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狂った男の言うことにゃ(篠原side)前編

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生まれて30年以上、僕は人を好きになった事がなかった。



あらゆる面で優れている自覚がある。物心ついた頃には既に、好意を寄せられる事に慣れていた。当然だ。通常、人は美しく優秀なものを好む。皆が僕を褒めそやし、持ち上げた。そんな連中は、こちらが笑顔さえ浮かべていれば、見下されている事にすら気づかない。本当に愚鈍だ。
そんな風に捻くれていたから、周りに好意を寄せられる反面、同じように誰かに好意を持つという事ができなかった。中には、勝手に好きになっておきながら、同じように好意を要求してくる厚かましい人間もいて、その身の程知らずさには特に嫌悪感を持った。
僕にとって、求めてもいないのに過剰に寄せられるばかりの好意は、タダのゴミだ。




裕福ではあるが、必要以上に甘やかす事はしないという父の方針により、大学一年の頃からアルバイトとして予備校の教壇に立っていた。未だ学生にも関わらず、僕の担当クラスの生徒達の成績は飛躍的に上がり、それが評価されたのか、時給はかなり上がった。そして3年になった頃からは、卒業後もそのまま就職して欲しいと熱心に打診され、何となく進もうかと思っていた法曹の道を捨てた。
別に何の仕事でも、自分が評価される事は変わらないという自信もあった。
それに、人に教える講師という仕事自体は肌にあっていたように思う。本気で難関大を目ざしている学生達相手で、妙な秋波を送ってくる者が至極少ないというのも良かった。

熱心に残留を勧めただけあって、予備校の年俸は良かった。新卒が貰うにしては破格だったと思う。それからも学生達が結果を出してくれる度、それは年々上がった。同年代の中では数倍稼いでいただろう。その分、受験生に関わるフラストレーションはあったが、やり甲斐も大きかった。

学生時代にも、就職してそれなりに落ち着いても、相変わらず誰かに関心を持てる事は無く、決まった恋人を作ろうとは思えなかった。とはいえ、性欲はある。発散する為だけに、寄ってくる人間を抱いた。欲を発散する為だけの行為なので、特に性別を気にした事は無い。友人には、最低だなぁと何度か言われたが、そもそも僕は性的関係を持つ相手には事前にきちんと遊びである事を明言している。その上で了承したのは本人なのだし、セックスしたから付き合ってもらえると勘違いするのは図々しいというものだ、と返していたら何時の間にか言われなくなった。

恋愛なんて、より好みの異性や同性で性的快楽を得たいが為の脳の誤作動だろう。つまり、恋しているや愛しているという感情は気の所為。そんな不確定なものに囚われて、相手に費やす時間は無為だ。そんな煩わしい事をしなくても、割り切った関係でも納得する相手はいくらでも寄って来るのだから。



結婚をしたのは20代も後半に差し掛かった頃だ。上司の勧めもあり、会ってみれば可もなく不可もなくといったふうの26歳の女性で、特に心を動かされるところはなかった。けれど、真面目で大人しそうなところは悪くない。
決まった相手は作らなかったが、どうしても結婚しない主義という訳でもない。適当なところで人生の連れ合いは必要になるだろうと考えてはいたから、30前というタイミング的にも良縁かと思い、結婚前提の付き合いというものをしてみる事にした。
付き合い始めて、ひと月も経たない内にセックスをして、2ヶ月目で妊娠を告げられた。避妊に失敗しただろうか、と首を傾げたが、華やかな式は要らないからという彼女の希望を汲み、籍を入れる事にした。

妻になった彼女は、最初の印象通り物静かな女だった。
数年一人暮らしをしていたらしく、家事も要領良くこなし、家の中は何時でも掃除が行き届いていたし、料理も美味く申し分無い妻だった。だから僕も、それに合わせて良き夫として振る舞った。特に人前では。学生時代には不遇だったという彼女の自尊心が、存分に満たされるように。

やや早産で産まれたのは娘だった。
僕が多忙である事は結婚前から納得してくれていた妻は結婚を機に退職していて、一人で育児に向き合う事になったが、愚痴を零された記憶は無い。僕が起きている娘に接する時間は一日の内一秒も無い日も珍しくなく、その所為だろうか、何時までたっても自分の子供だという自覚が持てなかった。娘が僕に似ず、妻の家系の顔立ちを色濃く継いでいたのも原因かもしれない。或いは単純に、結婚しても家庭に心が向かなかったからかも。
それでも、潤沢な金のある生活を与えておけば、どれだけ午前様になろうと、時には外泊しようと、妻から愚痴が出る事はなかった。そんな妻の事を、大人しそうでいて実は打算的なところのある女なのだと思い始めたのもこの頃だ。

そんな調子で数年が経ち、僕は彼と出会った。



10年前の開店当初から定期的に通っていた飲み屋の、磨かれたカウンターの中に、彼は立っていた。入店してきた僕に向かって瞠目している、つぶらな黒い瞳。小さな顔に、流行りの茶色いツーブロックの髪。なかなか可愛い子が入ったなと思った。とはいえ、職場で担当している学生達とそう変わらないほどに若い。遊び相手には向かないと即座に判断した。
だが、その夜から彼の視線は僕を悩ませる事になる。


子供は相手にしないと決めていたのに、彼からの真っ直ぐな告白を断れなかった。

愛緒は18歳になったばかりだと言った。
少しツリ目がちでヤンチャそうに見えるのに、下の名前は存外に可愛らしい。
抱いてみれば、見た目ほどスレていない事はすぐにわかった。若くて、愛撫される事に初心で、遊び慣れていない。彼女が居た事はあったが、同性には興味が無く、経験も無いと言っていた。なのに僕に一目惚れしてまい、最初はとても混乱したという。だが、気持ちを誤魔化す事ができなくなったのだ、とそう言った。

僕を見つめる愛緒の目は何時でも素直で甘い。口では

「遊びで、全然良いんです」

と言う癖に、その目は恋しい恋しい、もっとそばにいて欲しいと言っていて、本人も途中で物欲しげにしている事に気づくのか、恥ずかしげに目を伏せる。愛緒は、我儘を言って僕に嫌われる事を恐れていた。激しい気持ちの昂りを必死で抑えている様が健気だと思い始めた時から、僕の心は今までのバランスを失いつつあった。

妻が居て、子供が居て、仕事も順調。忙しい合間を縫って、日頃のフラストレーションを発散するのも自由。この暮らしにそれなりに満足している。
遊び以上の相手を作って家庭を壊す気なんか、更々無かった。

愛緒の事だって、本当は一度きりのつもりだった。でも、抱いてみたら可愛くなってしまった。固い蕾のような体は、愛撫で溶かしてしまえば、耽溺してしまいそうな程に深く僕を受け入れて、甘くて。

(これが、相性が良いという事なのか…?)

数え切れない程の男女を抱いたけれど、こんな感覚は初めてだった。それが、僕と愛緒の体の相性ゆえなのか、愛緒が男を受け入れる事に著しく適した体の持ち主だからなのかはわからない。
逢瀬を重ねる度、僕は愛緒に惹かれていった。一晩に何度も求めてしまい、疲れ果てて気を失う愛緒が愛しかった。その内、週に1度では足りなくなり、他の日にも食事を口実に連れ出すようになり…。
そんな事は、今まで有り得ない事だった。
今だから言える事だが、その頃には、もう家庭の維持などは頭の中から抜けていた。
水割りのグラスを傾けながらカウンターの向こうで仕事をこなす愛緒の姿を盗み見ては、ただただ彼をもっと独占するにはどうしたら良いだろうかと、そんな事を考えるようになっていた。

(いっそ、仕事を辞めさせて囲ってしまおうか
セキュリティの良いマンションでも借りて……。)

そんな事を本気で考えている自分に気づいて、ああ、なるほどと思う。

(これが、恋か。
確かにこれは人を狂わせる。)

くっくっと笑いながら、とうとう自分も人並みに愚かになったのだと呆れた。だがこの胸中にどろどろと激しく渦巻くマグマのような熱さは悪くない。
気持ちを自覚すると、独占欲はますます強くなった。
だが、それを気取られては若い彼には逃げられそうな気がした。愛緒が好きになったのは、余裕のある大人の男の顔をした僕だったのだろうから、こんな感情を知れば冷めてしまうかもしれない。
だって彼はまだこんなにも若いのだから。


だが、僕が愚かしい自分の恋情に翻弄され始めた頃。
妻の第二子妊娠が発覚した。




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