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3巻

3-2

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 結論から言うと、空飛ぶ魔法は難しかった。
 常に箒に魔力を流し循環させつつ、イメージと共にその魔力を飛ぶ力へと変換させる。
 それが飛空魔法なのだが、聖も春樹も、なかなか上手くいかない。
 特に聖は、ちょっとだけ浮かぶという浮遊魔法を使えるというのもあり、頭の中でごっちゃになってしまっていた。
 仮に上手く魔力を変換できても、箒に跳ね飛ばされ壁に激突、というのを何度も繰り返す。循環が上手くいかないとこうなるそうだ。
 だがあまりにもできないので、訓練の前にヘイゼンに言われて外していた、循環を感知しやすくする指輪を試しにめてみた。すると、いとも簡単に浮くことができて、二人は愕然がくぜんとしてしまった。
 そんなわけで、それからはより一層、魔力の循環訓練に励むようになった。
 朝も昼も夜も、とにかく無意識でも循環できるようになるのを目標に、ひたすら修練する。
 もちろん、箒を使った飛空魔法も同時進行だ。
 何度も落ちて、数えきれないほど跳ね飛ばされて、それでもなんとか形になったのは、練習を始めてから十日が経過したころだった。

「――師匠、どうでしょうか?」

 すっと浮いて、部屋の中を自在に移動しながら、聖はヘイゼンへと問う。
 もう落ちることはないし、壁に向かって跳ね飛ばされることもない。
 部屋の中を自在に飛び回る聖と春樹をじっと見ていたヘイゼンは、やがて満足げに頷いた。

「……いいだろう、今日で室内訓練は終わりだ」
「ってことは外か?」

 すいっと、春樹がヘイゼンの前へと降り立つ。その動作に危なげな様子はない。

「そうだ、とはいっても演習場だがな」

 それでも外だということに、二人は喜んだ。
 この部屋の中で飛べるようになった時も感動したが、やはり外で飛ぶのは別格だと思っている。
 そうして連れてこられたのは、塔の後ろに面した巨大な演習場だった。
 演習場を囲うようにして、上部と横に見えない壁があり、出入りできないようになっている。うっかりぶつかってもぼよんと跳ね返されるだけなので、危険はないとヘイゼンは説明した。
 そんな演習場では、多くの練習生たちが空を飛んでいた。

「……人がいっぱい」
「……そうだな、飛んでるな」
「……師匠、この人ごみの中を飛ぶんですか?」
「そうだ。避ける訓練もできるからな」

 どうやら、この人ごみの中でも危なげなく移動できるようになって初めて、試験を受けることができるらしい。
 結構厳しいな、と二人は思ったが、空を自在に飛ぶにはやはりそれなりの技量が必要なのだと考え直す。

「よし、とりあえず飛んでみろ」

 ヘイゼンの言葉に促され、聖と春樹はゆっくりと浮かび上がる。
 だが、どこまで上がったらいいのかわからず顔を見合わせていると、その様子に気づいたのか下から「できるだけ上まで行って適当に飛んでこい」と声をかけられた。
 それに頷き、二人は上を見る。

「えっと、みんなが飛んでる辺りまでって、ことだよね?」
「だな……かなり、上だな」

 上を見て、下を見て、そしてまた上を見て、意を決したようにゆっくりと二人は上昇する。
 見える景色が徐々に変わり、周囲を飛んでいる人々と同じ目線になったところで、聖と春樹は一度止まった。

「……僕、下見れない」
「まあ、結構高いもんな」

 思わず聖の箒を握る手に力がこもる。
 今までは部屋の中でしか飛んでいなかったので、高度には限度があった。
 けれど当然ながら外は違う。ヘイゼンは豆粒ほどのサイズになり、遠くの景色がよく見えた。
 それをぼんやり眺めながら聖は口を開く。

「そういえば僕、元からあんまり高いところって得意じゃなかった」
「そういや……そうだったな。今更だけどな」

 思わず苦笑した春樹の言う通り、本当に今更すぎた。
 今までは必死だったので、あまり気にならなかったのだが、これからはそうはいかない。そもそも、移動に便利だからと思って覚えたのに、実際使えないのでは意味がなかった。
 聖は遠くなりそうな意識を気合でつなぎとめる。


「……まあ、たぶんそのうち慣れる、とは思うんだけどね」
「そうだな。とりあえずぐるっと回ってみるか」
「うん」

 他の人の邪魔にならないよう、外周をぐるりと飛びながら周囲を観察する。
 この演習場はデウニッツを囲む山脈に面しているのだが、その山脈の高さは想像以上だった。
 空には結界が張ってあるものの、陸路で山脈を越えてくるならば入れるという話だ。
 だが、この見るからに険しい山脈を実際目にすると、どう考えても無理だと感じた。
 そんなことをできる者は、おそらく勇者や魔王といった、とんでもない敬称が相応ふさわしい人なのだろう。
 なんてことを考えつつ飛んでいた二人は、徐々にだが慣れてきた。
 少しずつ速度を上げ、危険がない範囲で人々の間を縫うように飛んでいく。

「ん、大丈夫そう」
「だな。そろそろ一度降りるか?」

 そうだね、と聖が振り向いた瞬間、こちらを見ていた春樹が驚きに目を見開いた。

「っ聖!!」
「え、うわっ!?」

 聖は間一髪で、後ろから飛んできた人影を避ける。若干体勢を崩したものの、なんとか立て直し、ほっと息をつく。

「大丈夫か!?」
「うん、なんとか。それよりいったい……」

 突っ込んできた人物が飛び去った方を見ると、同い年くらいの少年がこちらを向いて止まっていた。
 睨むように見てくるその金茶色のひとみには、謝ろうとする意志は微塵も感じられず、むしろ敵意があることに聖は内心首を傾げる。

「……この程度は避けられるか」
「どういう意味だ。つか謝罪の一つもないのか?」

 少年の言葉に、春樹は目を細め、怒りを隠して冷静に問う。しかし返ってきたのは嘲笑ちょうしょうだった。

「はっ! なぜ僕が謝罪しなければならない。むしろ貴様らこそ、この僕の進行をさまたげたことを誠心誠意謝罪するべきだろう」

 あごを上げ、完璧にこちらを見下したように話す少年をしばし無言で眺めた聖は、何事もなかったかのように春樹に声をかけた。

「ん、そろそろ戻ろっか春樹」
「……そうだな。師匠に次はどうしたらいいのか聞かないとな」

 聖の言葉に、一瞬目をしばたたかせた春樹だが、察してすぐさま頷く。
 よくわからない難癖なんくせをつけてくる、会話も通じないような相手とは話す価値もない。
 そう態度で示して無視しようとした聖と春樹だが、当然少年がそれを良しとするわけがなかった。

「待て貴様ら! 何を勝手に行こうとしている! というか僕を無視するとはいい度胸だな!」
「……うるさいなぁ」

 聖はぽつりと呟いた。多少離れているとはいえ、ちらほらと周囲からの注目が集まり始めているのを気にしながら、仕方なく少年に向き直る。

「で、何の用?」
「……忠告だ。ヘイゼン教授の個人指導を今すぐ辞退しろ。あのお方はお前たちごときには相応しくない」

 聖はくるりと春樹に顔を向けた。

「春樹、そろそろお昼じゃない?」
「そうだな、降りたら食べるか」
「っだから僕を無視するなと言っている!! いいか!? お前たちがどんな手を使ったのかは知らんが、教授の指導を受けるのはこの僕こそが相応しいんだ! わかってるのか!?」

 びしっと指を突きつけ言われた内容を、しばし脳内で反芻はんすうし、聖は口を開く。

「……どんな手も何も、文句は冒険者ギルドに言ってくれない?」
「なんだと!?」
「あのな、俺たちは冒険者ギルドからヘイゼン師匠を紹介されてんだよ。俺たちの意思は関係ないわけ」

 聖の言葉を補足するように春樹が言うが、少年の瞳は剣呑けんのんな光を帯びたままで、さらに理不尽なことを告げてくる。

「なぜ辞退しなかった!!」
「「は?」」

 二人の声が重なった。

「この僕がヘイゼン教授を指名する予定だったのだ! 察して辞退するのが当然だろう!!」
「「……」」

 もはや二人の感想はただ一つ。なんだこいつ、それだけである。

「いや、お前の予定とか知らねぇし」
「そもそも、どこのどちら様ですか?」
「なっ、この僕を知らないと言うのか!?」

 春樹と聖の言葉にショックを受ける少年だが、二人はただ事実を口にする。

「知るわけないだろ」
「知らない」
「――っ!」

 少年がなぜか絶句するのを見て、そんなに有名、もしくは偉い人物なのだろうかと二人は考える。
 確かに彼が着ているローブは大勢の人が着ているものとは質が違って、とても上質なものに見える。
 だが、二人にとってはなんの意味もないし、関係がないのは変わらなかった。

「いいかっ! 僕はサンド……」
「パデル様!!」

 そこに、第三者の声が挟まれた。

「……ち、なんだ?」
「今舌打ちしましたね!? なんだ、ではありません! お一人で出歩いてはいけないとあれほどっ」
「やかましい」
「やかましい!?」

 突然始まった言い合いを、聖と春樹はぽかんと見つめる。
 第三の声の主――猛スピードでやって来た青年は、聖たちには目もくれず少年に向かってまくし立てており、少年は心底面倒くさそうな態度で聞き流している。

「……よくわかんないけど、なに?」
「……さあ? とりあえずどっかのお坊ちゃんとお目付け役ってとこか?」
「ああ、確かにそんな感じ」

 この様子を見るに、どこかのお金持ちか貴族の息子なのだろう。となれば余計関わり合いたくない。
 しかも今回に限っては、厄介事やっかいごとが嫌とかではなく、純粋に面倒くさかった。
 二人は目配せをして、気づかれないようにそっと去ろうと試みる。

「待て! どこに行く気だ!」

 だが目ざとく気づかれた。
 聖はもはや、感情を隠すことなくなげやりに告げる。

「……迎えが来たみたいだから帰れば?」
「そうです! 予定が詰まってるのですぐに帰りましょうそうしましょう!」

 すかさず青年が便乗する。だが、それを聞き流した少年は忌々いまいましそうに聖たちをにらむ。

「パデル様!」
「だからやかましい! こいつらが僕からヘイゼン教授を奪った奴らだ! なんとかしろ!」
「へ? この方たちが?」

 こちらを見る青年の瞳がすっと細まるのを見て、聖は即座に告げた。

「あ、文句は冒険者ギルドにお願いします」
「事情はわかりました。この度は、とんだご迷惑を」

 冒険者ギルド、という単語一つですべてを察した青年が深々と頭を下げる。
 それに再び文句を言おうと口を開きかけた少年だが、青年が何かを小声で告げた瞬間、少年の口は閉じられた。聖たちを睨む眼差しは変わらないが何も言わない。

「「……?」」

 二人はちょっと首を傾げるが、まあどうやらこれで解放されるようなので何よりだと思った。
 その後、青年はもう一度謝罪の言葉を述べると、少年を連れて去っていった。

「結局、なんだったの?」
「さあ?」

 ヘイゼンの指導を受けたいというのはわかったが、それなら直接言えばいいだけだ……もちろんヘイゼンが承諾するか否かは別だが。
 そんなことを考えながら、二人はヘイゼンの前へと降りる。

「……戻ったか」
「はい。師匠、見えてましたよね? あれってどこの誰ですか?」

 上から見たヘイゼンは豆粒ほどだったので、普通に考えれば彼から聖たちの様子がはっきりと見えているはずはない。
 けれど、無駄に面倒見のいいヘイゼンのことだから、何らかの方法で見ているはずだとの確信が、聖にはあった。
 ヘイゼンはあっさりと頷く。

「ああ、あれか……知らないままの方がいいと思うが。聞きたいのか?」

 心底面倒くさそうに言われ、返答に困った。春樹が微妙な表情で問い返す。

「えっと師匠。ほんとにどっかの貴族、とかか?」
「そんなものだ。まあ普通にしていればまず会うこともない……いや、お前たちは落ち人だったな」
「……なんですか?」

 なぜか言い直したヘイゼンに、あんまり聞きたくないな、と思いつつも聖は先を促す。

「落ち人なら、うっかり会うこともなくはない」
「いや、うっかりってどんな理由ですか! というかそれ別に落ち人関係ないですよね?」

 そう言い返す聖に、ヘイゼンは心外そうに眉根を寄せた。

「何を言っている。落ち人とはそういう人種だろう」
「どんな人種!?」

 思わず叫ぶ聖だが、ヘイゼンが知っている落ち人たちは、基本的に『うっかり』と『たまたま』でよくわからない交友関係を増やしていたのだからしょうがない。
 それを聞いて、聖の口元が引きつった。

「で、どこの誰だか本当に聞きたいのか?」
「……知りたくないです」
「……今は、いいかな……」

 春樹ですらも、そっと目を逸らして告げると、だろうなとヘイゼンは頷いた。


 演習場に通うようになって数日、二人はその日も訓練のため箒に乗って空を飛んでいた。

「だいぶ慣れたよね。実技試験はいつになるのかな?」
「そろそろだろ? 昨日までに出されてた課題もクリアしてるし」

 箒に他人を乗せてみたり、荷物が入ったかごるしてみたりと、昨日までいろいろと課題が出されていたが、特に問題はなかった。重量が増える分、多少魔力の消費が増えるだけであまり変わりはない。
 そして、今日は適当に飛んで来い、としか言われていなかったため、実技の試験も間近だろうと二人は考えていた。

「あ、聖。右じゃなくて左に旋回」
「ん? あ、了解」

 春樹に言われ、聖は一瞬ちらりと右に視線を向けるも、すぐさま左へと進路を変える。

「師匠に直談判じかだんぱんすればいいのにね」
「だよなー。まあ、断られた後っていう可能性もあるけどな」
「あー、否定できない」

 聖は思わず苦笑する。
 よくわからない難癖をつけてきた少年の姿は、その後も何度も見かけていた。
 だが、お付きの青年が傍にぴったりと張り付いており、こちらに近寄る気配がないため、見かけたらすぐさま離れている。
 とにかく面倒な感じしかしないので、どれだけすごい目つきで睨まれようが無視だ。

(ま、それもたぶんあと少しの辛抱だけどね)

 聖は内心で呟いて意識を切り替える。
 きっともうすぐ実技の試験を受けるだろうし、合格さえすればこの場所に来ることもない。

「害はないし放置の一択だよね」
「ああ、スルーが基本だよな」

 そう、それが最善であることを二人は知っている。
 もちろん、あからさまに避けられ無視された少年の機嫌が目に見えてどんどん悪くなっていっていることなど、気にすることもない。
 さらに、お付きの青年が若干お疲れモードになっている気がしなくもないのも、二人には関係ない。ないったら、ない。
 聖と春樹には、全くの無関係であった。
 なので今日も何一つ気にすることなく一通り飛んだ後、何か指示があるかもしれないと、一度ヘイゼンのもとへと戻る。
 すると彼の隣には、にこにこと笑う老齢の女性がいた。

「戻りました、師匠、と……?」
「……誰だ?」

 聖と春樹が揃ってきょとんとすると、ヘイゼンが当たり前のように告げた。

「ああ、試験官だ」
「「は?」」
「ふふふ、初めまして? メアリちゃんて呼んでね」
「「……は?」」

 メアリと名乗った老女にぽかんと口を開けてから、二人がヘイゼンに視線を移すと、深くため息をついている。

「遊ぶな。それで、結果は?」
「ふふ、子供って可愛いわねぇ。もちろん、合格よ」
「まあ、当然だな」
「相変わらずねぇ。ま、文句なしよ」

 よくわからない会話の後、メアリと名乗った老女は「ふふ、頑張りなさい」と最初から最後までなぞ微笑ほほえみを残して去っていく。
 それを、聖も春樹も何も言えずに見送った。

「えっと、師匠? 試験官、てことは実技試験の日にちが決まったってことですか?」
「ていうか、今のが試験官かよ……」

 春樹の口元がやや引きつっているのも無理はない。何やらやり辛そうな気がするのは聖も同じである。
 だが、それに対するヘイゼンの返答は、よくわからないものだった。

「ああ、実技試験は合格した」
「……は?」
「……へ?」
「実技試験は合格した、と言ったんだ」

 聞こえなかったのか? と言いたげに淡々と告げるヘイゼンだが、聖と春樹には言葉の意味が理解できない。

「あの、師匠?」
「なんだ」
「えっと、それは僕と春樹の実技試験の話ですよね?」
「当たり前だろう、他に誰がいる」

 飄々ひょうひょうと答えるヘイゼンに、思わず春樹が突っ込んだ。

「いやいやいや!? 実技試験なんて受けた覚えもないのになんで受かってんだよ!?」

 叫んだ春樹に、全力で頷く聖。
 そろそろ試験かなぁ、とは確かに思っていたが、終わりどころか始まりも告げられた覚えはない。
 二人が思わず詰め寄るも、ヘイゼンの表情は何一つぶれない。

「なんだ、そんなことか。実技の試験は基本的に抜き打ちだ」

 担当指導官が判断し、試験官を連れてきて訓練の様子を見せるのが試験となり、それで合否が決まる。もちろん不合格の場合もあるが、抜き打ちなので試験があったことすら合格するまで本人が知ることはない。もっとも、担当指導官が大丈夫だろう、と判断してから試験をするので基本的には合格するのだが。
 そんなヘイゼンの説明に、聖はどうしたらいいのかわからず、微妙な表情を浮かべる。

「なんだろう……うれしいんだけど消化不良」
「あー、まあ、気持ちは、わかる」

 春樹も同じような表情で頷く。
 なにせそろそろ試験だ、と気合を入れていたのに、知らないところで始まって終わっていた。そして言い渡されたのは合格の二文字。肩すかし感が半端なく、素直に喜べない。
 だが、ヘイゼンは二人の気持ちの整理など待ってはくれない。

「箒へ印をほどこすのは明日になる。詳しくはグレイスに聞け。終わったら一度、僕のところに顔を出すように」
「あ、わかりました」
「了解」

 そしてそのままあっさり解散となった。


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