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しおりを挟むバース専門病院の獣人のお医者さん、石雲先生が僕の担当医。
60代くらいのほんわかした男性のお医者さんで、獣種は犬でゴールデンレトリバーなんだって。アルファらしいけど、おっとりして優しいよ。
そんな石雲先生が、今日は僕が診察室に入った瞬間に、
「くっさ」
って言ったんだ。突然の辛辣。僕とお母さん、目が点になった。え?先生?今言ったのほんとに先生?マ?
動揺しながらも僕とお母さんは、患者用の椅子と横にある丸椅子にそれぞれ腰掛けて先生の話を聞いた。
「いやぁ、くっさいねえ。熊だね、熊。でっかい子だね。エラいのに目ぇつけられちゃったねぇ、嵐太君」
「ひど過ぎてなんか自分の中で消化できない…。こーゆーの何ハラになるのかな。って先生、わかるの?」
「当たり前だろう。嵐太君、キミ、マーキングかけられてるよ」
「ええ…?」
「マーキングって…先生、ウチの嵐太はアルファなんでしょ?」
「ウン、だからオメガのマーキングがかかってるんだよ。
稀にいるんだよ、そういうオメガがね」
「マーキング…」
よくわからなくて困惑する僕達に、石雲先生は話してくれた。
あんまり知られていない事らしいんだけど、獣人のオメガの中にはアルファでいうところの高位種に相当する個体が稀に現れるらしい。やっぱり強い獣種に出る事が殆どなんだって。
そんで、そういう高位種のオメガ達は気に入った相手、特にアルファに獣臭やフェロモンでマーキングを掛けるって事ができるらしい。
自分のオスだから手を出すなよって牽制。アルファがオメガにそういう事をするってのは知ってたけど、まさか逆もあるなんてね。びっくりびっくり。
でもね。それもびっくりなんだけど、先生が言うにはさ…?普通のアルファはそうされるとすぐに気づくらしいんだ。そりゃそうだよね、匂い付けられてんだもん。
フェロモンは獣人・純人どちらのアルファでも番持ちでなければ感知できるけど、獣臭は獣人と、純人アルファの中でも特に嗅覚の優れた人にしか嗅ぎ取れない。
ウチで言うと、純人ベータのお母さんにはどっちも感知できなくてケロッとしてたんだ。でも、獣人ベータであるお父さんには獣臭だけは嗅ぎ取れた。
じゃあ、獣人アルファでフェロモンも獣臭も認識できる筈の僕が何で自分に付けられた獣臭を嗅ぎ取れなかったかって言うと…。
「今、何の匂いがするって言ったっけ?」
ふんふん聞いてたのに急に岩雲先生に質問されて、僕は答える。
「え、リンゴ」
すると先生はにっこり笑って頷いて、驚きの事実を告げてきた。
「うん。それがマーキングしてきた相手のオメガフェロモンなんだね。番のいる私にはわからないけど」
「えっ…オメガフェロモン…?」
「あれ?特別授業で習っただろう?
オメガのフェロモンって、大抵は花や果物に似た香りに感じるものなんだよ。
相性が良いほど、自分の好きなものの匂いに近くなる」
「…相性が良いほど、好きなものの…」
僕は口元に手を当てた。それって、つまり…。
考え込む僕を見て、岩雲先生がまた質問してきた。
「嵐太君の一番の好物は何かな?」
「…リンゴ、です…」
答えながら、僕はぐるぐる混乱している。
えっ、と…つまり、一番の大好物のリンゴの匂いのフェロモンで、その匂いを持ってるって事はつまり、僕と超相性の良いオメガって事で、そのオメガは熊獣人で、熊獣人で最近僕が匂いが移されるくらい近く接触したのは……。
「…えっ、え?壱与君が、オメガってこと?えっ?」
あんなにおっきくて綺麗で、強そうで。そんな壱与君がオメガ?あ、でもさっき先生が言ってたオメガの上位種ってやつなら、納得?
でもでも、それはわかったけど、…何で僕にマーキング??!
頭の中が忙しくてボーッと天井の真ん中を見上げてた僕に、先生は言った。
「そのオメガの子はよっぽど嵐太君を好きなんだろうね。でもマーキングしたってのを気づかれたくなくてフェロモンを被せたのかもしれないな」
「す、好きって…」
「すごいじゃない、嵐くん!そんな高位種の子に惚れられちゃってマーキングされちゃうなんて!よっ、流石ウチの子っ!」
先生の言葉に少し照れた僕に、能天気にそんな事を言うお母さん。
そこでハッとある事に気づいて先生に逆質問を投げかける僕。
「でも先生、普通はオメガのフェロモンを嗅ぐと、アルファは発情しちゃうんでしょ?もしこのリンゴの匂いが壱与君のオメガフェロモンだとしたら、僕も発情するんじゃないの?でもそんな風になんかならないよ?」
すると先生はとっても優しい笑顔で僕を見ながら答えてくれた。
「それは単純に、まだ嵐太君がアルファとして未発達だからだね。がんばろうね。いやー、それにしても、獣臭とフェロモンでダブルマーキングされても気づかないなんてねえ。大物、大物。あっはっは」
だって。ぎゃふん。
その後、薬なんか必要無いよ、また定期検診の日にね~、なんて言われて診察室から送り出されて、呆然としたままロビーに向かって廊下を歩いた。中規模病院だから窓口前の椅子にはまあまあの人数の人達が、支払いをする為に精算機の順番を待っている。
10分くらい待って会計番号が表示されて、お母さんが会計を済ませてる間も、僕はボーッとしていた。
壱与君、オメガだったのか…。カッコよくて優しい壱与君。
このリンゴの匂いって、壱与君の匂いなんだ…。デザートのリンゴがどっかに残ってたからとかじゃなかったんだ…。
『キミがもう少し鼻が良ければフェロモンに誤魔化されずに獣臭にも気づいたんだろうけどねぇ。元々ちょっと鈍いもんねぇ。あはは』
って、最後にダメ押しみたいに言った岩雲先生。
鈍いとかいう。ひどい。
でもさっきの病院では嗅覚はレッサーパンダとしては普通の範囲だって言われたもん。鈍くないもん。
…って、そうじゃなくってぇ。
「…壱与君、マーキングするくらい僕のこと気に入ってる…って、こと…?」
確かに周りよりはそういう事に奥手な自覚のある僕だって、フェロモンでマーキングするってのがどんな意味かくらいわかる。
「…壱与君って、ほんとに先生が言うみたいに僕のこと…好きなのかなぁ…」
どうしよう。頬っぺためちゃくちゃ熱くなってきたんですけど。
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