ゆきげのこえ

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1 弥音

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ちり、と頬を打った冷たさに目を瞬かせて、弥音は上を見上げた。
どんよりと灰色の雲がしきつめられた暗い空から、音もなく舞い落ちてくる白い雪。
今朝がたやっとやんだ筈だったのにまたか、と弥音は苦い気持ちになった。連日のように降りしきるそれは既に辺り一面を真っ白にしてしまっているのに、天はまだまだ降らせ足りないらしい。
弥音は恨みがましい目で空を睨みつけて、赤くかじかんだ指先に息を吐きかけた。

家の横の小さな畑も雪に埋もれてしまっているが、その下には干した野菜や、秋の内にやはり保存用に干した獣の肉なども埋まっていた。
だから弥音は畑仕事に出てきたのではなくて、その食糧を数日分掘りに出て来たのだ。
空がもっと暗くなる前にと、弥音は雪を掘り返す手を早めた。





村の外れのあばらやに、弥音は一人で暮らしていた。
最初から一人だったのではない。元は、父と母、二つ上の兄と十も下の妹、祖父母の七人家族だった。
その頃にはそれなりの田畑も持っていて、父が居た頃は食うに困った記憶は無い。雪深い村だけれど、父も母も兄も祖父も働き者だったから、寧ろ他の家よりはほんの少し余裕があったように思う。
母も綺麗な簪や櫛なんて贅沢品も幾つか大切に持っていたし、家族も他の村人達より僅かに良い着物を着ていた。
男子ながらその辺の娘達よりも可愛らしい顔立ちをしていた弥音は、母に髪を梳かれたりして、常に身綺麗にしていて、皆から可愛がられた。

そんな日常が変わってしまったのは3年前だ。
都など、人の集まる場所を中心に妙な病が流行り、定期的に街に商いに降りていた者たちが罹患して村に持ち帰ってしまった。そして行商に降りていた弥音の父と、兄も。
そうして村でも幾許かの死者が出た。けれど、一番被害が酷かったのは弥音の一家だった。
他の家では家族全員が寝込んでも、病が重くなる年寄りや抵抗力の低い子供が死ぬ事があるというくらいだった。ある程度の年齢に到達していれば、若く健康な者はせいぜい三日から一週間寝込む程度で、あとは徐々に回復したからだ。なのに何故か、弥音の家族は幼かった妹や祖父母だけではなく、弥音や母、年齢以上に頑強な体をしていた兄や父までもが重症化した。全員が高熱に苦しみ、誰もが誰の看護も出来なかった。
そうして最初に妹、ついで祖父、祖母、母、兄、父が相次いで息を引き取った。自らも高熱と乾きに唸るばかりの弥音には、霞んだ視界で家族の息が絶えていくのを見ている事しか出来なかった。次は自分の番だ、次は…。そう思いながら。

そして、悪夢のような一週間が過ぎた時、死の淵から生還したのは弥音ひとり。
冬になろうかという時期の事で、誰ひとり火を焚ける状態でもなかったから、家の中とはいえ寒かった。けれどそれで家族の遺体からは死臭がする事は遅れ、それだけが幸いといえば、幸いだった。
熱が引いたとはいえ、水も食べ物も取れず消耗した体は、まだろくに動かす事も出来ない。
冷たい骸になり色の変わった家族達をひとりひとり見て回り、やはり息が無いのを確認すると、弥音はがくりと脱力した。
このまま倒れていれば、病で消耗している弥音も、じきに死ねるだろう。早く家族の後を追いたいと思った。

けれど…。

せめて、喉の乾きを潤してから死にたいと思った弥音は、水を求めて布団から這い出て厨に向かい、水瓶を覗いた。だがそこにはもう僅かな水も残ってはいなかった。少し動ける内に皆が飲み、看病に使ってしまったのだ。
裏の山水の場所まで行けばと思い、また戸口まで這って、やっと家の戸を開けた。だがそうして弥音の目に映ったのは、薄らと白く積もり始めた雪景色。

弥音達家族が苦悶に喘いでいた間に、ひそりと冬は来ていたのだ。
 弥音は頼りなく震える手を伸ばし、戸口の前に積もっていた雪を掴み、食んだ。それはすぐに弥音の口の中を冷たく潤した。弥音は何度も雪を口に運んだ。舌が痛くなるほどに、食んだ。
乾ききった体の中にせっかく水分が染み渡ったというのに、弥音の目からは涙が次々と溢れ出した。
振り返るのが怖かった。そうしてしまえばまた現実を突きつけられる。暗い部屋の中には、もう物言わぬ家族がただ静かに横たわっているばかりだったからだ。








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