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3 いつ、どこで
しおりを挟む(では、この船はホーンに向かっているのか…。)
ぼんやりとした思考がその答えに行き着いた時、また大きな揺れが来て蝋燭の火が揺らいだかと思うと、消えた。途端に視界の全てが暗くなり、シュウの姿も見えなくなる。
暗闇に支配された、と思った瞬間、シュウが何かを呟くような声がして、パッと部屋中が明るくなった。
「…え?」
いち早くシュウが蝋燭を点したのかと思ったが、それにしては一瞬だった。しかも、先ほどよりも明らかに明瞭な視界。
まるで、陽光が降り注ぐ昼間の外のように。燭台に視線をやるが、蝋燭の火は点されてはいなかった。
「なんだ…これは…」
何がどうなっているんだ、とシュウを見る。そして息を飲んだ。
薄暗い中、頼りない灯りで見た時よりもずっと、彼の怜悧な美貌は冴えていた。しっとりと滑らかそうな象牙色の肌、高い鼻梁、切れ上がった眦、光沢のある黒い衣に覆われて体格ははっきりしないが、思っていたよりしっかりと首が太く、背も高い。しかし特に目を惹くのは、やはりその艷めく長い黒髪。稀に異国の商人に黒に近い色の髪を持つ者を目にした事はあるが、これほど艶のある漆黒の、しかもよく手入れされた長い髪の者はいなかった。彼が身動ぎする度に心做しか良い香りがするので、香油でも使っているのかもしれない。
容姿、特に髪に手をかけられるという事は、世話をする者が何人もいる身分を持っている証だ。私だって王宮に居た頃は毎日側仕えが髪を梳いていた。それが当たり前だった。当たり前過ぎて、まさか髪を梳く事すらままならない暮らしを送る事になるとは思ってもみなかった。
北の塔に押し込まれた私には、それまで使用していた身の回り品の持ち込みは許されず、平民が使うのと同じか、それよりも安価で質の悪い物ばかりが与えられた。髪を梳く櫛だって、タダの木の櫛。私の髪は柔らかくて細くて少し癖があるから、慣れたあの櫛でなければ駄目なのに。
5歳の誕生日に母上からいただいた、美しく細かい彫刻のされた象牙の櫛。幼い頃は毎日その櫛で母が髪を梳いてくれ、その内側仕えがその役割りを担うようになった。せめてあの櫛だけでもあれば、自分でも手入れくらい出来たろうに…。
完璧に身なりの整っているシュウを前にして、今更ながら自分の格好を思い出す。
北の塔で暮らし始めてからの、手入れもままならない髪や服。沐浴も週に1度と制限されて、冬場といえど匂いが気になった。
私は今、そんな状態でこの美しい男の前にいる。
胸の中に、じわじわと何かが込み上げてくる。
こんなに明るい中、薄汚く乱れた姿の私が、この美しい男の目にどう映っているのががこわい。
そんな事を考えている場合ではない事を忘れ、私は羞恥に見舞われていた。
サイラスに張り合って、人一倍外見に気を使っていた筈だったのに。天上の美貌と言われたサイラスに及ばずとも、あの壮麗な父上と嫋やかな美貌を誇る母上の間に生まれた私だって、美しいという自負があった。
だが、今の私にはつい先日までの面影は無い。
せめて、髭の手入れを怠っていなければ…と悔やまれる。元から薄いから3日おきで良いだろうなんて不精しなければ良かった。
「…あの…何をしたんだ…?蝋燭の明るさではない…」
羞恥に身を焼かれそうになりながら、やっと疑問を口にした私に、まじまじと私の姿を眺めていたシュウは、ああ、と気がついたように答えた。
「これか。そうだな、蝋燭ではないな。明るくするには幾つか方法があるが…今は単純に光の粒子を集めているだけだ」
「…光の、粒子?」
訳がわからない。しかしそれを聞いて、相手が魔術を使う国の人間であったのだと思い出した。やはりホーンの事はよくわからない。
魔法や魔術と呼ばれる類の力を使うといわれている国は世界に幾つかあれど、少なくとも私達には馴染みが無かったので仕方ない。
だが、使えたならば便利なものであるらしい事は、今のでわかった。
不思議そうに、しかし魔術かと納得する私。シュウの視線がまた身に注がれたのがわかって、ますます顔が上げられなくなる。お前は奴隷だという発言といい、この醜態を晒してしまっている事といい、この時点で私の王族としてのプライドはかなりズタボロだった。
本当に、何故シュウはこんな私などを攫ったりしたのだろうか。一目惚れとは何の事だ。私の遺体が発見される予定とはどういう事だ。
聞きたい事は幾つもあるというのに、私は俯いたまま動けない。
そんな私に業を煮やしたのかどうなのか、シュウはいきなり私の前髪を掴み、顔を上げさせた。
「うっ」
「どうした。先ほどまでのように顔を上げろ。常日頃のように高慢な目をしないか」
「っ?!」
そんな訳のわからない言葉を口にしながら、あろうことかシュウは私の下唇に噛み付いた。
それほど強く噛まれた訳ではないが、敏感な粘膜はそれでも十分に痛みを感じる。首を振って逃れたが、強い力で引き戻された。至近距離で見た彼の黒い瞳は、哀れで不格好な私の姿をはっきりと映している。獰猛な目だ。狩る獲物を見つけた猛禽類のような。
何故私を、そんな目で見る。嬲り殺そうとでもいうのか。本当に、奴隷のように。
「…私はな、お前のような者が好きなのだ。見た目にそぐわぬ横柄で醜悪な内面。自分を強者だと信じて疑わない傲慢な態度。そういう者に縋らせたい。だから欲しくなった」
「…は、はぁ?」
彼の整った形の唇が恐ろしい事を言い放ち、ゾワリと鳥肌が立つ。シュウはそんな私の粟立った肌を見ながら唇を吊り上げて、髪を鷲掴む手に力を込めながら言った。
「あの場にはお前とよく似た男も居たな。アレはお前の血筋だろう。
だが、アレは駄目だ。あの者は私と同類だ」
「…っなんの、こと…っ?あの場って…」
「お前が女を盗んで制裁されてただろう」
「……あっ…」
そうか。シュウはあの場に…サイラスが私とエリスを断罪したあの場に居たのか?私に似た男とは、おそらくサイラスの事なのだろうが…しかし、ホーンの王族があの舞踏会に来ているなんて話は聞いていなかった。それに、これだけ目立つ容姿の男なんか目にしてもいない。
だが、そんな疑問を問い質す事は許されなかった。
「知っているぞ。お前、かなりの女好きなんだろう?
そこも良い。
そんなに好きならば、女にしてやろうと思えるからな」
「?!」
支離滅裂。
だがそんな支離滅裂な事を、シュウはこれから実践しようとしているらしい。
粗末な衣を纏った私の腰に彼の腕が回され、引き寄せられた。
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