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54 餌

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電源を入れないままのスマホを握りながらベッドに入ったものの、眠れないまま時間が過ぎた。
ベッドルームは最初に通されたソファのある部屋の隣室で、好きに使うようにとは言われたものの、キングサイズの広いベッドに1人で寝るのは初めてで落ち着かなかった。そもそも、得体の知れない男に連れて来られた知らない場所で落ち着いて寝られる人間なんかどれくらいいるのだろうか。鳥谷は翌日まで帰ってこないと告げられたがは気を抜けない。鳥谷という人間が相当気紛れな性格のようなのは嫌でもわかるし、いつ気が変わって夜中に戻ってくるかもわからないと思った。

まあ、それは杞憂だったのだが。

翌朝。眠れなかった斗真がベッドから身を起こしたのは、9時を回ってからだった。横にはなっていたが睡眠を取れた訳では無いので、体が鉛のように重い。頭も重く頭痛がする。

「……ってえ…。」

ベッドから降りて立ち上がった途端、目眩がした。ぐらついて手と片膝をついてしまった時、ノックの音がして内藤が部屋に入って来た。

「どうなさいましたか?」

早足で歩み寄って来て、斗真の傍に屈み込みながら問う内藤の声は昨日と変わらず平坦だが、ほんの僅か焦っているようにも聞こえた。

「いえ…少し目眩がしただけで…。」

「体調が優れないようでしなら、ご無理なさらずお休みになられていては。」

「…もう大丈夫です。ソファに行きます。」

どうせベッドに戻っても寝られないだろう。それにもう朝だ。鳥谷が何時頃来るかわからない以上、気を抜いている訳にはいかない。
ゆっくり立ち上がった斗真は、隣室のリビングに向かった。

リビングの真ん中に陣取っている真っ赤なソファは、今日見ても鮮やか過ぎて目が痛い。昨日と同じように端に座りながら、左手になる窓側を見た。内藤がカーテンを開けていて、青空が見えたからだ。

(今日は晴れたのか…。)

晴れているからか、ビル群の遥か向こうの海まで見える。昨日は曇天で雨が降ってきた所為もあり、よくわからなかった。夕方近くには晴れたが、もう日も落ちていて、じき夜になり夜景に変わってしまった。だが今日は晴れた事により遠くに見覚えのある建物が幾つか見えて、何となく現在地が大体どの辺りなのか掴めたように思う。しかし庄田の家の方角は、この部屋の窓からは見えない。その事を少し残念に思ってしまう自分は、本当に庄田と離れられるのだろうか。

ぼんやり外を見つめていると、内藤から声がかかった。

「朝食は召し上がれそうですか?」

「朝食、ですか?」

「昼間も昨夜もあまり食がすすまれているご様子ではなかったので、僭越ながら海鮮粥をご用意したのですが…。」

見ればリビングのドア付近には昨日も見たワゴンが置かれている。そして!ワゴンの上には幾つかのクローシュが見えた。なるほど、内藤は朝食を運んで来たらしい。
しかも昨日の斗真の様子から推察して、粥を用意したという。内藤はかなり出来る人間のようだ。
余計な気遣いをさせてしまった事を申し訳なく思いつつ、内藤の観察眼に内心舌を巻く。そうなれば、用心しなければと警戒していても、せっかくの心遣いを無下にできないのが斗真の性質だ。

「……いただきます。」

3分後にはそう言って粥にレンゲを差し入れていた。





「まだそのままなのか?」

不意に間近に響いた声に心臓が口から飛び出しそうに驚いた。スマホから顔を上げると目の前に鳥谷が立っていて、その顔には相変わらず人を食ったような笑いが浮かんでいる。

「さっさと電源入れたら良いだろ。」

そう言いながら鳥谷は、斗真の隣に腰掛けた。

「とうに泣きついて助けを呼んでるのかと思ったのに。」

「……。」

鳥谷から庄田を守らなければ。その為には決して電源を入れてはならない。そう思っているのにスマホを手放す事が出来ない斗真の心など、鳥谷などにはわかるまい。
斗真は視線を逸らして、何も答えまいとした。なのに空気を読まない鳥谷の口は尚も動く。

「庄田も詰めが甘いよな。君をあれだけ大事に守ってる割りには、位置情報を得る手段は馬鹿正直にソレだけだなんて。」

言われて、ハッとした。
そう言えば…鳥谷は昨日、何故あんなタイミングで斗真の前に現れたのか。雅紀のマンションから出てほんの数分で遭遇し、車に乗せられた。

『どうにも会いたくなっちゃってさ。迎えに来ちゃったよ。』

鳥谷はあの時、そう言った。絶対に偶然ではない物言い…。

「…そう言えばアンタはどうやって俺の居所を?」

異星人とは口をきくまいと思っていたのに、聞かずにはいられなかった。鳥谷はその問いにニヤリと右の唇を吊り上げる。

「まだそんな単純な事もわからない?GPSなんか、その気になれば何にだって忍ばせる事はできるだろ。」

「……!」

それを聞いて、斗真はまたしても己の迂闊さを呪いたくなった。立ち上がって隣の寝室に戻り、ハンガーに掛けてあるスーツの上着の全てのポケットを手で探った。鞄を開け、中身を床にひっくり返す。するとその中に、黒い小型のチップを2つ発見した。発信機か。おそらく、鞄の中の別々のポケットに入れられていたのだろう。あの日から鞄を探る事も殆ど無かったから、全く気づかなかった。
あの日、気を失っている間に好きに仕込まれたのか……。

「……。」

「保険ってのはさ、幾つも掛けとくものじゃない?」

「…匠は俺を尊重してくれたから、俺に黙って仕掛けるような真似をしなかっただけだ。」

揶揄うような調子で言った鳥谷に言い返しながら、睨むように振り向いた斗真の目が見開かれる。

「ちょ、何を!」

鳥谷の手には、斗真のスマホが握られていた。しかも画面が表示されている。勝手に電源を入れられたのか。

(どうやってパスコードを…?!)

取り戻そうとする斗真を右手一本でいなして、鳥谷は電話帳のリダイヤルから容易く庄田の名を見つけ、タップする。
 間もなく受話口から漏れて来た、耳に慣れた恋しい声に斗真の体から力が抜けた。

(…匠!!)

斗真の名を呼ぶ、焦ったようなその声に涙が溢れてくる。
そんな斗真を面白そうに笑いながら、鳥谷は送話口に向かって口を開いた。

「や。久々、庄田。」

そして斗真はまんまと、庄田を誘き寄せる餌に使われたのだった。



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