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10 親友には、俺の知らない顔がある
しおりを挟むしかし、何時渡せば…。
今?それとも着いてから?昼食時?帰りでは遅いだろうか。こんな手紙を渡しておいて送りの馬車にも乗せてくれなんて厚かましいものな。
やはりこういう事は一刻でも早い方が良いだろう。
俺は座席の脇に置いていた茶色い皮の通学用鞄を開けた。実はこの鞄は、あらゆる面で器用なレイアードが俺の為に特別に誂えてくれた品で、開けた内側に幾つもの大きさの異なる仕切りが設けられている、とても機能性に富んだ代物である。他の貴族の子弟達は、学園を一歩出たら本やペンの一本すら自分で持たず、送迎係の使用人に荷物を運ばせる者も多いが、如何せん我が家は超貧乏貴族。使用人はレイアード含め3人のみ。故に、俺には早くから、基本的に自分の事は自分でやる癖がついた。忙しい使用人の誰かを呼んでやってもらうより、自分で動く方が早いからだ。
そんな、学外に出ても自力で荷物を持ち運びするしかない俺の為に、入学前にレイアードが夜なべして作ってくれた通学用の鞄。渡される時、
『不憫な坊ちゃま…』
と涙を拭っていたのが今でもありありと思い出される。しかし当の俺はといえば、あまりに斬新なデザインのその鞄が嬉しく、尚且つ世界に一つだけの俺だけの特別な品だと浮かれていたので、レイアードに言われた"不憫"は時間が経ってからじわじわと来た。
俺、別に不憫じゃないし。
だってそのレイアードお手製ハイスペック鞄は、同級生達からだけではなく、上級生や教授達にも好評を博したのだ。何せ手持ちにも背負う用にも出来るからな。…まあ、中にはやはり、
『自分で荷を運ぶしかない貧乏貴族』
と後ろ指指してくる連中も一定数いたが、俺は気にしなかった。何故なら、それから間も無く、俺が背負ったその鞄に感銘を受けた貴族令息達が親に強請り職人に似たような鞄を自分好みの色で作らせて、それを背負って学園に来るという局地的ブームが起こったからである。まあ、内部はサイラス以外には公開していないので、俺のオリジナル品ほど秀逸な出来の物は無く形を似せたばかりのものだったのだが。
…だいぶ脇道に逸れてしまった。
ともあれ俺は、鞄の内側の仕切りの1箇所に差し込んでおいた手紙を抜き出して、少し眺めたあと、サイラスの方に向いた。
「サイラス、これ…」
「ん、手紙?何だい、改まって」
「うん、今朝書いた」
手紙を差し出すと、サイラスは少し驚いたような表情を浮かべたが、すぐに微笑みながら受け取ってくれた。
「嬉しいな。アルからの手紙だなんて初めてだね。」
うっ…喜ばれてしまっている。
俺はズキズキと胸を攻撃してくる罪悪感を、ぐっと唇を噛みながら耐える。
ぬか喜びさせる事は心苦しいが、もう後が無い。事態がこれ以上進んでしまったら、本当に引き返せなくなる。
俺の真意を知れば、きっとサイラスは傷つき落胆するのだろう。罵倒も殴打も甘んじて受ける覚悟だが…期待させた罪で慰謝料とか請求されたらどうしよう。
「読んでも?」
にこりと笑ったサイラスが、親指と人差し指で挟んだ封筒を顔の横で翳す。すぐに読めるようにと封蝋などはしなかったので、俺はこくりと頷いた。
形良く長い指がフラップを開け、便箋を取り出す。実はこの便箋や封筒なども毎年誕生日にサイラスから贈られる物の一つだ。ウチの経済状況では紙類なんて高級品はホイホイ買えるものではないのでな。そう考えると、俺はあまりにもサイラスから恩恵を受けてきているのだなとしみじみ思う。
手紙に目を通し始めたサイラスを、横から見つめる。何時でも怒りを受け止める覚悟だった。しかし彼の表情は、薄く浮かべた微笑みから変わらないまま、目線だけが文字を追い動いていくだけ。
そして。
数分かけて3枚にもわたる手紙を読み終えたらしきサイラスは、最後にふう、と小さく息を吐いた。それから手紙を丁寧に元のように折り封筒に直してから、上着の内側にあるポケットに大切そうに仕舞い、視線を上げて俺に向かって言った。
「気持ちのこもった素敵な手紙、ありがとう」
「どういた…え?」
反射的に返礼を返そうとしかけて我に返る。
「…サイラス?読んでくれたんだよな?」
「ああ、勿論。」
「えぇと…済まなかった」
「ん?何が?」
「…」
俺の謝罪に、事も無げに言葉を返してくるサイラス。その様子に、俺の頭の中にクエスチョンマークが浮かぶ。どういう事だ。サイラスはとぼけているのだろうか。
戸惑いながらも、俺は更に謝罪を繰り返す事にした。
「そこに書いた通り、俺は君とは婚約も結婚も…」
「アル」
やはり口頭でも説明と謝罪が筋だろうと話し始めた言葉を遮るように、サイラスに名を呼ばれる。その声は何時もと変わらないように聞こえた。
だが、それが俺の勘違いだった事は、すぐにわかった。
「アル。私はね、君の戸惑いは理解しているつもりだよ。そりゃ、それまで意識していなかった同性の友人に突然愛を告げられても困るよな」
「いや、戸惑い…というか…」
戸惑いという段階は既に越えて、やはり無理だという結論が出たのだが。だからこそ文字にもしたのだが。サイラスには伝わらなかったのだろうか?
「俺には公爵家に嫁ぐなど荷が重いと…」
貴族家当主の伴侶は、ただ愛されてそこに居て贅沢をしているだけで許される妾や愛人とは違う。求められるものが多いのだ。俺は家柄も容姿も、求められる条件は何一つ満たしてはいない。
そんな俺がサイラスの無理押しで公爵家に入っても、苦労は目に見えている。手紙にはそれも切々と綴った筈だ。俺のこの不安を汲んで欲しいと。
あまりにも立場が違い過ぎるのだ、俺とサイラスでは。
「荷が重い…。そうか。アルにそんな風に不安を感じさせてしまっていたのは、私の落ち度だな。」
今度はやや悲しそうな表情と声色でそう言ったサイラスに、やっと話が通じそうだと安堵した俺。しかし、そうは問屋が卸さなかった。
サイラスは俺の右手を取り、その甲に唇を押し当てながらこう口にしたのだ。
「どうやらお互い、早急に意識の擦り合わせが必要なようだ。」
「すり…え?何を…」
何を言っているのかよくわからず困惑する俺を他所に、サイラスは場所の窓から顔を出し、御者に向かって叫んだ。
「行先変更だ。
東ネールの別邸へ向かえ」
それを聞いて慌てる俺。東ネールなんて学園から正反対の場所じゃないか。市街地も市街地で、大きな湖のある…。
「どういう事だ、学園は…」
「後から2人とも休みだと遣いをやるよ。」
「そんな…」
勝手な、と言いかけた時、嘶きと共に馬車が方向転換をして、少し車体が揺れた。俺はサイラスの方にぐらつき、その腕に抱きとめられた。精巧なビスクドールのように美しい顔を裏切るような、がっしりと逞しい腕が背中に周り、俺を強く抱きしめた。
「なあ、アル」
鼓膜を揺らす、艶と甘さを含むバリトンに俺の体は動きを封じられる。何時もは優しく響くその声が、今は何故だか怖い、とても。
名を呼ばれても返事を出来なくなった俺の耳元に、サイラスは更に囁いた。
「君は私を、見くびりすぎだ」
それがどういう意味なのか、俺はこれから思い知る事になる。
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