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6 弥音6
しおりを挟むその年、村は水害に見舞われた。
大雨により増水した川が荒れたのだ。橋が流され、川の近くに住んでいて逃げ遅れた村人が何人か流されて、水が引いた後の散々だった。家も家畜も失った者達も少なくなかったが、村でも高台にある弥音の家は、大雨で屋根が破損して雨漏りが酷くなった程度で済んだ。
村人皆で助け合い、橋を架ける工事を進め、何とか元の日常に戻っていけるかと思われていた翌年、また同じ事が起きた。勿論、工事途中の橋も。
村人達の心は折れ、なげやりになった。苦労して生活を建て直しても、また同じ事が起きて何もかもが奪われるのではないかと。
自然、消極的になり、村の復興作業は遅々として進まなくなる。
そんな工事の様子を見ていて、宮司が名主に言った。
「これだけ水害が重なるという事は、水神様がお怒りなのではあるまいか。このままではまた次も流され、橋は何時までも渡らない。」
人間というものは、とかく不幸に理由を付けたがる。そして、例え思い込みであろうと理由さえ明確になれば、対策を立てようとするものだ。
「水神様が…。とすると、お怒りを鎮めていただかにゃ、いかんのう…。」
そう口にしながら、名主は思いを巡らせた。
神の怒りを鎮めなければならないというのなら、祈祷の他にもう一つ、もっとも重要なものがある。
「清らかな若いもんをお捧げせにゃ。」
お捧げ。つまり、贄だ。川に棲み水を司る水神に差し出す生贄。そんな神に捧げられるという事は、すなわち…。
「未だ交合を知らぬ清い者に、橋の工事の人柱として沈んでもらわねばなりません。」
「…そうなるなぁ。」
そうなると、通常は村で一番美しい娘が選ばれるのが通例だ。しかも、男を知らぬ体の。となると、と2人は腕組みをしながら考えた。
普通に考えたなら、それが今一番該当するのは宮司の娘であるあやめだ。しかしあやめは去年、名主の息子良寿郎の許嫁として内定している。とはいえ、未だ許嫁。婚約を整えてすぐに勉学の為に村を離れ、水害が起きた事を知って戻ってきて工事の指揮を取って忙しくしている良寿郎には、許婚同士だからといってあやめと交流を深めている暇は無い。元より生真面目な性格なので、婚姻前にあやめに手を付けようという気もないようだった。昔から良寿郎に気のあるあやめはそれにヤキモキしているようだが、こればかりは片方だけがその気でも仕方が無い事だ。
気位の高いあやめは、良寿郎以外、村の若い男達を見下している。まさかそんな連中に肌を許すとも思えないから、生娘である事は間違いないだろう。
誰の手も付いておらず、しかも神に仕える家の娘であるあやめは、もっとも贄に相応しいという事にはなる、が…。
勝手なもので、自分で口にしておきながら、娘を生贄に捧げねばならない事を思った宮司は青ざめた。
「…あやめを…水神様の贄に…。」
村の為とはいえ、生まれた時から溺愛して育てた娘に死んでくれなどと酷な事は言えない。そんな胸中は、横で見ていた名主にもそのまま伝わった。名主だって、せっかく決まった息子の許嫁をみすみす水神の贄に、など冗談ではないと考えている。だが、贄を捧げる儀式自体は良い案だ。神の怒りを鎮める儀式を行う事で、村人達の士気を高める効果が期待できるのではないだろうかと思った。
ふと、閃いた。
「…お告げがあった事にしたらどうじゃろうか?」
「え?」
「神からのお告げで、贄が名指しされた事にすれば…。」
名主の言葉に、宮司は目を見開いた。あやめの他に適当に選んだ人間を、神の名を用いて贄として指名する…。それは随分身勝手で恐ろしい事だったが、とても良い考えに思えた。
だが、あやめの他と言っても…。度重なる水害に疲弊して心が荒んでしまっている村人達にこれ以上の犠牲を払えと言うのは酷な気が…と唸った時、脳裏を横切るものがあった。
「居なくなったとしても、困らん人間がおるじゃないか。」
「そんな者がいましたでしょうか?」
首を傾げる宮司に、名主はニヤリと笑みを浮かべながら言う。とても良寿郎と血が繋がっているとは思えない醜悪な笑みだった。
「おるじゃろう。家族も無く、外れのあばら家にひとりで住んどる若い者が。」
「…まさか、」
宮司はくらりと目眩がした。
数年前の流行病で本人以外の家族を全て失った、哀れな若者。まだ少年だった彼の、光を失くした瞳を宮司は今でも覚えている。
「そんな…弥音を…?」
それはあまりに、と口にしようとした宮司の言葉を阻むように、名主は告げた。
「まあ、あの痕は気になるじゃろうが元は器量の良い顔立ちじゃ。あの痕のお陰で言い寄るおなごもいなかったろうから、体も清らかじゃろ。
なに、あの者も村の役に立って家族の元に行けるのなら本望じゃろうて。」
「……そんな…。」
結局、宮司の迷いと良心が娘可愛さに負けた。
数日の内に、弥音の家には神社からの使いが向かった。
『水神様への捧げものとして、栄えある大任を』
お告げがあったのだと、使いの男は言い、それを弥音は夢の中の出来事のようにぼんやりと聞いていた。
しん、と微かな音が聞こえたような気がした。しかしそれが気の所為である事もわかっていた。
雪が降り出すには、まだ早い。
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