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草鹿 2
しおりを挟む1年経ち、2年経ち。
とうとう、8年。
学園で待てと言われたからにはこの場で待たねばならず、それを知る学園側と和皇国側の配慮で、私は未だここに留まっている。
その間、何もせぬ訳にもいかず、他国から留学して来た貴賓の身の回りのお世話もしてきた。
勿論、心を込めてお仕えしたつもりだ。
例え仮初の主従関係であろうとも。
そして、今は和皇国の皇太子殿下の許嫁である雪長様のお世話を申しつかっている。
雪長様は不思議なお子だ。
一見、ごく普通の、ともすれば幼子のように頼りなく か弱くみえるのに、時折いやに大人びた表情をする。心に何かしら決意を持つ者の、芯の強さを感じる。
それが、最後に見たユアン様と重なるようで、放っておけない。
雪長様にお仕えする毎日は、楽しい。
白い肌にショートのサラサラした黒髪、黒い瞳。
見た目は小動物のように愛らしいのに、なかなかに毒を持っている。
婚約者である和皇国皇太子殿下には特に塩対応で、かかってきた電話を取った所もMINEを返信している所も見た事が無い。
とてもご寵愛を受けられてらっしゃると聞いていたが、実は不仲なのだろうか?
しかしそういう事を聞くのは失礼なので、その疑問は打ち消しておく。
私の仕事は雪長様が不自由無く過ごせるようお世話する事であり、様々な危険からお守りする事であり、ご卒業迄の日々を心穏やかに恙無くお過ごしいただけるようサポートする事だ。
私の王子殿下にお仕えした、かつてのように。
安穏とした日々に石が投じられるのは、一瞬だ。
8年も、経てば。
お別れした17歳の頃の、まだ少年だった殿下しか私は知らないから。
こんなにもご立派に、雄々しく更にお美しくご成長されたお姿が、喜ばしくもあり、その経過をお傍で見守って差し上げられなかった事が口惜しくもあり。
病で長期入院した老教師に替わり、学園にやってきた若い教師の後ろ姿に、確かに見覚えがある気がしたのだ。
しかし、まさか。
私の電話には連絡は入っていないのだ。
私は頭を振り、心に湧いてきた疑問を打ち消した。
生きていらっしゃるのならば、必ず私にご連絡下さる筈だ。
「草鹿。」
2教科分の時間の休憩時間をいただき、寮に戻って一仕事と通路を歩いていると後ろから名を呼ばれた。
聞き覚えがあるような声色だが、違う気もする。
ゆっくりと振り向くと、先刻後ろ姿で見たスーツ。
あの若い代理教師なのだろう。
顔を見る。
面影があった。
美しい、宝石のような深い瑠璃の瞳。
それが眇められると影を作るようにかかる、長い睫毛。
丸みが削げ落ちてすっかり大人になった頬。
「待たせた。」
「…殿下…、我が君…。」
私は足早に駆け寄り、膝をつく。
そして片手をいただき、その手の甲に恭しく唇を落とす。
筋張ったその手はすっかり大人の男のものだ。
「御無事のお戻りを、首を長くしてお待ち申しあげておりました。」
声に涙が混じり、震える。
「…すまなかった。許せ。」
「ユアン様…。」
涙を見せたくはない。ないが…。
「俺のにいやは泣き虫だ。」
揶揄うように言われて顔を上げると、美しい顔を破顔させている殿下。
泣かせているのは何方ですか、と思う。
「達者でいたようで安堵した。
雪長殿に尽くして差し上げてくれているようだな。」
「ご存知で…。」
「俺の協力者は和皇帝陛下だぞ。」
「左様でした…。」
祖国が実際にはどういう状況なのかは知る由もないが、殿下が和皇国に戻っているのも学園にいるのも、この国の皇帝陛下が後ろ盾になっているからに他ならない。
「砂華はもうすぐ、今一度の変革が起こる。」
ーーそう、俺の側近達が仕掛けている。ーー
「変革、でございますか…。」
その為に、殿下はこの8年、動いてらっしゃったのだな。
「うん。だからその間、和皇に匿われる事にした。」
「左様でございましたか。」
それから殿下は引き締まった表情になり、言った。
「草鹿。俺は、国を取り戻すぞ。」
「はい。」
「俺は砂華国、ただ一人の王族の生き残りだ。」
そうだったのか。やはり、そうなってしまっていたのか。
「既に、国王陛下でございましたか。」
深々と礼を捧げる。
成り行きは悲しい経緯だったが、我が君が国の長となられるのだ。これで砂華は蘇るだろう。
「お前は俺の、最も近しい、兄とも慕う者だ。何れは共に帰国してもらわねばならぬ。だからこそ、今は世話になった和皇国への恩義に報いる為、これ迄以上に許嫁殿には尽くして差し上げて欲しい。俺の代わりに。」
「かしこまりました。」
我が君の御心がそう願われるのなら、私はこれ迄以上に誠心誠意雪長様にお尽くししよう。
そう誓った私の心を察したのか、ユアン様がふふっと笑う。
「俺のにいやは相変わらず真面目が服を着ているようだな。」
「それだけが取り柄なもので…。」
「では、また。
愛らしい許嫁殿をよろしくな。」
「かしこまりました。」
ユアン様が学舎の方へ去って行かれるのを深々と頭を下げて見送る。
それからずっと、雲の上にいるような気分だった。
夢ではないだろうな…。
そう疑って、何度頬をつねってみたかわからない。
我が君が私の人生にお戻りになられた。
こんなにも喜ばしい日が来るなどと、昨日迄は思いもしなかった。
その後、雪様の御髪を梳き、お食事のご用意をし、就寝のお手伝いなど何時ものように仕事をこなし、自分もベッドに入るまでその多幸感は続いた。
そしてその夜は、数年ぶりの安堵感からか、ぐっすりと眠れたのだった。
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