10 / 54
10 親友には、俺の知らない顔がある
しおりを挟むしかし、何時渡せば…。
今?それとも着いてから?昼食時?帰りでは遅いだろうか。こんな手紙を渡しておいて送りの馬車にも乗せてくれなんて厚かましいものな。
やはりこういう事は一刻でも早い方が良いだろう。
俺は座席の脇に置いていた茶色い皮の通学用鞄を開けた。実はこの鞄は、あらゆる面で器用なレイアードが俺の為に特別に誂えてくれた品で、開けた内側に幾つもの大きさの異なる仕切りが設けられている、とても機能性に富んだ代物である。他の貴族の子弟達は、学園を一歩出たら本やペンの一本すら自分で持たず、送迎係の使用人に荷物を運ばせる者も多いが、如何せん我が家は超貧乏貴族。使用人はレイアード含め3人のみ。故に、俺には早くから、基本的に自分の事は自分でやる癖がついた。忙しい使用人の誰かを呼んでやってもらうより、自分で動く方が早いからだ。
そんな、学外に出ても自力で荷物を持ち運びするしかない俺の為に、入学前にレイアードが夜なべして作ってくれた通学用の鞄。渡される時、
『不憫な坊ちゃま…』
と涙を拭っていたのが今でもありありと思い出される。しかし当の俺はといえば、あまりに斬新なデザインのその鞄が嬉しく、尚且つ世界に一つだけの俺だけの特別な品だと浮かれていたので、レイアードに言われた"不憫"は時間が経ってからじわじわと来た。
俺、別に不憫じゃないし。
だってそのレイアードお手製ハイスペック鞄は、同級生達からだけではなく、上級生や教授達にも好評を博したのだ。何せ手持ちにも背負う用にも出来るからな。…まあ、中にはやはり、
『自分で荷を運ぶしかない貧乏貴族』
と後ろ指指してくる連中も一定数いたが、俺は気にしなかった。何故なら、それから間も無く、俺が背負ったその鞄に感銘を受けた貴族令息達が親に強請り職人に似たような鞄を自分好みの色で作らせて、それを背負って学園に来るという局地的ブームが起こったからである。まあ、内部はサイラス以外には公開していないので、俺のオリジナル品ほど秀逸な出来の物は無く形を似せたばかりのものだったのだが。
…だいぶ脇道に逸れてしまった。
ともあれ俺は、鞄の内側の仕切りの1箇所に差し込んでおいた手紙を抜き出して、少し眺めたあと、サイラスの方に向いた。
「サイラス、これ…」
「ん、手紙?何だい、改まって」
「うん、今朝書いた」
手紙を差し出すと、サイラスは少し驚いたような表情を浮かべたが、すぐに微笑みながら受け取ってくれた。
「嬉しいな。アルからの手紙だなんて初めてだね。」
うっ…喜ばれてしまっている。
俺はズキズキと胸を攻撃してくる罪悪感を、ぐっと唇を噛みながら耐える。
ぬか喜びさせる事は心苦しいが、もう後が無い。事態がこれ以上進んでしまったら、本当に引き返せなくなる。
俺の真意を知れば、きっとサイラスは傷つき落胆するのだろう。罵倒も殴打も甘んじて受ける覚悟だが…期待させた罪で慰謝料とか請求されたらどうしよう。
「読んでも?」
にこりと笑ったサイラスが、親指と人差し指で挟んだ封筒を顔の横で翳す。すぐに読めるようにと封蝋などはしなかったので、俺はこくりと頷いた。
形良く長い指がフラップを開け、便箋を取り出す。実はこの便箋や封筒なども毎年誕生日にサイラスから贈られる物の一つだ。ウチの経済状況では紙類なんて高級品はホイホイ買えるものではないのでな。そう考えると、俺はあまりにもサイラスから恩恵を受けてきているのだなとしみじみ思う。
手紙に目を通し始めたサイラスを、横から見つめる。何時でも怒りを受け止める覚悟だった。しかし彼の表情は、薄く浮かべた微笑みから変わらないまま、目線だけが文字を追い動いていくだけ。
そして。
数分かけて3枚にもわたる手紙を読み終えたらしきサイラスは、最後にふう、と小さく息を吐いた。それから手紙を丁寧に元のように折り封筒に直してから、上着の内側にあるポケットに大切そうに仕舞い、視線を上げて俺に向かって言った。
「気持ちのこもった素敵な手紙、ありがとう」
「どういた…え?」
反射的に返礼を返そうとしかけて我に返る。
「…サイラス?読んでくれたんだよな?」
「ああ、勿論。」
「えぇと…済まなかった」
「ん?何が?」
「…」
俺の謝罪に、事も無げに言葉を返してくるサイラス。その様子に、俺の頭の中にクエスチョンマークが浮かぶ。どういう事だ。サイラスはとぼけているのだろうか。
戸惑いながらも、俺は更に謝罪を繰り返す事にした。
「そこに書いた通り、俺は君とは婚約も結婚も…」
「アル」
やはり口頭でも説明と謝罪が筋だろうと話し始めた言葉を遮るように、サイラスに名を呼ばれる。その声は何時もと変わらないように聞こえた。
だが、それが俺の勘違いだった事は、すぐにわかった。
「アル。私はね、君の戸惑いは理解しているつもりだよ。そりゃ、それまで意識していなかった同性の友人に突然愛を告げられても困るよな」
「いや、戸惑い…というか…」
戸惑いという段階は既に越えて、やはり無理だという結論が出たのだが。だからこそ文字にもしたのだが。サイラスには伝わらなかったのだろうか?
「俺には公爵家に嫁ぐなど荷が重いと…」
貴族家当主の伴侶は、ただ愛されてそこに居て贅沢をしているだけで許される妾や愛人とは違う。求められるものが多いのだ。俺は家柄も容姿も、求められる条件は何一つ満たしてはいない。
そんな俺がサイラスの無理押しで公爵家に入っても、苦労は目に見えている。手紙にはそれも切々と綴った筈だ。俺のこの不安を汲んで欲しいと。
あまりにも立場が違い過ぎるのだ、俺とサイラスでは。
「荷が重い…。そうか。アルにそんな風に不安を感じさせてしまっていたのは、私の落ち度だな。」
今度はやや悲しそうな表情と声色でそう言ったサイラスに、やっと話が通じそうだと安堵した俺。しかし、そうは問屋が卸さなかった。
サイラスは俺の右手を取り、その甲に唇を押し当てながらこう口にしたのだ。
「どうやらお互い、早急に意識の擦り合わせが必要なようだ。」
「すり…え?何を…」
何を言っているのかよくわからず困惑する俺を他所に、サイラスは場所の窓から顔を出し、御者に向かって叫んだ。
「行先変更だ。
東ネールの別邸へ向かえ」
それを聞いて慌てる俺。東ネールなんて学園から正反対の場所じゃないか。市街地も市街地で、大きな湖のある…。
「どういう事だ、学園は…」
「後から2人とも休みだと遣いをやるよ。」
「そんな…」
勝手な、と言いかけた時、嘶きと共に馬車が方向転換をして、少し車体が揺れた。俺はサイラスの方にぐらつき、その腕に抱きとめられた。精巧なビスクドールのように美しい顔を裏切るような、がっしりと逞しい腕が背中に周り、俺を強く抱きしめた。
「なあ、アル」
鼓膜を揺らす、艶と甘さを含むバリトンに俺の体は動きを封じられる。何時もは優しく響くその声が、今は何故だか怖い、とても。
名を呼ばれても返事を出来なくなった俺の耳元に、サイラスは更に囁いた。
「君は私を、見くびりすぎだ」
それがどういう意味なのか、俺はこれから思い知る事になる。
152
お気に入りに追加
2,941
あなたにおすすめの小説
(完結)貴方から解放してくださいー私はもう疲れました(全4話)
青空一夏
恋愛
私はローワン伯爵家の一人娘クララ。私には大好きな男性がいるの。それはイーサン・ドミニク。侯爵家の子息である彼と私は相思相愛だと信じていた。
だって、私のお誕生日には私の瞳色のジャボ(今のネクタイのようなもの)をして参加してくれて、別れ際にキスまでしてくれたから。
けれど、翌日「僕の手紙を君の親友ダーシィに渡してくれないか?」と、唐突に言われた。意味がわからない。愛されていると信じていたからだ。
「なぜですか?」
「うん、実のところ私が本当に愛しているのはダーシィなんだ」
イーサン様は私の心をかき乱す。なぜ、私はこれほどにふりまわすの?
これは大好きな男性に心をかき乱された女性が悩んで・・・・・・結果、幸せになったお話しです。(元さやではない)
因果応報的ざまぁ。主人公がなにかを仕掛けるわけではありません。中世ヨーロッパ風世界で、現代的表現や機器がでてくるかもしれない異世界のお話しです。ご都合主義です。タグ修正、追加の可能性あり。

側妃は捨てられましたので
なか
恋愛
「この国に側妃など要らないのではないか?」
現王、ランドルフが呟いた言葉。
周囲の人間は内心に怒りを抱きつつ、聞き耳を立てる。
ランドルフは、彼のために人生を捧げて王妃となったクリスティーナ妃を側妃に変え。
別の女性を正妃として迎え入れた。
裏切りに近い行為は彼女の心を確かに傷付け、癒えてもいない内に廃妃にすると宣言したのだ。
あまりの横暴、人道を無視した非道な行い。
だが、彼を止める事は誰にも出来ず。
廃妃となった事実を知らされたクリスティーナは、涙で瞳を潤ませながら「分かりました」とだけ答えた。
王妃として教育を受けて、側妃にされ
廃妃となった彼女。
その半生をランドルフのために捧げ、彼のために献身した事実さえも軽んじられる。
実の両親さえ……彼女を慰めてくれずに『捨てられた女性に価値はない』と非難した。
それらの行為に……彼女の心が吹っ切れた。
屋敷を飛び出し、一人で生きていく事を選択した。
ただコソコソと身を隠すつまりはない。
私を軽んじて。
捨てた彼らに自身の価値を示すため。
捨てられたのは、どちらか……。
後悔するのはどちらかを示すために。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
【完結】捨ててください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
ずっと貴方の側にいた。
でも、あの人と再会してから貴方は私ではなく、あの人を見つめるようになった。
分かっている。
貴方は私の事を愛していない。
私は貴方の側にいるだけで良かったのに。
貴方が、あの人の側へ行きたいと悩んでいる事が私に伝わってくる。
もういいの。
ありがとう貴方。
もう私の事は、、、
捨ててください。
続編投稿しました。
初回完結6月25日
第2回目完結7月18日

侯爵令息セドリックの憂鬱な日
めちゅう
BL
第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける———
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。
【完結】忘れてください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。
貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。
夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。
貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。
もういいの。
私は貴方を解放する覚悟を決めた。
貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。
私の事は忘れてください。
※6月26日初回完結
7月12日2回目完結しました。
お読みいただきありがとうございます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる