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悲願
しおりを挟む外の世界の騒がしさとは別世界のように、学園内での時間は穏やかに、少し退屈な程緩やかに過ぎていった。
卒業を2週間後に控えた週末のある日、目を疑う程久々にラディスラウスからの着信が入った。
流石にそろそろだろうと気構えていた雪長は、初めてラディスラウスからの電話を取った。
「はい」
出ると一瞬、間が空いた。
『雪、か?』
「お久しぶりです、殿下。」
『…すっかり…大人の男の声になった。』
確かに3年以上会っていない。
けれど、どうせ何処からか監視は続いていたのだろうに、と雪長は不思議に思った。
「残念ながら何時迄も殿下のお好きな姿ではいられなかったようです。」
意外な程 皮肉めいた軽口が口をついた。
ラディスラウス相手にこんな事が言えるようになるなんて。
自分でも意外だ。
ラディスラウスは電話の向こうで、
『俺の好きな姿?』
と、訝しげな声を出している。
白々しい。
…どうせアンタは、子供のような、少年のようだった自分の容姿がお気に入りだっただけなんだろう…。
それが、雪長が出した結論である。考え過ぎて堂々巡りで結局最初に戻っている。
コイツは小児性愛嗜好の持ち主に違いない、と。
だから 抱いてはみたが思いの外成長して男になっていた雪長に興味を失ったのだろうと、何となく納得したのだ。
この辺の思考回路は流石、雪長というか…。
一方のラディスラウスは、あらぬ疑いをかけられて少し焦った。
『…よくわからないが、俺は別に雪が子供だから好きだった訳では無いぞ。』
「…左様ですか。」
だった、と言う言い回しに引っかかりつつも、今更もうどうでも良いか、と雪長は思う。
この掛け合いにも何の意味も無いだろう。
「何かご用がおありなのでは。」
雪長が問うと、ラディスラウスは我に返ったように言った。
『婚約の解消について、話をしたい。』
来たか、と思う。
気構えていた筈なのに、一瞬 背中から何かが次々に抜け落ちて、足元がぐらつく感覚を覚えた。
何かが何なのかはわからない。
何故自分は、少なからずショックを受けているのだろうか。
自分から望んで、ラディスラウスに告げて、頼んだ事であったのに、相手から口にされると 血の気が引く気がするなんて。
自分も大概、身勝手だ。
「解消の件、承りました。」
『…卒業式には、スピーチの予定がある。その後皇室の車両で家迄送るから、話は公爵家についてからにしよう。』
「承知しました。」
『では、その日に。』
通話を切り、ほっと息を吐く。
そして、ふと思った。
もしかして、自分の為にこの時期迄待っていたのだろうか。
しかも、ラディスラウスは破棄ではなく、解消と言った。
雪長側には問題は無いと、世に暗に示してくれたのか…。
ラディスラウスの真意を計れぬまま、卒業式の日は刻々と近づいている。
卒業式の日、ラディスラウスは護衛4人と共に学園に現れた。
少し面窶れしているように思うが、3年前よりずっと精悍さが増した皇太子の姿は美貌に磨きがかかり、眩しい程だった。
なのに、何処か陰がある。
すらりと長身の筋肉質な体躯に合わせた 黒地に金モールの軍服を模した式典服姿に、生徒達の多くは見蕩れたし、憧憬した。
雪長ですら一瞬、ときめきのようなものを覚えた程だ。
だが、何か違う。
久しぶりの雪長を、眩しげに見るその表情は、凪いでいた。そして雪長は、その違和感の正体を知る。
ラディスラウスの緑の瞳の奥の強い光が消えていた。
常に焦がされそうなほどに向けられていた炎は今はなりを潜め、只、穏やかな眼差しで雪長に向き合う彼。
(ああ、本当に、)
ーー彼の、俺に対する執着は終わったのだーー。
ぼんやりと、そう思った。
話し合いは岩城公爵家に雪長が帰り着き、間も無く行われた。
既に両親には話が通っていたようで、滞りは無く話は進んだ。
雪長不在時に側妃を迎えた事、子を成した事は、言い訳も立たぬ程に申し訳無い事だった。
この度の事を悲しんだ雪長から婚約解消の申し入れがあり、皇太子は謝罪し、涙を飲んでそれを受け入れる。
ついては、雪長と岩城公爵家に対する慰謝をもって、出来るだけの事をさせてもらう所存である、と…まあそんな具合いだ。
要は婚約者が遠くにいるのをいい事に、浮気して子迄作って申し訳ございませんって事だ。
皇室の人間が側室に子を産ませるのは歴史上普通の事なのだが、未婚の皇太子が婚姻前にそれをやったとなっちゃ、そりゃ昔でも多少は不味いだろうが、現代では更に問題視されるのは当然である。
世間はラディスラウスと雪長が、仲睦まじい許嫁同士だとの幻想を抱いていたし、子供や側妃の事も、雪長の了承があるものと勝手な当て推量をして勘違いをしていたが、実は違ったとなれば 皇室は批判に晒され、皇太子や側室となったオディールにもそれは飛び火する筈だ。
だが、皇太子側はそれを全て被るつもりらしい。
大丈夫なのかと言えば、初めからそのつもりで事を進めたのだ、と言われてしまい、もう何も言えなくなる。
どうやら計画的になされた事らしい。
「何か、希望は無いか。」
ラディスラウスに問われ、雪長は答えた。
「ひとつ、ございます。」
「聞こう。」
「草鹿を、学園から私の元へ。」
「それについては、陛下に打診済み故 本日中にも手続きを終え次第、岩城家に到着する事だろう。」
「左様でしたか。ありがとうございます。」
草鹿は学園にいて本来の主を待ちたいのかも、とも思うが、雪長には未だ精神的な支えとしての草鹿が必要であり、草鹿にもそれを打診してみたら、意外にも了承が得られ驚いた。
どうやら主人である王子と連絡が取れるようになったので特に学園に固執する事も無くなったらしい。
…何時の間に…?
只、草鹿に関しては学園というより、皇帝に決定権があるようで、容易にはいかないかと思っていたのだが、既に皇太子は気を利かしてくれていたようだ。
それは素直にありがたい。
そしてその後、全ての話が整い、書面にサインし、9年間の婚約関係は白紙に戻った。
雪長の悲願は、達成されたのだ。
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