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12 彼が求める答えはひとつ
しおりを挟む大事な事なので何度も言うが、俺はサイラスよりは劣るもののそれなりに上背もある、ごく一般的な体格の持ち主である。
よもやそれがこんなにも軽々と持ち運びされてしまう日が来るとは思ってもみなかった。しかも、階段を上がった3階の部屋まで。
眉を寄せ唇をキュッと噛みながら痛感する、圧倒的力の差。男として純粋に悔しい。
だがしかし俺は、サイラスのそれが天資のみではない事も、実は知っている。確かに彼は最初から、俺を含むその他多くの人間達よりも良いものを与えられている。だがそれだけではなく、甘える事なくそれらを磨く努力も怠らない男だった。学業も剣術も家業を継ぐ為の後継者修行も、未来のアクシアン公爵として、彼の肩には凡人の何倍もの重圧が課せられている。
サイラスがそれについての懊悩を吐いた訳ではないが、そんなものは何年も傍で見ていれば感じ取れる。
先ほど俺は、生まれながらのハイスペックはあらゆる事を苦労無くこなせるのかなどと言ったが、本気でそんな風に思っている訳ではない。
俺がサイラスの友となれて誇らしいと思う一番の理由は、彼が父の喜ぶ高位貴族だからではなく、身分関係無く真摯に努力できる人間だと知っているからだ。
そんな彼を尊敬している。
だが、この状況は…。
広い敷地。磨かれた階段に、埃一つ見えないほど清掃の行き届いた広い部屋、豪奢なインテリアの数々。
比べるのも烏滸がましいが、アクシアン公爵家は別邸でさえ俺の実家とは段違いだ。
キスで腰の砕けた情けない俺は、大人しくお姫様抱っこにて運ばれながら、内心圧倒されつつ屋敷の中を見回していた。それに気づいたサイラスがクスクス笑っていたのは気にしないものとする。
後ろから着いて来ていた使用人の男性に扉を開けさせ、サイラスが俺を連れて入った部屋の窓からは、聞いた通りエメラルド色に澄んだ湖面が見えた。窓辺にはアイボリーホワイトに金のあしらわれた丸いティーテーブルと、それを挟むように椅子が置かれている。全てが優美な猫足。誰の趣味が反映されているのか、アクシアン本邸の重厚さとはまた違う華やかさだ。
使用人が片方の椅子を引き、サイラスにそこに降ろされると、やっと人心地がついた。良かった。この部屋にはベッドが見当たらない。てっきりこのまま押し倒されるのではとヒヤヒヤしていたので思わず安堵の息が漏れてしまった。
そうだよな。登校中に連れ去られるなどという突飛な事をされて戦々恐々としていたが、本来サイラスは紳士的な人間だ。いきなり押し倒すなんて事をする筈がない。(さっきのキスの件、順調に忘却中)
サイラスが俺の向かいの椅子に座るのと同時に、部屋にはもう一人、中年の女性が入ってきた。茶の用意をしてきてくれたようで、俺とサイラスの前には手際良く茶器が並べられていく。
「アル、紹介しておこう」
カップに茶が注がれたところで、それまで俺の様子を眺めていたサイラスが口を開いた。そして右手を肩まで上げると、彼の後ろに控えていた使用人の男性がスッとテーブル脇に立った。
「この屋敷の家令を任せているリドリーだ。今お茶の用意をしてくれたのが、メイド長のサラ。2人とも長く勤めてくれていて信用できる者達だよ」
紹介された2人は俺に深々と頭を下げた。彼らは馬車の扉が開けられた時に見た初老の男性と、その隣に立っていた女性だ。サイラスは更に続ける。
「君がここに滞在する間の世話は、彼ら2人に任せる事にする」
それを聞いて、俺は驚いた。
「え、滞在?」
いきなり連れて来られた上に、そんな事は聞いてない。
「滞在ってどういう事だ?」
聞き返す俺に、サイラスは事も無げに答えた。
「頑固者の君に私の気持ちや考えを理解して受け入れてもらうのには、どうやら1日や2日では無理だと判断したんだよ」
何という言い草だろうか。…まあ、頑固者とはよく言われはするが。
「君の気持ちは理解しているつもりだ。俺のような者には身に余る光栄だとわかっている。だが、」
そこまで言った時、サイラスは片手で俺を制してから目配せでリドリーを呼んだ。そして、少しの間何かを耳打ちしたかと思うと、それに頷いたリドリーは部屋から出て行った。ついでにサラも部屋を出て、俺達は2人きりになった。
その状況に、また妙な緊張感が漂ったような気がした。
「学園とリモーヴ子爵家には連絡の早馬をやったよ。君の父上には後から手紙も書くつもりだが、先触れとしてね」
「手紙?」
「仲を深める為に当分の間君をお預かりしたいので、とね」
「そんな…」
そんな風に手を打たれては、俺とサイラスの婚約に賛成している父上は、彼の提案を喜んで受け入れるだろう。何ならサイラスが手紙など出す前に、早馬で行った遣いが
『どうぞご随意に』なんて手紙を持って帰って来そうだ。いや、絶対に来る。父上はそういうお方だ。悪い人ではないのだが、落ちぶれていく家をリアルタイムで体感し、支えて来たせいか、金や権力に阿るところがある。
ましてや俺とサイラスは親しく、彼の求婚の手を取ったのだから、納得していると思っているだろう。それについては、拒否も否定もしなかった俺に非があるので仕方ないのだが。
何も主張せずに意を汲み取ってくれなんて都合の良い話は通用しない。
だから、事の発端であるサイラスに宛てて婚約を固辞する手紙を書いたというのに…。
「アルの手紙を読んで、今回の件についての話し合いがあまりに足りなかったのだとわかったよ。反省した。私達に足りないのは時間だったんだよね。これからは君にわかってもらえるよう努めるよ。手取り足取りね。
学園も、当分は休みという事で連絡を入れておいたから」
「ひっ…」
ゆっくりなのに反論を許さない話し方で、サイラスは俺にそう言った。
言葉は優しく俺に寄り添っているように聞こえるが、実は全然寄り添ってない。だって、俺に納得させる前提で話してるからな。
それはつまり、俺が婚約を承諾するまで解放する気は無いという事だ。
何故こんな事になってしまったんだろう。
手紙を渡すタイミングを間違えたのが悪かったのか、サイラスの身を慮りその手を取ってしまった事が悪かったのか…。
俺は今、猛烈に後悔している。
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