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19 ここまでされて否と言える人間がいるなら顔が見てみたい
しおりを挟む以前からアクシアン公爵家に出入りしている宝石商がこの屋敷を訪れた理由。それは、注文で仕上がった品を納品する為だった。
注文したのはサイラス。超お得意様であるアクシアン公爵家への納品とあって、店主が自ら届けに来た。
店主は来賓用らしい客間に通され、数人引き連れて来られた店の者と護衛達はその隣室に待機させられているようだ。貴族の高額な注文品を運ぶのに間違いがあってはならないものな。
店主は小肥りで背の低い中年男性だったが、流石に貴族相手に商売しているだけあって、品が良く如才ない。彼は細かい彫刻の施された小さな白い木箱を恭しくテーブルの上に置き、サイラスの前に差し出した。
「ご希望通りに誂えましたお品でございます。お改めを」
「うん」
頷いて木箱を開けたサイラスが、箱の中を見て微笑む。
「うん、良い出来だ」
「ありがとうございます」
(何だ?)
横で2人の遣り取りを見ていた俺にはそれが何なのか見えなかった。
「やはりこの石にして良かった」
「うん?何だ?」
首を傾げる前に、サイラスは俺の手を取りながら答える。
「私達の婚約指輪だ」
「あっ…」
ハッとする俺。
そうか、それが必要だったな。婚約式に取り交わす指輪が。しかし、財産の乏しいウチの実家では、公爵家と交わせるような品は用意出来ない。貴族の結婚は契約だ。だが俺達の場合、その契約を交わすにはあまりにも財力差がありすぎた。それが、俺が婚約を渋った一因でもあったのだが…サイラスが見せてきた箱の中には指輪は一対あった。
「あれ?2つ…」
「身一つで良いと言っただろう?費用のかかるものは全て私が用意する」
「えぇ…」
そ、そうか。そうだよな、財力に富む公爵家が貧乏子爵家の財などアテにはしないよな。今までも散々厚意に甘えて来た身なので今更全てを用立ててもらうのに抵抗がある訳ではない筈なのだが、やはり婚約指輪に少しも身銭を切らないのはどうなんだろうか。お気遣いありがとうと言ってしまって良いものなのだろうか。
しかしそうこう悩んでいる間に、サイラスは指輪の一つを、嬉しそうに俺の左手の薬指に通してしまった。
「あ」
「実は一年前から頼んでおいたんだよ」
何だと?
聞き捨てならない言葉に、俺はサイラスに問いかけた。
「いや、はあ?早過ぎるだろう。1年前なんて、エリス嬢の素行調査はしていたものの、まだ婚約破棄の話も出ていなかった頃だよな?…俺に断られるとは思わなかったのか?」
そんなに前から俺に求婚する気持ち固めてたという事か?いや、聞いてないぞ。
「少しは思ったが、承諾してもらうまで食い下がるつもりだった。それならどうせ必要になるだろう?」
「……」
怖い。何だその思考。本当に最初からイエスの答えしか想定してないのか。もう押しが強いとかそういう次元ではない。
考えてみれば、王家に次ぐ権力を誇るアクシアン公爵家の長子に生まれ、全てに秀でた彼の周囲にはノーと言う人間はあまりいなかったのかもしれない。唯一、思い通りにならなかったのはエリス嬢と婚約させられた事くらいなのかもな。本来、貴族の婚約や結婚は本人達より家同士の都合が優先されるものだからな。
それで言うと今回のサイラスと俺の婚約は明らかに異例だ。中堅貴族でそれなりの釣り合いだった伯爵家との縁談をひっくり返して、恋愛感情で結婚を決めようってんだから。
サイラスが俺に用意した婚約指輪は、純金に四角くカットされた貴石の嵌め込まれたものだった。思っていたよりシンプルなデザインで何となく安心したが、石の色を見てギョッとする。
濃く青く美しい不思議な色合いの宝石は、滅多に採掘される事の無いとても稀少で高価なものだと俺ですら知っている。この指輪一つでちょっとした屋敷の一邸や二邸くらいは買えてしまうだろう。
「こ、これ…」
あまりの品に震えてしまう俺に、サイラスは静かに話し始めた。
「アルは華美すぎるものを忌避する傾向があるだろう?だからシンプルな方が身に付け易いかと思ってね。石は、何時でも共にある事を忘れずにいて欲しいと、私の瞳の色と合わせたんだ」
サイラスの声を聞いている内に目眩がしてきて、ソファの背もたれに倒れそうになるのを何とか耐える。何だか息まで苦しくなってきた気がするぞ。
そんな俺の心を知ってか知らずか、サイラスは続けた。
「青い貴石は特に強い聖なる力を持つという。私が傍に居ない時でも、きっと君を守ってくれるだろう」
そうだな。聖力が強いと言われていて、王族以外では一部の聖職者が身に付けているという話を聞くしな。
そんな貴重な物が、今俺の指に…。左手がとても重く感じ、もはやうんうん頷くしか出来ない俺。しかし何も言わない訳にもいかず、何とか声を絞り出した。
「そう、なんだな…、うん。ありがとう…」
「正式に婚約、受けてくれるか?」
真剣な瞳で改めて聞かれて言葉に詰まり、頭の中で逡巡する。
幾らアクシアン公爵家とはいえ、稀少な青い石を用意させるのはなかなか大変だったろう。そんな物を、俺の為に?一年前なんて正式な婚約破棄前から他の人間の為に婚約指輪を発注していたのは感心出来ないが、それはおそらく、サイラスの瞳と同じ青い貴石を2人分用意する為だったのだろう。
彼の、俺に対する気持ちの詰まった特別な指輪。
断ればそれを無にしてしまうという事になる、のか。
断られようが諦めないとは言っているが、傷つかない訳ではあるまい。俺ももう、この貴石のように美しいサイラスの瞳が翳るのは見たくない。
(俺などにそんな無体が許されるのか?)
時間にして、ほんの数秒。しかし俺の頭の中では様々に思い巡らせた結果。
「……よろしくお願いします」
俺は指輪に目を注ぎながらそう言った。
途端に喜色満面になったサイラスに抱きしめられ、向かいに座っている宝石商と目が合った。目を細め笑顔を作られ、釣られて引き攣った笑みを返す。
多分、これで良いんだよな。俺が素直に折れたら全方向丸くおさまるんだから。
…そうだよな?
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