NO.1様は略奪したい

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 同じ場所で客待ちをしている女性達が『ホス狂い』と呼ばれているんだと客から聞かされたのは、祈里が仕事を始めて2週間ほど経った頃だ。言葉の意味を教えられて、何故かほんの少しだけドキリとした。
 客は、君もそういう理由であそこに立っているのかと聞いてきたが、祈里はふるふると首を振って否定した。そして、

「学費とか生活費を稼ぎたくて」

 と、宇高に用意された返答を答えた。それに対して客は、少し感心したような表情を浮かべて、祈里の顔をまじまじと見た。

「へえ、偉いね。お家大変なのか」

「はい」

「そうだよな。君は男の子だし、ホストに通って身を持ち崩すなんて事あるわけないか」

 客はそう言ってはははと笑い、祈里もそれに頷いた。だが、胸の中にはじわりと覚えのある何かが。それは以前から天馬に感じて来たあの違和感とよく似ていた。けれど祈里は、すぐにそれを否定して、蓋をした。
 
(違う。僕は彼女達とは違う。僕は、代金を踏み倒されて窮地に立たされた天馬を助ける為に、嫌々ながらこの仕事に甘んじてるんだ。恋人として支えてくれって頼まれたから。あの娘達みたいに、店にお金を落とさないと相手にされないお客さんとは立場が違うんだから)

 冷静に考えれば、ホストである男に売〇に堕とされている時点で、気づく事がありそうなものだが、祈里はそれを拒んだ。祈里は、天馬との関係において店が介在するか否かが、自分と彼女達との差別化を図るものだと思い込んでいた。つまり、店で会ったから客、店に行ってなければ客ではない。
 祈里は金を払う事無く天馬と出会い、付き合った。恋人として付き合うようになってからも、店に呼ばれた事は無く、天馬は毎週日曜になると自分から祈里の部屋に来て寛いでいた。これが恋人でなくて何なのか。そう、自分は間違いなく恋人だ。
その自負があればこそ、多少の違和感はシャットアウトして、天馬の為ならと辛い仕事にも耐えられたのだ。
しかし客観的に見れば、体を売ってホストに金を工面している時点で彼女達も祈里も立場的にはそう変わらない。けれどそこに気づいてしまえば自分が折れてしまうのをわかっているから、祈里は気づきたくないのだ。それは祈里なりの自己防衛本能だった。

 そうしていつの間にか、祈里が客を取るようになって2ヶ月が過ぎようとしていた。

 相変わらず同じ場所で客待ちをする女性達とは一度も言葉を交わした事はないものの、以前は感じなかった刺々しい視線を向けられるようになってしまった。それは、彼女達の中で祈里だけが唯一の男性である事と、にも関わらず一番の客付きとリピート率の高さである事で嫉妬を買っているからに他ならない。しかし、いくら祈里が綺麗で初心に見えるからと言っても所詮は男なので、女目当てで来る大半の客は結局は彼女達の誰かに声を掛ける。棲み分けは出来ている筈だった。けれど、毎回客の方が出勤待ちで近所に待機しているほどの人気嬢(?)は祈里だけなので、それも癇に障ったのかもしれない。
 しかし今日は、珍しく客の待機が無さそうだった。

(久々に少しゆっくり待ってられるかな)

 祈里はそう思いながら、薄暗くなった空を見上げた。繁華街が近い割りには、比較的閑静な公園だ。初めの頃は大学の夏休みに入る直前で、夜風すら生ぬるかったのが、9月も終わりともなったからか、今夜はほんの少し肌寒い。もうそろそろ半袖ではきついだろうか。次からは薄手でも長袖を着てこよう、と考えていた時、ふと通り向かいの雑居ビルの出入口にある自販機が目に入った。

(あれ、もう温かいやつ出てる)

 いつの間に入れ替えたのか、少し前までは冷たい表示だったコーヒーや茶などの一部が温かい表示に変わっている。その中には祈里の好きなカフェラテもあって、それを見てしまうと飲みたくて仕方なくなった。
 目の前の通りは殆ど車も通らない細い道路なので、ほんの数秒で渡れた。その自販機は電子マネーに対応しているので、祈里はチノパンのポケットからスマホを出してアプリを起動させた。それからカフェラテのボタンを押して、スマホを自販機の決済端末に翳そうとしたのだが...

シャリン 

すいっと横から伸びて来た長い腕が、先に決済音を鳴らしてしまった。
 
「えっ...」

 何が起きたのかと一瞬虚を突かれ、反応が遅れる。

...タンッ、と取り出し口にカフェラテが落ちて来た音がした。音の方を見ると、長い腕の主が取り出しから悠々とカフェラテのボトルを取り出している。嗅いだ事のない香水の香りが祈里の鼻を擽った。メンズともレディースともつかない不思議な、でもとても心地良い香り。
 
(何の香水だろう...)

 決済を横取りされたのも忘れて、祈里がぼうっとそう思った時。

「はい、どうぞ」

 カフェラテが目の前に差し出された。

「へ?」

 祈里はキョトンとして、カフェラテと、それを差し出している人物を見た。
 それは、祈里よりも幾つか歳上に見える、背の高い若い男だった。夜だというのに黒いサングラスを掛けていて顔の全貌ははっきりしないが、通った鼻筋や薄く形の良い唇、それらを納めているシャープな輪郭から、素顔はかなり整っているのではと思わせる。服装は全体的に黒で統一されていて、生地やデザインには妙に高級感があった。おそらく有名ブランド。そして、それらを自然に着こなすスタイルの良さ。
 だが、全く知らない男だ。その筈なのに、何処か既視感を感じるのは何故だろう。

「買おうと思ってたんじゃないの?」

 少し首を傾げた男に言われ、祈里はハッと我に返った。

「え、あ、そうだけど...」

「だよね。じゃ、どうぞ」

「...ありがとう?」

 どういう事だ。つまりこの男は、最初から自分に奢ってくれるつもりでこんな事をしたという事なのか。でも、どうして?受け取って良いのか、これは?
 疑問符だらけのままカフェラテを受け取った祈里に、男は唇だけで微笑み、そして、

「で、君は一晩貸し切りでいくら?」

 と、問いかけてきた。




 
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