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9 適性があるかはイマイチ不安
しおりを挟む羽黒はその後、1時間ほど居て帰って行った。お見送りをした後、蛍は店長室に呼ばれた。羽黒の前でぶっ倒れる失態の事もあり、クビを言い渡されるのではないかと戦々恐々で向かった蛍を待っていたのは、超ハイテンションの林店長だった。
「良くやったねほたる君!すっごい快挙だよ!羽黒様の本指の確約を取るなんて!」
めちゃくちゃ褒められながらバンバンと肩を叩かれて、ちょー痛いからやめて欲しいと思う蛍。そんなに衝撃加えられると、せっかく取り込んだ栄養がせり上ってきちゃいそうである。マジでやめて店長。
「えっと…じゃあ、クビは~…」
「する訳ないでしょ~!!羽黒様本指だよ、羽黒様!!わかる?あの方だけで月にどれだけの売り上げがあるか!」
「はあ、わかんないですけど…」
水商売なんて全く知らない蛍には、羽黒様が王子様のような美貌の持ち主で、目の前でぶっ倒れるなんて粗相をしても怒らず膝枕で介抱してくれるくらい優しくて、何でも食べなさいと気前良くフードを振舞ってくれて、電話1本で帰り際には高級寿司店から届いた大きな折りを「お母様と食べなさい」と言って持たせてくれた、慈愛に満ちたすっごいお金持ちだという事しかわからない。(長)
「でも、めちゃくちゃ良い人って事はわかります!」
「あ、うん。まあそうだね、確かにね」
「これからも好きにご飯食べて良いって言われました!嬉しいです!」
「あ、そう…それは良かったね」
どうやら喜び方のベクトルが違うらしいと気がついて、ふっと平常テンションに戻る林店長。店側からすると、あの羽黒様を初めて射止めた大型新人の誕生。きっとこれまで以上のお運び(来店)と売り上げが期待出来る!なのだが、当の蛍は「好きなご飯を好きなだけ奢ってくれる優しいお客さんがついた」という程度の感覚らしい。
(もう少し羽黒様に対する認識を改めさせるべきか?)
とも思ったのだが、それは違うかもしれないととどまった。今まで羽黒の席には、容姿端麗なだけでなく、教育の行き届いたキャスト達を宛てがい続けて来た。しかしその全てがその日限りの場内指名のみで、どれだけ好感触であろうと次に繋がった事は無かった。新人が入店した事を告げればやはり場内指名をかけてはくれるが、やはり結果は同じだったのだ。その日どれほど気前良くボトルを卸してくれても決して次の約束はしない客。それが羽黒という客だった。
それが、ここに来て。
顔は良いが見るからに痩せ気味で、接客経験皆無で、どこかポヤッとしていて、ライターを点ける手つきすら覚束無く、客席に送り出すのも少しハラハラするような新人が、難攻不落と言われた羽黒を落とした。正直、蛍の何処を気に入ったのかはわからないが、それが事実なのである。
要するに何が言いたいかと言うと、おそらく蛍はこのままにしておく方が良い、という事だ。
下手に手を入れて他のキャスト達のレベルに近づけるべきでも、羽黒の情報を入れて変に気を遣わせるよりも、最低限のテーブルマナーだけを覚えさせて、素のままで接客をさせる方が。
まだ初日だから何とも言えないが、最初にヘルプに入れてみた数卓の客の反応も、そう悪くは無かった。
ただ、唯一の不安材料は…。
林店長は、向かいのソファに座らせた蛍に質問をしてみた。
「ほたる君、今日お邪魔したお席のお客様達のお名前、覚えてるかな?」
突然質問をされ、キョトンとする蛍。だが何とか思い出そうとするかのように腕組みをして目を閉じながら答える。
「えっと…最初が…松下さん?」
「松川様ね」
「次がー、えー…浜崎さん!」
「吉浜様だね」
「で、えっと…吉田さん!」
「伊丹様だよ」
3人目はもはや一文字も合ってない。林店長は絶望的な気持ちになった。こんなの高校の進路相談で担任に、「第一志望も第二志望も望み薄ですね」と言われた時以来である。
しかし、と気を取り直す。最後の羽黒は流石に覚えているだろう。何せスタッフも林店長も羽黒様羽黒様とずっと口にしているのだし、空腹で倒れたところにあれだけ食事をさせてくれた恩人でもあるのだし。
「じゃ、さっきのお優しいお客様は?」
はっ!としたように目を開き、林店長の顔を見る蛍。よし、大丈夫、いけると林店長は思った。
「王子さまです!」
自信満々の良い笑顔でそう言った蛍に、林店長は天を仰いだ。
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