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優希君のその後の話。(後編)
しおりを挟む「想定外だわ。」
日坂は眉間に皺を寄せた。
ずっとタチ専だと聞いていたから、ある意味安心していた。
それなら誰と寝ようが続きはしない、と。
まさか、穂積のパートナー相手に処女喪失してくるとは思ってもみなかった。
しかも、流れで。
穂積ですらない、どうでも良い筈の相手と。
穂積のパートナーという事以外には、関心すら無い相手と。
そんなにも、あっさりと。
何年も目の前に餌をぶら下げられていたのに口も手も出しあぐねていた自分がアホくさい。
日坂は悠長に構えていた自分自身を呪った。
こんな事なら最初から口説いて、勢いででも抱いておくんだった。
慎重が過ぎた。
思慮深いといえばそれまでだが、一言で言えば、まどろっこしい。
それなりにはモテるのに、温厚な性質が裏目に出て 大切に大切に守っていたつもりの掌中の珠を奪われがち。
そして今回、その掌中の珠は=優希のアナルである。
しかも、更に言えば、日坂のこれまでの人生最大の珠である事を追記しておく…。(ええ…。)
…男のアナルが人生で最も…ってのも、どうかとは思うが、惚れてるから仕方ない。そして、価値観はそれぞれである。
「…なんでそんなに怒ってんだよ。」
「……。」
店から車で程近い日坂のマンションに移動したものの、空気が重い。
日坂は店からずっと顰めっ面で、無言。
優希は訳がわからなかった。
精を漏らしてしまうほどのキスを突然されたのも初めてだが、数年来の付き合いながら 日坂の家に来たのも初めてだ。
想像してみた事すら無かったが、結構広いし、部屋がスッキリ片付いているのは、やっぱり日坂だなと思う。
あと、猫がいる…。2匹いる…。
大っきいのと、一回り小さいのが。
名前を聞いたらサバとキジ、とだけ言われた。
え、それって毛皮の種類とかなんじゃなくて?マジの名前?
優希は少し困惑した。
日坂が帰って来て最初は鳴きながら足元にまとわりついていた猫達も、ゴハンを貰ってしまうと大人しい。
食べ終えたらそれぞれにお気に入りの場所なのか、キャットタワーやちぐらに入って落ち着いたり毛繕いを始めたりしている。
(モフモフだ…。)
猫は好きだが飼うには向かないと自認している優希は日坂を羨ましく思った。
「前から飼ってたのか?」
日坂の家にはソファが無かった。
猫が爪を研いでダメになったから置かなくなったと言う。替りに、大きなクッションが何故か3つ。猫達と自分用、だろうか。
そのクッションの1つに身を沈めながら聞いてみた。
何これ…きんもちいい。典型的人をダメにするやつだこれは。
「3年くらいやな。子猫の時にその辺にいてよ。」
猫の事を聞くと、日坂の雰囲気が少し和らいだように感じた。
もう3年は前。日中、所用で近所の郵便局まで散歩がてら行った帰りに、道沿いの草むらから小さな鳴き声が聞こえた。
覗いてみれば、雑草の影から小さな仔猫もこちらを覗いていた。
小さな仔猫達が震えながら寄り添って、近づきすぎると少し大きな方がもう1匹の兄弟を守ろうと威嚇してきた。
小さな体で精一杯、背中の毛を逆立てて。
母猫とはぐれた迷子か、それとも捨て猫かと不憫に思い、仔猫用のミルクなどを持って行き与えながら2日様子見したが親は現れず。
3日目ともなれば仔猫達も日坂に慣れてきたのか、よちよちと後をついてくるようになった。
つっけんどんに見えて、日坂は情に厚く時に涙脆く、そして頗る面倒見の良い男である。
そんな姿を放ってもおけず、2匹を連れ帰るしか無かった…。
でっかい日坂が小さな子猫に威嚇されているさまを想像した優希の顔貌が柔らかく崩れ、ふふっと笑いが洩れる。それを見ていた日坂は、悶えた。
(うわ…かわ…)
何年もそれなりに知人付き合いをしていたというのに、久々に見た柔らかい笑顔。
穂積といた時には時折そんな表情をしていたように思う。でも間近に見たのは、初めて。
先程までの不機嫌も忘れて、日坂は見蕩れた。
優希は確かに、厄介な性格である。
自己評価が高いしのは仕方ないとしても、
自惚れ屋だし他人の心の機微など全く感じ取れないし飽きっぽくて自己中で、思い込みが激しい。
内面を知れば大概の人間には嫌われる。
けれど、日坂は思う。
今見せているこの純粋な笑顔こそが、優希の本来の姿なのではないのか。
(そばで優希を支えてやれる人間さえいれば…。)
彼は落ち着くのではないか。
嘗て穂積が優希という人間の受け入れ方を間違えたのは、まだ情報量も少なく認識も甘かった故の不幸な行き違いだったんだと思う。
だが、今ならば。
(俺なら…。)
支えてやれる、なんて言い方が烏滸がましいならば、支えたい、でも良い。
父のように叱り、母のように包み、兄のように諫める。
時には優希を王のように扱い、傅いても良い。
優希の傍に立つのに、自分ほどの適役が他にいるとは思わない。
只、そうなる為には、自分だけが思っていても仕方ないのだ。優希本人に望んでもらわなければ、その位置は得られない。
しかし悲しいかな、恐らく今の所、日坂はそういう対象として意識すらされていないのだ。
精々が、愚痴でも何でも聞いてくれる元同級生で元カレの元カレってだけに過ぎない。
日坂としては随所で何かしら特別だぞアピールをしてきたつもりだが、他人の心情を推し量る能力に欠けている優希に気づけるはずも無く、ここ数年無駄な膠着状態がつづいていた。
何が特別って、普通は知人でしかないと言い張る人間に対して、店の料金を免除しないし下戸だってんなら一応メニューに載せてあるソフトドリンクの烏龍茶くらいで十分なのだ。
少額とは言えわざわざ自腹で好物のドリンクを買って絶やさないようにしていたのは、日坂の好意でしかない。
その上、眠くなったと言われれば優希の車を運転して優希の自宅マンションの地下駐車場に入れて、本人を担いで部屋のベッドに寝かせて、着替えをさせスーツをハンガーに掛け、なんなら明日の朝食用にと途中で買って来たパンと野菜で軽めのサンドイッチやサラダを作って冷蔵庫に入れておく。
そして日坂本人は呼んだタクシーで店に帰る…。
それをこの4年以上、平均週3で行っているのだ。
これが愛による献身と言わずしてなんだと言うのか。
しかも、今日まで、何の見返り1つ無く。
だから先刻、不本意ながらも初めて店の事務室で奪った優希の唇は夢のように美味かった。
美味かった…という表現はどうなの、と思われるかも知れないが、本当にこれ以上無いほど可愛くて、甘くて、美味かった。一見、薄くて酷薄そうなのに、しっとりと柔らかい弾力がある。しかも優希はヘッタクソなりに何とか応えようと頑張っている様子…。
俄然燃えて、この際だと好き放題掻き回してやったら、射精した…。
こんな可愛い奴、他にいる?
日坂だって優希に本気になったとはいえこの4年以上、別に禁欲生活を送っていた訳では無い。
適当に割り切った人間達との関係は、それなりにあった。
こういっちゃ身も蓋もないが、優希に無体を働かないように適度にガス抜きせざるを得なかったからだ。
だが、その彼ら彼女らも、その更に過去に好きで付き合っていた筈の恋人達でさえ、束になっても優希の唇ひとつには及ばないのだ。
(やっぱコイツが俺の運命なんだわ)
ファム・ファタール、オム・ファタール、どちらでも良い。
優希はどうかは知らないが、日坂にとっては運命なのだ。
その証拠に、くちづけ一つで日坂の体も魂も、こんなにも震えている。歓喜している。
欲している。
それならこの際、このキスを機に 盛大に意識してもらおうじゃないか。
「…松田。」
クッションに身を沈めて猫の姿を目で追う優希の頬に手を伸ばせば、少し緊張されたようだ。
困惑した目を向けられる。
何時もの余裕ぶった表情は無かったが、怖がられて…までは、いないように思う。
「松田。」
今度は両手で優希の両頬を包んで、しっかり真正面から見据えて、もう一度呼ぶ。
優希はバツが悪いのか視線を逸らそうとしたが、日坂の強い視線がそれを許さなかった。
「もう勘づいとる思うけど、俺はお前が好きやねん。」
「…えっ」
…えっ、てなんだ。
本当に心外、とばかりに吃驚している優希に、はあ~~~っ…と
思わずそこそこ長い溜息が出た。
コイツの鈍感さを、舐めていた…。
だからと言って、今日はもう退く訳にはいかない。
ここで濁せば、明日からはまた同じような献身のみの日々に逆戻りである。
最も最悪なのは、優希が逃げを打って自分に寄り付かなくなる未来だ。
(そうはさせん。)
少なくとも、次に繋がる布石を今夜、打たなければならない。
鈍い優希でさえ、嫌でも意識せざるを得なくなるような布石を。
「俺はお前を愛してる。
どうしようもない奴やと思うけど、心底惚れとる。」
暫くぼんやり聞いていた優希の顔が、言葉の意味を理解していくと同時にみるみる耳まで赤くなる。
搦手で駄目なら直球しかないと覚悟した日坂はこの反応に勝機を見た。
脈あり。
一方、優希は優希で、日坂のようなタイプに言い寄られるのは初めて。
これまで優希に寄ってきた男女は、み~んなカッコイイ映え彼ピが欲しいニャン!みたいな子達で、告白もふんわり軽め。
こんなずっしり重そうで熱烈な愛の告白なんて、知らない。
しかも告白されているのは自分なのに、何だかとっても恥ずかしい。
それに、相手は既に色々知られている筈の日坂。好かれる要素なんてある筈無いというのは流石の優希でもわかっているだけに、
なんて答えたら良いのかもわからなかった。
あ、そうか。
「お前も俺の顔と体めあ…」
「どあほ。」
デコピンされる。痛い…。
「それならとっくにヤっとるわ。」
実際、そうするチャンスだけなら数え切れないほどあったのだ。
「勿論、抱きたい。けど体だけ欲しい訳ちゃうねん。」
「…なんで、俺だよ…。」
わからない。理由が。
「顔が好きなのは否定しない。」
正直、それが取っ掛りだ。
「でも今はお前のアカンとこも最悪なとこも、纏めて好きや。愛しい。」
「おま…恥ず…」
「かしくない。」
優希の両手首を掴んでソファに縫い止める。
僅かに身を捩って抜け出そうと試みているのか。往生際の悪さにくくっと鼻から笑いが洩れた。
首筋に鼻を埋めてみると、仄かな体臭の混ざった、嗅ぎ慣れたエンディミオンの香り。
何時もながら股間に来る、官能的な香りだ。
「もう俺にしとけ、優希。」
耳元で息を呑む音がした。
「俺だけだ。俺だけが、お前の…」
運命になれる…。理解者になれる。
見開いた、淡いヘーゼルの瞳が硝子玉のように日坂を映す。本当に細部までも綺麗な男だ。
「一生、お姫様みたいに抱いてやる。」
「ひさ…か…」
もう僅かな抵抗すら感じない。
背後で猫が、欠伸をして小さく鳴いた。
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