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9 弥音 9
しおりを挟む結果的に、良寿郎は首を縦に振った。どちらにせよ、そうせざるを得ないのだ。
贄が決まってしまっている以上、神への供物となる贄の願いは絶対だ。辞退など出来ないし、父もさせないだろう。良寿郎本人の意向を聞くというのは形ばかりで、実際は強制なのだから。
村の為に役に立て。
そういう事だ。
それにしても、と部屋に戻った良寿郎は考えた。
まさか弥音が、自分との一夜を望んでいるとは思いもよらなかった。死んだ親友の弟で、家族に先立たれた哀れな弥音を、兄になったつもりで何かと気にかけてきた。慕われている自覚はある。だがそれは、あくまでも兄代わりとしてのものであろうと思っていた。
なのに、この世の最後に弥音は自分との契りを望んだ?
本気なのだろうか、と考え込んでしまう。だが弥音は、至極真面目な性格で、賢い。その上、生への執着も無い。
贄になる事も大人しく受け入れたという。願いを申告するまでに考える時間も与えられていて、申し出てきた時にも落ち着いた様子で淡々としていたらしい事から、決して自暴自棄になって言い出した事ではないように思える。とすると…。
(本気、なのか…)
死を前にして、望んだのが自分との一夜。
本心なのかどうかはわからないが、弥音がそう望むのなら叶えてやりたいと純粋に思った。
そして幾日かが過ぎた。
その数日の間にも儀式の準備は着々と進められている。あやめは儀式の事など何も知らされないまま、伴を何人も付けられて隣村の親戚宅にやられた。名目は、多忙な宮司の父の名代として叔父に病気平癒の神札を届けるというもの。付けた伴は、あやめの護衛でもあり監視役でもあった。
嫉妬に狂ったあやめに儀式の最中に乱入されるのを防ぐ為、何か感づかれても隣村に押し止めておく必要があるからだ。
良寿郎はあやめの事を親に決められた許嫁としか思っていないが、あやめは以前から良寿郎に想いを寄せていた。そんな彼女が儀式の事を知り、良寿郎と弥音が一夜の契りを結ぶ事を知れば、悋気に狂うのは目に見えている。例え弥音はあやめの代わりに贄になるのだと言っても、決して納得はしないだろう。
だからこそ、あやめの耳に入る事を恐れ、村人達には儀式の事は当日まで伏せ、偶発的に知ってしまった数人にも箝口令を敷いた。
全ては儀式を滞り無く遂行する為に。
一刻一刻と、その時は近づきつつあった。そしてそれは、弥音の命の時間がもうそんなには残されていないという事でもあった。
その日は朝から小雨のぱらつくという空模様だった。
いつもと変わらぬ時刻に起きた弥音は、いつものように顔を洗い簡素な食事をして、畑を見ようと家の戸を開けた。
「あ…」
戸を開けたそこには、8人ばかりの白布で顔を隠した浄衣姿の男達が板輿を囲んで立っていた。
その内の一人、前に立っていた男が、弥音に向かい声を発した。
「お迎えに上がり申した」
ああ、そういえば二日前には迎えを寄越すと聞いたのだったと思い出す。
「あ…はい。では、支度を…」
そう言って中へ引っ込もうとした弥音に、先ほどの男は静かに告げた。
「お着物などはそのままで」
「…はい」
確かに考えてみれば、今から死にゆく自分に特別必要な荷物など無い。
そう考えながら弥音は、薄暗い家の中をぐるりと見回した。
家族と過ごしたあの頃。家族を亡くしたあの日々。独りになってからのこの数年。土間、竈、柱、梁、囲炉裏、壁。それらに染み付いた思い出の数々。
楽しさも嬉しさも悲しみも絶望も孤独も、あらゆる全てをこの家で味わって今日まで生きた。そして明日からは使う者も無いのだろう。
「…今度こそ、お別れだな」
弥音は最後に柱を撫でて、もう板の間に上がる事はしなかった。そして、静かに戸を閉めて表の輿へ向かった。
輿に乗せられると、前簾が下りる。少しの浮遊感の後、輿が僅かに揺れ始めた。どうやら神社に向かい出発したらしい。
今日から明後日まで弥音は、神社の敷地の奥にあるお堂に詰めるのだと聞かされている。
板輿の後方にある小さな物見から、弥音は遠ざかっていく家を見つめた。もうあそこに戻る事は無いのだろう。見慣れたこの道を歩く事も。
これは黄泉へ向かう死出の道行きだ。
(さよなら…)
弥音は暫く、視界の中で揺れる家を目に焼き付けるように見つめた。そうして前に向き直ると、もう振り返る事はしなかった。
どうせこの世で一番の未練である良寿郎には、明日の晩に会って別れを告げられる。その後は早く役目を果たし、あの世の家族の元へ行く事だけを考えれば良い。
そう思った。
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