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30 美樹の妊娠
しおりを挟む変化は緩やかに見えて、とても急激なものだった。
妊娠が発覚した時、美樹は一瞬、最悪な気分になった。
けれど、避妊薬を服用出来なかった時から諦めてもいたので、何とか気を取り直した。
美樹はそうなる事を望んでいた訳ではなかった。
だからもっと動揺したり、絶望するかと思ってもいた。
けれど、実際は自然とそれを受け入れた自分に、不思議な気持ちだった。
妊娠を雨宮に告げると、意外にも彼は喜んだ。
雨宮が美樹に喜色を見せるのは、番になって初めての事だったから、美樹も悪い気はしなかった。
雨宮の両親や親族達にも祝われて、美樹はかつての輝いていた頃の自分を思い出し、久し振りに気分が良かった。
大切にされて、チヤホヤされて、承認欲求が満たされるような気がした。
妊娠を境に、雨宮の態度が変わっていったのも、嬉しかった。
美樹という人格を踏み躙るように抱かれ続けたのに、雨宮の子供を宿した途端に、本当に大切な番であるかのように扱われるようになった。
それは美樹自身の内面にも、少しずつ変化をもたらした。
暴君のようだった雨宮が、自分を労り、世話を焼き、腹を撫でる。
美樹の髪を撫で、ありがとうと言いながら穏やかに微笑みかける。
雨宮の手はあたたかく、その瞳は愛情に満ちているように見えて、美樹は嬉しいながらも首を捻った。
本来、αは自分の番に対して過剰な迄の庇護欲を持ち、愛情を注ぐものだと、美樹は聞いていた。
今の雨宮は、そんな本来あるべきαの姿そのものに思える。
美樹が自分の種を芽吹かせたからというのが切っ掛けとなり、覚醒したのだろうか。
それとも、虐げられていたようでいて、密に過ごしたあの日々が雨宮の美樹への愛情を芽生えさせていた?
それはとても説得力のある仮説のように思えた。
美樹自身も、妊娠がわかってからの雨宮の態度に、頑なだった気持ちが変化しているのを感じている。
雨宮の優しさに、安心している自分がいる。
美樹は自分は、子供を持つ事に不向きな人間だと思っていたのだが、それも覆された。
美樹の胎内で日々健気に育ち続けている、未だ小さな小さな命。
その命に、意外な程に、優しい気持ちを持っている自分が不思議だ。
命を宿すと、人はこんなに穏やかな気持ちになるものなのだろうか。ホルモンバランスの関係なのか、美樹が変わり始めたからかは、わからない。
悪阻がそう重くなかった事は幸いだったが、それでも腹が大きくなっていく毎に、不自由を感じたり不安定になったり大変な事も多くなった。しかしそんな美樹を、雨宮はとてもよくサポートしてくれた。
苦しい時の自分の八つ当たりにも苦笑いひとつで流して、逆に労る言葉を返してくれる雨宮は頼もしかった。
美樹は、樹生が産まれる前後の事を思い出していた。
もっとも、幼かった頃の事だから全てを鮮明に覚えている訳ではなかったが、大きくなっていく母のお腹を触らせてもらっていた時に、中から樹生が蹴った時に感じた嬉しさを思い出した。
この中にいるのは妹なのか弟なのかと心待ちにして、美樹は毎日母のお腹に小さな手をあて、耳を押し当てながら樹生の命の鼓動を感じていたのだ。
楽しみにしていた。
産まれてきたら、自分は兄になるのだから、絶対に一番可愛がるのだと決めていた。
産まれた弟は可愛くて、その、動いているのが不思議なほどに小さな小さな手が美樹の指を握った時、きっと自分が守るのだと、幼心にそう誓って…。誓ったのに。
何時から自分は、樹生を鬱陶しい存在だと思うようになっていたのだろうか。
赤ん坊に母の手が必要なのは当たり前の事なのに、自分ばかり我慢しているように感じて…。
自分を見て欲しいと、駄々を捏ねて母を困らせた。
泣き声ひとつで両親の関心を奪っていく樹生を羨んで。
樹生に手がかからなくなってきたら、両親は寂しい思いをさせたからと美樹を殊更かまってくれるようになった。
その両親の罪悪感につけ込むように、美樹は我儘になり、その視線と関心を独占し続けて、未だ幼過ぎる程に幼かった樹生を、独りにした。
「…ごめん…樹生、ごめん…。
父さん…母さん、ごめんなさい…。」
自分が人の親になろうという時になってやっと、弟に対するあの頃の自分を恥じた。
腹の中で十月十日守られて、この世に生まれたばかりの子供から、早々に親の愛情を取り上げる残酷さを、今迄の美樹なら、想像しようとすら思わなかった。
もし自分の中で育っている、この子が。
樹生のような育ち方をしなければならないとしたら…。
美樹が樹生から奪ったのは両親の関心だけではなかった。
樹生の僅かな持ち物さえ、奪い続けた。そして、人さえも。
辿れる限りの記憶を辿って思い返してみると、美樹はもう 樹生にどうやって謝れば良いのかわからなかった。
顔を合わせても、ろくな謝罪の言葉が出てくる気がしない。
生まれてこのかた、満足な謝罪などした事が無い。
美樹は別に全てを反省できた訳ではない。
少しばかり部分的に反省したとしても、培われてきてしまった人間性が一朝一夕で変わるわけでもない。
けれど、生きてきた人生を振り返る切っ掛けにはなる。
きっと、美樹だって変われる筈だ。
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