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9 この胸の内を明かしても君は、
しおりを挟むあの告白の日以来、氷室は毎日、バイト先にやってきた。
来店時間は、毎回俺のバイト上がりの頃。
律儀に店内に入ってきて、ちょっとしたドリンクやらを買ってから出ていく。
そして、店の外で俺の出待ち。
ニコニコしながらお疲れ様と言って、買ったドリンクやら甘いものを渡してくる。
ここ1ヶ月ばかり、人員不足によるシフトの空白を埋める為に、店長に頭を下げられて授業の無い曜日も含め週6で出勤していたので、流石に疲労が溜まっている。
そんな状況なので、正直 氷室が自宅迄車で送ってくれるのはありがたい。
好意を利用しているようで気はひけるが、それを口にすると氷室は笑いながら言った。
「どうせ好きで待ってるんだし、送るのだって、僕が少しでも樹生さんと一緒にいたいからです。」
「はあ…でも…。」
「どちらかと言えば、僕の方が得してる。」
本当に嬉しそうにそう言う氷室に、絆されかけている。
これだけ真摯に自分だけを見てくれる人が恋人になれば、きっと幸せだろう。
今は未だ微妙な立場の俺が立ち入った事を聞く訳にもいかないと思い、何の仕事をしているのかは聞いていないけれど、何時もパリッとした質の良さげなスーツ姿だし髪もきちんと整えている。
身につけている時計や靴、持ち物も見た目からして上質で、シンプルながらも値は張りそうだ。
大企業の御曹司って事だから、その会社か関連会社に入ってるのかもしれないな、と推測。
世間の誰から見ても高スペックなのに、この腰の低さや謙虚さは何なんだろう。
人格者かよ、見習いたい。
俺は運転する氷室の整った横顔をぼおっと眺めた。
「お腹、空いてませんか?」
不意に聞かれて、見蕩れていた事に気づいて戸惑った。
「あ、えーと…まあ。」
減ってると言うと毎回、何処か未だ営業している店や知り合いの店とやらに連れていかれてしまうので、何だか申し訳なくて口を濁した。
こんな風になってもう2週間にはなる。
未だ返事も保留しているのに、いくら相手に経済力があるとはいえ、毎回奢られてしまうのは図々し過ぎるだろう。
自分の分は出すと言っても、もう少し一緒にいたくて連れてきたのは自分だからと言われてしまう。
幾ら社会人と学生、セレブと庶民とはいえ、これはあまりに一方的に尽くされてしまっている気がして座りが悪い。
「…家に帰ってから食います。」
そう言うと、氷室はクスクス笑いながら言った。
「心配しなくても僕が勝手にしている事なので、こんな事で付き合えなんてケチな事はいいませんよ。」
「…そんなつもりで言った訳じゃ…。」
「樹生さんが食べてるところを見ているのが幸せなんです。僕が。」
「…へんなの。」
「あはは。
でも、毎日お疲れなのに時間をいただくのも申し訳ないので、今日は持ち帰りで食べられるものにしました。
後部座席に置いてあるので、降りる時に。」
「えっ?」
「たまには早く帰って、ちゃんと寝ないと体力持ちませんよね。
嬉しさにかまけて気がつくのが遅れてしまいました。
申し訳ありません。」
「そんな…。ありがとうございます。」
こ、こんな出来た男、いる?!
グラグラ揺れて落ちかけていた俺の心は、これで完全にノックアウトされてしまった。
なんちゅー気遣い。
好きにならない理由がねえよ。
いや食い物に釣られたとかそういう事じゃない。
…本当にない。
「知人の店に頼んでおいたんですよ。気に入ってもらえると嬉しいな。」
そう言って穏やかに微笑む氷室。
この男は、誰にでもこんなに優しいんだろうか。
(…それは、何か嫌だな…。)
何故かモヤモヤするのは、もう俺がこの男に心を許しかけてるからなんだろうか。
俺は後部座席を振り向いてみた。
結構大きめの赤い袋。洒落た小さな金のロゴ。
何の店だろ。中華かな?
「…本当に、ありがとうございます。」
「ふふ。樹生さん、何時も頑張ってるから。」
優しい声だ。
大学とバイトの連勤で疲弊した心身に染み渡るわ…。
俺は知らずの内に、頬が緩んでいるのに気づいて、慌てて俯いた。
見られていなかっただろうか。
視界に入る景色はもう直ぐ自宅が近くなっている事を知らせている。
それに気づいてた俺は、氷室に伝えておかなければならない事があったのを思い出した。
「氷室さん、来週からは週3に戻るんです、バイト。」
「え、そうなんですか?」
「事情で休んでいた人が来週から戻ってきてくれるんです。」
「そうですか。少し無理されてましたもんね。良かった。」
氷室は俺の体を心配していたから、素直に安心したんだろう。表情には安堵が見えた。
「でも、なら毎日会えなくなってしまうんですね。
それは少し、寂しいな。」
安心したけど、少し気落ちしたのも本当なんだろう。
自分だって仕事をして、毎回俺の迎えに来るのは大変だっただろうに。
俺が出勤の日には、土日でも来てたし…。
ほぼ毎日会って、送り。
氷室は本当に、俺に本気なんだろう。
だから俺は決めたのだ。
「あの、氷室さん。
話したい事があるんだ。」
「え…?」
流石に突然過ぎただろうか。
氷室は少し驚いた表情で俺を見た。
「…少し、何処かで停めて欲しい。」
俺がそう言うと、氷室は少し走って脇道を入った所にある公園の傍で、車を停めた。
昼間なら良い散歩コースになっていそうなその公園も、この時間になればしんと静まり返っている。
街灯の灯りと周辺のマンションや住宅の明かりだけが静かに夜を照らしているだけの場所。
俺が少し緊張しながら氷室に顔を向けると、氷室も俺を見つめていた。
喉が鳴る。膝の上に置いた手を、ぎゅっと握り締めた。
「氷室さんは、俺がどんな人間でも、好いてくれるんでしょうか。」
俺の問いをどう受け取ったのか、氷室は頷いた。
「受け止める度量はあるつもりです。」
そうだろうか。
「俺、氷室さんが思ってるような、健気な人間ではないです。」
「…どういう意味でしょう?」
氷室は訝しげに眉を顰めた。
「俺は、兄を憎んでいるし、兄を選んだ元カレも憎んでいます。大嫌いです。
祝福してたなんて、嘘です。」
一度口にすると吐露は止められなくなった。
「今でも、願ってます。アイツらに天罰が下れば良いと、本気で。」
「…無理もないです、それは。人ですから。」
俺は少し驚いた。清廉潔白で優しい氷室が、こんな事に同調するとは思わなかったからだ。
「俺の心は、ドロドロしたものでいっぱいで、全然綺麗じゃないし健気でもないし、裏切られたら執念深く恨みます。」
「はい。」
「そんな、汚い心の俺でも、受け入れてくれますか…?」
何時の間にか、太腿の上で握り締めた拳は震えていた。
怒りを思い出せば、悲しみも辛さも思い出す。
俺は涙が溢れるのを止められなかった。滲んだ視界にも、氷室が頷いたのがわかった。
運転席から乗り出してきた氷室が、俺を抱き締めてくれた。
遠慮がちな氷室にしては大胆な行為だ。見るに見兼ねたのだろう。
優しい氷室は、泣いてる俺を、放っとけなかったんだ。
「…何時でも、連絡取れるように…番号と、LIME…。」
一頻り泣いて気が済んだ俺は、トートバッグからスマホを出してロックを解いた。
スマホから顔を上げると、真剣な顔をした氷室。
「それは、答えだと…受け取って良いんですか?」
低い、落ち着いた声。
「…はい。」
頷く。
氷室は少し唇を震わせて、次には泣き笑いのような顔で、それでも笑顔を作った。
そして、スマホを持った俺の手を両手で包む氷室。
同じような事をされても、雨宮とは全然違って安心感があるなと、少し笑ってしまった。
「ありがとう。絶対、後悔はさせません。
貴方の苦しみも悲しみも、僕も一緒に背負いましょう。」
「それは…そんな汚いものは、俺だけで十分。
こんな俺を受け入れてくれただけで。」
それだけで、俺は嬉しかった。
「あと、ついでに少し、我儘聞いてもらって良いですか?」
俺は氷室の手の甲に頬を当てて、その体温に安心する。
氷室が身じろいだのがわかった。
「…何でも、言ってください。」
氷室はそう言って、俺の言葉を待っている。
「蓮巳、って…呼びたい。
よそよそしい敬語も、嫌。
それから…、」
そして俺は、1番言いたかった事を口にする。
「絶対に俺を、嫌いにならないで。」
それを聞いた氷室は俺をまた抱き締めて、額に恭しく口づけをして、答えたのだった。
「命を懸けて、誓う。」
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