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しおりを挟む当初は予定通り、さっさと会おうと呼び出して金だけを取り上げるつもりだった。ゲイのマッチングアプリを利用するようなヤツなんて、「友達や恋人が欲しい」なんて綺麗事を言っていても、結局は体の関係目当ての即物的な出会い厨ばかりだろうと思っていたから。
なのに予定を変えてその後2週間もの間、まどろっこしくトークだけでやり取りしてしまったのは、初日で大学生の初心さに気がついたからだ。
いつも相手にしている女性客達や、テンマと似たり寄ったりのろくでもない友人達とは違う、穏やかなテンションと柔らかな言葉遣い。状況を慮ってくれる優しさ。そこからは、彼の育ちと人柄の良さが伝わって来て、それまで自分が接点を持って来なかったタイプの人間だとすぐにわかった。だから興味深く思えて、少し冷やかしてやろうなんて悪戯心を起こしてしまったのだ。
「会いたい」と持ちかけたのは、テンマの方だ。
焦らして反応を愉しんでいたつもりが、いつの間にか相手の事が気になって仕方なくなっていた。
恋愛的な意味ではない。好奇心を刺激されてしまったからだ。
大学生は、会話の中でどれだけ頼んでも、口元より上の素顔は見せてくれなかった。通話の誘いにも応じてくれない。彼はアプリ自体を使うのは初めてでも、ネットリテラシー自体はしっかりと身についていたのだ。画像をやり取りする事で生じるかもしれないリスクに細心の注意を払っているのだろうと思った。それはつまり、直接会わなければ、彼の実像には辿り着けないという事だ。しかし、この疑似恋愛にハマっている筈の向こうは、慎ましいんだか何なのか、何故か一向に会いたいと言って来ない。
結局、テンマが先に折れた。別に相手は根比べをしている気は無かったのだろうが、会ってみたいとの好奇心にテンマの方が勝てなかった。
大学生とのやり取りを始めてから、風俗店から足が遠のいている。それも、自分の方がこの疑似恋愛に入れ込んでいる気がして嫌だった。
会って現実を見てしまえば、こんな妙な気分も払拭される筈だ。やり取りの中で、大学生は実家を出て一人暮らしをしながら大学に通っていると聞いた。小遣い稼ぎのバイトすらしていないらしく、まずまず裕福な家庭なのだと推測出来た。そこそこの金は持っているだろう。そんな甘ちゃんボンボンから有り金をふんだくって、とっとと連絡先を消す。アプリもさっさと退会してしまえば、テンマに繋がる手段は無くなる筈だ。
そんな邪な気持ちで取り付けた待ち合わせ。
予定より早くから待っていたテンマの前に現れたのは、想像を超えた儚げな美少…いや、美青年だった。
仕事柄、見目の良い男は山ほど見てきたと思っていた。テンマ自身、そういう男達に混ざり鎬を削っている身で、自分の顔にも自信がある。だが、テンマの前に現れた大学生は、そういった男達のギラギラ飾り立てて作った容姿とは全く別次元だった。
飾り気の無い無地の白いパーカー、黒っぽいデニム地のワイドパンツ、白いスニーカー。アクセサリーの類は何も無く、斜め掛けの黒い小さめのチェストバッグだけが唯一のアクセント。あまりにもあっさりした地味な服装。だが、それを身につけている人間は明らかに地味ではない。
毛穴知らずの陶器のような白肌に艶のあるサラサラの黒髪、整っているのに少し寂しげに見える顔立ち。けれど瞳の引力は強くて、直視してしまうと惹き込まれそうな美しさがある。背は高くも低くもないが、顔が小さく細身な所為かすらりとして見えた。
「天馬君ですか?僕、祈里です。会えて嬉しい…」
そう言って含羞んだように目を伏せた祈里は、その辺の着飾った女達が霞んでしまうほど清楚な色香を放っていて、一瞬くらりと来る可愛らしさだ。
(…男、だよなあ。うん、男だ)
絶対に女には見えない。なのに妙に放っておけない、構ってやりたい…そんな妙な雰囲気を纏う、不思議な青年・祈里。
少しの間見蕩れてしまったテンマだったが、すぐに我に返って、近くのカフェに青年を連れて行った。最初は緊張で強張っていた表情が、会話を重ねる毎にほぐれていき、ぎこちなかった話し方が少しずつ、やり取りしていたメッセージのような口調に変わっていく。それを目の当たりにしているうち、テンマは自分の心がどんどん祈里に惹き込まれていくのがわかった。
このままでは不味い。そう思った。ミイラ取りがミイラになる、という諺が頭を過ぎる。
まさか、と打ち消した。まさかそんな筈は。
テンマは異性愛者だ。そもそも、女を相手にして金を稼げるホストなら天職だと思って業界に入ったくらいだ。入口がそうだったから、客が好みのタイプなら迷い無く口説いて寝る。枕営業が邪道なんていうのは表向きの綺麗事だ。店舗・グループのトップキャストである麗都などは枕は一切しない事で有名だが、あんな化け物級チートホストの真似事が出来るキャストなどごく一握り。大抵の連中は売り上げの金を引っ張る為に、或いは楽しむ為に客と寝ている。ただ、ホストにとって客とのセックスは、気持ち良く金を吐き出してもらう為のツールでもある。だから時にはタイプとはかけ離れた客とも寝なければならないし、総体的に気も遣わなければならない。そうなれば愉しむというより、奉仕と忍耐の色が濃くなる。次第にフラストレーションが溜まる。テンマにとって客側の立場になってサービスを受ける事の出来る風俗は、その溜まりに溜まったフラストレーションの捌け口でもあった。
しかし奉仕をする側であれされる側であれ、女が好きな事には変わりない。男に心が傾いているなんて認めたくなかった。
だが結局、テンマは祈里の引力に抗えなかった。
「もし遊びならこのまま振ってほしい。僕は真剣な恋愛をしたい」
と言われて、「遊びなんかじゃない。付き合ってるだろ、俺達」と交際を肯定した。遊びだと笑い飛ばして、彼を逃がしたくなくて。その時には金を取るなんて事も頭から消し飛んでいて、とにかく祈里が欲しいと思った。
そうしてまた数週間、トークのやり取りを繰り返し、次の逢瀬ではデートの後に抱いた。祈里の体は、同じ男の体とは思えないほど綺麗だった。抱き慣れた女達とも全く勝手が違って、そして未だ嘗てないほどに良かった。セックスだけは数をこなして来たけれど、終わった後にこんなにも余韻の残る満ち足りた気持ちになれた事は無い。テンマは、瞬く間に祈里に夢中になった。男との関係なんか考えられないと思っていた頃が嘘のように。
祈里に、恋心いっぱいの熱っぽい瞳で見つめられるのはとても気分が良かった。愛しいと感じていたのも本当だ。こんな時代だ。性別に拘らない、こういう恋愛もアリだろ、なんて思ったりもしていた。
だが、ある時気づいてしまった。
祈里が、散々金を使ったにも関わらず、テンマの気持ちを無下にして逃げたあの嬢によく似ている事に。
勿論、性別すら違う別人だ。男兄弟しか居らず、従兄弟も歳上には男ばかりだという祈里とは、きっと血縁関係すら無い。全くの無関係な、他人の空似。
なのに、一度気がついてしまったら、もう駄目だった。心の奥深くに押し込められていたヘドロのような憎しみがドロドロと溢れ出して来て、愛しいと思う気持ちを覆い隠してしまった。
祈里から気持ちが離れると同時に、テンマの風俗通いは再発した。久々の女体はやはり良いと思い、不意に感じる空虚さには見て見ぬふりをした。お気に入りの嬢も出来た。そうなると必要になって来るのは、やはり金。だが、枕をする甲斐もないような細客しか居ないテンマでは、売り上げを増やして給料を上げる事も、直で金を引っ張る事も不可能だった。そんな時、思いついたのが祈里だ。
ノンケの自分すらをも絡め取った祈里の魅力。あれは使えるのではないか。男であっても、祈里なら動産になるのではないかと。
あの嬢に注ぎ込んだ金を祈里から取り立てられるのではないかと、そんな事を考えた。その気持ちのままにくだらない策略を巡らせて、祈里を罠に嵌め、沈めたのだ。
思惑通り、祈里は金を生み出した。それも、テンマが考えていた以上に。そうして祈里が身と心を削り、金が絶え間無く供給されるようになると、テンマはまた金銭感覚が麻痺していく。出来うる限り長く、この状況を長引かせたいと考えるようになった。祈里は自分に惚れている。惚れている方が好きな男の為に多少無茶をするのは、テンマの生きている業界では当たり前の事だ。
体を売らせているという僅かな罪悪感など、とうの昔に消え去っていた。恋人の為にと、毎夜違う男に身を委ねている祈里がどんな気持ちでいるかなんて慮る事すらする気は無かった。
だから今、テンマは目の前の光景を理解出来ずにいる。
「祈里…お前、なんで…麗都さんと…」
久々に指名がかかり、呼ばれた卓に向かってみると、そこには何故か、休みの筈のNO.1の麗都が待ち構えていて。
そしてその膝の上には、テンマの恋人の筈の祈里が、半ベソをかいた状態で乗せられていた。
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