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挨拶
しおりを挟む報せを受けた覚は、午後に入っていた予定もキャンセルして緋夜の元に向かった。
春樹が去って1時間後の事で、実家にいるからと安心しきっていた事に覚は歯噛みする思いだったが、緋夜から事を詳細に聞いて、複雑な気持ちになった。
まさかあの、緋夜を捨てた筈の男が、自分の身を犠牲にして緋夜を守り続けていたなんて、覚も知らなかった。
でもこれで、春樹の緋夜に対する執着の理由がわかった。
緋夜を遠ざけなければならなくなったとしても、春樹は緋夜を愛し続けていたんだろう。
そりゃそうだよな、と覚は思う。
自分が春樹でも、緋夜を守る為にきっと同じようにしてしまったかもしれないと思うと、他人事ではないように思え、身につまされた。
「ちゃんと話せて良かったよ。
覚に出会う迄、俺は自分が不幸だと思い込んでたから。」
泣き腫らした顔でそう言った緋夜は、それでも何処かスッキリしたような表情をしていた。
「綺麗に定着してる。」
緋夜のうなじを眺めて、覚は満足気に微笑んだ。
実は昼間、部屋にいる時に覚も不思議な感覚を得ていたから、もしかするとそろそろ、と思っていたのだ。
だから夕方にでも少し緋夜の顔を見に寄ろうかと思っていたのだが、まさか家に押し入られたと連絡を受けるとは。
しかも、噛み跡の上から噛まれかけたというし、気が気では無かった。
噛まれたからと言って上書きが出来るなんてのは聞いた事もないし、有り得ないとは思ったけれど、不安だった。
「でも、噛めなかったってより、弾いた感じがするんだよね。
もしかして殆ど番になってたから他のαへの拒否反応だったのかなあ。」
「なるほど、そうかも。」
確かに、実際その直後に完了した感覚を得たのなら、そうなんだろう。
ほぼ同時刻、覚も同じ感覚を得ていたのが証拠だ。
覚は安堵していた。
緋夜からすれば 未だ数週間の付き合いだろうが、覚にしてみれば2年以上だ。
緋夜を初めて見た日から、心惹かれ続けて2年。
絶対に結ばれる事も、知り合える事すらないかもしれなかった相手と、番に迄なれたのは、奇跡なんだろうか、それともそうなる運命だったんだろうか。
出来れば、運命の方だと信じたいな、と覚は思う。
そして、その運命の悪戯で緋夜とは結ばれなかった春樹を気の毒に思った。
けれど緋夜が春樹に告げたように、既に緋夜と覚は深く繋がってしまった。
どんなに後悔しても泣き喚いても、時は戻せない。
残酷だな、と思う。
けれど、覚は春樹に謝ったりなんかしない。
その代わりに、降るような愛を注いで貴方の大切な緋夜を幸せにする、と静かに誓った。
そして、出来ればこの先、春樹が辛い事から解放されて別の幸せに出会える事を祈った。
春樹の傍に、既に春樹を守る存在が現れている事を、未だ覚も緋夜も知らない。
数日後の休日、緋夜の家に正式に挨拶に来た覚は、緋夜と番になった報告と、挨拶が遅れた事を詫びた。
そして、緋夜と婚姻関係も結んで共に暮らしたい事を告げた。
緋夜も一人息子だけれど、Ωだとわかった時からこういう日が来るのは覚悟していた両親に異存は無かった。
只、相手は違ってしまったけれど…。
それでも、目の前にいるこの覚は、傷ついた緋夜の全てを受け入れてくれたのだから、それだけで 緋夜を託すには十分な相手だと信じている。
何より、一時は生きる意味も希望も失って引き篭っていた緋夜が、どうにかもう一度自分の足で歩き出す為に苦しんで足掻いて、そして自分で選んできた伴侶なのだから。
「緋夜君と、一緒に住みたいと思っています。」
覚ははっきりと、緋夜を連れて行きたいと言った。
「僕は父や祖父からも既に独立していますし、未だ学生ではありますが資産運用で生活の糧も得ていますから、緋夜君を苦労させたりはしない自信があります。」
両親はニコニコしていたが、緋夜は心の中で突っ込んだ。
(初耳なんだけど…。)
「とはいえ、そう遠くはない距離ですし、何時でもお訪ねいただければと思います。」
この日、終始覚のペースで話は進められ、何故だかついでのように婚姻届をかかされ、緋夜はあっという間に速やかに覚の嫁になった。
ほんの少しの時間の歓談で、まさか指輪迄はめる事になるとは、1時間前には思ってもいなかった緋夜は、狐につままれた思いで帰って行く覚の車を両親と共に見送った。
2週間後、部屋の片付けを終えた緋夜は、覚の部屋へ移り住んだ。
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