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5 ほたる、初・場内指名

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 蛍は衣装合わせの為、男性スタッフの1人に衣装室に案内された。衣装室は更衣室を入った奥にあり、広めのウォークインクロゼットのようになっている。吊り下げられた衣装の数は膨大で、一見しただけでも高級ブランドや流行のデザインだとわかるものばかり。服装には無頓着でこだわりが無い蛍ですら嫌でもテンションが上がってしまう。何せ普段は父の服と工場の作業着しか着ないし、中2の頃以来新しい服や流行りの服に袖を通す事も無かったのだから。
 
「お好みの衣装をどうぞ」

 と言われたが、目移りしてしまって困る。というか、着た事すら無い以前に、ファッション雑誌すら見ない蛍は、自分のセンスに全く自信が無かった。
 仕方なく、案内してくれたスタッフに見繕ってもらう事にする。お願いしますと頼むと、スタッフはそういった事に慣れているらしく、すぐに数着のスーツやシャツなどを選び出してくれた。蛍はその中から、明るいキャメル色の細身のカジュアルスーツを選んだ。
 更衣室で着替えてから、壁一面の姿見の前に立ってみる。

(悪くないじゃん?)

 鏡に映る蛍は、自分で言うのも何だがなかなかのもの。痩せてしまっているから一番細いサイズでも首も手首もゆとりだらけだけど、ソフトな色の洒落たデザインスーツは、蛍の明るい髪色にもマッチしている。タイはブローチ付きの華やかな太めリボンタイ。他のキャスト達が「子供っぽくなりそう」とあまり使わないデザインだが、ほんわかした容姿の蛍にはバランス良く似合ってしまっている。スタッフに、さっきまで来ていたリクルートスーツのネクタイがまっっったく似合っていないと思われていた事からそのセレクトに至ったのだとは、知らぬが仏だ。

「うん、いいね、すごく似合ってます。じゃ、後はヘアメさんに髪セットしてもらって下さい。時間的にもうそろそろ来てくれる筈ですので。それが済んだら、先ほどのホールにいらして下さい、一通りの接客指導がありますので」

 スタッフは忙しいのか、そう言い終わると同時に蛍の返事も待たずに行ってしまった。仕方ないので壁一面が鏡張りの鏡台になっているコーナーに移動して、並んだ椅子の一脚に座って待つ事にする。少し伸びてしまっている前髪を指で弄りつつ10分ほど待って、そろそろ退屈だなと思い始めた時、ドアをノックして30代くらいのガタイの良い男性が入って来た。

「あっ、こんばんは」

「あら、見ない顔ね、新人さん?こんばんは」

 蛍が立ち上がって挨拶をすると、男性は蛍を上から下まで見ながら挨拶を返して来た。見た目は熊みたいだけど喋り口はウチのお母さんみたいだな、と思う蛍。確かに男性は190をゆうに超える身長と、プロレスラーの如きムッキムキの体格。脱いだ上着を左腕に掛けて、右肩には大きなバッグを掛けているが、半袖のシャツから出た腕は太く逞しく、胸筋もパツパツ。顔も厳つい。それなのにその唇から出たのは、地を這うほどの低音ながらも、女性的で柔らかな言葉。
 そのギャップにはやや面食らったものの話してみると、男性は先ほどスタッフが言っていたヘアメイクさんだった。彼が蛍の髪を整えてくれている間に、更衣室には数人の見目麗しい若い男性が続々と入って来た。出勤して来たキャスト達だ。魔法のような手捌きでヘアメイクが終わると、蛍は彼らに

「今日からお世話になります、ほたるです」

 と挨拶をして回ったが、「よろしくね」と返してくれたのは半分くらいで、残りの半分は蛍をチラッと見ただけで返事も返してくれなかった。しかし蛍は、

(接客業なのにあんなに人見知りで大丈夫かなぁ…)

と思っただけで、そういえば接客指導があるんだった!と思い出し足早にホールに向かった為、その事についてはすぐに忘れてしまった。

 ホールでは指導担当だというキャストが待っていて、蛍は彼に最初に客席に入る時の挨拶から始まり、オーダーの仕方から水割りの作り方、煙草の火の点け方、その他諸々のテーブル上の事を教わった。客が手洗いに立つ時に付いていって、出て来る時にはおしぼりを渡すなんて事を聞きながら、(トイレに付いてったりしてお客さんは嬉しいのかなあ)などと思ったりしたが、こういう場所ではそういうものなのかもなと納得する。何せ蛍はど素人なのだから、余計な疑問など持たず教えられた事を吸収すべきだろう。
 そして、覚えられたのか不安なまま、そのキャストと同じ卓に初めてのヘルプについた。

 2時間ほどそうして何卓かを回った後、スタッフに声を掛けられて待機席へと連れて行かれた。冷たい水の入ったグラスを前に置かれ、少し休んでいるように言われてホッとする。
 
「なんだか…すごい世界だなぁ」

 どの客席でも、高そうな酒のボトルが置いてあった。酒のボトルはあるのに別によくわからない綺麗なボトルがあるから不思議に思い、メニューを見ると、数十万するミネラルウォーターだとわかり目が点になった。こんなの、蛍が工場で朝から夕方まで働いて、残業代が多めに付いた月でも到達した事がない金額だ。水如きに意味がわからん、と死んだ目になる蛍。おそらく蛍が飲んでいるのはさっき更衣室にもあったウォーターサーバーの水と同じものだろうが、あの超お高い水と飲み比べてみても違いがわからない自信がある。
 どの卓も客は優しく、ヘルプにもドリンクのオーダーをさせてくれる紳士的な人ばかりだったが、同席していたキャストの中には敵意の篭った目で蛍を見る者も少なくなかった。
 まあ、当の蛍は気づいていないのだが。
 ただまあ、慣れない事をしてちょっと疲れたなあ、とは思っていた。

 そうして数分後休んでいると。


「ほたる君、場内指名入ったから行ってみましょうか」

 と、インカムを付けたスタッフの1人が待機席に蛍を呼びに来た。

「場内指名?」

「先ほど来店されたお客様が、通路を歩くほたる君を見かけられたそうです。常連の方ですが、指名キャストを決めておられません。多少の事には寛大な方ですが、とても大切なお客様なので失礼のないようにして下さいね」

 多少の事には寛大だけど、とても大切なお客様だから失礼のないように。多少とはどれくらいまでが多少なんだろうか。そんなお客様に自分が付いて大丈夫なのか、と少しだけ不安になる蛍。
 しかし新人に客の指名を断る権利など無い。いまの蛍に出来るのは、とにかく良い返事で

「はい。がんばります」

と返事を返す事だけなんである。

(それにしても、常連さんなのに指名が居ないなんて変わった人だなぁ)

と思いつつ、蛍は立ち上がった。



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