ、といいかけた優梨愛だが、すぐに言い返しても意味のないことに気付く。
(……これはさっきと同じく映像だもの、落ち着かなくちゃ……)
息を吐いて、続きを聞くために顔上げる。するとそれを待っていたかのように美歌は話し出す。
『言いたいことはわかるのよ? だってこんなファンタジーな世界に来ちゃったんだもの、勘違いしちゃう気持ちもすごくわかる。私だって剣と魔法の世界よー!! って雄叫び上げたくらいだし』
でも、と美歌は続ける。
『スキルとかの恩恵はあったけど、別に特別じゃなかったのよねー。私は早々に気付けたんだけどそうじゃない人もまあまあいたのよ。で、すっごい勘違いを繰り広げた女の子たちがいたの』
周りの状況がそろっちゃったのも悪かったんだけど……といいながら美歌は溜息をつく。
『なんていうか聖女の職業とか称号とか、あと回復系の魔法と……光系統の魔法? 魔物を操るスキルもかしらね。この辺りがあると特に勘違いしやすいらしいのよね』
「え?」
どくりと、優梨愛の心臓が大きく音を立てた。なぜかこの先をあまり聞きたくないと思ったが、映像は優梨愛の意思では止まらない。
『そうね……やたらとイケメンが揃ってたりとか? あなたをお待ちしていましたー的なことを言ってくる奴がいたりとか? ああ、異世界だし魔王がいて虐げられてる云々ていうパターンが一番多いのかしら?』
優梨愛の背を嫌な汗が流れる。
どれもこれも覚えがある。けれどっ、と優梨愛は何とか己を奮い立たせる。
(私は、違うっ。勘違いじゃない、ちゃんと聖女として必要とされてる。魔族に虐げられてるってっ)
クリストファーやアリス、そしていままで優梨愛に接してくれた人々を思い浮かべる。誰もが魔族の脅威を語っていたし、決して嘘を言っているようには見えなかった。
だからこそ優梨愛は彼らの言葉を疑ったことはない。
だが、続けられた美歌の言葉に優梨愛は息をのんだ。
『ちなみに魔王って普通にいい王様よ?』
「……え」
『魔族の王様。人族じゃない別の種族ってこの世界にたくさんいるの。その中の一つ、主に魔族がいる国の王様。ただそれだけ。わざわざこの世界最大数の種族を相手取って争い吹っかけるなんて面倒くさいって言ってたわ』
遥か昔は争ってたこともあったらしいけど、と続ける美歌だが、すでに優梨愛はいろいろありすぎて受け止めきれていない。
『まあ、それでね。何が言いたいのかというと』
美歌が真っ直ぐにこちらを見る。映像だと分かっているのに、優梨愛はその意志の強い瞳と目があったような気がした。
『乙女ゲーム、ヒロイン』
「……っ」
『もしかして、この言葉にギクッとした? しちゃった? した人は要注意ね、本当に要注意よ。今すぐ正気に戻りなさい!』
びしっと、美歌の指が突きつけられる。
『ただの幻想! 思い込み! 勘違い!』
ぐさぐさぐさと、小さな棘が何処かに突き刺さったような気がして、優梨愛はふらりとよろける。
心なしかその顔色は悪い。
けれど、そんな優梨愛の様子などもちろんわかる筈のない映像の中の美歌の言葉は容赦ない。
『ここは乙女ゲームの世界じゃないし物語でもない、ヒロインもヒーローもいない! ただ剣と魔法があるだけで、私たちの元いた世界と同じ辛くて苦しくて、たまに優しいかもしれない現実の世界!』
ソファの背を支えにしながら、優梨愛は呆然と立ち尽くす。美歌の言葉は理解できるのに呑み込めない。頭では分かってるのに、心が否定する。
『……でも、どんな言葉をかけようとも、自分は特別で間違っていないって思ってしまう人もいるんでしょうね』
「……」
『それはそれでいいのよ? 自業自得だもの、勝手に自滅すればいいわ。私には関係ないし』
さらりと、何でもないように美歌は告げる。
『それに、もしかしたら最後まで幸せかもしれないもの。……まあ、確率は限りなく低いけど』
信じる者は救われる、かもしれない理論だ。
『誰だって見たいものを見て、聞きたいことを聞いて、信じたいものを信じるものだし、不都合なものからは目を逸らしたいじゃない? まあ、私だって人生いろいろあったし、いろいろやったけど……』
何かを思い出すかのように美歌の目が細められる。その様子に、ふと、優梨愛は美歌が見た目通りの年齢ではないかもしれないと思った。
『だからこそ、言うわ。私の言葉に何か引っかかるものがあったら、少しでいいから立ち止まりなさい。よく見て聞いて、考えるの。何が嘘で、何が本当なのか』
美歌が口の端を上げて笑みを浮かべる。それは今までとは違う、少しだけ意地の悪い表情だった。
『大丈夫、正気に返ってもちょっと黒歴史が出来るだけよ。ああ、最初からそういう気のない人は、遭遇したら指さして笑ってあげるといいわ』
「くろ、れき、し」
その言葉は知っている。知っているけど己には関係ないと、否定する心とは裏腹に、顔が勝手に羞恥で赤くなる。
『もちろん私は全力で笑い倒したし、歴史書にも載せてあげたわ。優しいでしょう? ああ本人? 屍のようになりながら廃棄して回ってたわね。それを上回る速度でばらまいたから無駄な努力だけど』
盛大に拡散される黒歴史。あまりの容赦のなさに、優梨愛の目が若干虚ろになる。
この場に来てからどれだけ時間が経過したのかはわからないが、浮き沈みが激しすぎる優梨愛の精神状態は悪化の一途を辿っており、疲労の蓄積が半端なかった。
『別に私だって鬼じゃないのよ? ちゃんと偽名にしてあげたし……わかる人にはわかるけど』
わかる人にわかってしまうのは、十分鬼の所業ではないだろうか。どう考えても優しさは欠片もない。
『それに、彼女のことだって結果的に笑い話で済んだけど、そうじゃない人もいるのよ、たくさん』
だから、と美歌は微笑んだ。見えるはずのない優梨愛の目を、真っ直ぐに見て。
『少しでもいいから、私やバカ王の言葉が、あなたの心に届きますように』
それは祈りの言葉。
嘘偽りのない、ただただ案じ、願うだけの言葉。
『どうかこの世界であなたが、幸せだと、楽しかったと思える人生を歩めますように――』
優梨愛は目を閉じる。
何故だか無性に、泣きたくなった。
□ □ □
「130 直視した結果、穴に埋まるしかなかった私の話(後篇)」は、明日(2/5)に更新します。
応援ありがとうございます!
24
お気に入りに追加
5,397
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。