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8 涙

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暫く、静かな室内にはコーヒーを啜る音だけが響いた、のだが…。


「今回はどうして別れたんだ?」

雅紀は、聞き辛い事を何時もズバッと聞いてくる。斗真の恋愛遍歴を殆ど把握しているのだから、どうせ今回も想像はついているだろうにと、少し苦笑してしまった。

「君の時と殆ど同じだよ。彼にとって魅力的なアルファが現れて、攫っていかれた。」

事も無げに答えると、雅紀は苦虫を噛み潰したような表情になった。そんな顔をする癖に、何故毎度律儀に聞いてくるのだろう。斗真は薄めのブラックに入れたコーヒーを啜りながら思う。

「一昨晩…金曜の夜だな、部屋に呼ばれて。最近様子が変だったから、覚悟はしてたんだ。だからまあ、そんなにはな。」

もう同じような失恋を6度目だしな、と苦笑いする。

「俺も進歩が無い。」

と呟くと、雅紀が首を振った。

「斗真は悪くない。理性を無くして本能なんかに振り回される方が悪いんだ。
…ほんと…動物じゃあるまいし。」

それは、雅紀が毎回言う言葉だった。斗真を慰めているようで、おそらくは自嘲。不思議だ。
雅紀は今もあの時の事を後悔しているのだろうか?でも、
番とは、普通の婚姻関係のように脆弱な繋がりではなく、互いに唯一無二の存在になれ、幸せが保証されるものだというのが一般的な認識で、斗真もそう思っている。
特に、発現したら定期的にヒート(発情期)を迎えなければならず、学業も就職も困難になりがちなオメガ性の者達にとっては、様々な面で安定を与えてくれる番の存在は大きい。
人口比率からして只でさえ少ないアルファとオメガ。その中で掴んだ、相性の良い相手との出会いとチャンスは、是が非でも逃がしたくはないだろう。

だから雅紀の選択は間違ってはいない。オメガである彼が最終的にアルファを選ぶのは自然の摂理だ。

もし今でも別れた時の事に罪悪感を持っていて、斗真が振られる度にそれを思い出させるのだとしたら、逆に申し訳なく思ってしまう。

「ありがとう。でも、アルファやオメガの事をそんな風に言うなよ。」

番に至る本能を否定するのは、過去の決断も現在の雅紀自身の人生も否定する事になるのだから。斗真はそんな事は望んでいない。
普通なら付き合っているベータの恋人なんて即排除されても不思議は無いのに、元恋人達は皆、自分の方からきちんと斗真に告げて謝罪してくれた。
だからもう、良い。

でも、と俯く雅紀に、斗真は小さく笑って言った。

「それに、もうアルファやオメガとは関わらない事に決めたから。」

「えっ…?」

雅紀が弾かれたように顔を上げた。

「あ、違う違う。恋愛はしないって事な。告白されても断るし、勿論自分からも好きにはならない。」

「…そ、うか…。」

先に誤解を与えてしまうような言い方をしてしまった事を反省して、きちんと言い直した。

「友達付き合いは別だよ。」

「…なら、良かった。」

良かったという割りには表情が晴れないように見えたが、すぐに笑顔になった雅紀にホッとした。

「当分、恋愛は要らないけど…次は自分に見合った人を見つけるよ。同じベータで、…そうだな、そろそろ結婚を考えるのも良いかも。」

最後は何気なく口にしたのだが、考えてみれば斗真もそろそろ30前だ。自分より若い雅紀だって何年も前に番婚しているのだから、早過ぎる事は無いだろう。

だが、それを聞いた雅紀は少し目を見開いた。

「結婚…?」

「あ、いや。それも良いかなってな。」

斗真は両性愛者だ。
恋人は男性が多かったが、女性のアルファやオメガも居た。ベータと付き合った事は無いが、好意を示された事は何度かある。たまたま恋人が居た時期だったからやんわり躱したけれど、タイミングさえ合えば付き合っていただろう。
この先誰かと付き合う場合でも、ベータなら付き合う相手の性別を限定する気はない。しかし相手が女性で一生を共にしたいと思えれば、結婚もアリだなというだけの話だ。

だが、目の前の友人の反応は、それに好意的なものではなかった。

「結婚、なんて…。」

そういった雅紀の声が僅かに震えているようだったのは気の所為だろうか。それにしても、番の伴侶を持つ既婚者のセリフではないなと斗真は苦笑した。

「どうしたんだ。旦那さんと喧嘩でもしてるのか?」

番とはいえ人間同士なのだから、日常生活の上では小さな諍いはあるだろうなと思いながら茶化すように聞いたのだが、すぐに後悔した。
雅紀の目から涙が流れ出したからだ。

「…雅紀、どうした?」

驚いて問うと、雅紀は下を向いた。頬を伝い落ちた涙がオフホワイトのパンツの生地の色を変えていく。

「…うぅ…。」

「何かあったのか?」

気の強い雅紀が泣くのを見るのは別れた時以来で、斗真は焦った。

「上手くいってないのか?」

背中に手を回してさすってやりながら聞いてみるが、暫くの間雅紀は嗚咽するばかりだった。
まるで押し殺し堰き止めていたものに限界が来て溢れ出してしまったような、そんな涙だった。

そして、その後。

少しばかり落ち着きを取り戻した雅紀の口から、斗真は想像もしていなかった事実を聞かされたのだった。











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