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㉒
しおりを挟むその日、麗都はここ10年で最高というくらいに機嫌が良かった。何故なら前夜、例のダイニングバーで最終の調査結果報告書を和久田から受け取ったからだ。
テンマと祈里の1週間ずつの素行調査。祈里についてはそれに追加して更に1週間、別の調査が継続された。しかしそれは極秘の個人調査として、和久田が単身で祈里の実家のある出身県へ向かって行われた。
そして昨夜、その結果データを纏めた報告書は麗都の手に渡り、和久田には想定以上にプラスされた成功報酬が支払われた。
和久田が上げてきた報告書は、麗都が予想していたよりも遥かに綿密、且つ詳細なものだった。いや、確かに可能な限り詳細にと注文はつけたが、まさかこれほどまでに調べ上げてくれるとは。正直、期待以上だ。何せ、本当に漫画やドラマのような事が起きたのだから。マンションに帰宅してシャワーを浴びて、数時間が経過した今でも興奮冷めやらぬといった心持ちの麗都。
ベッドに入って体を横たえたまでは良かったものの、一睡も出来ず。とうとう布団の中で体を起こして、和久田に解説されながら何度も目を通した報告書を再び手に取ってしまった。前2回よりも分厚い紙束を捲る手指の震えは、歓喜からのものだ。碧みがかった宝石のような黒い瞳を釘付けにしているその数ページは、とある医療施設の外観やその周辺の写真画像、その施設の医療従事者及び退職者数人からの聴き取り結果が記入されていた。
"〇〇県・聖シモン小児医療センター 関係者による聴き取り調査"
忘れようにも忘れられない、その施設名。それは、まだ小学校だった麗都が入院していたあの病院だった。記憶の中にあるよりも小綺麗に見える真っ白な外観。和久田によれば、3年前に外壁の洗い落としと塗装をしたとの事だ。子供の頃の目にもっと陰鬱な建物に見えていたのは、きっと外壁の汚れや、馴染んだ環境を離れひとり入院しなければならなかった麗都本人の気持ちが塞いでいたからだろう。
思い出すのは、入院生活に宛てがわれた無機質白い個室。なのに部屋から一歩出れば、廊下の壁には妙にファンシーな絵がパステルカラーで描いてあったりして、当時から大人びていた麗都は見る度にうんざりしていた。そして窓から見えるのは、前にも述べた通り、変わり映えのしない山、山、山。その下にぽつぽつと建っている住宅、といった景色。消灯時間の後、寝られずにベッドを降りて開けたカーテンの向こうの光の少ない夜。月の出ている夜なら、目が暗さに慣れれば何とか見えた。だが新月の夜などは、星こそ美しかったが、下界は本当に真っ暗だった。どれだけ満点の星空でも、その光だけで地上は照らせない。
その闇は、幼い心に植え付けられた孤独を増殖させるには十分過ぎるもので、麗都は自分はもう二度と生きて家に帰れないのではないか、なんて悲壮感に苛まれて人知れず泣いたりもした。
――あの子に会うまでは。
麗都はゆっくりとページを捲り、目に入ってくる文字を読む。
" 久高家次男・久高 篤志 (当時7歳) "20XX年 5月~6月
交通事故による怪我で入院・4週間。その後、通院"
時期は合う。しかし、期間が4週間というのを見て、そんなものだっただろうかと首を傾げた。もっと長かったと思っていたのは、幼かったゆえの時間感覚だったか。
まあ、それはともかくとして。
和久田の凄いところは、その時、母親に連れられて病院を訪れていた祈里が放置気味にされていた様子の目撃証言を得たばかりでなく、一緒に遊んでいた子供の存在に関する情報も得てきた事だ。個人情報保護にうるさいこのご時世にここまでの事を聞き出し調べ上げる手腕は流石と言って良いと思う。
「麗都さんもお人が悪い。仰ってくださっても良かったでしょうに」
昨夜、そう言いながら苦笑した和久田が指差した一文。
" 三須 麗都 (当時8歳) 20XX 1月~ 10月 小児気管支喘息・長期療養棟"
「...ああ...」
和久田の指先に自分の名前を認めて、ふっと鼻から息の漏れる麗都。
「よく調べましたね」
感嘆の意味でそう言うと、和久田は自分の顎に手をかけて、わざとらしく溜息を吐いてみせた。
「祈里君の遊び相手になっていた男の子の事はよほど印象深かったようで、特徴をよく記憶なさってましたよ。...ま、それが誰かってのを聞き出すのはちと苦労しましたが」
「...でしょうね」
そんな事は不可能だろうが、ハッキングでもしてカルテを見たのかと思うほど、期間もピタリと一致している。しかし18年も前の事を、よくもまあ調べたものだ。カルテの保存期間が3~5年と言われている昨今、理想とされる保存期間20年で残しているとも思えないのだが。まさかこれも当時の職員の記憶頼りで?いやしかし、いくら随分前の事とはいえ、これは情報漏洩にはあたらないのか?
突っ込んで聞いてみようかと思ったが、やめた。知らぬが花という事もある。麗都はただ、必要な情報さえ得られればそれで良い。入手経路など些末な事だ。それよりも、今は。
(そっか。そうだったんだ。やっぱり君はあの子だったのか...)
和久田に気づかれないように左手の甲で隠して口角を上げた。頬が緩む。
姿を見ただけで目が惹き付けられたのは、ただ好みのタイプだからなのかと思っていた。何処か"あの子"を感じさせるからなのかと。麗都の中の理想は8歳のあの頃から、日々の鬱屈をあどけない笑顔で晴らしてくれた"あの子"だった。さらさらの素直な黒髪、星空を詰め込んだようにきらきらの瞳。成長した今でもそれがそのままだなんて、どういう奇跡なのか。
「ぴぃくん...」
覆った手の中で、自然にその名が吐息のように漏れた。
(ああ、そうだ...ぴぃくんだった。あの子は、ぴぃくん)
ちいくんでもみいくんでもなく、ぴぃくん。いつもピィピィとヒヨコのように鳴る黄色いサンダルを履いていて、本人も小さくてヒヨコのようだからと、看護師達が微笑ましげにそう呼んでいて、だから麗都もそれに倣ったんだったと思い出した。断片的だった記憶が鮮明な映像となって脳裏に流れ始める。
あの日感じた愛しさと共に。
狭いようで広い、1億2000万人以上の人間の居るこの日本で、どれだけ月日が流れようと忘れられないたった一人。本当の名前も知らないそんな相手に、全く別のこの地で会えたのは...。
(奇跡、だ...。ぴぃくんが俺の前に現れたのは、奇跡。これが運命でなくて、何だ?)
テーブルの向こうの和久田を前に平静を装いながら、麗都は胸を高鳴らせたのだった。
昨夜感じたのと同じ高揚感が蘇り、麗都は左胸を押さえた。鼓動が速い。
ベッドから降りて、ルームシューズに足を通す。窓辺に歩きカーテンを開ける。一瞬遠くの山々が見えたが、朝日の眩しさに目を刺されて瞼を閉じた。
あの子と、あの頃とは違う景色の中で出会えた。そればかりが頭を占めている。幼かったぴぃくんと、美しく成長した祈里の姿が、麗都の瞼の裏でひとつに重なった。
「運命が、俺に味方してる...」
麗都はそう呟くと、柄にもなく天を仰ぎ、信じてもいない神に感謝した。
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