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3 その男、氷室。
しおりを挟むその日そこでのその男との出会いは、どうやら偶然という訳ではなかったようだった。
「…あの、」
客足が途切れた微妙な時間帯。バイト先のコンビニで品出ししている最中に 肩越しに掛けられた低音は、俗に言う、尾骶骨に響くという表現そのままのめちゃくちゃ良い声だった。いや、たった二文字でそんな判別出来るレベルってヤバくね?
振り向いてみると、見覚えのあるようなこれまた超絶イケメン。
αだな。こりゃαだ。間違いない。抑制剤は服用してるんだろうが、抑えきれてない良い匂い漏れ出してるもん。クソ、裏山。
どうせなるなら俺もαが良かったなあぁ~。
「いらっしゃいませ、何かお探しですか?」
俺はこの半年で会得した営業用の笑顔を貼り付けながら立ち上がった。
向かい合う形になると、その男は俺よりも頭一つ分は高い。
それにしてもやっぱりどっかで見た事がある気がする。
芸能人だろうか、と思い巡らせるが思い出せない。
その間、目の前のイケメンは何故かじっと俺を見ていて、その視線に居心地悪くなるが、相手は客だ。
「あ、…松永さんっておっしゃるんですね。」
「え?はい、松永ですが…。」
不意に名前を呼ばれて、内心ビクつくが、男の目線が胸元の名札に移動しているのに気づいた。なるほどそれでか。
「あの、下のお名前は…?」
え、な、何で?それ言わなきゃいけない事?
急に要注意人物かと身構えた俺に、その男は少し慌てたように手を振って言った。
「いや、知り合いに似てて。
もしかして、なんですが…兄弟います?美樹っていう…。」
「あ、兄のお知り合いですか。」
「やっぱり!美樹くんお元気ですか?
僕、氷室と言います。
大学時代の友人で。」
何だ。ビビらせんなよな。
俺は安心して、強張っていた全身の力が抜けた。
そういや年齢的にも兄貴と同年代くらいかも。
俺は改めてその男を観察した。顔つきが精悍な割りには、口調も声色も優しそう。目は切れ長だけど、表情は柔和。
身長は約190センチ…くらい?
肩幅は広くてしっかり、手足が長い。
整えられた艶やかな黒髪、理知的な黒い瞳。通った鼻筋、薄く形良い唇。
着てるものも、ジャケットひとつ見ても明らかに素材が良いのが、俺にすらわかる。
これはかなりのボンボンだな…ってとこで思い出した。
この人、兄貴の元本命じゃね?
一度、兄貴の友達のSNSで、ゼミの仲間で撮ったっていう画像を見た事がある。
何人もの学生の中でも際立ってイケメンだった。
あの兄貴が必死にモーションかけてたのに歯牙にもかけられてない、ってのも その時聞いたんだった。
正確には、友達としてしか認識されてない、みたいな?
聞いた時は、流石トップランクのαは理想もめちゃくちゃ高いんだな~、と思っただけだったんだけど…そっか、コイツがねえ。
リアルで見ると、なるほどだわ。オーラが違うっつか。
雨宮も結構イケメンだって思ってたけど…この人を知ってたなら見劣りはしてしまうかもしれない。
兄貴の気持ちがほんの少しだけわかった気がした。
いやまあ、俺はそんな高望みなんかする気はないんだが。
「氷室さん、ですか。
兄は元気ですよ。」
別に元気無いとも病気とも雨宮からは聞いてねーし、普通に元気なんだろうよ、と思いながら答えた。
氷室は、ニコッと笑って そうですか、と言った。
そして何故か俺をしげしげと見つめて、
「美樹くんに弟さんがいるのは知ってましたが…。
下のお名前、教えてくれませんか?」
「え、えぇ~…っと…、」
え~…何でこの人、そんなに食いついてんの?
今更他人の番になった兄貴に興味が沸いた訳でも無く、まさかの俺?
あ…そっか。この人、知ってたんだっけ。
兄貴の今の番が、俺の恋人だったって事。
あの"運命の番"騒動をSNS経由で知ってるんだよな。
それを理由に、執拗く交際を迫っていた兄貴をスッパリ振ったと聞いた。
もしかして、だから恋人を寝盗られた俺に興味が?
「是非教えて欲しいです。
…身元が怪しいと思われてるなら、身分証を…。」
「あ、いや別に怪しんでる訳じゃ…。樹生です。」
「樹生さん…。樹生さんですか。」
そんな噛み締めるように言うような大した名前でもないんだが。
それに、兄貴は美樹くんなのに、何で歳下の俺には樹生さんなの?
そろそろ表情に困惑が出ていそうだ。
俺の記憶が確かなら、この氷室って男は日本有数のトップ企業の御曹司で、α家系のセレブの筈だ。
そんな奴が何故俺の名前なんか知りたいのか。
兄貴が元気だとわかれば速やかに立ち去るが良いぞ。
「あの、俺 仕事中で。あまり立ち話は…。」
そう言って品出ししていた棚をチラッと見ると、氷室はやっと、自分が仕事を中断させていた事に気がついたようだった。
いくら客が少ないとはいえ、暇な間にやっておかなきゃならない事は結構ある。
「それは申し訳ない事を…。
あの、樹生さん。連絡先を教えていただけませんか?」
「え、連絡先?何故ですか?」
少し警戒した声になってしまった。一応職場なのに、反省。でも明らかに不審じゃん。
「兄貴に用なら、兄貴に直接連絡をするか、共通のお友達伝てにしてみては?
兄が結婚してからは離れて暮らしてるので、俺を介してってのはやめて欲しいです。」
はっきりそう言うと、氷室は慌てたように胸の前で小さく手を振った。否定か。
「違います。美樹くんの事は…まあ、元気なら別に良くて。
あの…突然こんな事を言われては困らせるかと思うのですが…。」
氷室は少し躊躇しながら、遠慮がち…というような話し方をした。
何なんだ、一体。
「困らせる?」
俺が困るような事を言われるかもしれないのか。それは嫌だな。
そう思って少し眉間に皺が寄ったかもしれない。
すると、氷室は思い切ったようにこう聞いてきた。
「あの、樹生さん。」
「はい。」
やたら真剣な面持ちに、ついつられる。
「失礼ですが、Ωでいらっしゃいますよね。」
「そうですね。」
そりゃ、チョーカーを隠す不自然なハイネックでわかるよな。抑制剤を服用していても、相性の良いαにはわかると聞く。
「今現在、恋人は…いらっしゃいますか?」
「……いませんが。」
「想いを寄せておられるとか、そういう方は…?」
「いませんね。」
吐き捨てるように答える俺。
雨宮とあんな別れ方をしてから、全く誰にも興味が持てない。
既に雨宮に未練は無いが、信頼や愛を裏切られた記憶というものは、人を臆病にするようだ。
それにこの2年というもの、どうやってあの2人を見返してぶち壊してやるかっつー事で頭がいっぱいだったから。
どっちもに吠え面かかせてやらなきゃ気が済まないし次に進めない。
しかし俺のその答えに、何故か氷室は喜色満面で、
「そうですか!!」
と言った。
喜色満面。超絶イケメンの笑顔、眩い。
「あの。僕、樹生さんに一目惚れしてしまいました。
今現在、どなたもおられないという事なら、取り敢えずという事でも良いので…番になる事を前提に、お付き合い願えませんか。」
馬鹿丁寧な言葉の意味を咀嚼するのに時間がかかった。
えーと、つまり?
一目惚れしたから俺と付き合いたいって事?
「……本当に突然ですね。」
意味を理解した俺は一瞬絶句していたが、何とか持ち直してやっと言葉をひり出した。
すると氷室は、少しだけ微笑んだ。
「……俺は、氷室さんには不釣り合いだと思います。」
そう答えたのは、何も家柄だけの問題じゃない。
俺は確かにΩだが、Ωというだけなのだ。
そしてそのΩの中では多分、最底辺。美しいって柄でもないから、氷室のようなハイスペαの横に並ぶには不相応だ。
それに氷室は俺と兄貴と兄貴の番の間にあった事を知ってる筈なのに、何故そんな事を言うんだろうか。
兄貴で靡かなかったαが、何故兄貴の劣化版の俺なんだ。
そもそもさっき声を掛けてきたのだって、兄貴に似てるって思ったからじゃないのか。
「……何故、不釣り合いだと思われるんでしょうか。」
氷室は何かを押し殺したような静かな声で、俺に問うてきた。
俺は少し考えて、それには返さず違う質問をしてみた。
「…氷室さん、俺が兄貴に似てるから声を掛けてきたんですよね?」
「いえ…実は少し違います。」
「えっ?」
「実を言うと、一目惚れしたのは今日ではありません。」
「……え?」
さっきから想定外の返答ばかりが返ってくるので、語彙力が2くらいになってる。
いや、どういう事…?
とうとう困惑を顔に出した俺に、氷室は苦笑して言った。
「お仕事、あと1時間程ですよね。
お宅迄お送りしますから、少し僕の話を聞いていただけませんか?
車が嫌なら、この近辺のお店でも良いので。」
何故勤務時間を知っているのか。
まさか前からストーキングでもされていたのか。
少しゾクッとした。
いやまあ勘違いだろうが。
けれど、これだけ礼を尽くして頼まれたら断り辛いし、何より氷室の言ってる事が不思議過ぎて、ちょっと胸につかえてる感じで気持ちが悪い。
「……わかりました。少しなら。」
それが氷室と出会った日の記憶だ。
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