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1 まあ、世間ではよくある

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 何処にでも、他人のものが良く見える性質の人間というのは一定数いるものらしい。

 丈一郎は先ほど立ち寄った駅裏のとある店近くで見た光景をにわかには信じられず、首を傾げながら帰宅した。


 帰宅して真っ先にドアを開けたのはベッドルーム。
 そこには朝見た時と変わらないようでいて、明らかに違った様子が広がっている。
 たとえば、急いで直したのがわかる皺の伸ばしきれていないシーツ。とりあえず畳まれてはいるものの、端が不揃いな毛布。並べた枕も何だかヘタっているようだ。

 そしてこの、性の残臭。

 おそらく少し換気はしたのだろうが不十分だったか、或いは…。

 丈一郎は溜息を吐いて、通勤用のブリーフケースの中から使い捨てのビニール手袋を2枚取り出し、両手に装着。そのままベッド脇の小さなダストボックスに向かって歩き、蓋を取り外して中を確認し、落胆した。

(なるほど)

 浮気をするのなら、恋人名義で借りている部屋に浮気相手を連れ込むのはマナー違反だし、そこのゴミ箱に使用済み避妊具を捨てるのも良くない。たとえティッシュで幾重にも包んだとしても。しかも、その塊は3つもあった。

 浮気の証拠を前に、何故こんな事をしているのかと少し惨めな気分になるが、丈一郎だって普段からこんな真似をしている訳ではない。先ほどあんな光景を見ていなければ、この部屋の状況を見たとしても、せいぜい恋人が1人上手(自粛)でもしていたのだろうかとニヤニヤしていた筈だ。

 だが、先ほど帰りに見て、今でもハッキリと目に焼き付いている光景がそれを否定するのだ。

 それは、建物と建物の隙間に隠れるようにして抱き合いキスをしていた、恋人と友人の姿だった。




 今日は恋人の碧夢(あゆむ)の誕生日だ。
付き合って8ヶ月、転がり込まれての同棲開始から半年。
出会って初めての一緒に祝う誕生日だからと、丈一郎は柄にもなく午後から有給を取ってあちこちの百貨店やブランドショップを回り、プレゼントの物色をした。
 恋人の碧夢は、フリーランスのWebデザイナー…と本人は言っているが、前の部屋を家賃滞納で追い出された事でわかるくらい、収入は少ない。そもそもが、満を持して独立、というのではなく、会社が倒産し失職、再就職の難航…という流れでフリーランスになったらしいので、実力の程は推して知るべしだ。
 だがまあ、その辺をつつけば不機嫌になるのがわかっているので、碧夢にベタ惚れの丈一郎は目を瞑って彼を受け入れていた。
 丈一郎は中小企業勤めとはいえ、30代前半にして既に役職付き。それなりに稼ぎもある。
不運にも職を失くしたまだ20代半ばの可愛い恋人に、家賃だの生活費だのを請求する気も無かった。寧ろ不憫に思い、転がり込まれてからは小遣いをやっている始末だ。
 なんならこのまま、碧夢を養っても良いかと思っていた。
 大学4年間、一人暮らしをしていたという碧夢は家事全般をそつ無くこなし、水周りの掃除などは、やや潔癖症の気のある丈一郎さえも認めるほどに綺麗にしてしまうし料理も小一時間でパパッと3品は作ってしまう。
今まで付き合ってきた元恋人達の中には、そんなに家事が得意な者はおらず、その所為もあり長続きはしなかった。相手のいい加減さに嫌気がさした丈一郎が振ってしまうからだ。
 だが、碧夢ならその心配が無い。体の相性も良いし、何より、可愛い顔をしているというのに、初めて抱いた時、処女だった。



 碧夢との出会いは馴染みのゲイバーだ。
 丈一郎が入店して数分後に来店した碧夢は、その夜が初めての来店だった。
 慣れない店で緊張丸出しの様子に、遊び慣れた常連達は飢えた獣の目を光らせ、カウンターの中のママに視線で牽制されていたのを覚えている。
 カウンターに案内された碧夢は萎縮していたのか、丈一郎が居る席から2席空けた端の席に座った。

 ロックグラスを片手で揺らしながらチラリと見ると、何故か碧夢はじっと丈一郎の手元を見ている。
 どうしたのだろうか、と声をかけると、

『あ…ごめんなさい。何故そんなにグラスを回してるのか気になって』

と、恥ずかしそうに返してきた。
 その時丈一郎が飲んでいたのは白州というウイスキーだったのだが、ロックグラスに3分の1程注いだ酒の中に大きな球形の氷を1つ入れていた。そのグラスをゆっくり回しながら酒を冷やしつつ、尚且つ少しずつ氷を溶かす事でアルコールと中和し、口当たりがソフトになる。
 その為の作業が気になったというところだろうか。

 それを説明した丈一郎がクスリと笑うと、碧夢はまた恥ずかしそうに目を伏せた。
 そんな彼を、今度は上から下まで観察してみる。

(…可愛いけど…遊び相手にするには若過ぎるかな)

 容姿はなかなか整っているし、小柄ながらスタイルも良い。だが、どう見てもこんな店には慣れているようには見えない。

『この店、初めて?』

 問いかけてみると、こくりと頷く。
 やっぱりなと納得する反面、こんな純粋そうな若者が何故こんなところに一人で?という疑念が湧く。
 この店がどんな店なのか知らずに入って来たのだろうか?

『今日はまた、どうして?此処がどういう店か知ってる?』

 あまりにおぼつかない碧夢の様子に、柄にも無くお節介心が顔を出し、つい聞いてしまった。
 繁華街からはほんの少し外れた雑居ビルの半地下にあるこの店は、酒を愉しみに来るだけではなく、男性同性愛者がパートナーを求めて集う場所でもある。当然、店内の席を占める客は男性ばかり。
 たまに知らずに迷い込んでくる客もいるが、カンの良い客ならばドアを開けてすぐにその異様さを察知して引き返していくくらいにはわかり易い筈だ。
 それなのに彼は、萎縮してはいるもののカウンターに座り、店内の状況も見えたであろうにまだそこに居る。
 もしかして、こういった事には疎くて気づいていないのかもしれない。それならやんわり教えてやって、この魔獣の巣窟からこのいたいけな青年を逃がしてやらなければ、と思ったのだ。

 しかし。

『あ、はい。一応は…。』

『そう』

 拍子抜けした。そうか、知っているならこちらが余計な世話を焼く必要も無いだろうか。見たところ、若いと言っても成人はしているのだろうし…。

 丈一郎は少し微笑み、またカウンターに向き直った。それで話を打ち切るつもりで。
すると、碧夢は席を詰めて隣に移動して来たのだ。
 そして、弱々しいながらもはっきりと、意外な事を告げてきた。

『あの、僕…、実は以前にも貴方を見かけた事があって、一目惚れしてしまって忘れられなくて。
それで、その…さっき貴方を見かけて、つい後を追ってきてしまったんです。…ごめんなさい』

『え…そう、だったの?』

 顔を真っ赤にして、それでもまっすぐに見つめてくる碧夢はとても可愛く見えた。








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