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21 先輩と呼ばれた男(不本意)
しおりを挟むほんの僅か舐めただけのワインで酔って普段よりも更に上機嫌になり、喋るだけ喋ったら電池が切れたようにコテンと寝てしまった蛍を、膝枕で寝かせる羽黒。小さな頭を撫でながら目を細める。まるで出会った初日の再現のようだと蛍の髪を指で梳く。その様子を、実優は複雑な思いで眺めていた。
今の所、蛍の受け持ちはこの羽黒の一卓だけ。しかし飲み屋とは時間が遅くなるほどに混み出すもの。これからの時間こそ、指名客が来る可能性は高い。なのにこんな風に寝てしまっては、指名が掛かってもすぐには動けない。だから店側は常日頃から、無理して酒を飲んで仕事が出来なくなるくらいなら飲まない事をキャスト達に推奨しているのだ。蛍も面接時に林店長からそれは言われていたし、酒に対する興味も無かった事から、これまでソフトドリンクを飲みながら営業して来た。しかし、飲んだ事は無くても多少は飲めるだろうと妙な自信を持っていた蛍にとって、舐めただけで酔う体質だったというのはまさかの誤算だった。知ってさえいたら、羽黒がカッコ良くワイングラスを揺らすのを見ていても、絶対に飲んでみたいなんて思わなかった筈だ。今夜の失態は、不幸な事故だったのである。
そうは言っても、現実問題として別口の指名が入ってしまったら困った事になるぞ、と実優が心配していると、羽黒がコールでスタッフを呼んだ。すぐに飛んで来たのは、お馴染み黒服スタッフ・柚木。羽黒が蛍を指名するようになってから、ワイヤレスコールを押すと高確率で柚木が来る。入店初日の関わりから蛍のキャスト管理担当になってしまった彼は、実はとっても心配性。VIPルームからのコールが鳴る度、また蛍が何か失礼な事をしでかしていないかとソワソワ。要らん心配をしている不憫な人なのだ。
ドアを開けた柚木は、頭を下げる直前の視界の中に、羽黒の膝枕で安らかな顔をしている蛍を認めて青くなった。
(え?もしかしてほたるさん…寝 て る?客席で寝てる?初日リターンズ?なな、なんで?!また貧血?いやでも最近は毎回羽黒様に大量にご馳走になってる場面しか見てないけど…あれで貧血とか有り得る?は、まさか酒?飲んで酔い潰れた?いやいやでもほたるさん、ソフトドリンク飲んでた筈だし…うわ~、お叱りか?キャスト管理なってないとかってお叱り受ける?クレームぅ…)
冷や汗ダラダラ。しかし黒服もまた接客のプロ。そんな煩い内心をおくびにも出さず、平静を装いつつ言った。
「お待たせいたしました、羽黒様。…あの、ほたるさんは…」
本当はもう、駆け寄って何があったか聞きたいくらいテンパっている。しかしここは、ハイレベルなキャスト達とホスピタリティを売りとして、選りすぐりのセレブ客の憩いの場・『nobilis』である。面倒な事だが、キャストの心配の仕方もエレガントでなければならないのだった。
羽黒は蛍から目を上げると、柚木に向かってチョイチョイと手招きをする。困惑しながらも3人の座るシートに近寄った柚木に、羽黒はいつもの優雅な微笑みを見せて言った。
「柚木さん、この後ほたる君は僕の貸し切りという事で。他のお客様はお断りしてくれるかな。勿論、その分の売り上げは僕が出すから」
「は、それは…」
「よろしくね」
にっ、こり。
口角を上げて深めた笑顔の圧に、柚木はごくりと唾を飲む。指名数はキャストの今後に関わる事だから、本来なら上に判断を仰がなければならない。しかし、こと羽黒に関しては「よほどの無体を仰らない限り、お望み通りに」と林店長に言われている。他の指名を断っても、その分で身込めた筈の売り上げを付けてくれるというのなら、まあ蛍のマイナスにはならない。受けて良い要望だろうと、柚木は思った。
「かしこまりました。では、そのように」
「うん。ゆっくりさせてあげたいからね。…じゃ、とりあえずカミュでもお願いしようかな」
「!!」
なんと。まだ他指名も入っていないのに、早くもボトルのご用名。カミュ・トラディション、当店価格150万円也。
チャリン、と柚木の頭の中で金の落ちる音がした。再び羽黒の膝枕で寝る事になったかの経緯は気になるものの、羽黒本人は蛍やスタッフを咎めるでもなく、どうやら上機嫌。しかも本日だけで既に750万円以上の売り上げを叩き出している。大食いしようが寝ていようが客が納得して金を出してくれるのならば、店側としては文句など無い。
「ありがとうございます、すぐにお持ちいたします!!」
ポーカーフェイスはどこへやら。柚木は90度のお辞儀をして、足取りに隠し切れない興奮を滲ませながら部屋を出て行った。その一連の流れを目の当たりにしていた実優も驚きを隠せない。果たして自分の手持ち客にこんな事をしてくれる客が居るだろうか。ガッツリ実優にハマっていて、オーラス(店の開店時間から映画終了まで)で居てくれる客なら数人居ても、実優を自分の席だけで独占する為に他の客の売り上げ分なんて余分を出してくれるような気前の良すぎる客は居ない。頼んだって、きっと無理だ。やはり羽黒は超上客だと再々認識してしまう。だが、優しげな外見にそぐわずあまりにクセが強いのを知ってしまったから、あまり惜しいとは思わないのだが。
それにしたって、すごい。蛍が強請ればルイ13世のブラックパールだって難無く卸すのではないかと思わせる勢いだ。
何も知らず気持ち良さげに寝ている蛍と、慈愛の眼差しで蛍を見つめている羽黒の姿。それを不思議な気分で見ている実優に気づいた羽黒が、実優を見返して言った。
「あ、先輩も何か好きに頼んでね。この子に付き合わせてしまってるんだし」
「先輩て」
羽黒の言葉にツッコんでしまいそうになる実優。羽黒はどうやら実優の名前を覚えてくれる気は無いらしく、蛍が呼んでいた"みひろ先輩"から先輩だけを抜粋採用する事にしたようだ。あまりに雑。わかっちゃいたけど、扱いが雑。
自業自得だけど、と実優はコメカミを押さえた。
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