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しおりを挟む優男に見えていた若者の腕は、思いのほか力強く逞しい。この腕に守られる女性は、きっと幸せになれるのだろう。
だがまさか、自分がその腕に何度も助けられるとは――。
「ありがとう、また世話になってしまったな」
支えてくれていたシオンの顔を見上げて礼を言い、篠井は彼の腕からそっと抜け出した。
「本当に大丈夫ですか?無理しなくて良いんですよ?」
「いや、もうなんとも」
本当に、先ほどの目眩は何だったのかと思うくらいに篠井の気分はスッキリしている。
「もし辛ければ、今日はキャンセルしても...」
篠井の体調を慮ってそんな事まで言い出したシオンに、本当に優しい若者だと感心する。 しかしこの程度の事で当日キャンセルなど有り得ないだろうに、と思った篠井は慌てて首を振った。
「いやいや、まさか。君にはみっともないところを見られてばかりだな。でも本当にもう大丈夫だよ」
「そんなこと...」
「でも本当にもう大丈夫だよ。それより僕、腹減ってるんだ」
そう言ってにこりと笑ってみせると、強張っていたシオンの表情がやっと緩んだ。
「お腹空いてるなら、大丈夫ですかね。でも、もしまたフラついたら遠慮なく掴まってくださいね」
「ふはっ シオン君って結構な心配性なんだな」
「相手によります」
そう言いながら自分の横にぴたりと付いて歩き出したシオンに、篠井は小さく笑う。まるで中世の貴婦人をエスコートする騎士のようだ。しかし篠井は貴婦人ではなく単なる日本人の中年男性なので、何だか申し訳なくなる。
篠井はちらりと横を歩くシオンを盗み見た。
綺麗な顔立ちだ。ちょっとその辺では見ないほどの、端正で優しげで垢抜けた、品良く礼儀正しい若者。これだけ優れているとなると、おそらくアルファなのではなかろうか。
バース性は個人情報なので、本人が口にしない限り知る手段は無い。面と向かって聞くのも失礼だから聞く気は無いが、シオンを見ていると他のバース性はそぐわないように思える。
宍戸のようにわかり易いタイプではないが、アルファも人間なのだから色々な人が居るのだろう。少なくとも篠井と同じベータにも、ましてやオメガとは思えない。
(モテるだろうにな...)
性別に関わらず彼に好意を持つ人間は多い筈で、きっと引く手数多だろう。なのにわざわざ休日を、女性ではなく自分のような親父と食事に行こうだなんて、いくら店目当てとはいえ物好き過ぎる。
家を離れて異国に来ているから、父親の代わりのように思ってくれているのかもしれない。そう考えれば悪い気はしない自分に、篠井はクスッと笑った。
シオンが行きたがっていた店は、こじんまりとした日本料理屋だった。おそらく、意識して歩かなければ素通りしてしまうのではと思うほどの、あまりにさり気ない佇まいの小さな日本家屋。通りから路地に入っていき、その奥にある古い木戸をくぐった先にしか看板も無いので、一見してはそこが店だとはわからないのだ。
しかし木戸も店も建物は古いものの、きちんと手入れがされて掃除が行き届いているのがわかる。店の入り口に出てきた着物姿の中年女性に予約名を告げて、案内される時に通った木の廊下にも通された座敷にも埃一つ無く、掃除が行き届いているのが見て取れた。座卓も、座った座布団も、床の間に掛かった掛け軸も、季節の花が生けてある一輪挿しも、質素だが品が良い。
だが、篠井が考えていた店とは違う。篠井が想像していたのは、営業時代に接待で使っていたような、飾られている絵や調度品にまで高級感の演出された老舗料亭だった。
しかし、この店にはそういった見え見えの演出は一切感じられない。だが、開け放たれた障子の向こうに見える、やはりこじんまりとした書院式庭園にはなかなかに金も手もかかっているのか、整然として美しかった。
「良い店だね」
篠井が言うと、シオンは部屋のあちこちを見回しながら嬉しそうに頷いた。
「ほんとですね、すごく素敵です。こういうの、何て言うんだろう...趣きがある?かな」
「そうだね、趣きがある」
庭の隅に立つ石燈籠と、それを囲む低木の緑を眺めながら篠井が相槌を打つと、シオンが思いがけない事を口にする。
「一日3組しか入れないそうです」
「え、良く予約取れたね?」
少し驚いて向かいに座るシオンを見ると、彼は神妙な顔で頷きながらそれに答えた。
「普通なら無理でしょうね。このお店、知る人ぞ知るの星付き店ですからね。本来は1年先まで予約が埋まってるんだそうです」
「はぁー...まあ、星付きで3組限定ならそうなるか...」
「そうですね」
感心した篠井だったが、そこでふと気づいた。
「ん?でも、君と約束したのは月曜だったよな。...どんな魔法を使ったの?」
約束の予定の日に運良くキャンセルが出るなんて奇跡がそうそう起きるとは思えないのだが...と、篠井は訝しげにシオンに尋ねた。
「実はこのお店、父が若い頃に日本に住んでいた時、たまに来ていたらしいんです。でもその頃はまだ気軽に来れる店だったらしいんですけど...今では顧客の年齢層自体が上がってしまって、すっかり大人の隠れ家的な店になったようだと言ってました。
だから僕みたいな小僧が1人では無理だなと諦めてたんですけど...」
意外な事実を語るシオンに、篠井はまた少し驚いた。
「お父さん、日本に住んでた事あるんだ?」
「はい」
「だからシオン君も日本に?」
「まあ、それもあります」
「なるほど」
そういう事か、と腑に落ちる。ここはシオンの父親が贔屓にしていた店だったのか。だから、父親から店の評判を聞いて憧れていたという事だろうか?若き日の父がどんな場所に出入りしていたのかが知りたいというのは、まあ動機としてはわからなくもない。
しかし、それと急に予約をねじ込めたのが、どう関係するのだろうかと篠井はシオンの言葉を待った。
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