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8 悪人の末路とは
しおりを挟むそこは浴室だった。しかも、船の中にあるとは信じられない広さの。
湯気の立ち込める浴室内の中央には、湯の張られた大きなバスタブが2据え見えた。何故、2据えも...?それに、なんだろう...香水とも違う、嗅いだ事のない良い香りがする。
シュウは私を抱えたままバスタブの片方の傍まで歩き、ゆっくりと降ろしてくれた。近くでよく見れば、そのバスタブは白木を組んだような長方形のもので、2据えどちらの中の湯も綺麗な薄い乳緑色だった。近づいてみてわかったが、良い香りはどうやらその湯から醸し出されているようだ。それに見とれている内に、私はシュウによって、あれよあれよという間にみすぼらしく汚れた服を剥ぎ取られた。それから桶に汲んだ湯をそろそろと肩から掛けられて体を流され、また抱き上げられてバスタブの湯に浸けられた。
城に居た時でさえ腰程の湯にしか入った事が無かった私は、体が入った事でバスタブから贅沢に溢れ出ていく湯の量に驚いたが、悪くない気分だ。
(気持ち良い...)
久々の湯浴みだという事も嬉しいが、船の中でこんなにも豊かに湯が使えるなんて。ホーンまでの航海をするような船だからそれなりの規模なのだろうが、どれほどの量の水を積載しているのだろう。それとも、これもホーンならではの魔術が関係しているのだろうか。
それにしても、この湯の感触は不思議だ。ほんの少しとろみを感じて肌馴染みが良い。ちょうど良い加減の温かさに気分がほぐれ、体中にこびり付いていた色々なものも溶け出していくようだ。
それは、あの断罪劇の夜を境に王族としての尊厳を奪われ苦渋を強いられてきたこの数週間の辛さを吹き飛ばしてくれるように感じた。
「どうだ?我が国の風呂は」
「...え、あ...」
心地良さにぼんやりとして、暫しシュウの存在を忘れていた。
私を背後から抱きしめてきたシュウの腕は、上腕部まで露わだ。彼もあの長ったらしい衣類を脱いだらしい。衣に覆われていた時には見えなかったが、みちりと筋肉の付いた腕は、やはり私の腕より太かった。それを見て、何となく羞恥を感じたのは何故だろう。
「初めて見た時よりも痩せたな」
シュウの腕が、私の首や鎖骨、腕や胸を探るように撫でていく。とろみのある湯と、シュウの妙に艶めかしい触れ方。思わず漏れそうになった声を、すんでのところで噛み殺した。
「...っ...塔の食事が合わなくて」
そう答えると、彼はふん、と頷いた。
「温室育ちのそなたには堪えただろう。愛らしい顔に似合わぬ悪さばかりをするからだ」
「...ふん」
歯が浮くようなセリフを、よくもそれだけ口に出来るものだ。聞いている方が恥ずかしくなってくる。こんな図体の男を捕まえて、よくもそんな。
「どれ、私も入るとしよう」
「えっ」
長い腕が首から解かれたかと思うと、後ろで立ち上がった気配がした。
バスタブの横に立ったシュウはやはり全裸になっていて、その体は首や腕を見て想像していたよりも素晴らしい。隆起した筋肉と締まった腰に長い手足。まるで鍛え抜かれた屈強な騎士のような体だ。なのにそれを覆う肌は滑らかで傷一つ無い。
急に自分の体が恥ずかしくなった。
ここ数年はろくに剣も握らず、鍛錬らしい事からは遠ざかっていた。塔の食事で痩せた事を言い訳にしても、シュウとは比べ物にならない。
私にしたのとは全く違う雑さでザバッと自分の頭から何度か湯を被ったシュウは、バスタブに入ってくるなり私の腰を掴み、あっという間に膝に乗せた。
「ちょ...」
「何もしない。大人しくしていろ」
対面したシュウは、後頭部で高く結わえていた髪留めの紐を片手で器用に解き、拠り所を失った長い髪はそのまま落ちて、肩や翡翠のような色の湯の上に広がった。見慣れぬ濡れ黒羽色の美しい黒髪がシュウの美しい顔や逞しい肩にぱらりと落ちるその様はやけに美しく神秘的で、私は思わず抵抗も忘れ見蕩れてしまう。
今まで私は、金色こそが高貴さの象徴であり、最も美しい色だと思っていた。父上や兄上、叔父や従兄弟のサイラスも輝くような金髪で、彼ら程の純度ではないにせよ、私だってそれを引き継いだ。たまに見かける異国の商人らの黒髪など、忌まわしい下賎の色だと見下して嗤った事もあった。だが、今目の前にあるこの男の持つ漆黒は、金色とは対比にありながらも同等か、それ以上に高貴な輝きを持っている。
とても、嗤い者になどできよう筈もない至高の美。
「美しい...」
思わず口を衝いて出た言葉に、はっとして、口を押さえようとした手首を掴まれた。
「お前のような国の者でも、私を美しいと思うのか」
「...あ、えと...うん」
「そうか。ふふ、そうか」
戸惑う私の手の甲に口づけながら、シュウは機嫌良さげに言った。
「恥ずかしがるな。此処には私とお前以外誰も居ない。入らないよう申し付けてあるからな」
「え...」
そういえば、と私は浴室内を見回した。確かに誰も...あのアスカという従者も入ってきていないようだ。王族の風呂に介助の召使いが居ないなんて、良いんだろうかとシュウを見ると、シュウは私の心を読んだように言った。
「この先ずっと、お前の体は私が洗う」
「ええ...」
一国の王になる男が、奴隷と呼ぶ者の体を洗うのか?毎回?私が洗わされるのではなく?
それは、どうなのだ、と思ったが、それから実際にシュウはバスタブの中で私の髪を洗い流し、体を洗ってくれた。
これではどちらが奴隷なんだかわからない。
そして洗われた後にはまた抱き上げられて、もう1据えのバスタブに一緒に入った。
なるほど...体を洗ってしまえば最初に浸かって汚れた湯にはもう入らないのか。本当に贅沢だなと感心する。
シュウは私を膝に乗せて、上機嫌で私の濡れた髪を指で梳きながら言った。
「美しい黄金色だ。
お前は私だけの者なのだから、これから先は身支度を手伝う以外は何人たりとも一切触れさせるな。
万が一、邪な心を持つ者にでも触れさせたなら...私はその者の手は切り落とさねばならなくなる」
「そんな...」
冗談かと思いつつも、やや頬を引き攣らせながら見たシュウの目はゾッとする程冷たく、全く笑ってはいなかった。
どうやら本気らしい。
「ホーンに到着したら、お前は私の後宮に入れる。しかし他の妃達とは一切顔は合わせないよう計らっているから安心せよ。
身の回りの世話をする者は2人。まだ幼いが気のつく者達だ。その2人の他に、警護も数人付けるが、お前の部屋に出入り出来るのは私が許可した世話役の小者2人のみになるよう結界を張る」
「け、結界?」
聞き慣れない語彙が出てきた事にも驚いたが、私に関わる人間を徹底的に絞るつもりでいる事にも驚いた。
一目惚れしたとはいえ話した事もなかった人間に、人はこんなにも執着できるものなのか。
「邪心を持ってお前に触れようとする者は生かしておかぬ」
私を映す美しい瞳とは裏腹な、地を這うような低い声に、金縛りにあったように動けなくなる。それに気づいたのか、シュウは笑いながら膝に乗せた私の腰を持ち上げて、最初と同じように自分の方に向かせた。
「ついでだから言っておくが、逃げられるどとは思わぬ事だ。...まあ、万が一そんな事があれば、お前の四肢を切り落として飼うだけだがな」
「ひっ...」
この男なら本当にやるだろう、とわかる。美しい笑顔の下にチラチラと見え隠れしている手段を選ばない残忍さ。
元より虚勢ばかりで小心者の私などが、それに対抗できる筈もない。
「そう怯えるな。私はお前の鼻っ柱の強いところも気に入っているのだから」
シュウは黙り込む私の後頭部を掴み、きつく腰を抱き寄せて唇に唇を重ねた。そして、角度を変えて私の口内に舌を差し入れ、蹂躙する。私はただそれを受け入れ、されるがままになるしかない。
「逃げようとさえせず、私以外に肌を許さなければどんな事も許してやる。だからせいぜい、奴隷にそぐわぬ高慢さで私を振り回して籠絡してみせろ」
そう言ってシュウは、私の首筋に犬歯を立てた。鋭いその痛みに、私は巨大な蛇にじわじわと巻かれるような息苦しい感覚を覚える。
それからの私に出来たのは、諦めて目を閉じ、私の身を貫く男の背に両腕を回して声を上げる事だけだった。
その後私は、ホーン王となったシュウに愛された、ただ一人の奴隷となったが、40を前に病を得る事になった。
若い頃に愚行を重ねた割りには意外と悪くない人生になったものだ。
遙か遠くに離れた故郷に思いを馳せながら、泣きじゃくるシュウの腕の中で私は永遠に瞼を閉じたのだった。
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悪い子だったとしても、愛されたくて認められたくて捻くれてた第4王子でしたから。
シュウの蛇みたいな執着の強さは大好きです!!🥰最期までこんなに愛されて、本望ではないかしら。
ありがとうございました✨✨✨
もくれんさん、ありがとうございます!
シュラバーツ殿下は超絶どうしようもない性根捻くれキャラなんですが、私的には嫌いじゃないんですよね。なのでどうにかならないかと思い、毒を以て毒を制してもらい、救済してもらった形です。
...まあ、シュラバーツ殿下が幸せと感じるかはわかんないんですけど(笑)
ご感想ありがとうございます☺️
この話は修羅場…じゃない、シュラバーツ殿下のざまぁ&ちょっぴり救済のつもりで書いたのですが、……救済、あるのか不安になってきました。殿下の体が心配です。
浮気の断罪中にヤバい攻めに目を付けられたどうしようもないアホの子王子にご感想まことにありがとうございます。
のんびりお待ちいただいてるのもありがたーい🤗
ヤツの行く末を見守っていただければ幸いです🤞