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しおりを挟む麗都の勤める店のある通りは、同業の競合店が多く立ち並んでいる事から、通称ホスト・ストリートと呼ばれている。宇高の事務所はその通りから一本北にある通りに面した雑居ビルの3階にあった。なお、そのビル自体が組織の所有である事から、他の階にも一般のテナントなどは入っていない。1階ロビーを出入りするのは大半が強面で体躯が良いか柄の悪い男達であり、それを目にした一般の通行人に威圧感を与えてしまいがちだった。その為宇高は、会う相手によっては、事務所ではなく近隣にある馴染みの喫茶店を指定して待ち合わせるようにしていた。特に宇高が仕事相手にしているのは、風俗店を渡り歩いてきた海千山千の女達とは違い、素人同然の娼婦志願者達だ。金が必要だが、様々に事情があって風俗で働く訳にはいかず、しかし早急に稼がなければならない女達。風俗店に属してしまえば、出退勤で出入りするのを見られたり、ホームページに載せる写真やブログを強要されたり、知人が客で来てしまったりと身バレの可能性は高くなる。顔を隠したり来店客の顔をカメラで確認出来るようにしたりなどの予防策を講じている店もあるが、それだって十分とは言えない。しかも、給料は指名客やオプションをつけても、諸々の諸経費をさっ引かれると、手に出来るのはどんな種類の店でも、良くて5~7割。手っ取り早く大金を手にしたい切羽詰まった者にとっては、到底納得のいく取り分にはならない。
よって、同じ事をするのならば、多少のリスクを負ってでも手取りを増やしたいと個人商売を選択する女は少なくなかった。この区域ならば、毎月幾許かを支払って宇高の管理下に入れるから、少なくとも最悪の事態に陥る事は無いだろうとの計算も働いているのだろう。因みに宇高が彼女達から徴収している金には、一応"管理費"という名目がついている。このご時世、決してみかじめ料などと呼んではいけないそれは、金額としては1人あたり3万、宇高の組織名刺とセットとなっている。店舗所属で持っていかれる額を考えても、組織のシノギとしても、かなり良心的な金額であるのは間違いない。しかも実質は"みかじめ料"である為、それを支払っている間は商売上のトラブル発生時には若い衆…いや宇高の部下が対応に向かうし、警察の一斉検挙の前情報も連絡が来る。しかし、万が一"管理費"を出し惜しんだ場合、不払いが確認された時点で名刺は取り上げられ、フォローも無くなる。そうなれば即日この区域から追い出されるので、この商売を上がるか場所替えをしない限りは皆真面目に支払っているのだという。
とまあ、そんな宇高の事務所を、麗都は訪れていた。
時刻は夕方、6時前。
麗都がアポの時間より早目に着いてしまったにも関わらず、ビルの玄関前には既に宇高の部下が待っていた。組織の中でも宇高の部下達は教育が行き届いているので有名だ。
エレベーターに案内され、3階の右奥の部屋に通される。黒い革張りのソファに座るよう勧められ、飲み物の好みを聞かれ、下にも置かぬ扱い。しかも出されたアイスコーヒーがやたらと美味い。香りと濃度を維持したままのアイスコーヒーはなかなか珍しいのに、とよく観察してみると、氷もコーヒーで出来ていた。こやつ、できる…と唸る麗都。
「美味しいなあ」
思わず呟くと、運んで来た後ドアの前に立っていた強面の部下の表情がほんの少し緩んだようだった。
「そこの路地を入ったとこにある古いサ店ので…耳の遠い爺さんが一人でやってまさあ」
「なるほど、隠れた名店ってやつですね」
「へえ」
「今度行ってみようかな、ありがとう」
にこりと笑うと、部下の顔にほんのり朱が走ったようだった。類稀な美貌に魅了されるのに、男女の別は無いらしい。
麗都がそのままでも美味いアイスコーヒーにミルクを入れるか否かで迷っていると、ドアの開閉音がして宇高が入って来た。
「少しお待たせしてしまいましたかね?」
「いえ、俺が予定より早く来過ぎたんで」
そんな遣り取りをしながら、宇高が麗都の向かいのソファに腰を下ろす。外から戻って来たばかりらしく、髪をオールバックにした額には汗が滲んでいた。室内には冷房が効いているというのに、内ポケットから取り出した黒い扇子で暑そうに顔を仰いでいる宇高は、強面ではあるが存外整った顔立ちをしている。これで女や素人衆には親切で、なかなかの切れ者らしいから、下には慕われるだろう…と、アイスコーヒー片手に観察をしながら麗都は思った。
麗都には、他人を逐一観察する癖がある。
宇高は部下が運んで来たアイスコーヒーのグラスを左手に持ち、半分ほどを一気に飲み、ようやく人心地ついたような顔になって言った。
「いや、日が暮れても全く涼しくはならないですねえ」
「すみません、お忙しいのに」
「いや、いつもの見回りですから」
「ああ、なるほど。お疲れ様です」
宇高の言う見回りとは、別に街の治安を守る為のものではない。ただただ自分の管轄の娼婦達の立つ辺りに、勝手に商売を始めた新人が居ないかとか、荒らしの客がいないかなどのチェックである。部下に任せても良い仕事だが、宇高は一日1回は時間を違えて自分で回る。娼婦が立つのは夜に限った事ではなく、昼間から夕方にかけて商売をする者も居るからだ。実は高学歴で優れた記憶力を持つ宇高にかかれば、新参のチェック漏れはありえない。
宇高の見回りとは、綺麗事では無く純粋に自分の飯の種なのだった。
麗都と宇高との関係性は、他のホスト連中とは少し違う。店のトップゆえに、宇高が連れて来る客の接待担当になっているという関係であり、女の商売のサポートを頼んだ事は無い。しかし逆にそれが良いものか、ある種の信頼関係は築かれていた。
「…電話で伺った件なんですがね」
宇高が言って立ち上がり、部屋奥のデスクの上から白い書類のようなものを手に取る。それからソファの元の位置に座り直し、2人の間に置かれている黒いローテーブルに載せて、指でついっと麗都の方に寄せた。見ると、パッと見は履歴書のように見える用紙。見開きになっていて、左側の上部には小さく顔写真がある。
「一応の事だから、全部ホントの事を書く必要は無いし、現住所以外は大まかで良いって言ったんですがね。どうやらこの子は全部馬鹿正直に書いてるんですわ。…そんな子なんでしょうねえ」
宇高が唇の右側を少し上げて言う。小馬鹿にしている訳ではなく、何となくやるせないような声の響き。
それを聞いた麗都は紙を手に取り、真面目な顔で目を通し始めた。
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